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8月25日(土) 「日本型労使関係」賛美論を批判する-久米郁男『日本型労使関係の成功』についての批判的論評 [論攷]

〔以下の論攷は、政治経済研究所『政経研究』第73号(1999年11月)に掲載されたものです。〕

はじめに

 私はホームページ(1)で、10回にわたって、久米さんの著書『日本型労使関係の成功(2)』に対する批判的論評を行いました(3)。しかし、インターネットでは読者が限られており、活字でも読めるようにして欲しいという要望もありましたので、本稿を書かせていただくことにしました。この論攷では、ホームページに連載された論評の概略を紹介するとともに、その後『書斎の窓』に発表された久米さんの論攷「戦後日本『労働政治』の謎(4)」についても一定の論評を加えたいと思います。
 内容に入る前に、久米さんとその著書について紹介させていただきます。久米さんは、神戸大学法学部教授で行政学と「労働政治」の専門家であり、これまで日本政治学会、日本行政学会、アメリカ政治学会などで報告したりコメントしたりしています。また、政治学会の学会誌である『年報政治学』や、政治学の専門誌である『レヴァイアサン』などにも、日本の「労働政治」についての論文を多く発表されています。本書は、これらの報告や論文を踏まえて執筆されているようですが、アメリカのコーネル大学に提出された博士論文を元にしており、ある程度のまとまりを持ったものになっています。
 久米さんの著書の性格を一言でいえば、ジャパン・アズ・ナンバーワンの「労働政治」版であり、しかもそれは「遅れてきた賛美論」であるといえます。労働の規制緩和などの新自由主義的攻勢が強化され、大リストラによって労働環境が急速に悪化しつつあるなかでの「分権的」で「協調的」な「日本型労使関係」への賛美論は、客観的には労働運動に武装解除を迫るものだといえるでしょう。完全失業率・失業者は過去最悪となり、常用雇用者も初めて減少に転じ、現金給与総額が初の減少を記録しているときに、久米さんは「『統一と団結こそが労働の力の源泉』という一般命題を否定」し、労働組合の「資源動員」に頼らない「分権的労働運動の可能性を再評価」しようとしているのですから……。
 私が、本書への反論の必要性を感じた最大の理由がここにあります。しかし、それ以外にも、本書には学術的研究書としても見過ごすことのできない事実誤認や理論的誤りが数多く見受けられます。
 以下、本稿ではまず第一に、久米さんの主張の何を批判しどこが問題なのかについて、個々の論点に従って総括的に明らかにし、第二に、「日本型労使関係の成功」が確認できるのかという点についての私なりの回答を与え、第三に、このような研究の持つ方法論上の問題点についても言及したいと思います。
 なお、本書の個々の内容についての検討に入る前に、一言述べておかなければならない点があります。それは、本書が日本の労働の実状を十分に踏まえていないという点です。このような批判は他からもあったようで、これに答えて、久米さんは次のように述べています。
 「本書では『現実の』『どろどろとした』労使関係の実体が描けていない、あるいはそのような世界を知らずにきれい事の分析をしているのではないかという批判である。……しかし、本書では、そのような世界と意識的に距離を置き、マクロに日本の労働政治を解きあかすことに意を用いた。……社会科学的に分析するには、個別的なエピソードの背後にある一般化可能なメカニズムを明らかにすることこそ重要である(5)。」
 この弁明における問題は、「労使関係の実体」を「個別的なエピソード」にすり替えて矮小化しているという点にあります。「マクロに日本の労働政治を解きあか」し、「一般化可能なメカニズムを明らかにする」ためにも、まずもって日本における「労使関係の実体」が十分に踏まえられなければなりません。しかし、久米さんの著書ではこの点が決定的に欠けています。
 たとえば、過労死、過労自殺、サービス残業、フロシキ残業、単身赴任、肩たたき、出向、リストラ、窓際族、超氷河期、パートタイム労働、派遣、外国人労働者、社外工、出稼ぎ、下請け、裁量労働制、みなし労働時間、コース制と女性差別、人事査定、思想差別など……、日本で働く人々の働き方や処遇に関連して、日々マスコミに登場しているこれらの事例への言及が、過労死について二回触れられている以外、本書ではまったくありません。これらの現象は、「個別的なエピソード」として、無視されてよいものなのでしょうか。
 これらの現象が無視されたのは、「マクロに日本の労働政治を解きあか」し、「一般化可能なメカニズムを明らかにする」ためであるよりも、日本の労働をめぐる諸条件が、先進諸国のそれと「遜色のないもの」であることを主張するうえで邪魔になるためではないでしょうか。これらの現象に象徴される「日本型労使関係」の裏面を注意深く取り除いたうえで、果たして何が主張されているのか。以下、個々の論点に沿って検討してみることにしましょう。

