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7月4日(水) 「オチプレイ」強制配備計画が示す日米安保の本質 [在日米軍]

 森本新防衛相はぼやいていることでしょう。「どうして俺が、こんな貧乏くじを引かなきゃならんのだ」と……。
 野田首相に懇願され、渋々防衛相を引き受けた森本さんは、アメリカのお雇い番頭よろしく、あっちに行って頭を下げ、こっちに来て頭を下げ、何とか「オチプレイ」ならぬオスプレイを受け入れてもらおうと必死です。こんな理不尽な要求を、無理矢理、反対を押し切って押しつけなければならないのが日米安保の本質なのだということを、今、森本さんは身をもって学んでいるにちがいありません。

 森本さんは、「(受け入れてもらえる)自信がない」と言っていました。断る方の事情もよく分かるからでしょう。
 しかし、出かけていって頭を下げるしかありません。安保体制下の日米地位協定によって、アメリカの申し出を断ることができないことも、よく知っているからです。
 森本さんは、国民の怒りや不安と、アメリカからの無理無体な押しつけとの板挟みになっています。このジレンマは、独立国でありながら日米軍事同盟によって事実上主権を制限されている日本の現実に根ざしており、それは森本さん自身が高く評価し、支持してきた安保の実態でもあります。

 今回のオスプレイ強行配備の要求には、アメリカという国の日本国民に対する差別、沖縄県民に対する侮蔑を強く感じざるを得ません。墜落事故の可能性があり、犠牲者が出るかもしれないのに、無理矢理配備し、訓練を行おうとしているからです。
 かつて、ケビン・メア米国務省日本部長による「沖縄はゆすりの名人」という発言がありました。今回も、オスプレイの配備に反対することで、沖縄が何かを「ゆすり」取ろうとしているとでも考えているのでしょうか。
 このような危険なものを日本に持ち込んでも、日本の政府や国民は受け入れてくれるにちがいないとなめきっているところに、アメリカ政府の日本国民に対するさげすみの眼差しを感じます。万が一、事故が起きて犠牲者が出ても構わないと考えているとしか思えないからです。

 アメリカがこう考えるようになってしまった責任の一端は、日本政府にもあります。これまで、アメリカによる理不尽で無理無体な要求を、唯々諾々と受け入れてきたからです。
 日本全土に米軍基地を置く権利を認め、米軍の特別な地位を保障し、危険な原子力潜水艦の寄港や原子力空母の母港化を容認し、沖縄の普天間基地の辺野古への移設にも合意しました。いまさら、危ないからといってオスプレイの配備に反対などできないということなのでしょう。
 岡田副総理は、山口県周南市で記者団に対し「日本政府としては、オスプレイの安全性について、『きちんと説明してほしい』とアメリカ政府に申し上げている。ただ、配備することについて、『今しばらくストップしろ』とか、『ダメだ』と言う権限は日本にはなく、そういうなかでギリギリのことをやっていると理解してほしい」と述たそうです。この卑屈な植民地根性を何と言ったらいいのでしょうか。
 「『今しばらくストップしろ』とか、『ダメだ』と言う権限」がなくても、日本政府の意思として「ストップしろ」「ダメだ」と言えばいいじゃありませんか。国民の生命や財産にかかわることなのですから。それを守るのが、政府の役割なのですから。

 ただし、それを言う「権限がない」のも、残念ながら、岡田さんの指摘するとおりです。アメリカによる無理無体な押しつけを受け入れざるを得ないのも日米安保の本質なのです。
 これを拒むためには、日米安保体制を根本的に転換しなければなりません。そのためには、安保条約を破棄すればいいんです。
 日米地位協定の改定には相手との交渉が必要ですが、安保条約の破棄について交渉する必要はありません。条約第10条には、「いずれの締約国も、他方の締約国に対しこの条約を終了させる意思を通告することができ、その場合には、この条約は、そのような通告が行なわれた後一年で終了する」と書いてあるのですから……。

 それでは心配だという方がおられるかもしれませんが、安保条約の「終了を通告」し、軍事同盟条約に代えて平和友好条約を締結すれば良いでしょう。太平洋地域の平和確保のための日米間の相互協力を定めれば、日本の主権への制限もなくなり、米軍基地は撤去され、太平洋は本当の意味で「平和の海」となるにちがいありません。

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