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10月25日(火) 博多・水俣・鹿児島・奄美大島をめぐってきた [旅]

 10月20日(木)と21日(金)に、熊本学園大学水俣学現地研究センターで労働資料協の総会が開かれました。この機会に、東海道と山陽新幹線で博多に行き、そこから九州新幹線で水俣、さらに車で鹿児島、飛行機で奄美大島とめぐり、昨日の夕方に自宅に戻ってきました。
 この間、メールのチェックはしましたが、ブログに書き込む余裕がありませんでした。しばらくお休みさせていただくことになり、申し訳ありません。

 博多へ行く途中、京都駅で途中下車。松茸ご飯などの昼食を摂って博多へ。
 博多では、イカの活き作りや鯖の刺身などの夕食後、カミさんとともに中洲の屋台でおでんに焼き鳥で一杯。もちろん、豚骨ラーメンも味わいました。
 翌朝、開通したばかりの九州新幹線で新水俣へ。広くゆったりとした車内は、落ち着いた色調でシックな雰囲気でした。

 水俣では、総会が始まる前に時間があったので、徳富蘇峰と蘆花兄弟の生家や記念館を訪問。兄弟の背後には、横井小楠門下の漢学者・教育者である父親・徳富一敬(淇水)の教育と影響があったことを知りました。
 総会前の役員会では、大阪産業労働資料館「エル・ライブラリー」の谷合さんにお会いし、先日のブログに書いた『日経新聞』の記事が話題に。谷合さんは大阪マラソンで着て走るというピンクのTシャツ姿でした。
 「何とか、完走を目指して頑張りたい」という谷合さん。皆さんも応援してください。

 総会後は、熊本学園大学水俣学研究センターが整理している新日本窒素労組資料の見学・説明を受けた後、熊本学園大のマイクロバスに乗って、百間排水口、水俣市立水俣病資料館、窒素の専用港である梅戸港、八幡残渣プールなどを見学しました。水俣湾は、遠くに天草半島や恋路島などが見え、大きな湖のようです。
 この美しい海の底に水銀のヘドロが貯まり、多くの人が水俣病に苦しんだなんて、信じられません。皆さんの話を聞いていて、今回の福島原発の事故と似ているように思いました。
 水俣病の原因について、チッソを守るためにでたらめを言っていた学者が奉られ、真実を語った研究者が乾されていたこと、水俣病の被害が広く長期にわたったこと、行政や会社側が責任逃れのために事態を過小評価し、そのために対策が後手に回ってしまったことなど、今回の原発事故とそっくりではありませんか。その教訓が生かされず、今また同じような「人災」が繰り返されようとしていることに、大きな怒りを感じました。

 宿泊は水俣の市街から車で30分ほど山に入った湯の鶴温泉です。ひなびた温泉宿の喜久屋旅館は川沿いにあり、石組みの露天風呂のお湯はツルツルしていました。
 翌日も、マイクロバスに乗っての水俣ツアーです。水俣病原因企業であるチッソの後身・JNN水俣工場を見学した後、坪段、茂道という水俣病患者の多発地域を訪問しました。
 水俣工場では、説明していただいた際、「会社は水俣病をどう総括しているのですか」と、単刀直入に聞きました。患者確認後の対応の遅れなどの問題があったことは認めていましたが、まだ患者が残り裁判も続いている現状では、総括するのは早すぎるということなのかもしれません。

 新水俣駅で皆さんと別れ、迎えに来てくれた大学院時代の先輩の車に乗って、鹿児島に向かいました。雨が降り出した中でのドライブです。
 途中、出水の武家屋敷などを見物し、「雨に煙る武家屋敷も良いものですね」などと呑気なことを言っていましたが、鹿児島に近づくにつれて雷が鳴り始め、土砂降りになってしまいました。この頃、市内は大雨で大渋滞だったそうです。
 何とか、この日の宿「マリンパレス」にたどり着きましたが、錦江湾越しに見えるという桜島は見えません。翌朝、幸いにも雨は上がって晴れましたが、桜島の上の方には雲がかかっていました。

 朝、薄日が射す中、ホテルを出発。本坊酒造の「薩摩郷中倉(ごじゅうぐら)」という焼酎工場の見学と試飲でほろ酔いになりながら、飛行機で一路、奄美大島に向かいます。
 奄美大島では、名瀬の「奄美サンプラザホテル」と空港に近い「ティダムーン」に宿泊。車で西郷隆盛が愛加那と共に隠れ住んだという住居跡、奄美海洋展示館、日本のゴーギャンと呼ばれる日本画家・田中一村の記念美術館、あやまる岬などのポイントを観光しながら、ほぼ一日半で島を一周しました。
 市街地はまばらで信号もほとんどなく、シーズンオフで車も少なく、運転していたカミさんは喜んでいました。2泊3日の滞在でしたが、好天に恵まれ、夏のように輝く太陽、青い空にコバルトブルーの海、ソテツやシュロなど南国らしい植生に覆われた深い森、マングローブが生える南部の川、道路脇の赤やピンクのハイビスカスの花――どれをとっても素晴らしいものでした。

 奄美空港に到着後、すぐに「鶏飯ひさ倉」に向かい、昼食に名物の鶏飯を食べました。一緒に食べた焼き鳥や豚骨の塩焼きなども、なかなかの美味です。
 夜には、名瀬の屋仁川(やんご)通りで素晴らしいお店を見つけました。古仁屋漁港の漁師直営の「脇田丸」という居酒屋で、一品390円という安さです。
 通りの角にあって、右側が魚屋さんで左側がお店になっています。レンタカーのお店で手に入れたガイドブックに載っており、途中で「グループ全員に生ビール一杯サービス」と書かれているのに気づき、「これ、今からでも大丈夫ですか」と聞いてサービスしてもらいました。魚料理の種類も多く、安くて大満足のお店です。

 2日目の宿である「ティダムーン」に着いたら、何か準備をしています。地元の人が歌ったり踊ったりするのだそうです。
 翌日、奄美パークの「奄美の郷」の展示を見たら、秋には伝統行事の「十五夜豊年祭」があると書かれていました。島が「六調(という踊り)に酔いしれる」とあります。
 夕食後、途中から踊りの輪を見物していた私たちも黒糖焼酎をご馳走してもらい、若者に話しかけられました。この若者は「八王子から島に帰ってきた」のだそうで、「私たちも八王子から来たんです」と言ったら、大いに喜ばれました。

 この方は、地元集落の壮年団の団長さんをしているのだそうです。「奄美のことを大いに宣伝してください」と言われましたので、ぜひ、皆さんもお出かけ下さい。
 祭りの輪には子ども達も混じっています。こうやって文化や伝統が引き継がれていくんですね。
 奄美大島の人々の人情に触れた思いがしたものです。美しい自然と素朴な人情に触れることができ、忘れられない思い出が残りました。

 というわけで、長い旅を終え、今日から研究所に出勤して貯まった仕事に追われているというわけです。旅先では、水俣病関連の場所を案内していただいた熊本学園大学水俣学現地研究センターのスタッフや新日本窒素労働組合OBの山下さんなど、多くの方にお世話になりました。
 この場を借りて、厚くお礼申し上げます。ありがとうございました。
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