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5月1日(火) 「左翼」は並立制を受け入れるべきか(その3) [論攷]

〔これは、今から19年前、1993年11月27日付の『ふぉーらむ21』第27号に掲載された私の論攷です。3回に分けて、アップすることにします。〕

(承前)
 第五に、こうして並立制の下では、確かに相対的に大きな力を持つ政党の議席が膨らんでしばしば過半数を越え、「必要な権力が中央政府に集中され」る可能性が高いと言えます。しかし、「その権力をめぐっての競争が活性化するような民主主義」が生まれるかといえば、恐らくそうならないでしょう。
 すでに述べたように、政党は小選挙区で勝負できる限られた大政党と比例代表区でかろうじて生き延びることのできる中小の政党という二つのグループに分かれます。この大政党になり得るのは、自民党や新生党、日本新党などと、これに合流する公明、民社などの中道政党でしょう。基本的には保守政党か保守・リベラル政党だということになります。政策的にそれほど違わないこれらの大政党によって。果たして「権力をめぐっての競争が活性化する」でしょうか。それどころか、利権やサービスの提供をめぐる競争が活性化する可能性の方が高いのではないでしょうか。
 そして第六に、「並立制が憲法の基本原則を危うくする段階は終わった」という判断が正しいのかという問題もあります。ここでもイタリアの例が出されていますが、問題は日本です。この点で、後氏は改憲勢力が衰退しており、選挙での対決の機会もあるから、「小沢の改憲構想の実現可能性」は低いとされています。
 焦点となっている憲法九条についていえば、「改憲勢力」は衰退どころか、増大しているのではないでしょうか。この点での情勢判断について、後氏はあまりにも楽観的であるように思われます。また、「選挙による対決の機会」があるにしても、この総選挙は並立制であり、多数派に有利に、少数派に不利に仕組まれたものです。現行中選挙区制以上に改憲勢力にとって有利な選挙制度になります。このような民意を歪める選挙制度の下での選挙が続けば、少数派は次第に駆逐され「民意」の分布それ自体も歪んでくる可能性があります。世論は大きく変わるでしょう。こうして、国会の中でも、外でも、改憲勢力が多数派を占める可能性が増大してきます。この点では、「平和勢力の政治的責任」以前に、「並立制という制度の責任」を問わなければならないと思います。

むすび

 これ以外にも論ずべき問題は多くありますが、すでにかなり長くなってしまいました。詳しくは後に掲げた私の本や論稿をご覧いただきたいと思います。
 後氏と同様に、私も「左翼の自己刷新」と「より広い左翼の社会的基盤」の「構築」を望んでおります。そしてそうすることが「日本の民主主義のバージョン・アップ」にとって必要であると思っていますが、しかし、どのような形であれ、小選挙区制の導入がこのような方向を強めるようには思われません。かえって、大きな障害を作りだすことになるのではないでしょうか。
 イギリス労働党、ドイツ社会民主党、アメリカの民主党などが、後氏の言われる「民主主義的左翼」ないしは「リベラル」であるとすれば、小選挙区制のもとでも「左翼」はそれなりに生き残れるということになるでしょう。しかし、アメリカの民主党のような保守・リベラルに吸収されてしまえば、それはもはや「左翼」という概念ではとらえきれないものになってしまいます。そして、現状ではそうなる可能性が最も高いように思われます。
 いずれにせよ、このような小選挙区制の下における政党制形成の過程は、同時に、イギリス共産党、ドイツ共産党、アメリカ共産党などの「共産主義的」左翼の衰退や消滅を付随していたことを忘れてはなりません。並立制導入後の日本の将来がそうなるかどうかは、可能性の問題になりますが、少なくとも、「左翼」はそのようなリスクを冒すべきではないと思います。そのような危険性を冒してまで並立制を受け入れるべきではない、それは「左翼」の衰退ないし自滅をもたす可能性が大である、というのが私の結論です。

〔参考〕
拙著『一目でわかる小選挙区比例代表並立制』労働旬報社、一九九三年一〇月。
拙稿「選挙制度改革よりも政治腐敗防止を」『賃金と社会保障』一九九三年一一月上旬号。
石川真澄『小選挙区制と政治改革』岩波ブックレット、一九九三年一〇月。


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