SSブログ

5月31日(日) 「美しい緑の国」を実感した旅 [旅]

 この国が、「美しい緑の国」であることを実感しました。と言えば、何だか安倍元首相の本の題名のようになってしまいますが、大阪まで行ってきた旅の感想です。
 暗くなる前に、その旅から帰ってきました。美しい車窓の景色を眺めて、格好の息抜きになりました。

 「職場の人権」研究会の講演は、30日(土)の午後1時半からで、質疑が終わったのは4時半ちょうどでした。それから帰ってくれば、日帰りでの往復も可能です。
 しかし、せっかくの旅行ですから、やはり一泊くらいはしたい。それに、昨年の秋、基礎研創立40周年記念研究大会のシンポジウムのとき、翌日、所用があったために日帰りしましたが、やはり疲れました。
 もう年ですから、無理は身体に良くありません。それに、幸いなことに、今回は翌日が日曜日で、特に用事があるわけではないのですから。

 実は、大阪で是非行ってみたいところがありました。それは大阪歴史博物館です。
 昨年の秋、今回と同じ「エルおおさか」で労働資料協の総会が開かれ、翌日に「ピースおおさか」を訪問した後、大阪城公園の中を通って「ドーンセンター」に向かう途中、大きなビルを目にしました。NHK大阪とくっついた10階建ての目立つ建物です。
 それが、大阪歴史博物館http://www.mus-his.city.osaka.jp/だというのです。驚きましたね、その立派なことに。

 あいにく、このときは訪問する時間がありませんでした。前述のように、その後、基礎研のシンポジウムで大阪に行く機会がありましたが、とんぼ返りの日帰りでした。
 ということで、チャンスを狙っていたのです。今度、大阪に行くことがあったら、ぜひ大阪歴史博物館に行きたいものだと……。
 今回の大阪行きで、その念願を果たすことができました。建物だけでなく、その内容も立派なこと。一見の価値はあります。ぜひ、皆さんもお出かけ下さい。

 ここを訪問して、新しいことを一つ学びました。それは、難波宮についてです。
 古代の大阪に、このような都が置かれたことは知っていましたが、その詳細については何も知りませんでした。その発掘調査がされており、遺跡として残っているということも。
 歴史博物館の展望スペースから外を見たら、真下に、その遺跡があるではありませんか。大阪城ばかりに目を取られていて、その脇に注意が行かなかったということでしょうか。

 博物館から出た後、難波宮跡公園に行き、復元された太極殿の跡を見てきました。その後、久しぶりに大阪城を訪れ、天守閣の展示を見て、帰宅してきたというわけです。
 朝方は曇っていた空も次第に雲がとれ、青空が広がって日差しが降り注いできました。途中からは暑いくらいで、かなり汗をかきました。
 大阪城には沢山の人が訪れていましたが、マスクをしている人はほとんどいません。電車の中も新幹線でも、マスク姿はあまり見かけませんでした。

 しかし、やはり、豚インフルエンザの影響でしょうか。往復の新幹線は、いつもよりも空いているという印象でした。
 帰りの新幹線の中では、次の講演に向けて準備をするつもりでしたが、結局、ボーッと車窓に流れる景色を眺めたまま、新横浜に着いてしまいました。車窓の景色は緑のパッチワークで、雨上がりだったせいかもしれませんが、滴るような美しさでした。
 そう言えば、この季節には滅多に旅をしたことがありません。何度も見ているはずの新幹線からの景色が新鮮で美しく見えたのは、そのためだったかもしれません。

 水田にはみずが張られ、稲の苗がきれいな線を描いていました。いかに日本が、水豊かで緑あふれる美しい国であるかを、実感した次第です。
 なお、大阪では、「職場の人権」研究会の皆様に、大変、お世話になりました。この場を借りて、お礼申し上げます。

5月28日(木) 「講演月間」がやって来る [日常]

