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7月28日(土) 真の争点は「日本はこのままでよいのか」 [参院選]

 いよいよ、明日が参院選の投票日です。与党がどこまで議席を減らすか、投票結果が楽しみです。
 野党が全体として勢力を伸ばすことを願っていますが、なかでも護憲の立場に立つ政党や政治家に当選して欲しいものです。今回の当選者は改憲発議が可能になる3年後も、参院議員なのですから……。

 今回の参院選が公示された7月12日(木)、私はこのブログで、以下のように書きました。

 今回の選挙の意義は、「今の日本はこのままでよいのか」という問いに、国民が直接答えることができる機会だという点にあります。「このような日本を作ってきたこれまでの政治は良かったのか」という問いに対しても答えることができます。
 また、政権与党が掲げているこれからの日本の青写真や進路に対して、「その方向に進んでいっても良いのか」という問いへの回答も可能でしょう。日本の現在のみならず、過去と未来についても、私たちは回答できる得難いチャンスを手にしているということになります。
 「参院選だから、中間選挙のようなものだ」という意見は間違いです。安倍内閣が発足してから初めての国政選挙になりますし、時の政権が改憲の是非を争点として国政選挙に臨むのも初めてになります。日本の進路を決める歴史的な意義を持つ選挙だと言うべきでしょう。

 選挙の争点は、平和と民主主義を志向してきた「戦後レジーム」を改憲によって覆そうとする安倍首相の野望を打ち砕くかどうかにあります。そして、そのような野望を掲げる首相を送り出すまでに劣化してしまった自民党の統治を継続させるかどうかにあります。
 すなわち、争点は安倍改憲政権の是非であり、自民党統治の是非そのものです。このような首相と政党に政権をまかせ、日本の進路をゆだねて良いのでしょうか。
 今回の選挙で問われている核心は、まさにこのような問いなのです。「宙に浮いたり消えたり」という年金問題、定率減税の廃止や消費税率引き上げによる増税などの税金問題、相次ぐ閣僚の暴言や赤城農水相の事務所費問題に見られる政治とカネの問題、餓死者が出るほどの困窮を生み出している貧困と格差などは、これに付随して生じている具体的な争点にほかなりません。

 それから16日後の今日、28日の時点でも、基本的にここに書いたことを修正する必要はないように思います。参院選の真の争点が「日本はこのままでよいのか」という点にあるということは、公示期間中の論戦などを通じても、明らかになってきたからです。
 選挙の争点は「『戦後レジーム』を改憲によって覆そうとする安倍首相の野望を打ち砕くかどうか」にあり、「そのような野望を掲げる首相を送り出すまでに劣化してしまった自民党の統治を継続させるかどうか」にあります。この問いに、皆さんは「イエス」と答えるのでしょうか。それとも、「ノー」と答えるのでしょうか。

 もし、「イエス」と答えれば、安倍首相を信任し、その続投を認めることになります。安倍首相の掲げる「戦後レジーム」の見直しや改憲準備を加速させ、「戦前レジーム」への復帰と9条改憲への地ならしに手を貸すことになるでしょう。
 「政治とカネ」の問題に対する不十分な対応を許し、赤城農水相、伊吹文科相、塩崎官房長官、小池防衛相などの事務所費疑惑は解明されずに終わるでしょう。消えた年金記録に対する責任追及はあいまいなままとなり、受給権の消滅や年金減額に対する解決も不十分なものとなるでしょう。
 格差の拡大と貧困への対策は放置され、ワーキングプアや「ネットカフェ難民」に救いの手が伸びることはないでしょう。再び、「労働ビッグバン」による労働法制の全面的改悪が取り組まれ、サービス残業合法化のためのホワイトカラーエグゼンプションの導入が狙われるでしょう。
 秋からの税制改革によって消費税の引き上げが図られ、大企業には新たな減税措置が導入されるでしょう。教育に対する国会や行政の介入や統制が強まり、競争の激化によって教育現場の歪みと混乱はさらに激しくなるでしょう。
 有識者懇談会によって集団的自衛権の行使は合憲であるという答申が出され、それを定める新しい法律の制定が浮上するでしょう。アフガンニスタンへの自衛隊派遣という新たな課題が提起され、「テロ対策特措法の改正」が狙われるでしょう。

 「ノー」という答えが多く、与党が敗北して少数になれば、これらの問題が全て解決されるというわけではありません。しかし、このような政治のあり方に対して、大きな異議申し立てとなることは明らかです。
 そのいくつかについては、断念させることができるかもしれません。そしてそれは、自民・公明両党を政権の座から引きずり下ろす第一歩となることでしょう。

