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6月21日(金) 「終わった」のは日本維新の会そのものではないのか [政党]

 「終わったね…、この人」と、日本維新の会の石原慎太郎共同代表は橋下徹大阪市長について述べたそうです。でも、「終わった」のは、日本維新の会そのものではないでしょうか。

 石原さんの発言の要旨は、次のようなものです。

 (橋下氏の慰安婦問題発言は)大迷惑だ。言わなくてもいいことを言って、タブーに触れたわけだから、いまさら強弁してもしようがない。弁護士の限界だ。(参院選の)結果を見て、橋下氏がどう理解するかの問題。(八尾空港でのオスプレイ一部訓練受け入れ構想も)無理だ。一言でも相談してくれればよかった。コミュニケーション不足は致命的だ。
 (橋下氏とは)歴史観が基本的に違う。素晴らしい情熱のある人で、それを見込んでいるが、残念だ。

 これに対して、橋下さんは、要旨、次のように述べています。

 東京都議選の結果、支持を受けられなかったとなれば、そのまま継続するわけにはいかない。党のメンバーが「代表辞めろ」ということになれば、(共同)代表にいられない。
 都議選で駄目でも、参院選で審判を受けたいという思いもある。
 (慰安婦問題の発言に)間違っているとは思っていないが、日本社会では選挙が権力者へのチェック機能を果たしている。(石原氏は)信頼関係があるからこそ厳しい意見を言えるのではないか。

 ここに来て、石原さんがこのような形で橋下さんを批判したのはどうしてでしょうか。その最大の理由は、都議選や参院選などの状況が思わしくなく、このままでは敗北して自らの責任も追及される恐れがあるからです。
 このような厳しい情勢を生み出した責任は自分ではなく、もう一人の共同代表である橋下さんであることをはっきりさせておこうと思ったにちがいありません。そのとばっちりを受けて責任を追及されるなんて、「大迷惑だ」という気持ちでしょう。
 これに対して、橋下さんは都議選で支持を得られなければ責任を取って辞任するかのようなそぶりを見せつつ、同時に「都議選で駄目でも、参院選で審判を受けたいという思い」もあるようです。でも、改選前の3議席の維持すら危ういとの見方があるほどですから、都議選で負ければ参院選での敗北は必死で、いずれにしても辞任は避けられないでしょう。

 そうなれば石原さんの出番ですが、もし都議選で敗北すれば、前都知事であった石原さんも責任を免れません。どちらも、絶体絶命のピンチに陥ることになります。
 その2人が責任をなすりつけあっている現状は、沈みつつある船の上で2人の船長がののしりあっているようなものです。未だに橋下さんは慰安婦問題での発言は間違っていいないと居直り、石原さんの方は「徹底的に違うことはあいつが『あの戦争は侵略戦争だ』と言っていること」だとし、「俺は『侵略じゃない。マッカーサーも防衛の戦争だって言ってるじゃないか。君、そういうのどう思う』って聞いたら、それでも『侵略です』と。もう埋まらない。根本が違う。こんだけズレちゃうと困っちゃうよね」と苦笑いし、将来的に価値観を共有できる可能性について「ないね」と言い切るような関係になっているのですから。
 いずれにしても、手を取り合って日本政界の海の底に沈んでいくことになるでしょう。来るべき都議選は、そのターニングポイントとなるにちがいありません。

 新自由クラブや日本新党、新進党などのように、これまでも時代の脚光を浴びて登場したにもかかわらず短期間で姿を消し、一時のエピソードにすぎなかった政党が数多く存在しました。今回は、日本維新の会がその仲間入りをしそうですが、その中でも、最も華々しく登場し、最も拙劣な活動を行い、最も無惨な末路をたどることになりそうです。

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