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8月23日(火) 北陸新幹線の新駅名として「上越駅」だけは避けてもらいたい [日常]

 ふる里からの帰路は、直江津から長野に出て飯山線の馬曲温泉に立ち寄った後、戸狩温泉で一泊、翌日は小布施を訪問した後、長野新幹線で大宮、武蔵野線で西国分寺、中央線で西八王子という経路で帰ってきました。途中、脇野田駅周辺と飯山駅周辺で、新幹線の工事が進捗しているのを見ました。

 この新幹線の駅名をどうするのかということが問題なのですが、私に相談が寄せられたのには訳があります。この件について、以前、私は『上越タイムス』に投書したことがあるからです。
 この投書は、2008年1月13日付のブログ「新駅名は『謙信駅』に」 http://igajin.blog.so-net.ne.jp/2008-01-13でアップされていますので、ご覧いただきたいと思います。これは、この年の正月の新年会で『上越タイムス』のデスクをしている友人と同席し、たまたま新駅名の話になったときの発言を「その意見、面白いから書いてくれないか」と頼まれて書いたものです。
 この投書が、地元で新幹線の駅名について検討している方々の目にとまったというわけです。「詳しい話を聞きたい」ということで、わざわざ頸城区の実家にまでお越しいただくことになりました。

 この投書での私の主張は二つあります。一つは、「ここを上越駅とした場合、上越新幹線に乗れば行けると考える人が必ず出てきます。しかし、上越新幹線は上越駅(仮称)を通りません」ということであり、もう一つは、「もっと良い駅名の候補があるからです。そうです。郷土の英雄である上杉謙信公の名前をお借りすればよいのです」ということです。
 この主張は、今も変わっていません。新駅の名前を「上越」とせず、「上杉謙信」とするべきだという意見は。
 譲れないのは、「上越」としてはならないという点です。他方、「上杉謙信」はベストですが、それ以外はどうしてもダメ、というわけではありません。

 何故、「上越」ではいけないのか。その理由は、無用の混乱を引き起こすからです。
 新潟県には、すでに「上越線」が走っており、新幹線にも東京と新潟を結ぶ「上越新幹線」が通っています。しかし、新駅を上越駅とした場合、上越線や上越新幹線に乗っても上越駅には行けません。
 上越線や上越新幹線の「上越」は、「上州」と「越後」の頭文字を取ったものであり、上越市や上越駅の「上越」は、かつて京の都に近い順に「上の越後」「中の越後」「下の越後」とされたところから来た「上(かみ)越後」という意味です。その成り立ちには大きな違いがありますが、「上越」という文字だけでは、そんなことは分かりません。

 普通の人は、「上越」を通るから上越線あるいは上越新幹線だと考えるでしょう。しかし、上越線も上越新幹線も「上越」を通らず、これらの線では「上越」には行けないのです。
 このような混乱の淵源は、高田と直江津が合併して新市となったとき、上越市と名付けたところにあります。今回の市町村合併は、この市名を変える絶好のチャンスでした。
 しかし、そのまま上越市としたために、その玄関口である駅名も「上越(仮称)」とされることになりました。市名を変えるチャンスだったのに、誠に惜しいことをしたものです。

 とはいえ、JRも私が指摘するような混乱への危惧を持っていることは明瞭です。長野から金沢まで延伸される北陸新幹線の駅名のうち、飯山、糸魚川、富山、金沢は決まっていますが、上越(仮称)、新黒部(仮称)、新高岡(仮称)となっていて、「上越」という駅名は、まだ正式に決まっていません。
 後者の駅名が「仮称」となっているのは、色々と問題があり、地元の賛同などが得られていないからだと思われます。そのために、「平成23年9月16日(金)」を期限に、「駅名募集!」のキャンペーンが行われています。
 このキャンペーンの主体は「新幹線まちづくり推進上越広域連携会議」という団体で、事務局は「上越市新幹線・交通政策課」に置かれています。新駅名を「町づくり推進」の一環として位置づけて「募集」しているわけですが、このような取り組みは正しいと思います。

 ということで、駅名を「上越」とすることだけは避けてもらいたいという私の主張はご理解いただけたと思います。それでは、「上越」以外にふさわしい駅名はあるのでしょうか。
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