1 労働の達成物に対する過大評価

(1)賃金の国際比較について
 久米さんの本の問題点の第一は、戦後日本の労働が達成した成果の過大評価にあります。久米さんは、「日本の労働者は、先進国と比較可能な労働条件や安定した雇用を享受してきた」として、「戦後日本の労働が達成した『成果』を、全体としてまず再検討することから始めなければならない。……全体として戦後日本の労働の成果は、他の先進資本主義国における労働の成果と比べて遜色のないものであり、比較可能なものであった」と述べています。しかし、賃金、労働時間、雇用を「全体として(6)」検討しても、この主張の誤りは明らかです。
 まず、賃金についてですが、「日本の労働者は戦後急速な賃金上昇を経験しOECD諸国において最高水準の賃金レベルを達成するにいたった」として、久米さんは1987年と1991年の数字を挙げています。しかし、この主張は誤っています。その理由は以下のとおりです。
 ①比較の対象となっている生産労働者の賃金は、日本では相対的に高く、外国では相対的に低い(7)。
 ②比較する事業所の規模が異なっており、日本の場合には30人未満の小・零細企業が省かれている(8)。
 ③ILOに報告される日本以外のデータは「働いた時間に対して支払われた賃金だけ」だが、日本の賃金には「年次有給手当などの不就業時に支払われる報酬(不就業給)が含まれ」ており、しかも、「ヨーロッパの不就業給は大きい(9)」。
 ④賃金・不就業給以外の社会保障や家族手当などの間接賃金は比較の対象となっておらず、これらを含めれば日本の水準は先進国の中で最低水準になる(10)。
 これは、「日本の労働者はアメリカ、ドイツ、イギリスの労働者より高い収入を得ている」としている1987年の「製造業の平均時間給」についても、「日本の労働者の賃金を100とすると、アメリカは99、ドイツが140」となっている1991年の数字についても、同様に当てはまります。
 同時に、ここで指摘しておかなければならない重要な問題があります。それは、日米の賃金比較に密接な関連を持つ為替レートの影響という問題です。図1のグラフ(省略)をみれば分かりますように、91年から96年にかけて日本の賃金はアメリカを上回っていますが、この変動カーブと為替レートの変動カーブはほぼ一致しています。つまり、為替レートの変動につれて日本と比較したアメリカの賃金水準も変動しているのであり、日本の賃金がアメリカを上回ったのは円高のおかげだったということがはっきりと示されています。久米さんは、この事実を完全に無視しています。
 このように、賃金の国際比較は為替レートの影響を受けざるを得ません。したがって、賃金の比較は名目ではなく実質賃金でおかなわれなければならず、購買力平価での比較が必要になってきます。しかしその前に、日本の賃金の国際水準についてのこれまでの研究の結論をいくつか紹介しておきましょう。これらの研究を、久米さんは完全に無視しています。
 ①日本の名目賃金は、「先進国のなかで下位にある(11)」。
 ②「日本は、時間あたり実収賃金に関しては、いわゆる先進5ないし10カ国中では、最下位にあることは確かであり、OECD24カ国中を上、中、下3グループに分類して、下位グループに属することは確かだとみうる。労働費用では、格差はひらき、順位はさらに低くなる(12)」。
 ③「日本の労働省のデータでは、1990年で日本は日米英独仏5カ国中最下位である。」「スウェーデン経営者連盟のデータでは、日本は1990年で17カ国中16位」。報酬コストでの比較でも、「アメリカ労働省のデータでは1991年で日本は30カ国中14位である(13)」。
 以上は、為替の変動や物価水準を考慮に入れない名目賃金についての比較です。それでは、為替の変動などの影響を受けない購買力平価で比較すればどうなるでしょうか。久米さんが依拠した『労働統計要覧』の数字をみてみましょう(表1-省略)。
 これを見ても分かるように、日本の労働者の賃金は、購買力平価で比較すれば、平均して米・独(西独)の約7割にすぎません。ドイツとの比較だけをとってみれば、その差はさらに大きくなります。しかもこれは、日本の賃金が比較的高くなる製造業の生産労働者の、しかも零細企業を除いた賃金を比較したものです。日本の労働者全体の賃金水準ということでいえば、これよりもさらに低くなるでしょう。これらをみても、「OECDにおいて最高水準の賃金レベルを達成するにいたった」という久米さんの評価が完全に誤っていることは明らかです。

(2)労働時間について
 労働時間の問題は、「先進国と比較して遜色のない成果」を主張する久米さんにとって最大の弱点になっており、この点については久米さん自身も自覚されているようです。すでに注記しましたように、久米さんは「成果」を比較するに際して、「全体として」の検討や「全体的なコンテクスト」を強調しているからです。
 しかし、このことは労働時間問題の軽視という、久米さんにとっての別の問題を生むことになります。労働時間の異常な長さは、働く人々の労働や生活のあり方全般に直結する問題であり、社会や政治のあり方にも深く関わっています。人間的な生活を破壊する超長時間労働だけでも、「日本の労働の弱さを証明するに足るもの」ではないでしょうか。「過労死」や「過労自殺」さえ生み出すにいたっている労働時間問題の持つ意味の重要性や深刻さについて、久米さんはあまりにも無理解・無頓着でありすぎるように思われます。
 それはともかく、久米さんも認めているように、「この指標に関して日本の労働はそれほどの成果を達成してこなかった」ために、労働時間は「G7諸国で最長」であり、先進国の中で「遜色ない」とはいえません。
 そのうえ、ここで久米さんが比較のために用いている労働時間、「1990年について見れば年間総労働時間は2124時間」というのは、労働省が調査した数字で、実際に働いている時間を十分に反映していないとの批判があります(14)。これよりも、実際の労働時間に近いとみられている総務庁の労働力調査では、実労働時間はおよそ2400時間であり(15)、労働省統計よりも250~300時間長くなります。
 しかも、これにはサービス残業などはほとんど含まれていません。サービス残業については、「1970年代後半から80年代をとおして労働者1人平均で年間340時間前後(16)」と推定されており、1992年の「常用労働者年間不払い賃金総額23兆2121億円(17)」と試算されています。統計で示されている以上に日本の労働者が実際に働いている時間は長く、本来受け取るべき賃金も支払われていないというのが実状です。このように、日本の労働時間を労働省統計で論ずることの問題性が全く意識されていないという点で、久米さんの議論は日本における労働の実態を踏まえたものになっていません。
 また、過労死についても、「『過労死』といった現象が、折々日本の労働の弱さの帰結として批判の対象となってきた」が、「これらの『証拠』は、日本の労働の弱さを証明するに足るものであったのだろうか」「長時間労働の結果、過労死がそこここで頻繁に見られるかのような論調は根拠のないものである」と述べるだけで、まともに検討していません。そもそも、「過労死がそこここで頻繁に見られるかのような論調」とは、一体誰の、どのような「論調」を指すのでしょうか。ありもしない「論調」について「根拠のないもの」だと批判しても、まったく無意味です。
 実際には、「過労死」は80年代に入ってから社会問題化し、「過労死の数は、年間1万人を超え、重度障害を含めると数万人規模に達している(18)」と推定されています。しかも今や、「過労死」どころか「過労自殺(19)」にまで事態はエスカレートしており、「働き過ぎ」というより「働かされ過ぎ」は、大きな社会問題になっているといえるでしょう。

