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10月13日(火) 自民党の変貌―ハトとタカの相克はなぜ終焉したか(その2) [論攷]

〔以下の論攷は、岩波書店発行の雑誌『世界』10月号に掲載されたものです。4回に分けてアップさせていただきます。〕

2 自民党を制覇した旧保守傍流路線

 二大政治潮流の存在

 自民党には伝統的に二つの大きな政治潮流が存在した。それはこの政党の出自に深くかかわっている。一九五五年に自由党と民主党という二つの保守政党の合同によって結成されたからである。主として自由党の流れを汲み吉田茂の人脈を受け継ぐのが「ハト派」とされ、民主党に近く岸信介の人脈を引き継いでいるのが「タカ派」である。
 六〇年安保闘争によって岸内閣は倒れ、その後の池田・佐藤両内閣を通じて保守政治は安定期を迎える。この時期に、政策路線としての解釈改憲路線、経済主義路線、対米協調路線と、政治手法としての合意漸進路線が正統性を獲得し、保守政治の基本路線として認知された。これが「保守本流」であり、保守勢力による現実対応の姿だったといえる。
 こうして、「保守本流・ハト派・吉田」の流れと「保守傍流・タカ派・岸」の流れという二つの政治潮流が自民党の歴史を彩ることになった。派閥で言えば、前者は旧田中派や旧大平派(宏池会)であり、後者は旧福田派や旧中曽根派である。この流れは一定の期間を経て左右が入れ替わる「振り子の論理」によって自民党内での擬似政権交代を演出してきた。
 ただし長い間、自民党内では「保守本流」が大きな力を持ち続けた。池田内閣から小渕内閣までの一八代四〇年間にわたって、福田・中曽根の両内閣を除けば(佐藤内閣は微妙だが)、基本的に「ハト派・リベラル」政権だったと言える。
 これに対して二〇〇〇年の森喜朗政権以降、現在の安倍政権までの九代一五年間では、森・小泉・安倍・福田政権という旧福田派の流れを汲むタカ派 政権が続く。麻生元首相は吉田茂の孫だから吉田亜流だが、その後の政権交代で鳩山・菅・野田の民主党政権が誕生した。そして、再び政権交代が起こって安倍首相の再登場となり、大きく右に揺れるのである。
 この二〇一二年総選挙が画期であった。「安倍チルドレン」の大量当選など、この選挙で自民党議員の人的構成が大きく変化したからである。旧保守傍流路線の制覇による右傾化、質的な劣化は、このときをもって頂点に達した。

 軍事大国化と右傾化、新自由主義化の進行

 このように、自民党政権においても、福田、中曽根、小泉、安倍政権は「保守傍流・タカ派・岸」の流れを汲む特異な政権であった。福田首相を除いていずれも長期政権を維持したのは、時には米国の要求を値切る保守本流より軍事大国化を志向する傍流の方が米国にとって都合が良かったからであり、右傾化を強める社会意識の変化に適合し、新自由主義的改革路線によって従来の保守支配の構造を打破する強い志向性を持っていたからである。
 森政権以降、次第に「保守傍流・タカ派・岸」の流れが強まっていく。民主党の結成やみんなの党、生活の党、維新の党など第三極諸党の結成によって「保守本流・ハト派・吉田」の流れを汲む勢力や個人が自民党の外に流出した。そのために自民党内での「保守傍流・タカ派・岸」の勢力の比重が高まったからである。
 こうして自民党は右傾化し、極右政党としての傾向を強めたため、キャッチオール・パーティーとしての性格を薄めて合意形成能力を失った。その結果、合意形成が難しくなればなるほど、さらに右派的イデオロギーによる国民統合を図ろうとして右傾化を強めるという悪循環に陥ることになる。
 同時に、軍事大国化が強まり、自衛隊の海外派兵の動きが具体化してきた。ただし、中曽根政権の時には米国からペルシャ湾への掃海艇派遣が要請されたが、旧田中派出身の後藤田正晴官房長官は「閣議ではサインしません」と迫って派遣を断念させている。
 しかし、小泉政権の時にはこのような制止は働かず、イラクの復興支援という名目で自衛隊が派遣された。今後、安保法制が整備されれば、「国際平和支援法」という海外派兵のための恒久法ができ、他国(軍)を守るために自衛隊が海外に送られ、米軍などとの共同作戦や「後方支援」に従事し、国連平和維持活動(PKO)でも活動範囲を拡大して治安維持や駆けつけ警護などができるようになる。
 新自由主義化についても、中曽根政権以来の規制緩和路線の終着点が近づいているように見える。それは「臨調・行革路線」として始まり、小泉政権による「構造改革」へと受け継がれ、安倍政権の労働の規制緩和路線の再起動によって総仕上げされようとしている。
 労働者派遣法の改定も労働基準法の改定も、共に原理的な転換を含んでいる。それは規制緩和の量的な拡大ではなく、派遣事業や労働時間についての質的な変化をもたらすことになるだろう。派遣は「一時的・臨時的」なものではなくなり、「常用労働者」に対する代替がすすみ、正規労働者が派遣などの非正規労働者に置き換えられることになる。労働時間に対する制限が撤廃され、労働に対する時間管理という考え方自体が時代遅れであるとして否定されるにちがいない。

