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7月20日(金) 日米安保とは本来国民の安全を守るためのものだったのではないのか [在日米軍]

 これを「安保のパラドクス」と言うべきでしょうか。日本国民の安全を守るためだといって結ばれた安保条約によって日本国民の安全が脅かされようとしているのですから……。
 太平洋を越えてアメリカから日本に向かっている米軍の新型輸送機オスプレイ(別名「オチプレイ」?)は、明後日にも岩国基地に陸揚げされようとしています。国民の多くが不安に思い、反対しているにもかかわらず。

 本日付の『朝日新聞』は、一面で大きく、オスプレイの事故が量産決定後の2006~11年の5年間に58件起きていたことが米軍の資料で分かったと報道しています。防衛省は地元自治体に過去の重大事故については説明していましたが、全体の件数は明らかにしていませんでした。
 米軍は航空機事故を三つに区分し、死者や全身障害者が出たり200万ドル以上の損害が出たりした事故を「クラスA」、重い後遺症が残るか50万ドル以上の損害が出た事故を「クラスB」、軽傷者か5万~50万ドルの損害が出た事故を「クラスC」としているそうです。これまで説明されていたのは重大事故の「クラスA」だけだったということでしょう。
 しかし、単に部品が落下するなどの「クラスC」の事故でも、岩国基地や普天間基地周辺などの人口密集地で起きれば、大きな被害が出ることは明らかです。これらの事故の詳細や危険性について情報を明らかにせず、「安全神話」を振りまいて危険なものを沖縄に押しつけるやり方は、原子力発電所を地方の過疎地域に押しつけてきたのと同じような構造を持っています。

 しかもそれは、沖縄だけの問題ではありません。日本全国に訓練のための飛行ルートが設定されているからです。
 このため、高松市で開かれていた全国知事会議は7月19日(木)、オスプレイ配備について「関係自治体、住民が懸念する安全性が確認できていない現状では受け入れられない」とする緊急決議を行いました。この決議では、配備や飛行訓練の内容、影響について政府が責任を持って説明し、自治体の意向を尊重するよう求めています。
 政府に対して、「国民を守るための安全保障ということを忘れてもらっては困る」(尾崎正直高知県知事)、「米軍の通知を知らせるだけの政府なら、どこに国民主権があるのか」(平井伸治鳥取県知事)などの声があがったといいます。野田首相は16日、オスプレイについて「配備は米政府の方針であり、同盟関係にあるとはいえ(日本から)どうしろこうしろと言う話では基本的にはない」と述べ、日本側から見直しや延期は要請できないとの認識を示して批判を浴びました。まさに「どこに主権があるのか」と言いたくなるような体たらくです。

 そもそも、どうしてこの時期、沖縄にオスプレイを配備する必要があるのでしょうか。沖縄が中国に近すぎてミサイルの射程範囲内に入っているため、米軍はグアムなどへの配置換えを行っているというのに、わざわざオスプレイを沖縄に配備しようとしているのは何故でしょうか。
 オスプレイは「未亡人製造器」と呼ばれていて、その危険性については米国内でもよく知られており、米ニューメキシコ州の米空軍基地周辺で予定されていた低空飛行訓練計画に対して住民の反対運動が起きたため、米空軍は6月に訓練延期や内容の見直しを決めています。そのような危険な飛行機をどうして沖縄に配備し、日本で訓練しようとしているのでしょうか。
 それは危険だから、アメリカ国内では自由に訓練できないから、日本にそれを押しつけようとしているのではないでしょうか。ここに、植民地の如く扱おうとしているアメリカの日本に対する認識の一端が示されているように思われます。

 このようなアメリカによるオスプレイの強行配備をはね返す妙案が一つあります。それは、国民の安全を守れないような条約は破棄せざるを得ないとアメリカに言うことです。
 日米安保体制は、この日本をアメリカの植民地として差し出すためのものではありません。国民の「安全を保障」できない日米「安全保障」条約など、とっととやめてしまえばいいのです。

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