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8月22日(月) お盆休みの長い帰省から帰ってきた [日常]

 一昨日、東京の自宅に帰ってきました。例年になく、長いお盆休みの帰省になりました。

 帰ってきていたのに、ブログを更新するのが遅れました。休み癖というか、怠け癖がついたせいでサボってしまったというわけです。
 すぐに片づけなければならない用もありました。それに、不在中の郵便物や新聞の整理などで、時間が取られたせいもあります。
 いずれにしても、10日間のご無沙汰でした。お元気だったでしょうか。

 東京は猛暑が続いていたようですが、新潟も昼間は暑かったです。でも、朝・晩は涼しく、夜の寝苦しさはありませんでした。
 帰る頃には雨も降り、急速に涼しくなりました。ここ数日は、東京も同様に涼しかった、というより寒かったようです。
 豪雨や猛暑などの影響を心配していたのですが、下越や中越とは違って、上越の方はほとんど被害はありませんでした。とはいえ、越後湯沢で上越新幹線から乗り継いだ北越急行線(ほくほく線)は、私たちが帰省した8月13日の朝にようやく復旧したそうです。

 帰省した日の夜、高校時代の友人が集まりました。毎年、お盆と正月に顔を合わせていますが、今回は15人という大人数になりました。
 お盆であったために帰省した人が多かったということもありますが、だんだんと現役を離れたり、リタイア間近であったりということで、集まりやすくなったということもあるでしょう。
 現役で活躍している人ももちろんいますが、すでに退職して悠々自適の隠退生活を送っているという羨ましい人も何人かいました。今後、こういう人はもっと増えてくるでしょう。

 帰省中、いつもとは違う懇談が2回ありました。一回は、先輩に頼まれて最近の政治情勢について話をし、もう一回は、4年後に開通する予定になっている北陸新幹線の駅名についての相談です。
 いつもより長い滞在で時間が取れたため、「久しぶりに一杯やりましょうか」と先輩を誘ったら、「折角だから、回りの知り合いを集めるので話をしてくれないか」と頼まれました。ワインを飲みながら、最近の政治についての質問に答えたというわけです。
 新幹線の駅名については東京にいるときに連絡をもらい、「田舎に帰るので、その時に」ということでお会いしました。これについては、明日、改めて書かせていただくことにします。

 今回も、ふる里の料理や美味しい地酒を満喫してきました。甥や姪の子供たちとふれあい楽しい時間を過ごしたのも、忘れられない思い出です。
 温泉や美しい田園風景を堪能することもできました。久しぶりに、のんびりとした緩やかな時間を送ることができたというわけです。
 とはいえ、26日(金)には労働者教育協会の研究会で「戦後のエネルギー・原子力行政と政治の責任」について報告することになっており、28日(日)にも長岡市での原発問題シンポジウムで講演しますので、その準備もあって完全な休暇というわけにはいきません。というわけで、今週末には、また新潟県に行くことになります。

 なお、玄海原発についての「やらせメール事件」で、新しい事実が報道されていました。経済産業省資源エネルギー庁の担当者が、県民向け説明会の直前に再稼働に賛成する意見を投稿するよう九電側に求める趣旨の発言をしていたことが20日に分かったというのです。
 これについては、既に佐賀県の古川康知事が九電側に賛成意見の投稿を要請したとも受け取れる発言をしていたことが判明しています。今回判明した資源エネルギー庁の発言は、九電の課長級社員らが意見投稿を依頼したメールを出した6月22日より後で、九電による「やらせ」の直接の引き金となったわけではないとされていますが、本当のところは分かりません。

 私は、7月8日付のブログ「九電『やらせメール』は誰の指示だったのか」http://igajin.blog.so-net.ne.jp/2011-07-09で、次のように書きました。

 この説明会で玄海原発の再稼働について、反対ではなく賛成の方向が強まることを最も願っていたのは、一体、誰なのでしょうか。それは九電よりも、むしろ経産省の方だったのではないでしょうか。
 九電の元副社長や元常務は「よろしく頼む」などと部下に伝えたと報じられていますが、この言葉はさらに別の方から伝えられていたということはなかったのでしょうか。東の東京・霞が関の方向から……。(以上、引用終わり)

 少なくとも、今回明らかになった事実は、ここに書いた私の疑惑を裏付けるものだったことは明らかです。「この言葉はさらに別の方から伝えられていたということはなかったのでしょうか。東の東京・霞が関の方向から」という疑惑を……。

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