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4月15日(日) 労働運動の社会的役割と今日的課題(その3) [論攷]

〔以下の論攷は、月刊『全労連』第182号(2012年4月号)に掲載されたものです。3回に分けて、アップします〕


○人間らしい働き方(ディーセントワーク)を実現する

 1月30日に国立社会保障・人口問題研究所が公表した2060年までの将来推計人口は大きな衝撃をもって迎えられた。50年後の日本の総人口は3割源となって8674万人になるとの見通しを明らかにしたからである(図2参照=略)。また、生産年齢人口も50年後には4418万人に半減する。このような見通しの背後にあるのは、出生数の減少である。
 生まれてくる子供が減少しているのは、子どもを「生まない」からではなく、「生めない」からである。高齢になってから出産する晩産化や子供を産まない無産化の背景には、非正規化の拡大や雇用への不安、賃金の低さや収入の少なさ、長時間労働や過密労働などの問題が横たわっている。子どもを産んで育てられるだけの条件が揃っていないために、出産をためらい、子供を産むことができない。
 このように、日本社会が直面している「諸悪の根源」は労働現場での働き方(働かせ方)にある。したがって、この問題を解決するためにも、労働組合は大きな役割を果たすことが期待されている。そのためには、ILOが目標としている人間らしい働き方(ディーセントワーク)を実現することが必要であり、具体的には、①雇用の維持、②賃金の引き上げ、③労働時間の短縮、④安心できる社会保障という4つの課題を達成しなければならない。
 第1の雇用の維持とは、働く意思と能力があれば誰にでも働く場と機会が保障されることである。現代社会において雇用形態が多様化することは避けられないが、それが雇用の切断を生み出すようなことがあってはならない。
 今日、人々の働き方が多様化しているのは事実であり、個々の労働者の事情や希望に応じて様々な働き方ができるのは大切なことである。しかし、同時に、たとえ働き方は様々でも働くこと自体はきちんと保障されなければならない。
 労働とは、本来、直接的な雇用関係の下で、期限のないものでなければならない。間接・有期雇用は臨時・例外とし、直接・無期という雇用の原則を確立することが必要である。労働者派遣法の抜本的改正によって、間接雇用になっている派遣労働者の処遇を改善し、有期労働法の制定に当たっては、その適用を厳格に定める「入り口規制」を導入すべきであろう。
 また、正規労働と非正規労働のような雇用形態による処遇の違いも、平等なものへと是正されなければならない。両者の処遇を接近させ、違いは労働時間の長さだけにし、どのような働き方でも処遇が公平であるようにすることが不可欠である。
 第2の賃金の引き上げとは、普通に働けば普通の生活を送れるだけの収入が得られるようにすることである。日本の労働者の働き方で最もおかしなところは、働いているのに生活できないということだ。普通に働いても生活できない「ワーキングプア」がいかに異常な働き方であるかをきちんと認識しなければならない。
 賃金引き上げのためには、春闘などでの産業や職場での賃上げ交渉が重要である。1997年に比べて労働者の収入が低下し続けているのは、先進国の中で日本だけである(図3参照=略)。その分を大企業は貯め込み、内部留保は266兆円にも膨らんだ(図4参照=略)。この一部は、本来、正当な取り分として労働者が手にするべきものだったのである。
 また、国や自治体から民間事業者への公共工事や委託事業等における低価格の契約・発注に歯止めをかけ、工事やサービスの質を確保するための「公契約運動」も重要である。公契約法や条例を制定させることで、公共工事や委託事業に従事する労働者の賃金・労働条件を適正に定めることを義務づけ、受注先企業の経営悪化や労働者の賃金・労働条件の低下を防ぎ、地域経済の活性化をすすめなければならない。
 さらに、賃金水準全体の底上げを図るために、早急に1000円の最低賃金を実現することも重要である。この他、賃金の男女間格差、正規と非正規労働者との格差を是正する取り組みも忘れてはならない。
 第3の労働時間の短縮とは、働く人の健康を破壊せず家庭生活を阻害しない適正な労働時間を実現することである。働くのは生きるためであり、働きすぎて死ぬなどということがあってはならない。長時間の過密な労働による過労死・過労自殺が存在することは日本労働運動の恥であり、労働組合の存在意義と役割が根本的に問われているとの自覚を持つ必要があろう。
 早い時間に家に帰れなければ、家事に従事することなどできない。労働時間は家事労働の分担を可能にするようなレベルに短縮されなければならない。労働時間を短縮すれば、過労が防げるだけでなく、ワークシェアリングによって新たな雇用を生むことができ、政治活動や社会的な活動の時間を保障することもできる。健全な市民社会の育成と存在にとって、労働時間の短縮は不可欠である。
 労働基準法第36条を改正し、たとえ労使協定を結んでもこれ以上の時間は働かせてはならないという労働時間の上限を定めなければならない。EUのように、仕事の退勤から出勤までに11時間の連続した休息時間を取らなければならないという規制を採り入れるのも有効だろう。産業医の権限を強めて過労死を防ぎ、労働基準監督署の監督官の増員と監督強化によって長時間労働と不払い(サービス)残業を一掃しなければならない。労働組合としては、有給休暇の完全取得に取り組むべきだろう。
 人間的な暮らし、生物としての生存を脅かすような働き方は社会を破壊する。人間らしい働き方(ディーセントワーク)を実現するためには、労働組合がもっと力を持たなければならない。職場のあり方や働き方を、人間にふさわしい適切なものとなるように規制し、基本的な労働基準を実現していくことが必要である。