(3)雇用・失業問題について
 日本の失業率は、久米さんも指摘しているように、他の諸国よりも低い水準で推移してきました。しかし、この失業率の低下は高度経済成長の時代とバブル経済の時期に生じており、基本的には好景気による人手不足が原因だったといえます。島田晴雄さんも、低失業率を生み出した「終身雇用」について、それは「高度成長時代の体験によって培われた観念」であり、「そうした体験が20年近くも続いた結果、その期待感は人々の考え方になり、世間の社会通念になり、ついには労働者の一種の既得権のように考えられるようになった(20)」と指摘しています。
 それは基本的には、労働の強さや弱さとは無関係だったといえるわけですが、しかし、関係している部分もあります。それは、景気が悪くなっても直ぐには首を切らないという日本の経営者の行動が何故一般化したのかという問題に関わっています。このような「雇用慣行」が生まれたのは、60年以前の激しい首切り反対運動の成果(21)であり、それは久米さんの主張とは逆に労働組合の集権的運動によって達成されました。
 失業率の低さは雇用政策のせいで、それは労組の政策参加によって実現したから「労働の達成物」だとする久米さんの議論は、この点でも誤っています。それは、あまりにも雇用政策の役割を過大に評価するものであり、逆に、雇用政策以外の要因の過小評価に陥っているからです。
 雇用政策そのものについては私も評価するにやぶさかではなく、なお一層の拡充が必要だと思いますが、しかし、島田さんの指摘されているように、「評価はできるが、雇用需要が生産活動の派生需要であるという厳然たる本質を変えることはできない」ということを直視する必要があるでしょう。つまり、「雇用調整給付金による雇用の安定確保も確かに一時的には失業の発生を抑制し、時間をかせいで調整の激震を緩和することはできるが、雇用の削減そのものを防ぐことはできない(22)」からです。これは事実上、久米さんの主張に対する反論になっているといえるでしょう。
 しかも、日本の失業率の低さには、統計の取り方の問題や日本の失業者の独特の存在形態の問題も大きく影響しています。日本の失業統計は、毎月最後の週に1時間以上働けば就業者と見なされ、求職活動をしなければ失業者ではなくなります。したがって、就業者の中には膨大な半失業者・不安定就業者が含まれており、失業して家庭に入った主婦や就職活動を諦めてしまった高齢者などの求職意欲喪失者は、失業者でなくなり統計からは除外されます。また、転職を希望して職安の窓口に来る人も、就労を希望する家事手伝いの人も、転職希望者であって失業者とはみなされません。
 このように、日本の失業者のカテゴリーは極めて狭く設定されている点に特徴があり、労働省による「労働力調査」ではなく、総務庁の「就業構造基本調査」によるデータを用いれば、まったく異なった結果になります。つまり、「低失業率」は直ちに日本の雇用状況の良好さを示しているわけではなく、野村さんは、これを「完全雇用ではない全員就業という現象(23)」だと説明しています。しかも、このような「全部雇用」にしても、90年代に入ってから悪化の一途をたどり、98年の末、ついに日米の失業率は初めて逆転しました。
 以上のように、戦後日本の労働の達成物は、「他の先進資本主義国における労働の成果と比べて遜色のないもの」だとはとうてい言えません。したがって、「戦後日本の労働政治の謎、すなわち、分権的で分断されていたがゆえに弱いと考えられた日本の労働が何故に高い成果を獲得できたかというパズル」は、存在しないことになります。久米さんの議論はそもそもの出発点において誤っていたのであり、風車に挑んだドンキホーテにも似て、久米さんの探求の旅は、ありもしない「謎」に向けての無益な挑戦になってしまいました。

2 理論的把握の誤り

(1)デュアリズム批判の誤り
 久米さんは、本書の結章において、「デュアリストは、日本の経済を二重構造として理解し、競争力のある大企業を中心とする先進的なセクターと、多くの中小企業からなる後進的なセクターとの間の労働条件の違いを強調する」と述べながら、「小池和男の知見にもとづいて、二重構造論への批判をまとめて」行っています。
 ここで久米さんは、賃金や雇用面での日本の格差構造を否定していますが、この主張も誤っています。拙著『政党政治と労働組合運動』の中で、「日本における労働組合と政治との相互関係を分析する枠組みとしては、ネオ・コーポラティズム論ではなく、デュアリズム論の方が有効」だとして、「『デュアリズム』が強化されつつある」という「現状認識」を示した(24)私としては、これに対して反論せざるを得ません。
 さて、久米さんは、小池さんの著書を根拠に日本における二重構造を否定していますが、日本とECとの賃金格差の比較を援用する際に、小池さんの著書(25)で指摘されている統計上の制約を無視しています。また、日本の賃金はECより「異常に格差が多い、とはいえない」という小池さんの文章を、「それよりも小さい」と書き換えるという作為を行っています。また、雇用面でも、「規模別の集計がない(26)」EC調査と日本の規模別の調査とを比較し、「ヨーロッパの企業と同レベル」だと主張する誤りを犯しています。
 このように久米さんは、自分自身でデータを直接検討せずに専ら他人の本の援用に頼っており、しかもその根拠としている小池さんのデータを利用するに際して、その内容を曲解したり、誤用したりしています。その上、労働省の「離職者データ」の利用に際しても、その内容を読み間違えるという誤りを犯しています。このように、久米さんの主張の根拠は曖昧であり、実証されていません。
 逆に、日・米・英・独4カ国の中で日本は一番賃金格差が大きく(27)、全体としての傾向は、格差の縮小ではなく、拡大の方向に向かっています(28)。たとえば、最近出版された橘木俊詔『日本の経済格差』も、「わが国の賃金分配を巨大企業や極小企業まで考慮したデータによってみてみると、信じられてきた数字以上の規模間格差があるといえる。しかもその格差は拡大傾向にあるので、賃金分配の不平等化に貢献している(29)」と述べて、賃金の規模間格差が拡大傾向にあることを証明しています。
 また雇用面でも、労働省の統計を素直に見れば、「経営者側事由」による離職は、大企業よりも小企業の方が多くなっています(30)。労働時間制度でも規模間格差は明瞭であり、完全週休2日制の導入では大企業と小企業の間で約4倍の差があります(31)。さらに、労働災害でも、事業規模別の比較を見れば、度数率では小企業が大企業の約8倍、強度率でも約9倍となっています(32)。つまり、賃金、雇用、労働時間、労働災害の全てで、大企業と小企業の間に格差が存在していることははっきりしています。
 さらに、久米さんの議論の大きな問題点は、このような格差構造を企業規模においてだけ問題にしており、男性労働者と女性労働者、正規雇用と派遣やパート、アルバイト、社外工、季節工、臨時雇いなどの非正規雇用との格差、外国人労働者との格差などが全く視野に入っていないという点にあります。総じて、久米さんの分析の対象は男性正規労働者に偏っており、その周辺に存在している「縁辺労働者」を含めた日本の労働者全体が対象になっていないという限界があります。これは、最初にも指摘したように、久米さんの「日本型労使関係」研究にとって致命的な弱点になっているといえるでしょう。