 9日間も、ブログ更新の間が開いてしまいました。申し訳ありません。
 理由は簡単です。書く時間がなかったからです。今も、あまり時間がありません。

 先週は、火曜日に『日本労働年鑑』の特集「M&Aと労働問題」のゲラが出て来て編集に追われ、水曜日に研究所の運営委員会があり、木曜日に研究所のプロジェクト「戦後社会運動史研究会」出席のために市ヶ谷キャンパスに行き、金曜日に「はしがき」など『日本労働年鑑』のその他の原稿を入れ、土曜日と日曜日は社会政策学会に参加のため、水道橋の日本大学に行きました。
 学会では帰りが遅くなることを見越して、土曜日の夜は神保町のホテルに泊まりました。もう、西八王子まで帰る元気が無くなっているというところでしょうか。

 今回の社会政策学会では、嬉しいことがありました。榎一江さんが『近代製糸業の雇用と経営』(吉川弘文館)で奨励賞、二村一夫先生が『労働は神聖なり、結合は勢力なり-高野房太郎とその時代』(岩波書店)で学術賞を受賞されたからです。
 榎さんは今年から研究所の専任研究員になられた方です。二村先生は研究所の元所長で、現在は名誉研究員です。
 ということは、社会政策学会賞の受賞者は3人ですから、3分の2を大原社会問題研究所関係者が占めたということになります。これはめでたい。

 月曜日(25日)の夜には、すでにご存知のように「塩田庄兵衛先生とお別れする会」が予定されていました。私は事務局担当で、当日の司会もやることになっていました。
 ご高齢の方が多いので気がかりもありましたが、159人という多数の方に出席していただきました。ちょっと遅れてしまいましたが、この場を借りて、厚くお礼申し上げます。
 大過なく盛会に終わり、塩田先生ご夫妻もお喜びだろうと思います。私も、いささかご恩返しができたのではないかと思い、ホッとしております。

 その後も時間が取れなかったのは、これからの「講演月間」に向けての準備があったからです。その最初は、今週の末にやってきます。
 5月30日(土)午後1時半から、「職場の人権」研究会で報告するために、大阪に行きます。「エル・おおさか」で「労働の規制緩和-今こそチェックすべきとき」というテーマで報告します。
 その後も、6月7日(日)に東京土建幹部学校で「情勢の特徴と労働組合の役割」というテーマで講演するために伊東に行き、6月13日(土)には全大教労働問題フォーラムで「労働政策の転換と非正規雇用―民間部門と公共部門の対比を意識して」というテーマでの講演で北海道大学に行き、その2週間後の6月28日(日)には、京建労第15期労働学校で「新自由主義の破たん、資本主義の限界」について講演するために京都に行くことになっています。6月を「講演月間」と呼んだのは、5月末からの週末に講演が4回予定されているからです。

 しかも、ご覧のように、テーマがバラバラです。関連はしていますが、同じ話でお茶を濁すというわけにはいきません。
 というわけで、その準備に追われています。書かなければならない原稿も、2~3本ありますし……。

 来週の水曜日(6月3日)には、『日本労働年鑑』の再校の点検が終了し、責了となる予定です。でも、繁忙期が終了となるのはいつのことやら……。
 このままでは、「資本主義の限界」が来る前に、「五十嵐仁の限界」が来てしまいそうです。


5月17日(月) 変わったのは良いが、変わりきれなかったのは良くない [政党]

 新聞各社の世論調査が発表されました。調査の信憑性に問題があるかもしれませんが、それを言い出したら話になりません。世論の動向をそれなりに反映しているという前提で、論評させていただきます。

 各紙の結果は、似通っています。ひと言で言えば、民主党の執行部が変わったことは評価されていますが、変わりきれなかったという点では評価されていないということです。

 まず、麻生内閣支持率と首相としての期待度です。内閣支持率は横ばいか再び下落を始めました。逆に、不支持率は高まっています。(前者の数字は支持率、後者は不支持率、カッコ内は前回調査)

朝日:27(26)対56(57)
毎日:24(27)対58(52)
共同:26.2(28.0)対60.2(55.1)
日経:30(32)対62(59)

