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1月28日(木) 八王子市長選挙からどのような教訓を汲み取るべきか [選挙]

 前回のブログで、「昨年4月の市議選挙と比較すれば、石森候補は2万票以上減らし、私は2000票以上増やしていたこと」を明らかにしました。このような変化が、たった1ヵ月ほど(実質2週間)の選挙活動で生じたことになります。
 このような票の分析から何が言えるでしょうか。このような変化から、次回の市長選挙への教訓を汲み取ることが必要です。

 第1に、候補者の選定を早く行い、十分な時間的余裕をもって取り組みを始めるべきだということです。今回も、もっと時間的な余裕があれば、さらに支持を広げることは十分可能であったと思います。
 私自身、要請があるまで、市長選挙への立候補など夢にも思っていませんでした。心の準備はもとより、具体的な準備は皆無のままでの立候補表明となり、その後、一挙に選挙モードに突入していったというのが実情です。
 もう少し早く準備を始めていたら、もっと効果的で有効な対応ができたと思います。とはいえ、限られた時間的な制約の中では、最大限可能な取り組みがなされたと思いますが。

 第2に、共同の輪をさらに広げることです。前回自由投票だった公明党が今回は現職支持に回り、連合が政策協定を結んで民主党会派が現職を支持し、無所属での支持は陣内さんだけで、市議の基礎票から言えば、2倍以上の開きがありました。
 私が立候補を表明した時点では、すでに連合は現市長との政策協定を結んでおり、市議会の民主党も会派としての推薦を決めていました。民主党にまで支持の輪を広げるという点では、手遅れだったのです。
 その後1月11日に開催された八王子のノー・ウオー・アクションには民主党の小川敏夫参院議員が挨拶され、1月18日の第一声には有田芳生参院議員が応援に駆けつけてくださいました。このような形での共同の広がりが選挙戦に生かされなかったのは、返す返すも残念です。

 第3に、現市政の問題点や市政を変える必要性を、一般の市民が切実な課題としてとらえられるような対決点や争点を明確に打ち出すことです。「良いことをしない代わりに、悪いこともあまりしない」という意見に対して、「悪いことはちゃんとやっている」から、変えなければならないんだと説得でき、納得してもらえるような政策提起を準備しなければなりません。
 前々回の市長選挙では、圏央道の建設に反対して高尾山の自然を守るという明確な対立点がありました。また、前回までの市長選挙での対立候補は、黒須前市長で、弟が社長をしている黒須建設との癒着という問題や強引な手法への批判は自民党支持者の中にもあったと聞いています。
 前回の市長選挙では、その後継をめぐって石森現市長と両角みのる候補に割れるということもありました。今回は、このような明確な争点も現市長への批判も、可視化されていなかったということです。

 同時に、今回の選挙では次回につながる新しい希望も見えました。これもまた、今後に向けての教訓としなければなりません。

 第1に、八王子において共同の輪が広がり、その力が示されたことです。共産党や社民党、生活者ネット、維新の党や無所属議員、元自民党だった前議員の応援を受けただけなく、多くの市民団体や市民の方の参加があり、熱心に応援してくださいました。
 それがどれほど力強く、ありがたいことであったか、候補者としての私は誰よりも良く分かっています。応援し、支えて下さった皆さんに、いくら感謝してもしきれません。
 国政レベルでも、民主党の有田芳生参院議員、維新の党の初鹿明博衆院議員、真山勇一参院議員、共産党の小池晃参院議員、社民党の福島みずほ参院議員からの応援を受け、維新の党の小野次郎参院議員からは檄文をいただきました。また、小林節慶応大学教授や宇都宮健児元日弁連会長はじめ沢山の方から応援していただきました。

 第2に、若く新しい力が育ってきているということです。選挙運動には幅広い多くの市民が自発的に集り、出会いとつながりが新たな取り組みを次々に生んでいくというダイナミックな市民選挙が実現しました。
 最初の練り歩きの後、私は「八王子の町を舞台にした祝祭の日々にしたい。楽しくやりましょう」と挨拶しています。この言葉通り、これまでの共同の経験や超党派の平和運動、市民活動のネットワークと政党・政治団体、その他のグループの連携などもあって、楽しい選挙運動を進めることができました。
 予想を超える多くの市民ボランティアが、遠く、北海道や鳥取、故郷の新潟、近県の千葉、埼玉、神奈川などや都内からも駆け付け、700人以上の方々からのカンパに加え、各界各層で活躍されているみなさんからの応援メッセージをいただきました。とりわけ、若者や女性がスタッフや応援などで前面に立ち、選挙運動をつくりあげていく体験を共有したことは重要で、こうした人びとが新たに政治や地域を動かしていく担い手となっていくにちがいありません。

 第3に、今回の市長選挙はネット選挙が解禁されてから初めての取り組みであり、その新しい地平を切り開いたということです。この分野では画期的な新たな試みが数多く実行されました。
 その具体的な姿は、五十嵐選対のホームページhttp://www.project-8.com/をご覧いただきたいと思います。しばらくの間、このままアップされるということですので、これらの経験を日本全国でこれから選挙に取り組んでいくにあたって参考にしていただければ幸いです。
 とりわけ、ツイッターやフェイスブック、動画などの活用は、これまでにないものだったと思います。選挙用のコマーシャルや選挙キャンペーン用の動画などはもっと作成すれば良かったと思いますが、この面でも時間が足りなかったことは決定的な制約となりました。

 このような制約が多々あったにもかかわらず、私は立候補を決断し、現職に4万票の差を付けられて落選しました。だから、立候補しなければ良かったとは、サラサラ思っていません。
 私が立候補しなければ、選挙自体が成立せず、八王子市民は選択の機会を得ることができませんでした。誰かがやらなければならなかったのであり、たまたまそのお鉢が私に回ってきたというわけです。
 結果がどうあれ、「神輿」が無ければ「祭り」は始まりませんでした。私はその「神輿」になり、楽しく「祭り」がやれたのですから、それで良かったと思います。

 「火中の栗」を拾うには、「火傷」覚悟で手を入れなければなりません。やっぱり「火傷」したからといって、「栗」を拾おうとしたことが間違いだったということにはならないはずです。
 何度「火傷」しようとも、その必要性があるというのであれば、これからも「火中の栗」を拾うつもりです。「汝自身の道を行け、人にはその言うに任せよ」という言葉に従って……。

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