(2)時期区分の誤り
 久米さんは、戦後日本の労働政治を、50年代までの第1期、60年代から74年までの第2期、75年から現在に至るまでの第3期に分けて時期区分していますが、これも間違いです。この時期区分の最大の問題点は、第3期が現在まで続いているとする点にあります。
 90年代に入って、実収賃金の上昇は急速にスピードダウンし、89~93年平均で、日本は20カ国中下から2番目という水準にまで低下しています(33)。雇用面でも、90年に最近のボトムを経験して以来、一貫して失業率は上昇を続け、95年には3%の大台を超え、98年には4%を突破しました。明らかに、90年代に入って、日本の労働をめぐる状況は質的な転換を遂げたといえるでしょう。
 しかもこのような質的な転換は、労働経済的指標においてだけではなく「日本型労使関係」のあり方においても生じています。それは、長期勤続者の年功的処遇の根本的な転換、労務管理の個別化、労働基準行政や労働法制の見直しなどの面で、急速に進行しつつあります。
 久米さんの時期区分では、90年代に入ってから顕著になってきたこのような変化自体が見落とされることになります。したがって、その背景となっている、労働分野における新自由主義的攻勢による「賃金と雇用の大転換(34)」の意味も重要性も把握できません。このような時期区分は誤っているだけでなく、現に生じている労働者に対する新たな攻勢から眼を逸らさせる点で、労働運動にとって有害な理論になっています。
 ただし、90年代に入ってからの変化については、久米さんも無視できなかったようです。というのは、最近の論稿では、「本書は、少なくともバブルの崩壊までの戦後日本において労働者が、『成果』を得る仕組みができあがっていたことを主張しているのである。今後については新たな分析が必要になろう(35)」と言い訳しているからです。
 「バブルの崩壊」後についての「新たな分析」が待たれるところですが、その際、久米さんの主張していた「日本の労働の力」について、どのような整合性ある説明がなされるのか、大変興味のもたれるところです。というのは、久米さんは、「日本の労働政治は、労使の政治の場での交渉よりむしろ経済システムの中での取引に基礎をおいている……がゆえに、経済自由主義と民間の活力を重視する1980年代の新保守主義的潮流の中でも、日本の労働はその力を失うことがなかったと考えられるのである」と書いていたのですから……。

(三)「政治的機会構造論」の破産
 久米さんは、新川敏光さんなどの唱える「権力資源論」(A)を批判し、これに代えて(?)「政治的機会構造論」(B)を提唱しています。これについても、以下のような点で問題があります。
 その第一は、久米さんの主張は、「(A)プラス(B)」なのか、それとも、「(A)ではなく(B)」なのかが不明だという点です。「労働政治を、労働による一方的な『資源動員』の過程としてではなく、『階級』の枠を超えた政治的連合形成過程として見る」ということからすれば、久米さんは「(A)ではなく(B)」を提唱しているように読めますが、それは一貫せず揺れています。
 第二に、「権力資源論」も影響力構造を否定しているわけではなく、久米さんの「権力資源論」批判は見当違いだという点です。新川さんは「権力リソース動員モデル(36)」について、「このモデルを日本に適用する際には、当然内部分裂や対立を視野に入れた労働と資本の組織化や戦略、統治連合の形態や環境要因(保守支配体制の危機等)を当然考慮している。権力資源論と著者(久米)のいう政治的機会構造の分析は相容れないどころか、権力資源動員の条件として政治的機会(権力資源動員の環境要因)を分析することは、権力資源論では当然の手続きである(37)」と反論しています。
 第三の問題は、何故、持てる「権力資源」を動員してはならないのかということです。「権力資源」とは、相手の行動に影響を与えることのできる元になるもの、力や影響力の源泉を意味しており、具体的には、組織構成員の数、資金量、団結力、行動力、政策的ネットワークや人脈まで、労働組合の要求実現に役立つあらゆる「資源」がそれに含まれます。
 このような「資源」を動員することによって、世論に訴え、政府や経営者に圧力を加え、ある時には内部対立を引き起こしたり、また「相手」の内部に同調者を生み出したりすることもでき、「政治的機会構造」の拡大にも資することになります。これを放棄せよというのが、久米さんの主張なのでしょうか。
 第四に、もし久米さんが「(A)とともに(B)も」を主張されているとすれば、このような議論のどこが「新しい」のかということです。「権力資源論」プラス「政治的影響力構造論」は、結局は、戦闘力・影響力を行使しうる資源の増大に努め、協力者を拡大し、チャンスを生かすという、当たり前の戦術論ではないのかという疑問が湧きます。
 さて、以上の点について、久米さんはその後の論攷で、「労働が成果を獲得しうるか否かは、労働側からの一方的な『資源の動員』によってだけではなく、労働にとり利用可能な政治的機会によって決まるというものである(38)」と述べています。つまり、「(A)だけではなく(B)も」というわけです。これは、上で指摘した第三、第四の批判を受け入れたことになり、常識的な線に落ちついたということになるでしょう。
 しかしそのために、久米さんの主張のオリジナリティも新しさも、新川さんに対する批判の意味も、全くなくなってしまいました。さらに言えば、このような修正は、「労働政治を、労働による一方的な『資源動員』の過程としてではなく、『階級』の枠を超えた政治的連合形成過程として見る」という主張と矛盾することになり、ひいては、「『統一と団結こそが労働の力の源泉』という一般命題を否定する」こともできなくなります。“「統一と団結」だけではなく「政治的機会」の利用も”というのでは、「統一と団結」は必要ないということにはならないからです。これは久米さんにとって、論理的な破綻にほかなりません。かくして、「政治的機会構造論」は破産するにいたりました。

