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9月22日(月) 平和を守るための武器としての憲法9条 [論攷]

〔下にアップした論考は、9月28日(日)に上田市の長野大学で開催される第57回長野県母親大会での第9分科会「平和と民主主義」に向けて書き、報告集『長野県母親大会』に掲載されたものです。〕

 憲法は「不磨の大典」ではありません。ですから、不都合があれば変えるのは当然です。
 しかし、アジア・太平洋戦争が終わってから69年。日本は戦争で人を殺すことも、殺されることもありませんでした。それは憲法9条の下で「専守防衛」という国是を守ってきたからではないでしょうか。いったい、そのどこに不都合があったと言うのでしょうか。
 安倍首相はこの憲法を変えて「戦争できる国」にしようとしています。それは戦争したいからというより、「列強」の一員として世界に君臨した戦前のような日本を取り戻したいからでしょう。そのためには「国防軍」を持つ「普通の国」として血を流す覚悟が必要だと考えているのです。イラクやアフガンでの戦争で多くの若者の血を流したアメリカやイギリスのように……。
 そのための集団的自衛権の行使容認であり、武器輸出の解禁なのです。しかし、自国が攻められていないのに他国への攻撃に反撃すれば、その相手国からのさらなる反撃を招くことになるでしょう。たちどころに戦争に巻き込まれ、日本の若者が血を流すことになり、戦後長きにわたって享受してきた平和な時間は失われます。
 かつて安倍首相は『この国を守る決意』という共著で、「軍事同盟は『血の同盟』」だと書きました。「日本が血を流す覚悟を示さなければ同盟国は血を流して守ってくれない」というのも口癖です。安倍首相にとって、日米同盟の強化とは戦争で血を流す関係を作り出すことなのです。
 そのために邪魔なものを取り除き、新しい「富国強兵」政策に着手しています。それが集団的自衛権の行使容認による「専守防衛」政策の放棄であり、国家安全保障会議と国家安全保障局の新設、国家安全保障戦略の策定、新防衛計画の大綱や新中期防衛力整備計画の閣議決定、日米防衛協力のための指針(ガイドライン)の改定なのです。
 アベノミクスによるデフレ不況からの脱却や成長戦略、一方での消費税増税と他方での企業減税、環太平洋経済連携協定(TPP)への参加、特定秘密保護法の制定などは「戦争できる国」を支えるための経済と社会の構築を目指しています。また、教育改革実行会議などによる上からの「教育改革」は、国の思い通りになり自ら進んで戦いに命をささげる「戦争できる人」づくりを意図しています。
 こうして、戦後日本の平和国家としての枠組みはことごとく改変されようとしています。日本は大きな転機にさしかかっていると言って良いでしょう。この時代に生きる私たちには、このような企みを打ち砕いて平和を守る武器としての憲法9条を守り抜く責任があります。戦争で殺すことも殺されることもない平和な国を、何としても次の世代に手渡さなければなりません。
 そのためにどうするのか。何ができるのか。これが今、問われているのではないでしょうか。国の戦争政策に抗することができず、2310万人もの尊い人命を犠牲にすることになった戦前の失敗を繰り返してはなりません。子供や孫たちに、戦争で血を流す不幸を味あわせても良いのでしょうか。戦後の出発にあたって「過ちは二度と繰り返さない」と誓った先輩たちの思いを、今に生きる私たちのものとしたいものです。

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