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12月17日(土) 戦後のエネルギー・原子力行政と政治の責任(その4) [論攷]

〔以下の論攷は、労働者教育協会会報『季刊 労働者教育』No.143(2011年11月)に掲載されたものです。4回に分けてアップします。〕

4 原子力行政と日米関係

(1)アメリカ起源の原発産業
 アメリカの原発推進政策は、1953年12月8日に、ニューヨークの国連本部で開かれた原子力の平和利用に関する国連総会で、アイゼンハワー米大統領が行った「平和のための原子力(アトムズ・フォー・ピース)」演説が出発点になっています。同盟国・友好国に濃縮ウラン・原子炉を提供するというかたちで原発を売り込む政策で、アメリカから日本へも強力な働きかけがありました。
 これに乗るかたちで、中曽根さんや正力松太郎が日本国内で画策しました。正力は読売新聞を通じて大々的な宣伝をおこなっています。
 原潜用原子炉が転用され、ライセンス生産がはじまり、日本の原発事業がはじまります。今回事故を起こした福島第一原発の一号機と二号機はアメリカ製ですが、そもそも格納容器に問題がありました。原潜用に開発された「マーク1」と呼ばれるものであるために小さく、そのために水素が充満してしまう危険性は当初から指摘されていました。
 原発で使用されている濃縮ウランの約73%はアメリカ産です。日本も自国でウランを供給する試みをしたことがありました。人形峠などで発掘しましたが、いまは廃坑になっています。ここにもウラン残土が残っていて、後処理が問題になっています。
 原発推進に関わった米企業の二本柱は、ゼネラルエレクトリック(GE)社とウェスチングハウス(WH)社でした。しかし、先ほども触れたとおり、アメリカでは「スリーマイル島原発」事故の後、新規の原子炉をつくらなくなったため、両社とも原発企業としての存続が困難になり、2006年にWH社は東芝に買収され、2007年には日立がGEと原子力部門で合弁会社を設立しました。日本でなら、原発企業として生き残れるというわけです。

(2)共通の思惑と矛盾
 このように、近年では、アメリカ以上に日本は原発の新設・増設について積極的な方針を出しています。歴史的に振り返ってみれば、原発をめぐって日米には共通の思惑と矛盾があったことがわかります。この点では、両方の面をきちんと見ておくことが必要でしょう。
 原発の推進については、日米ともに共通の立場に立っています。日本が原子力発電に積極的に関わることは、アメリカとしても歓迎し、後押ししてきました。しかし同時に、日本に自力でやられては困る。「核の支配」による対米依存を強め、核技術の有効活用を同盟国に売り込み、同時に核独占の維持を図ろうというのが、アメリカの狙いですから。
 他方で、日本側としては、原発推進ではアメリカの助力を得ても、できれば自力でやりたいという気持ちが時々頭をもたげる。原発推進の基本的な目的はエネルギーの安定供給にあります。自給率は4%しかありませんし、とりわけ石油ショック後は石油の安定供給に不安があるため、総合安全保障の一環として、エネルギー資源の多角化をめざして原発を推進してきました。
 同時に、核保有の潜在的能力を維持したいという思惑もありました。このような潜在的能力の保持が、周辺諸国への抑止力になるという考え方です。ところが、アメリカ側からすれば、これは諸刃の剣であり、日本が独自に核兵器の開発をするようになっては困る。いつまでも、「核の傘」の下におきたいというわけです。
 原発の使用済み燃料から取り出すプルトニウムについても、一定量以上保有することについては国際的に監視・制限され、の本も余剰プロトニウムをもたないという方針をとってきました。このようなアメリカ側の対応が、次に見るように、日本政府をある種のジレンマに追い込むことになるわけです。

(3)逆風と転換
 『朝日新聞』8月16日付に出ていましたが、原発をめぐっては田中角栄による自立化の夢と挫折がありました。田中は石油供給を確実にするためにアラブにたいして独自の働きかけをおこなったとされています。それがアメリカの怒りに触れ、ロッキード事件というかたちでの報復を招いたとする説もあるくらいです。同様に、核燃料の自給についても夢を持っていたようです。しかし、いずれも挫折しました。
 核兵器の独自開発能力の潜在的保持という点では、原料になるプルトニウムの抽出と保有が前提になります。しかし、アメリカの意向もあって、日本はプルトニウムを純粋なかたちで大量にもつことはできません。
ここに、日本政府が成功の見通しのない核燃料サイクルに固執し続ける理由があります。また、プルトニウムとウランとの混合燃料(MOX)を用いたプルサーマルを強引に推進しようとするのもこのためです。いずれも、使用済み核燃料から取り出されたプルトニウムを、一定量以上保有しないための苦肉の策なのです。
 核燃料サイクルを軌道に乗せるために、実験炉として「もんじゅ」がつくられましたが、これは失敗の連続でほとんど破綻しています。MOX燃料を一般の炉で燃やすプルサーマル計画も、無理やり推進してきましたが破綻寸前です。
 今回事故を起こしたうちの一つ、福島第一原発の三号機はこのプルサーマルで運転されていました。そこで使用されていたプルトニウムはウラン燃料以上に毒性が強く、大きな放射能被害をもたらします。その汚染がどれほどの広がりを持っていたのかがわかるのも、これからのことになるでしょう。
 他方、アメリカ政府はエネルギー政策で必ずしも原子力だけに依存しているわけではありません。新エネルギー政策では、クリーン・エネルギーとして、原子力も入っていますが、風力、太陽光、天然ガスを2035年までに電力の80%にするという方向が打ち出されています。再生可能エネルギーの開発については、日本以上に熱心に取り組んできたと言えます。
 火力発電所は過去のものだと思われがちですが、必ずしもそうではありません。石炭による火力発電も、磯子火力発電所のように木質チップを混ぜることで二酸化炭素を減らし、排煙をださない効率的な発電ができるようになってきています。
 また、天然ガスによる火力発電は、これまでの石炭や石油による発電と比べて二酸化炭素排出量が3分の1ほどですみます。しかも最近、シェールガスと言われる天然ガスがアメリカ大陸の地下に大量に存在していることが明らかになり、これへの期待が高まっています。ただし、このシェールガスの発掘による新たな環境破壊も生まれ、「ガスランド」というドキュメンタリーになりました。天然ガスが思わぬところから漏れて水道の蛇口に火をつけると燃え出し、薬品に汚染された水が川に流れ出すという問題も生まれています。

