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11月5日(土) 参議院選挙後の情勢と国民運動の課題(その3) [論攷]

〔下記の論攷は、『建設労働のひろば』No.100、2016年10月号、に掲載されたものです。4回に分けてアップさせていただきます。〕

2、安保法の廃止と発動阻止に向けて

 *自衛隊は南スーダンから撤退し安保法新任務の訓練を中止すべきだ

 安保法は3月に施行されました。これによって自衛隊は戦闘に巻き込まれ、死傷者が出るかわからないようなリスクを抱えながらの活動を強いられることになります。このような危険な領域に足を踏み入れてはならず、南スーダンから直ちに撤退するべきです。
 稲田防衛相は安保法で可能になった新たな任務について、自衛隊の各部隊の判断で訓練を始めることを明らかにしました。南スーダンの国連平和維持活動(PKO)に11月に派遣される陸上自衛隊第九師団第五普通科連隊主体の部隊は9月25日から訓練を始めています。
 安保法については、日本が米国の戦争に巻き込まれたり、危険な任務に当たる自衛隊員のリスクを高めたりするとして批判されました。集団的自衛権の行使の容認には違憲性も指摘されていますが、これらの批判や指摘が実証されようとしています。
 そもそも、駆けつけ警護や宿営地の共同防衛が必要になるような危険な状況の下で、自衛隊の部隊が派遣されていることが大きな間違いなのです。南スーダンの実態は内戦というべきものでPKO部隊派遣の前提は崩れており、他国軍とともに宿営地を守る共同防衛は海外での武力行使にあたり、憲法9条に違反することになります。
 安保法制定後、日本周辺の安全保障環境は悪化し、「抑止力」などは全く働いていません。安保法の成立によって、確かに「日米同盟の絆」は強化されたかもしれませんが、その結果、バングラデシュでは日本人7人が国際テロの標的として犠牲になるなど、安全は高まったのではなく急速に低下しつつあります。
 さらなる犠牲者が出る前に、ブレーキをかけて方向転換するべきでしょう。急迫不正の侵害に対する拒否力としての「自衛」隊が、海外で殺し、殺される「外征軍」へと変質してしまう前に、既成事実化を防がなければなりません。
 このままでは、日本という国の形が変わってしまいます。自由で民主的な平和国家としてのこの国のあり方は、安保法によって既に変質を始めています。「壊憲」策動を許さないだけでなく、安保法の全面的な発動を阻止することが必要です。先の大戦で多大な犠牲を払い、それへの反省として手に入れた自由で民主的な平和国家としてのこの国の形を守るために……。