3 誤った「労働政治」理解

(1)労働組合への無理解
 久米さんの議論には、実はもっと大きな問題、労働組合にとっての団結の意義、組織化の意味が十分理解されていないという問題があります。久米さんは、労働組合の「利益」は、組織することによっては実現できないかのように書いていますが、これも大きな間違いです。というのは、労働組合の「利益」の第一は、労働者を組織することによって労働者間の競争を制限することにあり、このような競争制限は組織化によって直接得られる成果だからです(39)。
 つまり、「多数の労働者を団結させ、組織する」ことは、「『資源』を動員」して「利益」を実現するために必要なのではありません。「まず労働者間の競合を抑制しなければならないということが、労働組合運動の出発点(40)」なのであって、「団結して自らを広範に組織化することによってしかその利益を実現できない」から、「組織する」のです。「多数の労働者を団結させ、組織する」のは、労働組合のこのような出自に関わっています。久米さんは、このような圧力団体政治一般と区別されるべき労働政治の独自の側面については全く理解が及んでいません。
 しかも、このような組織化によってはじめて、労働組合は職場や企業での代表性を獲得することができるのであり、久米さんが強調してやまない労使交渉や参加は、組合による従業員の組織化によって可能になるものです。組織化による代表性の獲得は「参加」のための前提条件であり、従業員の過半数を組織しない組合は代表権を主張できず、したがって経営への参加も労働協約の締結も困難になります。
 このように、「資本が求める労働者のすべてを組合が代表しているという条件が作られるときに、はじめて組合が労働市場における交渉者として登場できるのであり、そうでなければ個人別の交渉―言いかえれば労働者間の競合―に戻ってしまう」ということを再度強調しておく必要があるでしょう。まさに労働組合にとっては、「労働市場の独占こそが交渉力の中枢(41)」であり、組織化はこのような労働組合の死活の利益に深く関わっているということになります。

(2)マクロレベルでの政治活動の意義への無理解
 とはいえ、このような労働組合も、次第に政治そのものへの働きかけを強め、圧力活動の手段として組織の力を利用しようとします。こうして、労働組合の圧力団体化が生じ、圧力団体政治との共通性の拡大という傾向が強まり、「(狭義の)労働政治」が誕生します。
 このような労働政治は、労働組合の本来的な政治的機能の単純な拡大ではありません。労働組合は当初、①組合の存在と活動を公認させるという現在のための活動と、②働くものが正当に処遇され、報われる社会をめざす未来のための活動という、二重の政治的機能を持っていました。しかし、このような機能は、①資本主義の定着と労働組合の公認によって未来のための社会変革的機能が後景に退き、②大衆民主主義の浸透と福祉国家化によって、労働組合の要求の多くが国家政策の一部に吸収されていったため、「反体制運動」としての労働運動は弱体化したものの、「体制内運動」としての労働運動は力を強めました。「労働政治」は、このような客観的な状況変化を前提にした特殊歴史的なものであるといえます。
 日本でも、労働組合は法的・制度的な正統性を獲得して、多くの労働組合はイデオロギー過程から政策過程に移行(42)するようになります。こうして労働組合の主流は政策形成過程に組み込まれていきます。同時に、労働組合の基本的な機能のかなりの部分が公共政策に吸収されるようになり、賃金ひとつとってみても、実質賃金を左右する物価やインフレ政策などに労働組合は無関心ではいられなくなります(43)。同時に、このような労働組合の活動が受け入れられる諸条件もまた拡大し、公共政策形成への労働組合のアクセスも増大していきます。
 こうして、労働政治と呼ばれるような、労働組合によって展開される圧力団体政治が本格化し、労働組合による幅広い公共政策形成への関与が生じますが、それは、労働組合の主体的な選択によって左右されるような問題ではなく、歴史的諸条件の大きな変化によって、好むと好まざるとに関わらず、対応せざるを得ない時代状況的な問題だと言えます。
 ところが、このような諸条件の変化を久米さんは全く理解せず、「むしろ運動が統一したがゆえに、1970年代から80年代の労働政治をリードした民間組合主導の労働運動が、その影響力を失っているということになりそうである」「集権的な労働運動がもはや労働者の利益を守る仕組みとはなり得ない」「むしろマイクロレベルの労働政治に基礎をおいた分権的な労働運動が、その任をよりよく担えると思われる」と述べています。つまり、マクロよりもマイクロな労働政治の方が時代状況に適合すると主張し、時代を逆転させるよう勧めているわけです。