○安心して働き生活できる社会(新福祉国家)を構築する

 労働組合が取り組むべき第4の課題は、新たな福祉国家に向けての安心できる社会保障の実現である。日本的雇用慣行が崩れ、セーフティネットの担い手は企業から行政へと変化した。反貧困ネットワークの湯浅誠事務局長が言うように、「男性正社員の片働きで家族を扶養するという『日本型雇用システム』が崩れ、セットになっていた『日本型福祉社会』モデルではカバーできない領域が増大した」(『毎日新聞』1月20日付)のだ。
 これまで労働組合は、労働者のためのものであった。しかし、働く人々が増え、働き方が社会問題を生み出している今日において、労働組合が果たすべき役割は、国民的なレベルにまで拡大してきている。そのために、新自由主義に抗して新福祉国家を実現することは、現代の労働組合にとっての国民的な課題となっている。
 全労連は2010年7月に開かれた第25回定期大会で「2010~2011年度運動方針」を採択し、「雇用と社会保障を柱とする『福祉国家』をめざす運動の発展を追求する」との方針を採択した。労働組合ナショナルセンターとして、画期的な方針提起だったといえる。
 他方、連合は2010年12月2日の第59回中央委員会で、「働くことを軸とする安心社会」を打ち出した。これは、「働くことに最も重要な価値を置き、誰もが公正な労働条件のもと多様な働き方を通じて社会に参加でき、社会的・経済的に自立することを軸とし、それを相互に支え合い、自己実現に挑戦できるセーフティネットが組み込まれている活力あふれる参加型の社会」を目指すものである。
 全労連と連合が掲げている目標には、それほど大きな違いがないように見える。安心して働き生活できる社会(福祉国家)の実現という点でも、両者の共同行動が可能なのではないだろうか。労働の規制緩和に対する異議申し立てにおいて部分的に実現した「同時多発的行動」が、社会福祉的課題においても実現することを望みたい。