 この間の麻生内閣への支持率の上昇は、民主党の「小沢問題」という「敵失」によるもので、強固なものではありませんでした。したがって、「敵失」がなくなれば、当然、「反転」します。
 首相としての期待度は、麻生さんよりも鳩山さんの方が上回りました。この点でも「反転」が生じていますが、どちらも期待できないという回答も多く、「鳩山ブーム」が起きているという状況ではありません(前者の数字が鳩山代表、後者が麻生首相)。

朝日:40%対29%
読売:42%対32%
毎日:34%対21%
共同:43.6%対32.0%
日経:29%対16%

 次に、政党支持率ですが、民主党支持率が上がり、自民党支持率よりも多くなりました。全ての調査で、民主党の支持率が自民党の支持率を逆転しています。
 これも、当然でしょう。そのための「小沢辞任」だったのですから。この結果を見て、小沢さんはホッとしたに違いありません(前者の数字が民主党の支持率、後者が自民党の支持率。カッコ内は前回)。

朝日:26%(21%)対25%(25%)
読売:30.8%(23.4%)対28.4%(26.8%)
毎日:30%(24%)対23%(27%)
共同:30.0%対25.2%
日経:38%(28%)対33%(36%)

 総選挙の比例区でどこに投票するかという問いについても、民主党の方が多くなっています(カッコ内は前回の数字)。

朝日:民主38%(32%)対自民25%(27%)
読売:民主41%(30%)対自民27%(27%)
共同:民主37.3%対自民25.8%

 次期政権についても、民主党中心の政権が期待されており(朝日:45%、毎日:勝ってほしい政党は民主党56%、自民29%)、民意は政権交代を望んでいて、その期待を民主党に託しているということが分かります。

 他方で、「小沢問題」についても、厳しい目が向けられています(日経:小沢氏の要職起用に反対54%)。「小沢後継」となった今回の執行部交代が、手放しで評価されているわけではないということになります。
 この点では、今後、西松建設の献金問題に対して、小沢さん自身がどう対応するのか、知らん顔をして無視し続けるのか、が注目されます。また、選挙担当とはいえ、筆頭の代表代行に就任したことが国民にどう受け取られるか、という問題もあるでしょう。
 民主党が「変わりきれなかった」ということは、この点に象徴されています。世論調査の結果で見る限り、国民は釈然としない思いも抱いているようです。

朝日:民主党に「期待しない」43%、民主党の印象は「変わらない」75%
読売:鳩山氏に「期待していない」53%
毎日:鳩山代表に「期待する」と「期待しない」はともに49%で拮抗
   民主党に対する評価は「変わらない」が68%
共同:鳩山氏に「期待しない」50.6%
日経:鳩山新代表に「期待する」が47%、「期待しない」は49%で拮抗

 いずれにせよ、民主党は新しい態勢を整えて再出発しました。国民はこれを好感していることは明らかです。
 小沢辞任というハプニングのお陰で、総選挙前に国民の注目を集めて大宣伝をすることができました。また、政治決戦に向けてオールスター・キャストの執行部を作り、一丸となった戦闘態勢を確立できたという見方も可能です。

 結果からみれば、「小沢問題」さまさまというところでしょう。政権の意志を忖度して先走った(と思われる)検察からすれば、完全な思惑はずれということになるのではないでしょうか。

5月16日(土) 「めでたさも中くらいなり」という民主党代表選挙の結果 [政党]

 やはり、民主党に“策士”はいなかったようです。昨日の代表選挙ではサプライズも「番狂わせ」もなく、当初の予想通り、鳩山幹事長が順当に選出されました。

 いや、“策士”はいたと言えるかもしれません。代表を退いた小沢さんの目論見通り、「小沢後継」と見られている鳩山さんが選ばれたのですから。
 というより、小沢さんは、鳩山さんと相談のうえ、このようなシナリオを書いて代表辞任を発表したのかもしれません。
 やはり、小沢さんは“策士”だったというべきでしょうか。選挙で思い通りの結果を引き出したのですから……。