(3)その他の誤りや疑問
 久米さんの主張にはこのほかにも納得できない主張が数多くあります。
 第一に、「『統一と団結こそが労働の力の源泉』という一般命題を否定」して、「団結し集権的な組織を作る」のではなく、日本の「成功」にならって「分権的労働運動」に取り組むよう、世界の労働者に呼びかけています。これは、「万国の労働者、団結せよ」と呼びかけた『共産党宣言』とは全く逆の呼びかけにほかなりません。この点での論理的な破産状況については既に述べましたので、これ以上繰り返しません。
 第二に、久米さんは「ある意味では、1980年代において、日本の政策決定過程における労働の影響力は強くなったとさえ見てよい」と述べ、日本の労働は80年代に強くなったかのように主張していますが、久米さん自身が紹介している80年代の労働団体調査の結果は、労働団体の「政策的成果」が1980年代にかなり低下していることを示しています。たとえば、久米さんは、「その活動によって特定の政策や方針を政府に実施させることに成功したことがありますかとの質問に対して、あると答えたものの比率は80年で7割弱、89年が6割強」と書いています。「7割弱」から「6割強」への変化は、増大ではなく減少です。また、「特定の政府の政策・方針を修正あるいは阻止したことがありますかとの質問に対する答は、あるとするものが80年は7割強であったのが、89年には大きく減って半数以下になっている」とも述べています。「大きく減って半数以下」になったのに「影響力は強くなった」というのは、どう考えても理解できません。
 第三に、トヨタの組合選挙について、久米さんは「穏健な協調主義的組合幹部が、通常の選挙を通して、急進派組合幹部に勝利を収めた。経営が協調的幹部を陰に陽に支持したことは事実であるが、組合執行部の交代は、組合内での自律的過程として生じた」と書いていますが、トヨタ自動車労働組合執行委員長あてに申し込まれた「役員選挙の民主的改善と具体的提案(44)」では、事前の支持連署をやめて誰でも立候補できるようにすること、投票の秘密を守るために「仕切り」を設けること、「定員連記制から単記制にすること」、「投票に際して会社の妨害がないように、事前に会社に申し入れ、徹底させること」などが求められています。このような要求をみても、他の民間大企業組合での役員選挙同様、トヨタの労働組合役員選挙が、世間一般で考えられているような「通常の選挙」でなかったことは明らかです。
 第四に、「トヨタの事例は、……経営は必ずしも労働者を搾取しないことを示」し、「トヨタの経営は、……労働者から企業への積極的で『自発的』な貢献を引き出すために、慎重な労務管理が行われた。トヨタの労務管理は、労働者に適切な利益を提供することなしには不可能なものであった」と書いていますが、これについても、「労働者を搾取しない」経営が存在するのかという疑問だけでなく、「カンバン方式」で良く知られているトヨタが、このような「慎重」で「適切な利益を提供する」労務管理を行っていたのかという疑問がわいてきます。しかしそれ以上に、鎌田慧『自動車絶望工場(45)』や赤松徳司『トヨタ残酷物語(46)』などで描かれたトヨタと、久米さんが描いているトヨタとの大きな落差をどう考えたらよいのでしょうか。
 このほかにも、「労働省が国家の政策決定の中心的プレイヤーになった」、「熟練(47)は労働者の影響力資源たりうる」、「合理化過程は、企業内の労働の力を弱めるよりもむしろ、組合の要求を実現する好機を提供してきた」、「70年代前半に、日本の福祉政策は急速に拡充され、先進国と比較しても遜色のないものとなる」、「70年代に日本の賃金水準はイギリスの水準を超え」たなど、疑問に思われる主張は数多くあります。しかし、まあこれくらいにしておきましょう。

4 結論

(1)「日本型労使関係」は「成功」しなかった
 さて、以上のような検討を踏まえて、全体として、久米さんが主張しているように、「日本型労使関係」は「成功」したといえるのかという点について、私なりの回答を与えたいと思います。それは、労使いずれの側から見ても、「成功」したとは言えないというものです。
 「日本型労使関係」は、基本的に、①長期安定雇用、②能力主義を加味した年功的処遇、③協調的企業内組合という三本の柱によって構成されてきました。このような枠組みのもとで、戦後日本の労働者は大きな「達成物」を生み出しましたが、その大半は企業に吸収され、本来手に入れられるはずであった労働側への分配は、相対的に切り縮められてしまいました。
 その結果、経済成長率は先進国の中でトップクラス、GDPはアメリカに次いで2番目でありながら、OECDなど先進国の中で、賃金水準は下位グループに属し、労働時間の長さはダントツであり、比較的良好だとされている雇用についても、一皮むけば膨大な「縁辺労働者」の群を内に含んでおり、しかも、90年代に入って以降、雇用状況は急速に悪化してきています。「日本型労使関係」は「企業社会」あるいは「企業中心社会」と呼ばれるような独特の社会構造を生みだし、「人間を幸福にしない日本というシステム(48)」のサブシステムとなりました。
 また、企業規模間、労働者間の格差構造も大きく、それは拡大傾向にあります。労働者の側から見て、「日本型労使関係」が「成功」しなかったことは明らかであり、このような「少ない成果」は「弱い労働」の当然の所産であったといえるでしょう。
 逆に、企業の側から見れば、問題はそう簡単ではありません。労働者の側への分配の貧困は、一面では「生活小国」を生み出しましたが、他面では、資本の供給と蓄積を豊かにしたため「生産大国」を実現しました。この意味では、「日本型労使関係」は「成功」したと言えるでしょう。戦後日本における急速な資本蓄積と経済成長において、「日本型労使関係」の果たした役割は決して小さくありませんでした。
 しかし、その結果、国内市場は育たず、日本企業は輸出依存を強め、日本経済は外需依存型の奇形的発展を遂げることになりました。日本資本主義にとってここに来てネックになっているのは、このような日本経済の奇形的な構造であるといってよいでしょう。グローバル経済下での大競争とコスト安を武器にした「新興資本主義国」による追い上げに直面した、自動車・鉄鋼・電機・電子・造船・重機などの輸出志向型製造業は、より一層の効率的で弾力的な労使関係によって、このようなネックを打破して対抗しようとしましたが、その結果、コストダウン→輸出拡大→円高→コストダウンという「悪魔のサイクル」に落ち込むことになります。さらにその後の調整過程で生じた、解雇→所得減→消費減→雇用・生産の過剰→解雇という「リストラのパラドックス(49)」も、国内市場の狭隘さを生み出した日本経済の奇形的な構造と深く関わっています。
 こうして、資本の側からも「日本型労使関係」の見直しに向けての動きが始まりました。これが、1995年5月に明らかにされた日経連の提言『新時代の「日本的経営」』です。この「日経連の提言は、終身雇用、年功型賃金を柱にしてきた日本的雇用慣行を見直し、事実上この慣行から決別していこうとする経営側の姿勢を示したもの(50)」であり、これは、「日本型労使関係」が、経営側からしても結果的には「成功」しなかったことを告白したものにほかなりません。
 こうして、現在、「日本型労使関係」のうち、①長期安定雇用と②能力主義を加味した年功的処遇は、根本的に見直されようとしています。残るのは、③協調的企業内組合だけです。これに対する経営側の期待は、これまで以上に大きなものとなっています。そしてそのようなときに登場したのが、「『統一と団結こそが労働の力の源泉』という一般命題を否定する上での格好の証拠」だとして日本の協調主義を天まで持ち上げた久米さんの著作でした。その政治的意味と役割は明らかであり、そうであるがゆえに、私もこのように根本的な批判を加えざるを得なかったわけです。

