SSブログ

5月17日(土) 集団的自衛権行使容認を自己目的化する安倍首相による記者会見の支離滅裂 [集団的自衛権]

 5月15日は安倍首相のお父さん(故安倍晋太郎外相)の命日でした。集団的自衛権の行使容認に道を開いた安保法制懇の報告の提出をこの日にしたのは、お祖父さん(岸信介元首相)の執念を引き継いでいることをお父さんに示したいという安倍首相の思いの表れだったのかもしれません。

 その安倍首相の記者会見ですが、あまりにも情緒的で、論理的には支離滅裂なものでした。パネルなどを使い、海外在住の日本人の多さを指摘して「皆さんが、あるいは皆さんのお子さんやお孫さんたちがその場所にいるかもしれない。その命を守るべき責任を負っている私や日本政府は、本当に何もできないということでいいのでしょうか」と危機感をあおり、国民を恫喝していました。
 それなら、まず何よりも、国際的な紛争を引き起こさず、テロの標的にされないような外交・安全保障政策をとるべきではありませんか。イスラム社会から敵視されているアメリカとともに戦争できるようにすることが、海外在住の日本人を安全にすることになるのでしょうか。
 ここで想定されているのは、朝鮮半島の有事なのかもしれません。その際の邦人救出には日本政府が当たるべきであり、それが可能になるような協力関係を韓国政府との間に打ち立てることこそ、先決問題ではありませんか。

 会見の最後にも、「再度申し上げますが、まさに紛争国から逃れようとしているお父さんやお母さんや、おじいさんやおばあさん、子供たちかもしれない。彼らが乗っている米国の船を今、私たちは守ることができない」と、安倍首相は脅しています。情に訴えて不安感を高め、だから集団的自衛権の行使が必要だと国民に理解してもらいたかったのでしょう。
 しかし、湾岸戦争を含めて、これまで紛争国から「米国の船」で避難するような事例は一回もありませんでした。それに、日本人が避難するとき、どうして「米国の船」でなければならないのでしょうか。
 「領域外での米韓防護」の必要性によって集団的自衛権の行使容認を合理化しようとするあまり、現実性のない想定に寄りかかる結果になってしまったということでしょう。北朝鮮が発射するミサイルを撃ち落とすためとか、戦闘中の機雷除去を可能にするためなどというのも荒唐無稽な空想にすぎません。

 今回の解釈改憲は「限定的」だから心配ないという言い訳もあります。いろいろな制約をつけて「限定的」なものにするから、行使を認めてほしいというわけです。
 しかし、その判断は「最終的な責任者」である首相に任されることになります。国の最高法規である憲法の解釈さえ勝手に捻じ曲げるような首相が信頼できるでしょうか。
 一方で、「必要最小限度の武力の行使」には集団的自衛権も含まれるとして「最小限度」の範囲を拡大し、他方で、その行使は「限定的」だから安心せよと言われても信用できるわけがありません。

 そもそも、憲法9条の歯止めを外すための解釈の変更です。自国が攻撃されてもいないのに、国外での戦闘行動に加わることができるようにするための集団的自衛権の行使容認ではありませんか。
 「自衛隊が武力行使を目的として湾岸戦争やイラク戦争での戦闘に参加するようなことは、これからも決してありません」と、安倍首相は請合いました。海外で米軍とともに戦闘に参加しないのであれば、集団的自衛権の行使を認める必要はないでしょう。
 米韓防護や他国部隊への駆けつけ警護にしても、機雷除去にしても、それを行うのは領域外です。そこでの攻撃に対する集団的な反撃が直ちに武力行使や戦闘につながり、日本が戦争に巻き込まれるであろうことは明らかではありませんか。

 このように、安倍首相の説明が支離滅裂になったのは、集団的自衛権行使容認に対する世論の反対が強く、どのような手段や論拠を使ってでも説得したいと焦ったからでしょう。世論が理解できないのは、集団的自衛権の行使容認が自己目的化され、いまなぜ急いでこのようなことをやらなければならないのか、その必要性や根拠がはっきりしないからです。
 安倍首相の記者会見での説明は、逆効果だったのではないでしょうか。このような曖昧で現実性に乏しい理由で9条を葬り去るような大転換に踏み切っても良いのかと、多くの国民はますます疑問を強めたでしょうから……。

nice!(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

トラックバック 0