○労働運動の活性化のために――労働と生活・社会を結びつけた運動の展開

 最近、社会運動的労働運動(社会運動ユニオニズム)といわれる新しい運動が注目されている。職場の中だけでなく、それぞれの地域社会での関連する諸団体と手を組んで、連携しながら社会的なレベルでの運動に取り組むということであり、労働運動も地域づくり・地域興しと結びつけて展開することが必要だという考え方である。
 反貧困運動やさまざまなNPO団体、社会運動団体、民商や生協、中小企業家同友会などの民主団体とも、労働運動は連携することが必要である。これからは、反原発運動でも多様な運動団体と提携することになるだろう。原発をストップさせるだけでなく、グリーン・イノベーションによる「新しい産業革命」に向けた再生可能なエネルギー・ビジネスを共同の力で事業化してもらいたい。
 非正規労働者や青年に対する働きかけを強めることも重要になっている。また、労働運動についてのステレオタイプ化された固定的イメージを打破し、新たな情報通信手段を活用することが大切だ。ブログやツイッター、ミクシーやフェイスブック、携帯電話、ウェブ・マガジン、ユーチューブなどを大いに活用すべきである。反原発・脱原発の集会やデモにも、ツイッターのよびかけなどで若者たちが集まってきている。
 地域起こしという点でも、労働組合は新たな役割を果たすべきだ。第1次産業(生産)、第2次産業(加工)、第3次産業(販売)を結合した、第6次産業という形態が注目を集めている。第3次産業としては販売だけでなくツーリズムや観光事業も加えて考えることができるが、このような地場産業の育成に繋がる新たな動向を労働組合も側面から支援するべきだろう。
 労働組合は「仲間のいる幸せ」を感じられる場所だ。他方で、いまの日本は「無縁社会」と言われるほど、皆がバラバラな存在になっており、隣の家の人が死んでいても気づかないような社会になっている。
 こういう世の中にあっても、仲間のことを気遣い、お互いに悩みを打ち明けたり相談したりできる人がいる。そのことだけでも幸せだと言うべきだろう。「無縁社会」であればこそ、労働組合は存在するだけでも価値がある。そのうえ、労働条件の向上や賃金を引き上げることで成果を上げればさらなる価値が生ずる。
 労働者が集まり、話し合ったり相談し合ったりすることが少なくなっている現在、そのような場や機会は極めて大事なものである。人と人との絆、支え合うことのできるネットワークを提供できる組織としての労働組合の役割と存在価値を、今一度、見直してみる必要があるのではないだろうか。

○むすび―「アラブの春」から「日本の春」へ

 世界的な規模で新たなうねりが生じている。ポスト資本主義に向けて世界史の新しい段階が始まっているのかもしれない。
 冒頭で触れたように、昨年は「アラブの春」に始まり、チュニジア、エジプト、リビア、イエメン、シリアへと民衆運動が波及した。また、金融危機や信用不安、原発問題などを背景に、ギリシア、イタリア、スペイン、イギリス、ドイツ、フランスなど、ヨーロッパ諸国でも大衆的な運動が展開され、その波はプーチンの長期政権に倦むロシアにまで及んだ。資本主義の総本山とされるアメリカでも、「ウォール街占拠(OWS)運動」や「99%運動」などと称される民衆の運動が拡大している。
 日本でも数年前から「年越し派遣村」などの反貧困運動やNPOの活動が始まっていた。これに続いて、脱原発デモへの青年の参加、TPP反対運動への農民や医師、中小業者の参加、「原発いらない福島の女たち」の経産省前座り込みなどの女性の運動のように、幅広い階層が参加する民衆運動の新たな波が生じている。
 この波を拡大するためには、誤った主張や政策を批判し論破するだけでなく、正しい主張や政策に向けて説得し、納得させ、具体的な政策転換に結びつけていくことが必要であり、それが可能になっている。「このままではいけない」ということは多くの労働者の共通認識となっているが、問われているのは、「では、どうするのか」ということであろう。
 閉塞感は皆が感じている。どうやったら打開できるのかについて、悩み、迷い、大阪での「橋下ブーム」のように、ときには間違った道に入り込むこともあろう。しかし、正しい選択肢を提起すれば、大きな世論となって運動に結びつく芽が顔を出しつつある。この可能性を現実の力に転化して「日本の春」を呼び起こすこと、そのために労働組合が積極的な役割を果たすこと――これこそが、労働運動に課せられた最大の今日的課題なのではないだろうか。

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