(2)「見込み捜査」的研究による「誤認逮捕」
 最後に、久米さんの研究方法上の問題点について指摘しておきたいと思います。それは、端的に言えば、「見込み捜査」的研究方法の誤りということになりますが、その他にもさまざまな問題点があります。以下に列挙しておきましょう。
 ①注の着いていない場合が多いために論争相手が明示されず、批判の対象になっている「通説」が誰によってどこで主張されているかが明らかでない。
 ②「通説」の批判や問題点の提示に急で、「通説」の論拠が十分に検討されていない。
 ③日本の研究文献や資料の検討が不十分で、日本国内での研究の蓄積や研究史が十分に踏まえられていない。
 ④日本の研究者の業績に言及する場合でも、一部の論者に偏っている。
 ⑤国際比較に際して、各国ごとの調査の範囲や定義の違いへの配慮が欠けている。
 なお、第一の点に関連しては、久米さんが深く依拠している小池和男さんに対して、「なにが『通説』であるのか、研究史をきちんと整理していない」「このようなスタイルは研究史に対するアンフェアな態度である(51)」という野村さんの批判がありますが、これはそのまま久米さんにも当てはまると申せましょう。また、第四の点についても、すでに早くから加藤哲郎さんの次のような指摘がありました。
 「日本資本主義・日本的経営に関する書物・論文は、英語圏の社会科学のなかで氾濫しているのに、日本人自身の発言・紹介は『日本的経営』礼賛論者たちのものが圧倒的である。……また、そのさい参照される日本の理論とは、青木昌彦の企業論や小池和男の労働市場論であった。(52)」
 まさにこの点でも、久米さんの著書は加藤さんの指摘どおりのものとなっています。しかもこのことは、久米さん自身によって十分自覚されており、これらの論者に依拠して日本の労働政治像を「変換」し「修正を迫る」ところに、久米さんの研究の目的がありました。この点について、久米さん自身、次のように述べています。
 「確かに、日本の労働研究では、本書に詳しく取り上げたように、とりわけ70年代以降労働経済学や労働社会学の研究者(53)によって、日本の労使関係の機能性を解明する優れた業績が多く現れた。しかし、日本の労働政治全体に対するイメージが、それによって全面的に変わったとは思えない。正面切って日本の労働政治全体像に対する認識の変換を主張する必要は大きいと考えた。それをふまえて『統一と団結』こそが労働者の利益を守る大前提であるとする労働政治の一般理論に修正を迫りたいというのが、本書の意図であった。(54)」
つまり、本書執筆の意図と目的は極めて明瞭であり、意図された結論に向かって研究と執筆がなされたということになります。私が、久米さんの研究方法を「見込み捜査」的であるというのは、この点に関わっています。最初から「犯人」の見当は付いており、後は証拠を捜すだけというのがそのやり方です(55)。
 しかし、これは学問の方法ではありません。研究に際して一応の見当を付けることはありますが、しかしそれはあくまでも「仮説」であって、仮のものにすぎません。研究を進めていくうちにその仮説は修正されたり、覆されたりしていきます。このような過程を経て「真理」への接近がなされていくのが、学問というものでしょう。
 実は、捜査の方法としても、「見込み捜査」は「誤認逮捕」につながりやすいという欠陥があります。久米さんもまた、「見込み捜査」的方法によって「誤認逮捕」的作品を作り上げてしまったというのは、言い過ぎでしょうか。
 久米さんは、これまでの研究について、「日本の労働は弱いという結論が先にあって、実際に労働が何を達成したかには十分な観察の目が向けられなかったと言ってよい」と書いていますが、これに対して、私も次のように言いたいと思います。久米さんの著作では、「日本の労働は強いという結論が先にあって、実際に労働が何を達成したかには十分な観察の目が向けられなかったと言ってよい」と……。

(注)

