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8月11日(金) 『日刊ゲンダイ』に掲載されたコメント [コメント]

〔以下のコメントは『日刊ゲンダイ』8月11日付に掲載されたものです。〕

*巻頭特集「麻生暴言は岸田とタッグの確信犯 受け入れるメディアと世論の恐ろしさ」

忘却の罪が新たな戦争を引きつける

 大体、戦争を起こさせないために「戦う覚悟」が必要とはムチャクチャな理屈だ。核兵器廃絶のために核抑止論を肯定する「広島ビジョン」にも通じる倒錯したロジックである。法大名誉教授の五十嵐仁氏(政治学)はこう指摘する。

 「中国が生意気だから威嚇し、力で抑えつけようとする発想は戦前の『暴支膺懲』(横暴な支那を懲らしめよ)の論理と同じ。そもそも日中双方には『互いに協力のパートナーであり、互いに脅威とならない』との合意を重ねてきた経緯がある。その外交原則を一方的に破棄するような暴言で、本来なら日本政府も許してはいけない。気になるのは『非常に強い抑止力』なる表現。核による抑止力を指すのであれば『原爆の日』に核廃絶を誓う広島や長崎の人々を冒涜しています。二重三重に誤った大暴言です」

 1972年の断交後、現職副総裁として初という異例の訪台に踏み切った麻生。中国挑発の背景には、緊張が高まる台湾海峡情勢を念頭に岸田政権の姿勢を内外に示す狙いもあったようだ。同行した鈴木馨祐政調副会長は9日夜のBSフジの番組で麻生の発言は「政府内部を含め、調整をした結果だ」と説明。となると、麻生暴言は岸田とタッグの確信犯である。

 麻生は1940(昭和15)年9月生まれ。4歳で敗戦を迎えた。出生地は福岡・飯塚市。ほど近い北九州市・小倉地区(当時は小倉市)が、2発目の原爆投下の第1目標だったことも恐らく知っているだろう。小倉が雲に覆われていたため、第2目標の長崎が“身代わり”となったことに小倉の人々は心を痛めた。だから戦後の小倉市民と市議会は原水爆禁止運動の先頭に立ったのだ。そんな歴史的経緯を知っているなら、麻生はなぜ、あんな暴言を吐けるのか。「存じ上げない」と言うのであれば、あまりにも無知。政治家失格である。

 「驚くのは、麻生氏の暴言についてメディアの批判が弱いこと。いくら頻発する暴言に慣れていようが、今回は『またか』では済まされない。戦争のリアリティーが全く欠落した『戦う覚悟』をメディアや世論まで受け入れるなら、戦前のような危うさを感じます。戦争の悲惨な体験を語り継ぐことが、平和国家の本当の『抑止力』だったのに、この国から戦争に対する想像力が失われてしまっている証拠です。やはり、忘却は『罪』です」(五十嵐仁氏=前出)

 終戦記念日を前に、軍拡のためなら中国への挑発まで厭わない狂乱を放置していたら一巻の終わりだ。「過ちは繰返しませぬから」──広島の原爆死没者慰霊碑に刻まれた「不戦の覚悟」が、今こそ求められている。

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