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2月3日(水) 「プロの政治屋」はこのようにして勘違いするようになるのかもしれない [選挙]

 アッという間に2月になったと思ったら、もう節分です。早いものです。
 12月4日に立候補の要請を受諾してから、夢のように過ぎ去っていった2カ月間でした。今となっては、得難い体験をさせていただいたと思っています。

 しかし、体力的にも精神的にも過酷な日々でした。持てる力の全てを出し切らなければ耐えられない毎日であったように思います。
 投票日になって、それが突然、終わりました。その後も、私なりに選挙の総括を行うことが必要だと考え、八王子市長選挙の結果についてブログに書いてきました。
 それが終わって残務整理をした途端、虚脱状態に襲われ、何もする気がなくなり、このブログも途絶えてしまいました。よく眠れ夢を見ますが、いつも選挙の夢ばかりです。

 候補者になって、分かったことが一つあります。突然、天まで持ち上げられてしまうということです。
 「人生で、こんなに褒められたことはなかったんじゃないの?」と、皮肉交じりにカミさんから言われた通りです。そのような推薦や応援の弁を横で聞いていて、恥ずかしいやら照れくさいやら、身の置き所がないような思いをしましたが、否定や訂正などできませんから黙って耐えていました。
 自分で演説するときも、思わず照れて下を向いてしまい、何度も注意されました。それにも慣れて、下を向かなくなった頃に選挙の幕が下りたのです。

 「このようにして、政治家は作られていくのか」と思いました。それは確かに当選のために必要なことではありますが、私の一面が誇張されたもので完全な「実像」ではありません。
 でも、そう言われているうちに、本人もだんだんとその気になり、胸を張るようになっていきます。こうして、ある種の勘違いが生じてしまいます。
 その典型が、「権力者」としての己を誇る安倍首相でしょう。「背広を着た傲岸不遜」とも言うべき人格が出来上がっていく秘密の一つが、ここら辺にあるように思いました。

 そう思いながら昨日の『東京新聞』夕刊を読んでいたら、中野晃一さんの「応答力のある政治家を」という一文が目に入りました。この記事で、中野さんは次のように書かれています。
 「ちやほやされると人間は簡単に天狗になってしまうものです。」
 「自説をまくしたてることでリーダーシップと思い込んでいるような議員や大臣、首相はごめんです。」
 「一方的に言いたいことを言うのではなく難しい質問にも向きあい真摯に応答できるかが、政治家の資質を明らかにします。」

 まさに、その通りです。しかし、これほど難しいこともありません。「ちやほやされると人間は簡単に天狗になってしまう」からです。
 そして、選挙の候補者ともなれば、「ちやほやされる」ことは避けられません。それに慣れていない私は大いに居心地の悪さを感じましたが、逆に居心地の良さを感ずる人もいるでしょう。
 慣れきってしまえば、それが当然だと感ずるようになるかもしれません。こうして、「プロの政治屋」が出来上がっていくのです。

 私は、そうはなりたくないと思っていました。しかし、「ちやほやされると人間は簡単に天狗になってしまう」ものです。
 勘違いしないように気を付ける必要性については、今回の体験で十分に学ぶことができたように思います。そして、それがどれほど難しいことであるかということについても。

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