 *ミサイル防衛(MD)ではなく外交交渉を

 北朝鮮は建国記念日にあたる9月9日に、核弾頭の爆発実験に成功したと発表しました。日本など周辺諸国にとっては深刻な脅威です。国連の安保理決議にも違反するこのような核実験と核兵器の開発は許されず、断固として糾弾しなければなりません。
 この核実験に対して厳しい対応が行われていますが、それはほとんど「手詰まり」状態に陥っています。アメリカは韓国に対してB1戦略爆撃機の派遣や高高度迎撃ミサイル(THHAD)の配備、米韓共同演習など軍事的対応を強化しようとしていますが、それは逆効果です。
 北朝鮮に対して、さらに強い圧力をかけて「締め上げ」ようとすれば、もっと強い反発が返ってくるだけでしょう。安全を高めようとして「抑止力」を強めれば強めるほど、それへの反発も大きくなって軍拡競争が激化し、結果的に安全が損なわれてしまうという「安全保障のジレンマ」から抜け出すことこそが必要なのです。
 ここで重要なことは、ミサイル防衛(MD)で対抗することはできないということです。軍事的に対抗するのは不可能であるばかりか間違いで、唯一の解決策は外交的手段しかありません。
 そもそも、日本は北朝鮮に近すぎます。この点で、遠く離れているアメリカなどとは決定的に異なっています。近いから、もし北朝鮮がミサイルを発射すれば7~8分で着弾します。これをどうやって、撃ち落とすのでしょうか。移動式であれば、いつどこから発射されるか分からないものを。
 MD構想はいずれも対応する時間が十分にあるという前提での議論ですが、そんな時間はありません。この「時間の壁」を突破できるということが証明されない限り、MDについての議論は荒唐無稽なものとなります。
 もし対応が可能であったとしても、迎撃ミサイルよりも多くの数が発射されればお手上げで、射程距離以外には届かず、届いたとしても速度の速いミサイルを撃ち落とすのは技術的に難しく、日本国内で破壊すれば残骸が降り注ぐことになります。これらの問題を解決できるのでしょうか。
 この問題を解決するためには、無駄なMD構想などで国民に幻想を持たせず、対話と交渉の外交的手段しか解決策がないことを知らせなければなりません。北朝鮮を軍事的に挑発することのないように韓国やアメリカに進言し、必要なら無条件で直接対話に応ずる姿勢を示すようアメリカに要求するべきです。
 日本が北朝鮮との国交正常化交渉を打ち切ってしまった過去の対応は完全な誤りでした。拉致問題の解決を優先するということで、交渉より制裁を選択したからです。日朝間の国交を回復していれば、その後の拉致問題についての進展も核やミサイル開発の経過も大きく違っていたでしょう。
 北朝鮮を話し合いの場に引き出すことでしか問題解決の道はないということは、はっきりしています。しかし、そのような道を選ぶ意思も能力も今の安倍政権にはないというところに、本当の危機が存在しているのではないでしょうか。

 *ドイツの経験は何を教えているか

 ドイツでも日本の9条解釈の変更のような憲法(基本法)解釈の変更がなされたことがありました。その過ちは今も大きな傷跡としてドイツの人々を苦しめています。このドイツが犯した過ちとそれがもたらした負の教訓を、日本の私たちもしっかりと学ぶ必要があります。
 というのは、ドイツでは基本法で軍の出動は北大西洋条約機構(NATO)同盟国の「防衛」などに限られると規定され、NATO域外では活動できないと解釈されてきたにもかかわらず、その解釈を変えて中東地域に出動させてしまったからです。
 このような解釈変更の契機となったのは1991年の湾岸戦争でした。ドイツが派兵しないことにアメリカから強い批判が噴出し、94年に基本法の番人であったはずの憲法裁判所は連邦議会の事前承認を条件に域外派兵を認めてしまいました。その後、ドイツ軍はユーゴスラビア空爆に参加し、NATOや欧州連合(EU)、国連の活動範囲内で十数カ国に派兵し、特にアフガニスタンには毎年4000~5000人を派兵しました。
 長年、集団的自衛権の行使を認めていなかったにもかかわらず過去の最高裁判決を持ち出して解釈を変え、内閣法制局のお墨付けをもらって閣議決定を行い、安保法を制定して海外派兵を可能にしてしまった安倍内閣と、うり二つではありませんか。
 ドイツでも戦闘行為への参加には世論の反発が強かったと言います。そのため、当時のシュレーダー政権は米軍などの後方支援のほか、治安維持と復興支援を目的とする国際治安支援部隊(ISAF)に参加を限定しました。
 しかし、現地では前線と後方の区別があいまいで、多くは後方支援部隊にいながら死亡しています。戦闘現場と後方支援の現場を分けられるという考え方は幻想にすぎません。結局、兵士55人が死亡し、PTSD(心的外傷後ストレス障害)の患者が400人を超えるなどの深刻な結果をもたらしました。
 これがドイツの経験であり、これから日本が向かおうとしている未来の姿です。ドイツではすでに実行され、多くの犠牲者が出てしまいました。日本ではこれからですから、今ならまだ間に合います。このようなおぞましい未来を招き寄せてもよいのか、そのような間違いを犯す可能性が大きい安保法の発動を許してもよいのかが、いま私たちに問われています。


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