4月25日(水) 政治改革に対する山口二郎北大教授の反省の弁 [選挙]
先日、自宅に届いた雑誌を見ていて、「オヤオヤ」と思いました。この『現代の理論』第30号(終巻号)に、山口二郎北大教授の論攷が掲載されていたからです。
『現代と理論』のような理論誌が終わってしまうのも残念ですが、山口さんの弁明を読まなければならないのも、何とも残念なことです。
先日のブログで、小選挙区比例代表並立制の推進論者の責任を問いましたが、山口さんの場合は微妙です。というのは、山口さんも推進論者でしたが、自らの責任を明らかにして反省の弁を述べているからです。
岩波新書として出された『日本政治の課題』という著書の序章で、山口さんは次のように書いています。
「しかし、新しい政治を求める期待感が幻滅に転化するのが、あまりに早すぎたと筆者は思う。選挙制度を変更し、悪の根源であったはずの中選挙区制を廃止したはずである。しかし、96年10月の総選挙を見て、政治がよい方向に変わったと思っている国民はほとんどいないであろう。もちろん、政界の中で選挙制度改革を有意義な改革だったと考えている人はほとんどいないであろう。こんなはずではなかったという思いが、あのころ政治改革を唱えた政治家や学者、評論家の間に蔓延している。筆者を含め、選挙制度改革を支持した政治家や学者は、制度の変更が、期待された効果を持たなかったことについて、その間違いを素直に認めるべきである。」(2~3頁)
そして、こう続けています。
「だが、現状を嘆いて無力感や挫折感に浸っているだけでは、政治家あるいは言論人としてきわめて無責任である。かく言う筆者自身、一時は選挙制度改革を推進する言説を発表したことに対して責任をとらなければならない。同時代の政治を論じる学者として責任をとるということは、なぜ政治改革が『裏切られた革命』に終わったのかを明らかにし、困難ではあってもこれから本当の改革を追求するために何が必要かを考察することにほかならないと考える。本書のねらいはまさにそこにある。」
ということで、1997年2月に刊行されたのが、前掲の『日本政治の課題』という本です。その2ヵ月後の1997年4月に出たのが、先日紹介した拙著『徹底検証 政治改革神話』でした。
一方の山口さんは「間違いを素直に認め」、「責任をとる」ために本を出されました。他方の私は「政治改革神話」を「徹底検証」するために本を出しました。
私からすれば、「政治改革」が「裏切られた革命」に終わることは、それが実施される前から明確でした。ですから、「新しい政治を求める期待感」もなければ、それが「幻滅に転化する」こともありませんでした。
とはいえ、本を書いたねらいの一部は共通しています。それは「これから本当の改革を追求するために何が必要かを考察すること」であり、その「考察」に基づいて、「本当の改革」を進めることでした。
それから、15年の歳月が流れました。「政界の中で選挙制度改革を有意義な改革だったと考えている人はほとんどいない」にもかかわらず、総選挙は5回も繰り返され、「本当の改革」は先延ばしされ続けています。
こうして、小選挙区制の害悪は誰の目にも明らかとなってきました。そのうえ、この制度によって夢想された「二大政党制」による「政権交代」も、惨めに破綻し、無惨な姿をさらけ出すことになってしまったのです。
これについて、再び、山口二郎さんは反省の弁を書かなければならなくなりました。というところで、これについては、また明日。
『現代と理論』のような理論誌が終わってしまうのも残念ですが、山口さんの弁明を読まなければならないのも、何とも残念なことです。
先日のブログで、小選挙区比例代表並立制の推進論者の責任を問いましたが、山口さんの場合は微妙です。というのは、山口さんも推進論者でしたが、自らの責任を明らかにして反省の弁を述べているからです。
岩波新書として出された『日本政治の課題』という著書の序章で、山口さんは次のように書いています。
「しかし、新しい政治を求める期待感が幻滅に転化するのが、あまりに早すぎたと筆者は思う。選挙制度を変更し、悪の根源であったはずの中選挙区制を廃止したはずである。しかし、96年10月の総選挙を見て、政治がよい方向に変わったと思っている国民はほとんどいないであろう。もちろん、政界の中で選挙制度改革を有意義な改革だったと考えている人はほとんどいないであろう。こんなはずではなかったという思いが、あのころ政治改革を唱えた政治家や学者、評論家の間に蔓延している。筆者を含め、選挙制度改革を支持した政治家や学者は、制度の変更が、期待された効果を持たなかったことについて、その間違いを素直に認めるべきである。」(2~3頁)
そして、こう続けています。
「だが、現状を嘆いて無力感や挫折感に浸っているだけでは、政治家あるいは言論人としてきわめて無責任である。かく言う筆者自身、一時は選挙制度改革を推進する言説を発表したことに対して責任をとらなければならない。同時代の政治を論じる学者として責任をとるということは、なぜ政治改革が『裏切られた革命』に終わったのかを明らかにし、困難ではあってもこれから本当の改革を追求するために何が必要かを考察することにほかならないと考える。本書のねらいはまさにそこにある。」
ということで、1997年2月に刊行されたのが、前掲の『日本政治の課題』という本です。その2ヵ月後の1997年4月に出たのが、先日紹介した拙著『徹底検証 政治改革神話』でした。
一方の山口さんは「間違いを素直に認め」、「責任をとる」ために本を出されました。他方の私は「政治改革神話」を「徹底検証」するために本を出しました。
私からすれば、「政治改革」が「裏切られた革命」に終わることは、それが実施される前から明確でした。ですから、「新しい政治を求める期待感」もなければ、それが「幻滅に転化する」こともありませんでした。
とはいえ、本を書いたねらいの一部は共通しています。それは「これから本当の改革を追求するために何が必要かを考察すること」であり、その「考察」に基づいて、「本当の改革」を進めることでした。
それから、15年の歳月が流れました。「政界の中で選挙制度改革を有意義な改革だったと考えている人はほとんどいない」にもかかわらず、総選挙は5回も繰り返され、「本当の改革」は先延ばしされ続けています。
こうして、小選挙区制の害悪は誰の目にも明らかとなってきました。そのうえ、この制度によって夢想された「二大政党制」による「政権交代」も、惨めに破綻し、無惨な姿をさらけ出すことになってしまったのです。
これについて、再び、山口二郎さんは反省の弁を書かなければならなくなりました。というところで、これについては、また明日。
2012-04-25 06:31
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