 鳩山当選のポイントは、代表選挙のやり方にありました。世論調査で人気があるとされた岡田さんではなく、小沢さんがやりやすい鳩山さんが選ばれるための工夫がなされていたからです。
 それは、できるだけ短期間に、しかも投票する人を国会議員に限ったという点にあります。いずれも、代表選挙への世論の影響を遮断するための工夫です。
 有権者となった国会議員は、岡田さんの言う「総選挙勝利」か、鳩山さんが強調する「挙党一致」か、どちらを選ぶかで揺れたことでしょう。その結果、前者よりも後者の方が大事だと考えた参議院議員の支持によって、鳩山さんは勝利を得ることができました。

 私は、5月13日のブログで「政治家としての実績や信頼感という点ではいずれも遜色ありません。総選挙で勝てるのならどちらでも良いでしょう。でも、国民の支持の多い方が民主党にとっても好都合なのではないでしょうか。相手のやりにくい方を選択するというのが、戦いの常套手段だと思うのですが」と書きました。つまり、岡田さんと鳩山さんのどちらも民主党代表としての資格はあり、「総選挙で勝てるのならどちらでも良い」という立場です。
 しかし、岡田さんの方が、より大きな勝利をもたらすのではないかと考え、岡田代表がベターだと書きました。その考えは、今も変わっていません。
 改憲論者とされる鳩山さんと消費税の増税論者とされる岡田さんでしたが、どちらも、すぐに持論を実行するとは言っていません。ですから、どちらがなっても、小沢さんがそのまま代表を続けるよりはましだと考えたからです。

 代表に選ばれた鳩山さんは、直ちに人事に着手するようです。恐らく、岡田幹事長になるでしょう。小沢さんは選挙対策本部長でしょうか。
 もし、小沢代表代行などということになったら、「小沢傀儡」を制度化することになってしまいます。与党に攻撃材料を与えないという点からも、国民からの批判を招かないという点からも、このような人事は避けてもらいたいものです。
 鳩山代表、岡田幹事長、小沢選対本部長というのが、収まりの良い線ではないでしょうか。鳩山・岡田執行部は、これまでの小沢・鳩山執行部よりはましで安定感がありますが、私が主張した岡田代表、長妻幹事長という陣立てに比べれば、やはり、清新さやアピール力に欠けるといわざるを得ません。

 「鳩山ブーム」を起こして総選挙で大勝利、ということになって欲しいところですが、多分、それは難しいでしょう。岡田・長妻執行部なら、「ブーム」を起こしてぶっちぎりの大勝利という可能性もあったのですが……。
 次の総選挙で政権が交代する可能性は大きいと思いますが、民主党の単独政権は難しいようにみえます。総選挙での地滑り的な大勝利より、党内の団結と融和を優先した民主党からすれば、「それで良い」ということでしょう。
 せっかくのチャンスだったのに。大変、もったいない気がします。

 とはいえ、「めでたさも中くらいなり」ということで、良いのかもしれません。たとえ民主党にとって最善であっても、日本の政治にとっては、必ずしもそうであるとは限りませんから……。


5月15日(金) 新自由主義と労働政策-労働再規制に向けての動きを中心に [論攷]

〔以下の論攷は、基礎経済科学研究所の雑誌『経済科学通信』No.119(2009年4月号)に掲載されたものです〕

新自由主義と労働政策-労働再規制に向けての動きを中心に

 新自由主義政策の重要な構成部分であった労働の規制緩和は、2006年から密かに反転を開始した。このような労働再規制に向けての動きについて、その反転の起点と背景、要因、プロセス、現段階などについて検討する。

Ⅰ はじめに
 金融・経済危機が全世界を席巻している。新古典派が主張した新自由主義政策によって「恐慌」が復活したのである。同様に、我が国の労働の世界では、新自由主義的な規制緩和によって『蟹工船』が復活した。非正規労働の拡大による労働の劣化は、新自由主義政策による必然的な結果であった。
 以下、本論では、新自由主義的な労働の規制緩和の後、いつから、どのようにして、このような動きが反転していったのか。労働の規制緩和から労働再規制に向けて、その反転の起点と背景、要因、プロセスなどについて検討することにしたい。