むすび
 福島での事故以降、脱・反原発の動きが急速に高まってきています。原発の「安楽死」「自然死」の可能性も生まれてきました。この間、原発への制約条件が明らかになってきたからです。
 第1に、技術的な制約があります。今回の事故が起きなくても、「川上」と「川下」での放射能汚染問題がありますし、なんと言っても「死の灰」である使用済み核燃料をどう処分するのか、あるいは再利用のために取り出したプルトニウムをどうするかなどの問題があります。
 第2に、コスト上の制約です。いったん事故が起きれば、莫大なコストがかかる。それ以前の建設の段階でも、国が税金として電力会社に負担させ、電力会社が消費者に転嫁するというかたちで電気料金に上乗せされています。スウェーデンでは国が支援しないため、どんどん撤退がすすんでいるようですが、国の支援なしでは原発は電力事業としてはペイしません。ですから、原発から撤退すれば、電気料金は下がるでしょう。長期的には、そのような可能性が高い。
 第3に、政治的な面での制約も強まっています。泊原発の再稼働は容認されましたが、新設・増設は難しい。政治的な判断としては極めて困難ですし、さまざまな運動や裁判もおこります。裁判ではこれまで反対側は負けましたが、もはや原発が安全でないことが実証されましたから、裁判官はこれまでのように簡単にゴー・サインを出すわけにはいかないでしょう。
このような制約からして、原発からの撤退は長期的には不可避です。「脱原発」「反原発」「減原発」「縮原発」など言い方はいろいろですが、増やすという方向、推進する方向は基本的に放棄されたと言っていいと思います。
 共同通信の調査では、原発を減らしていくことに75%が賛成しています。脱原発依存という菅政権の方針を新政権は引き継ぐべきだということについても70%以上が賛成するなど、世論は大きく変わりました。このような世論状況からして撤退することは不可避です。問題は、いつまでに、どのような形で転換していくかということです。
 その点で重要なのは、再生可能な自然エネルギーへの方向転換です。大規模集中型の原発ではなく小規模分散型の地場産業というかたちで新しいエネルギー産業をおこすべきでしょう。地域おこしのための手段として再生可能自然エネルギー産業を活用し、輸出産業としてもこれらの技術を開発途上国に売り出していくことが可能です。再生可能自然エネルギーによる新産業革命が今後の大きな目標になると思います。産業と社会のあり方を変え、地方・地域の再生による持続可能な社会への転換が今後めざすべき方向だということになります。
 原発は不完全な技術で、再生可能自然エネルギーへの転換が必要だという議論は、福島での事故以前からありましたが、深く検討されてきませんでした。世界で7割のシェアを占める地熱発電も一時日本で取り組まれましたが、結局は外国への技術移転が主になりました。太陽光発電も一時はかなり取り組まれましたが、中途半端なかたちで終わりました。
 国際的には原発から自然エネルギーへの転換が基本的な流れとなっていた中での今回の事故でした。日本はその流れに反して原発依存を強めようとした時に、今回の苛酷事故が起きたのです。この事故でエネルギー転換の必要性が証明されることになりました。
 福島の人々は大きな犠牲を強いられたわけですが、それによって日本が救われなければこれらの人々も報われません。福島の人々の犠牲を無駄にせず、「第4の革命(新産業革命)」を主導するのが政治の責任です。
 第1の革命である農業革命は、定住化を進行させました。第2の革命は、通常言われている産業革命。石炭・石油をエネルギーとするようになった革命です。第3の革命はIT(情報化)革命。そして第4の革命は、環境革命あるいは新産業革命と言えるでしょう。
 EUを中心に、世界はすでにその方向に転換しはじめています。アメリカや日本は乗り遅れました。中国やベトナムなどの途上国はまだこの方向になっていません。この新しい産業革命の方向に意識的に転換し、それを主導するのが政治の役割ではないかと思います。
 原発からの撤退は不可避だと言いましたが、それを早めるためには大きな運動と世論の後押しが必要です。第二、第三のフクシマが生じるような可能性もないわけではありません。いつ大規模な地震が起きるかもわかりません。そのような破局が訪れる前に、できるだけ早く、きっぱりと原発ゼロに転じ、持続可能な産業と社会への転換を導くのがこれからの政治の責任であり、日本政治が担わなければならない大きな課題なのです。

【参考】
個人ブログ「五十嵐仁の転成仁語」http://igajin.blog.so-net.ne.jp/
石橋克彦編『原発を終わらせる』岩波新書、2011年
小出裕章『原発のウソ』扶桑社新書、2011年
広瀬隆『フクシマ原発メルトダウン』朝日新書、2011年
本田宏『脱原子力の運動と政治』北海道大学図書刊行会、2005年

(本稿は、2011年8月26日におこなわれた復興・原発事故 連続講演会での報告に加筆・修正したものです。)

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