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12月11日(日) 愛すべき仲間だった川﨑忠文さんを偲ぶ [日常]

 昨日、『回想の川﨑忠文』という追悼集の刊行を祝って、ささやかな会がありました。青梅に在住していた川﨑さんが愛した地元で故人を偲ぼうということになり、沢の井酒造の蔵元の隣にある豆腐料理で有名な「ままごと屋」で会食しました。

 実は、同じ日に増島宏先生を偲ぶ法政大学での会もありました。残念ながらそちらの方には出席できませんでした。
 当初、川﨑さんの会は12月3日の予定でしたが、この日に増島先生の会もかち合ってしまい、急遽、私の方からお願いして川﨑さんの会を一週間延期してもらったという経緯がありました。ところが、その後、増島先生の会の方もご遺族のご都合で1週間延期となり、また重なってしまったというわけです。
 このような事情で、増島先生の会にも出たかったのですが、やむを得ず欠席させていただきました。いずれ偲ぶ会を開催するということのようですので、そのときには是非、顔を出したいと思っています。

 川﨑忠文さんは、私の愛すべき仲間でした。中央大学卒業後、早稲田大学大学院に進学された労働法専攻の研究者で、その後、東大職組・文京区労協の専従を経て、労働旬報社に就職され、やがてフリーのライターとして多数の労働組合史の執筆に関わることになります。
 このような経歴や労働旬報社(現・旬報社)との縁もあり、『大原社会問題研究所雑誌』の割付など研究所の仕事のお手伝いをお願いすることになりました。私と川﨑さんとの出逢いは、私が研究所の専任になり、『大原社会問題研究所雑誌』の編集を担当することになってからです。
 その後のお付き合いについては、追悼集『回想の川﨑忠文』http://e-kyodo.sakura.ne.jp/candc/111126kawasaki.pdfに書きました。この追悼集については、ウェッブで読めるようになっていますので、ご覧になっていただければ幸いです。

 川﨑さんは、誰にでも親しまれる愛すべき仲間でした。よく、一緒に飲み、話し、歌い、歩きました。山が好きで、お酒が好きで、お喋りが好きで、カラオケが好きでした。
 楽しい想い出しか残っていません。こう書いていると、クモ膜下出血で急逝されたときの驚きと哀しみと無念さが甦ってきます。
 あれから2年の月日が経ちましたが、まだ信じられない思いで一杯です。昨日の集まりでも、ここに川﨑さんがいたらどれ程楽しいだろうと、何度も思ってしまいました。

 会食を終えて外に出たとき、川﨑さんが愛した奥多摩の山々は、暮れなずむ夕空にくっきりとした稜線を描いていました。その山の彼方へと、突然、去って行ってしまった人を惜しむかのように……。


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