(1) 私のホームページのURLは、http://oisr.org/iga/home.htm です。詳しくは、このホームページでの連載「『日本型労使関係』は『成功』したのか」をご覧下さい。
(2) 久米郁男『日本型労使関係の成功』有斐閣、1998年。なお、本書からの引用については、煩雑さを避けるため頁の明示を基本的に省略させていただきます。
(3) 10回分のそれぞれの論評の表題は次のようになっています。①日本の労働者の賃金について、②1990年代における日本の労働者の賃金について、③日本の労働者の労働時間について、④失業率と雇用保障について、⑤デュアリズム論の検証、⑥時期区分の問題性―「新自由主義的攻勢」への無視、⑦「権力資源」論と「政治的機会構造」論、⑧残されたいくつかの疑問点、⑨「日本型労使関係」は「成功」しなかった、⑩何故このような研究が生まれたのか。本稿は、このうちの第九回分を元に、かなり手を加えたものです。
(4) 久米郁男「戦後日本『労働政治』の謎―『日本型労使関係の成功』を書き終えて」『書斎の窓』1999年1・2月号。
(5) 久米、前掲稿、19頁。
(6) 久米さんは本書の13頁で、石油危機後の名目賃金上昇率の低下や労働時間の長さを認めつつも、「全体」という言葉を4回も繰り返して、「戦後日本の労働が達成したものを全体として検討する作業を十分に行ったとは言いがたい」と反論しています。これは、労働時間以外の点、つまり賃金や雇用では先進国と遜色ないと言いたいがためだと思われます。
(7) たとえば、フランスでは「ブルーカラーを主体とした『時間あたり賃金』では、日本の50%前後である」との指摘があります(鍵山整充・太田滋共『日本における労働条件の特質と指標 1990年版』白桃書房、1990年、75頁)。
(8) これに対して、「アメリカ、イギリスは全規模。独仏は10人以上」で、「日本の水準は実体よりも有利な比率になって現れる」(藤本武『[国際比較]日本の労働者―賃金・労働時間と労働組合』新日本出版社、1990年、21頁)。
(9) 藤本武『世界からみた日本の賃金・労働時間』新日本新書、1991年、15頁。
(10) 同前、16~17頁。
(11) 藤本武『[国際比較]日本の労働者』30頁。
(12) 法政大学日本統計研究所・伊藤陽一・岩井浩・福島利夫編著『労働統計の国際比較』梓出版社、1993年、124頁。
(13) 海野博『賃金の国際比較と労働問題』ミネルヴァ書房、1997年、53頁。
(14) たとえば、川人博『過労死社会と日本』花伝社、1992年、参照。
(15) 「1990年の男性労働者の平均年間労働時間は、2617時間で、男女平均でも2409時間」(川人、同前、78頁)という指摘や、「1987年に日本の男性および女性労働者は平均で約2400時間も働いた」(森岡孝二「日本の労働者の生活構造」過労死弁護団全国会議編『KAROSHI[過労死]国際版』窓社、1990年、61頁)などを参照。
(16) 森岡孝二「サービス残業の経済学」本多淳亮・森岡孝二編『脱サービス残業社会』労働旬報社、1993年、56頁。
(17) 同前、60頁。
(18) 川人博『過労死と企業の責任』労働旬報社、1990年、60頁。
(19) 川人博『過労自殺』岩波新書、1998年、参照。
(20) 島田晴雄『日本の雇用―21世紀への再設計』ちくま新書、1994年、66頁。
(21) 野村正実『雇用不安』岩波新書、1998年、98頁。
(22) 島田、前掲書、66~67頁。
(23) 野村、前掲書、47頁。
(24) 拙著『政党政治と労働組合運動―戦後日本の到達点と21世紀への課題』御茶の水書房、1998年、5頁、9頁。
(25) 小池和男『仕事の経済学』東洋経済新報社、1991年。
(26) 同前、39頁。
(27) 「生産性・賃金の規模別格差(製造業)〔1000人以上=100〕」生産性労働情報センター『活用労働統計』1998年版、185頁。
(28) 「事業所規模別の賃金指数と賃金格差(製造業)」同前、48頁。
(29) 橘木俊昭『日本の経済格差』岩波新書、1998年、102頁。
(30) 『労働白書』1993年、350頁。最新版の『平成9年版 労働白書』445頁も同様。
(31) 「週休制の形態別企業数、労働者数構成比(調査産業計)」同前、474頁。
(32) 労働大臣官房政策調査部『平成8年 労働災害動向調査報告』による。1000人以上の大企業は度数率0.57、強度率0.06であり、30~4人の小企業は度数率94.59、強度率0.53である。なお、度数率とは労働災害の頻度を示すもので100万延べ実労働時間当たりの労働災害による死傷者数、強度率とは労働災害の重篤度を示すもので1000延べ実労働時間当たりの労災による労働損失日数を表す。
(33) ‘Hourly earnings in manufacturing',Historical Statistics,OECD,1995,p98.
(34) 木下武男「日本的雇用関係の転換と規制緩和」角瀬保雄編著『「大競争時代」と規制緩和』新日本出版社、1998年、参照。
(35) 久米、前掲稿、19頁。
(36) 新川敏光『日本型福祉の政治経済学』三一書房、1993年、13頁。
(37) 新川敏光「読書ノート 権力資源論を超えて?」『大原社会問題研究所雑誌』第482号、1991年1月、61頁。
(38) 久米、前掲稿、17頁。
(39) この点について、拙稿「労働組合」『官公労働』1999年2月号、参照。
(40) 栗田健『労働組合』日本労働協会、1983年、23頁。
(41) 同前、28頁。
(42) 村松岐夫『戦後日本の官僚制』東洋経済新報社、1981年、29頁。
(43) 白井泰四郎・花見忠・神代和欣『労働組合読本 第二版』東洋経済新報社、1986年、254~255頁。
(44) 大木一訓・愛知労働問題研究会編『大企業労働組合の役員選挙』大月書店、1986年、167~168頁。
(45) 鎌田慧『自動車絶望工場』現代史出版会、1974年。その後も「労働者の状態はますます絶望的であり、信じられないことが堂々とまかり通っている」同『増補版 自動車王国の暗闘―その後の絶望工場』すずさわ書店、1989年、210頁。
(46) 赤松徳司『トヨタ残酷物語―現場労働者による内部告発! 超合理的生産システムの裏に地獄を見た』エール出版社、1982年。
(47) 「熟練」論についても久米さんは基本的に小池さんの議論に依拠していますが、これについては野村さんの批判があり、両者の間で論争がありました(詳しくは、野村正美『熟練と分業-日本企業とテイラー主義』御茶の水書房、1993年、参照)。久米さんはこの経過を知ってか知らずか、熟練論をめぐる「小池-野村論争」には全く言及していません。これもまた、久米さんが研究史を十分に踏まえていないのではないかとの嫌疑を招く一つの例証であるといえましょう。
(48) カレル・v・ウォルフレン『人間を幸福にしない日本というシステム』毎日新聞社、1994年。
(49) 岸本重陳「日銀短観の示す『過剰感』とは リストラのパラドックスを断て」『週刊金曜日』1999年4月16日付。
(50) 中野隆生「自在な採用の願望反映」『朝日新聞』1995年5月17日付。
(51) 野村、前掲書、86頁。
(52) 加藤哲郎/ロブ・スティーブン編『国際論争 日本的経営はポスト・フォーディズムか?』窓社、1993年、10~11頁。
(53) 小池和男氏がその一人であることは、本書の次のような記述から明らかです。「労働経済学者の間では、日本にこのような二重構造が存在しないと見る立場が現在では支配的である。代表的な論者である小池和男の知見にもとづいて、二重構造論への批判をまとめておこう」(280頁)。このような批判が誤りであることは、すでに検討しました。
(54) 久米、前掲稿、18頁。
(55) 実はこのようなやり方も小池さんと共通しており、これについても野村さんは、「氏の調査は、新しい問題提起や事実発見をおこなうのではなく、氏の理論がまず最初にあり、調査はその正しさを実証するものとしておこなわれたように見える」(野村、前掲書、50頁)と指摘していました。久米さんは、小池さんから「誤った理論」だけでなく、「誤った方法」も学ばれたようです。

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