Ⅱ 労働政策における新自由主義の展開

 (1)日本における新自由主義政策の開始
 日本における新自由主義政策の開始は、中曽根内閣の「臨調・行革路線」であった。これには、もちろん、レーガノミクスやサッチャーリズムと同様の背景が存在した。しかし、同時に、日本独自の事情もあった。それは、財政赤字の解決が主題であり、予防的端緒的性格をもっていたということである。そのために、中曽根「臨調・行革路線」として開始された新自由主義政策は、「バブル経済」によって景気が拡大し、税収増によって財政赤字問題が解決されるにつれて下火になっていった。

 (2)具体化における3つの段階
 中曽根内閣の「臨調・行革路線」は日本における新自由主義政策の第1段階であった。その後、「バブル経済」は91年に崩壊し、以後、「失われた10年」と呼ばれる景気後退期が訪れる。年次改革要望書などを通じたアメリカからの「ワシントン・コンセンサス」実施に向けての圧力も強まった。こうして、新自由主義政策の第2段階が訪れる。その頂点は橋本内閣が打ち出した「6大改革」であった。
 しかし、橋本内閣は消費税の導入による「9兆円の負担増」や経済政策の失敗によって97年参院選で敗北した。その後の経済不況の下で景気対策が最優先され、再び、新自由主義政策からの揺れ戻しが生ずる。これを不満とし、「郵政民営化」と「構造改革」を掲げて登場したのが小泉純一郎であった。これが新自由主義政策の第3段階であり、日本における新自由主義政策の最盛期を意味する。
 この間、特徴的だったのは、労働分野における規制緩和は比較的一貫して進められてきたということである。それは、主として、労働市場政策と労働時間政策の領域で具体化されたが、このうち、労働市場政策における派遣労働の規制緩和は、1986年における労働者派遣法の制定、99年におけるポジティブリスト方式からネガテブリスト方式への逆転、04年の製造業への派遣労働の拡大などの段階を追って進められてきた。

 (3)小泉構造改革の位置
 大方の予想を裏切り、大衆的な支持を背景に首相となった小泉純一郎は、新自由主義政策の現代版とも言うべき「構造改革」を打ち出した。これは、目的意識的な規制緩和策であり、「官から民へ」というスローガンに示されるような官業の民営化を目指していた。その中心的な施策、いわば「本丸」として位置づけられていたのが郵政事業の民営化であった。
 小泉首相は、既得権維持にこだわる「抵抗勢力」として自民党や官僚を描き出し、「自民党をぶっ壊す」というスローガンを掲げ、これら「抵抗勢力」との意識的な対決を演出して国民の支持を集めた。それは、政官癒着と官僚主導型の「日本型」から脱却し、民間主導の「アメリカ型」への転換をも意味した。
 このような政策転換を行うために、小泉首相は経済財政諮問会議と総合規制改革会議(04年には規制改革・民間開放推進会議、07年には規制改革会議に改組)という二つの戦略的な政策形成機関の利用を図った。これらの機関を通じて、トップダウン型の政策形成、労働の排除、政策課題の設定、期間の限定などの新たな政治手法が駆使されることになる(1)。