 突出した軍事偏重

 このような変化において、安倍首相における軍事偏重はどの首相よりも突出しており、際立った特徴となっている。確かに、岸首相や鳩山一郎首相なども憲法改正と再軍備を主張し、中曽根首相も「日本列島不沈空母論」や「三海峡封鎖論」を唱えた。安倍首相もその「伝統」を受け継いでいる。しかし、安倍首相の場合には、発言だけでなく実際の政策変更によってその具体化を急速に進めてきた。
 第一に、安倍首相はどの首相よりも自衛隊への親近感を示している。二〇一三年に幕張メッセで開かれたイベントを訪問した際、ヘルメットに迷彩服姿で戦車に乗るというパフォーマンスを見せたことは象徴的だった。航空自衛隊松島基地を訪問した際には細菌兵器の人体実験を行った旧陸軍731部隊と同じ機体番号の戦闘機に搭乗して顰蹙を買った。中谷防衛相や佐藤正久参院議員など自衛隊出身者の重用も目立つ。
 第二に、安倍首相は「積極的平和主義」を掲げ、軍事的対応による平和構築や秩序の安定を重視している。日本だけでなく国際社会の平和のために能動的・積極的な役割を果たすことだとされているが、その中核には自衛隊が位置付けられている。二〇一三年一二月閣議決定の「国家安全保障戦略」では、この積極的平和主義が基本理念とされた。
 第三に、「海外で戦争する国」になるための既成事実化が図られてきた。システム、ハード、ソフトの面で専守防衛の平和国家路線からの転換が目指されている。このような姿勢はこれまでの全ての自民党政権以上に顕著となっている。
 まず、法・制度の改変によるシステムの整備という点では、第一次安倍内閣時における防衛庁の防衛省への昇格、第二次内閣になってからの国家安全保障会議(日本版NSC)と国家安全保障局の新設による戦争指導体制の整備、武器輸出三原則から防衛装備移転三原則への変更による禁輸から輸出へという一八〇度の転換、政府開発援助(ODA)大綱の「開発協力大綱」への変更による非軍事目的の他国軍への支援の容認、背広組優位を転換して「文官統制」規定を廃止した防衛省設置法一二条の改正、日豪・日露・日英間での外務・防衛担当閣僚会議(2プラス2)の設置などが目につく。
 次に、自衛隊の「戦力」化と在日米軍基地の強化などの「ハード」の整備という点では、前述の国家安全保障戦略とともに新防衛計画の大綱や新中期防衛力整備計画(五年間で二五兆円)の閣議決定、陸上総隊の新設と「水陸機動団」編成による日本版海兵隊の新設、軍需産業と一体での武器技術の開発・調達・輸出を推進する防衛装備庁の新設、防衛省による武器に応用できる大学での研究の公募開始、沖縄・普天間基地移設を名目とした辺野古新基地建設の強行などを挙げることができる。二〇一六年度予算の概算要求では、オスプレイの購入、イージス艦の建造、新型空中給油機の取得なども計上されている。いずれも海外展開を視野に入れた要求に見える。
 さらに、世論対策と教育への介入などの「ソフト」の整備という点では、首相官邸によるマスコミへの懐柔と干渉、NHK会長や経営委員への「お友達」の選任、特定秘密保護法の制定による軍事機密の秘匿、情報の隠蔽と取材規制、改正通信傍受法案(盗聴法案)・刑訴法改定法案の提出、教育再生実行会議による教育への介入、教育委員会や教科書内容・選定への干渉、愛国心の涵養や道徳の教科化などによる「戦争する心」作りなどが着手されている。
 「海外で戦争する国」に向けての準備は安保法制に限られない。このような形で、総合的、全面的な政策展開がなされ、着々と既成事実化している点に注目し、警戒する必要がある。

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