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12月13日(日) 国民のたたかい―それを受け継ぐことが、私たちの務め(その2) [論攷]

〔以下の論攷は、学習の友別冊『戦後70年と憲法・民主主義・安保』に掲載されたものです。4回に分けてアップさせていただきます。〕

二、基地反対闘争と「平和的生存権」を守るたたかい

 基地の拡張反対、返還要求、騒音被害などに対するたたかい

 平和憲法の理念を生かすたたかいは、軍事基地に対しても向けられました。1950年代には内灘試射場反対運動、浅間山基地化を阻止した運動、妙義山接収計画を撤回させた運動,北富士演習場使用に対する反対闘争,砂川基地拡張反対運動など、さまざまな基地反対闘争が起きています。
 このうち、米軍基地の拡張に反対して学生が基地内に入り込んで逮捕された事件(砂川事件)では,59年3月に東京地裁の伊達裁判長が被告を無罪とする画期的な判決を下しました。在日米軍は憲法9条違反であり,刑事特別法は違憲・無効だとしたのです。これが有名な「伊達判決」です。
 あわてた検察側は高裁段階を省略して跳躍上告し、最高裁は伊達判決を破棄しました。これが集団的自衛権の行使容認の論拠の一つとされている59年12月の最高裁砂川判決です。
 しかし、この裁判で問題とされていたのは在日米軍の基地であって集団的自衛権という言葉は登場していません。また、田中耕太郎最高裁長官は事前に米駐日公使と密談して判決内容を漏らすなど、裁判官の独立を定めた憲法76条に違反する疑いのある行動をとっていました。
 60年以降も、新島ミサイル試射場反対運動、忍草母の会による北富士演習場返還運動、三宅島夜間発着訓練基地建設反対運動などがありました。このような運動は、百里基地などの自衛隊基地返還要求運動や小松・厚木・横田などの基地騒音被害への抗議・反対運動にも引き継がれています。
 最近、自衛隊による垂直離着陸機(オスプレイ)の購入と佐賀空港への配備、米空軍のオスプレイの横田基地への配備計画などが明らかになりました。このような新たな軍備増強計画に対する反対運動も始まりつつあります。これらも反基地闘争の一環であり、平和憲法の理念を具体化する取り組みの重要な構成部分にほかなりません。

 沖縄での基地反対闘争

 基地の新設や拡張反対、整理・縮小や撤去を求める運動が、とりわけ激しくたたかわれたのは沖縄です。日本に置かれている米軍基地の約4分の3が沖縄に存在するのですから、それも当然でしょう。いわば、沖縄は安保と憲法との対決点に位置していることになります。
 沖縄では施政権返還・本土復帰に向けての運動とともに、自衛隊の移駐反対、米軍基地の拡張反対、基地の整理・縮小・移設、核兵器の撤去などを掲げた運動が取り組まれてきました。しかし、本土復帰後も基地負担の軽減は遅々として進んでいません。
 そればかりか、日本政府が基地負担を沖縄に押し付けるような転倒した関係も生まれています。その典型がオスプレイの普天間基地への配備や辺野古での新基地建設であり、高江ヘリパッド(簡易発着場)の建設などでした。
 沖縄にとって本土への復帰は日本国憲法の下への復帰であったはずですが、現実には憲法よりも安保の方が優先されています。これを逆転させなければなりません。辺野古の新基地建設に反対する「オール沖縄」のたたかいこそ、このような憲法の平和主義を現実のものとするための取り組みにほかならないと言えるでしょう。

 「平和的生存権」をめぐる取り組み

 憲法は前文で「平和のうちに生存する権利を有することを確認」しています。これが「平和的生存権」と言われるものです。この権利を守るためにも、自衛隊の違憲性を問題とし、具体的な被害の除去が目指されてきました。
 たとえば、北海道の恵庭町に住む酪農家が演習場の騒音によって牛乳の生産量が落ちたとして通信線を切断して自衛隊法違反に問われた事件(恵庭事件)があります。これは自衛隊法が合憲か違憲かが争点となって注目されました。しかし、札幌地裁は憲法判断を行わず、通信回線は自衛隊法第121条の「その他の防衛の用に供する物」に該当しないとして被告人に無罪を言い渡し、これが確定しました。
 また、長沼事件では、北海道長沼町での航空自衛隊のナイキミサイル基地の建設に反対する住民らが原告となって自衛隊の違憲性が争われました。札幌地裁の一審判決は自衛隊の実態審理を行ない、国民の「平和的生存権」を根拠に自衛隊は軍隊であって憲法に違反するとの画期的な判決を出します(長沼判決)。しかし、控訴審判決は政府側の主張をほぼ全面的に認めて、原判決を取消しました。
 さらに、航空自衛隊のイラク派兵が憲法違反であることの確認などを求めた訴訟(自衛隊イラク派兵差止訴訟)で、名古屋高裁は「アメリカ兵等武装した兵員の空輸活動を行っていることは,憲法9条1項に違反する」との違憲判断を行って確定しました。このような判決は初めてで,歴史的な意義を有する画期的な判決だといえます。また、平和的生存権について、「全ての基本的人権の基礎にあってその享有を可能ならしめる基底的権利であるということができ、単に憲法の基本的精神や理念を表明したに留まるものではない」として具体的権利性を正面から認めた点も高く評価できます。

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