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12月27日(土) 歴史による検証 [論攷]

 昨日のブログで、三階康子・寺脇洋子編『外堀の青春―法大「マル研」と安保闘争の仲間たち』(桐書房)という本に私が書いた解説「『安保闘争』とは」の最後の部分を紹介しました。今日のブログで、その前に書いた部分も、アップさせていただきます。
 というのは、あの時、新安保条約を結んだのは正しかったという言説が、安倍首相をはじめとして振りまかれているからです。このような主張が正しいかどうかは、すでに歴史によって検証済みだと、私は思います。
 以下の部分では、「現時点で歴史を振り返ってみても、安保闘争の意義を確認することができる。日米安保体制によって対米従属状態は固定化され、日米同盟によって日本は数々の過ちを犯すことになったからである」として、5点にわたってその問題点を指摘しています。

 歴史による検証

 安保反対で論陣を張った社会党は、三〇数年後に村山富市自社さ連立政権で安保条約の堅持を表明し、その容認に転じた。その社会党も、その後、社会民主党となって姿を消した。新安保条約は定着し、日米同盟は常識となった、かに見える。
 しかし、そうだろうか。新安保条約への懸念と危惧は“幻”だったのだろうか。安保闘争は有りもしない危険性に振り回された壮大な“空騒ぎ”だったのだろうか。
 いや、そうではなかった。現時点で歴史を振り返ってみても、安保闘争の意義を確認することができる。日米安保体制によって対米従属状態は固定化され、日米同盟によって日本は数々の過ちを犯すことになったからである。
 その第一は、アメリカが始めたベトナム戦争とイラク戦争への加担である。日米安保体制によって日本は実際に戦争に巻き込まれ、出撃基地として利用された。在日米軍基地は、日本を守るためにではなく、ベトナムやイラクに出撃するための基地として使用された。
 このような出撃基地が極東に存在したことは、アメリカにとってもマイナスになった。在日米軍基地がなければ、これらの間違った不正義の戦争を遂行できなかったかもしれないからである。ベトナム戦争やイラク戦争で失われた多くの若者の命が救われ、アメリカの巨額な国富も浪費されなかっただろう。安保体制さえなかったなら……。
 第二は、安保条約の審議で答弁されていた「極東の範囲」が真っ赤な嘘だったということである。新安保条約第六条(極東条項)は「極東における国際の平和及び安全の維持」を掲げ、その範囲は「大体においてフィリピン以北、日本及びその周辺地域」で、周辺地域には韓国及び台湾も含まれるとされてきた。
 しかし、ベトナム戦争では、在日米軍はその範囲を超えてインドシナ半島に出撃し、イラク戦争では、沖縄をはじめ、三沢、嘉手納、岩国、厚木などの基地から中東地域にまで在日米軍が派遣されている。「極東の範囲」などは全くの偽りであったということになる。あの時の論争と答弁は、いったい何だったのだろうか。
 第三は、安保条約改定の際に日米間で交わされた合意・密約の存在である。それには、①核兵器についての事前協議は「持ち込み」(イントロダクション)だけで立ち入りや飛来(エントリー)は対象外という「核持ち込み密約」、②朝鮮半島有事における出撃は事前協議の対象外とする「朝鮮半島有事密約」、③「地位協定」下での基地権は「行政協定」の下でも変わりなく続くという「米軍の基地特権密約」、④「いちじるしく重要」な事件以外には「第一次裁判権」を行使しないという「裁判権密約」、⑤日米共同作戦の場合「最高司令官はアメリカ軍人がなる」という「指揮権密約」などがあった。
 新安保条約で導入された事前協議制は全くの虚構であり、米軍の特権はそのまま維持され、裁判権や指揮権などの重要な権限は全てアメリカが握ることになっていた。これが安保闘争の時には隠されていた密約の内容である。あの国民的大運動によって申し立てられた異議は、このような屈辱的な密約にまで及ぶはずのものだったといえよう。
 第四は、昨今の改憲策動の震源地なっていることである。安倍首相は集団的自衛権の行使容認を閣議決定し、アメリカと共に戦争できる国に日本を変えようとしている。それは、日米安保体制によって日本がアメリカと軍事的に深く結びつけられ、憲法体系とは異なる安保法体系が形成されたからである。
 もし、安保条約がなく日米軍事同盟体制が存在しなければ、これを強化しようなどという野望も、アメリカと一緒になって戦争しようなどという夢想も生まれなかっただろう。極東における平和のためにも、日本の安全のためにも、安保条約は大きな障害となっているのである。
 そして第五は、今もなお沖縄が対米従属の犠牲とされ続けていることである。沖縄には、日本の米軍基地の七四%が集中しており、ベトナム戦争やイラク戦争に際して出撃基地として利用された。いままた危険きわまりない垂直離着陸機「オスプレイ」の訓練場となっている。
 このような状況が続いている最大の要因も安保体制の存在である。安保があるから米軍基地を置かなければならず、その負担の多くは沖縄に押し付けられている。日本政府が市街地のど真ん中にある米軍普天間飛行場の撤去や国外移設を言い出せないのは、安保条約によって縛られているからであり、沖縄の基地負担を完全になくすためには安保条約を廃棄しなければならない。一九六〇年に掛け違えたボタンを掛け替えることは、半世紀以上経過した今日においても、なお現実的な課題なのである。


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