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5月14日(土) 「防災国家」の実現に生かされるべきだった憲法9条の含意 [論攷]

〔以下の論攷は、2011.5.8付で九条科学者の会事務局から出された「ニュースレター九条科学者」(No. 8)http://www.9-jo-kagaku.jp/に掲載されたものです。 〕

 ありえないはずの重大な事故を招いた原発や、想定を超す津波で壊れた防波堤、援助の遅れで命を落とすお年寄り。東日本を襲った大地震ではあまたの「失敗」が連鎖した。

 これは『毎日新聞』3月27日付のコラム「余録」での指摘です。これにもう一つ付け加えたい「失敗」があります。それは、憲法9条の重大な含意を見落としていたのではないかということです。
 これは戦後日本が犯したもっとも大きな「失敗」だったと言えるかもしれません。「防災国家」「レスキュー国家」という、日本にふさわしい国の形を実現できなかったからです。この「失敗」は、今回の東日本大震災によって、極めて明瞭に示されることになりました。
 非武装と戦争放棄を国是とすることによって生じた余力と資源を、「防災国家」「レスキュー国家」の実現のために使いなさいというのが、憲法9条の含意だったのではないでしょうか。本当であれば、10万から20万の緊急救助隊が誕生していなければならなかったのです。憲法9条を正しく活かしていたならば……。
 それなのに、自衛隊を作ってしまいました。救助隊ではなく、軍隊を復活させてしまったのです。このような軍隊が戦後の国際情勢の下では全く不要であったということは、今日では明らかでしょう。できてから半世紀以上も経つのに、実戦で機能したことは一度もなかったのですから……。

 いや、自衛隊は災害救助にも役立ったではないか、現に今回も東日本大震災での救助・救援に従事しているではないかと仰る方がおられるかもしれません。その通りです。被災地に派遣された自衛官は約10万6000人、航空機約500機、艦艇約50隻を上回りました。そのこと自体は、評価されるべきでしょう。
 しかし、自衛隊員は全部で23万人います。動員されていない隊員や航空機、艦船などの方がずっと多いのです。今回の出動も、もっと早く、もっと多く、もっと効率的に行うことができていれば、もっと多くの人を救い、もっと効果的な救助・救援ができたにちがいありません。自衛隊が災害救助を主たる任務とする部隊であったなら、直ちに最大限の人員と機材を動員して、全力で救助・救援活動に当たることができたはずです。
 ところが、軍隊では、そうはいきません。「防衛力の空白を生じかねない」との懸念などもあって総動員できないのです。未曾有の国難でありながら、全力を尽くして「自衛」できないのは、自衛隊が軍隊だからです。
 戦後日本の為政者、政権政党は、本当の危機は何であり、それにどのように対処すべきかを見誤ってきました。特別に訓練された部隊によって「自衛」すべき危機は、外敵による戦争ではなく、自然による災害だったのです。日本という国では、地震や火山の噴火は避けられず、梅雨明け前の集中豪雨、洪水、土砂崩れ、台風災害、大雪による災害なども、ほとんど毎年のように繰り返されてきました。このような日本という国土・国情に見合った危機管理こそが必要だったのです。

 これからでも遅くはありません。地震をはじめとした自然災害に備え、常に防災と災害救助を最優先課題とした「防災国家」「レスキュー国家」の実現へと舵を切り換えるべきでしょう。そのためには発想を転換しなければなりません。常に存在している自然災害という危機への対処を主とし、あるかどうか分からない軍事侵攻という危機への対処を従とするような部隊へと、自衛隊を作り替えることです。特別に訓練された「自衛」する部隊は必要です。しかし、問題なのは、何を、何から守るのか、ということなのです。
 「自衛」隊の任務は、本来、国民の日常を脅かす「今、そこにある危機」から、国民の生命と生活を守ることであるはずです。そのような本来あるべき姿に変えていくことこそ、憲法9条が指し示していた道だったのではないでしょうか。本当に必要なのは、ブルドーザーとしても使える戦車ではなく、戦車としても使えるブルドーザーなのです。自衛隊を改組・再編して主たる任務を災害救助とし、「今、そこにある危機」に対応できるような部隊に作り変えなければなりません。
 憲法9条の含意を活かして、「防災国家」「レスキュー国家」に生まれ変わるべきです。それこそが9条「活憲」の最重要課題なのだということを、今回の東日本大震災は私たちにはっきりと教えているのではないでしょうか。



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