 そのためには、是非とも投票所に足を運んでいただきたいと思います。そして、自民・公明両党以外の政党や候補者に投票していただきたいものです。
なお、今回は特に、投票時間への注意が必要です。投票所によっては、投票時間を繰り上げるところがかなりあるからです。
 午後8時の締め切り時間ギリギリではなく、早い時間帯に行かれることをお勧めします。せっかく行ったのに投票所が閉まっていたなどということのないようにして下さい。

 今度の参院選は、21世紀における日本の進路を大きく左右するものとなるでしょう。その結果次第では、日本の歴史が変わります。ひいては、東アジアの状況も、世界の進路も変わっていくにちがいありません。
 日本と世界の進路を変える歴史的な事業に参加しましょう。1票による“革命”を、あなたの手で起こそうではありませんか。


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邪論

「政治とカネ」の問題に対する不十分な対応こそ、安倍首相の掲げる「戦後レジーム」の見直しや改憲準備を加速させ、「戦前レジーム」への復帰と9条改憲への地ならしに手を貸すことになるでしょう。
もし、「イエス」と答えれば、安倍首相を信任し、その続投を認めることになります。

政治とカネの問題は入り口で出口が改憲による戦前レジーム復古です。これを打ち破り、阻止する護憲派が議会でどれだけ伸びるか、それが最大の争点でしょう。二大政党制による政権交代が争点ではありません!森元首相が自民と民主は選挙後、ノーサイドになって一緒に政治をやっていける仲だというようなことを語りました。この発言は何が争点か、如実に示しています。

五十嵐先生の視点によれば、国民の痛みが増幅するか、減少するか、最大の課題と争点でしょう。
by 邪論 (2007-07-28 18:04) 

Teru

皆様が危機感を持たれていることには、深く同意します。しかし、いきなり政治の世界の記号(憲法 etc)を声高に主張するという方法論は拙速であり、旧社会党が批判票の受け皿としての立場を急速に失った事態の再来になりかねない(今度は、自称”護憲派”全体の番でしょう)と考えます。

制度疲労しきっている政界ではなく、可能性が大きく眠っている有権者側に目を向けるべきだとおもいます。

具体的には、施政に虐げられつつも、選挙に行くという行動に意味を見出せない、今後長年主権者であるはずの若年層に、どう行動すれば主権者として、損な役を押し付けられずに済むか、生活における選択の一部として投票行動を取る習慣を広げていく事が急務と考えます。

http://www.mynewsjapan.com/kobetsu.jsp?sn=715

生活に疲弊していると、特に、自分が投票する事によって起き得る「結果」に対する想像力が枯渇していきます。自分の来年の勤務先が、今や不確定であっても、それと自分の過去の(無)投票行動との因果関係を「判断する気にもなれず・感じられず・信じられない」のですから。

だからこそ、信任投票としての「スイング・ボート」(施政満足=与党、施政不満足=野党、断じて、空手形を乱発できる、将来への”姿勢”ではない)行動を、まず若年層の生活習慣に組み込む必要があります。

加えて、意識的に投票行動する意味を、まずは候補者の側から前例を破る(TVに映されずとも、日頃ネット上で文章のやり取りをした相手が、受かるなど)ことで、可能性を結果にして見せる段階が、今なのだと私は判断しています。
by Teru (2007-07-28 18:54) 

邪論

「若年層の生活習慣に組み込む」ためにも、まず60年代から70年代の若者が政治と向き合ったのは何故か、さらに70年代後半から今日の若者が何故政治と向き合わなくなったのか、それも解明する必要があると思います。いつの時代も若者は変革の最前線にたってきた!だからこそ最前線に立たせない装置がつくられているのだと思う。

その点今日の日本は米国型に変質してきていることは教訓的だ。大統領選挙は投票率50%そこそこ、その50%獲得で大統領になれる。絶対得票率で言えば25%の支持、約75%の国民が不支持でも大統領になれる!

それでもイラクに派兵できる。当初は80%が支持した。自分の息子が戦死して支持率は低下し、民主党の議席が共和党を上回った。だが、そのウラで税金を国民に使っていなかったことがハリケーンで暴露された。しかし米国民と米国に暮らす民衆は未だ大変革を起こしていない。二大政党政治と小選挙区制によるところが大だろう。そこに国民の諦めがある。ソ連東欧の崩壊のような大変革を米国に期待するのはムリだろうか?

ひるがえってみると、日本でも小選挙区制と二大政党制は政権交代の最良の装置として「幻想」が振りまかれている。「浮動票」から「無党派層」という造語がつくられたのも好例だ。

こうしたコトバをふりまく政治とメディアを替えていくためにもブログにおける交流は「若年層への接近」という意味で必要不可欠だろう。
by 邪論 (2007-07-28 20:53) 

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