Ⅲ 2006年の転換

 (1)背景
 しかし、小泉内閣の下で最盛期を迎えた新自由主義政策は、その後、徐々に見直されていく。これが、構造改革路線からの反転である。それは、密かに2006年から開始されていたように思われる。その背景として重要だと思われるのは、以下の4点である。
 第1は、政治的背景である。06年9月に小泉首相は退陣し、安倍内閣が成立した。安倍首相は基本的には構造改革路線を受け継いだものの、同時に「再チャレンジ」を掲げ、構造改革によって生じた社会の歪みに対しても対応せざるを得なかった。また、12月には「郵政造反議員」の自民党への復党を認めるなど、徐々に小泉首相との距離を置き始める。
 第2は、経済的背景であり、格差の拡大と貧困の増大が明確になってきた。労働分配率は01年度の74.2%をピークに下がり始め、05年度は70.6%に落ち込む。労働者の賃金も下がり続け、97年度には467万4000円だったサラリーマンの平均年間給与総額は05年度には436万8000円となり、8年連続でダウンした(2)。非正規雇用者は3割を超え、日本の労働者(雇用者)の4人に1人は年収150万円未満、半分は300万円未満となった。
 第3は、社会的背景である。構造改革の「負の側面」を示す事象は、社会の様々な面でも明らかになってきた。2005年4月にJR西日本福知山線での通勤電車の脱線・転覆事故が発生し、06年1月23日には、ライブドアグループの証券取引法違反事件で「ホリエモン」こと堀江貴文容疑者ら4人が東京地検特捜部によって逮捕された。6月5日には、証券取引法違反の疑いで村上ファンドの村上世彰代表らも東京地検特捜部に逮捕されている。規制緩和の下で企業経営者の倫理は低下し、企業犯罪や不祥事が激増した。
 そして第4に、国際的背景をあげる必要があろう。端的に言えば、「アメリカ・モデル」に対する疑義と懸念の増大である。「ワシントン・コンセンサス」は中南米やアジアなどで失敗し、イラク政策は破綻した。06年11月の中間選挙で民主党は上下両院で圧勝し、サブプライムローンの焦げ付きなどでアメリカ経済は失速した。市場原理主義に基づくマネー資本主義の危うさは、すでに06年の段階でも明らかになっていたのである。

 (2)要因
 こうして、小泉構造改革からの反転は、06年から徐々に進みはじめる。そのような変化を生み出した要因として注目したいのは、マスコミの役割と労働運動の力である。
 第1に、マスコミの役割である。06年には、貧困化や格差の拡大、ワーキングプアについての報道が相次ぎ、社会の底辺で生じている大きな変化に光を当てる役割を果たした。7月23日にはテレビがNHKスペシャル「ワーキングプア」の第一弾を放映し、『朝日新聞』7月31日付は「偽装請負 製造業で横行」「実質は派遣、簡単にクビ」という記事を一面で報じた。9月11日には、『週刊東洋経済』が「日本版ワーキングプア 働いても貧しい人たち」という特集を組み(3)、橘木俊詔『格差社会―何が問題なのか』が9月に、中野麻美『労働ダンピング』が10月に刊行されている(4)。
 第2に、労働運動の力である。労働運動における変化は、非正規労働者によるユニオンの結成、パート労働者の組織化、ナショナルセンターのレベルでの新たな取り組み、共同の進展などの面で生じた。特にこのなかでも、非正規労働者のユニオンの結成は06年から目立ち、日本マクドナルドユニオン、日本ケンタッキーフライドチキンユニオン、フルキャストユニオン、「ガテン系連帯」、すき家ユニオン、KDDIエボルバユニオンなどが誕生した。ナショナルセンター・レベルでは、連合は07年に「非正規労働センター」を設立し、全労連も08年に「非正規雇用労働者全国センター(準備会)」を発足させ、非正規労働者に対する取組を本格化した。

 (3)転換の進展
 このようにして、06年を転機に、新自由主義政策からの密かな反転が生じた。それは、07年から08年にかけて様々な分野に波及していく。そのプロセスには揺れ戻しや紆余曲折もあったが、基本的には逆転することはなかった。
 まず、第1に指摘しておくべきは、経済財政諮問会議の変容である。05年10月に小泉首相は内閣改造を行い、竹中平蔵経済財政担当相は総務相へと異動した。これによって司会役だった竹中は一参加者にすぎなくなる。会議内でのリーダーシップを失った竹中は「諮問会議の景色が、これまでとはどこか違って見えた(5)」という。06年秋には小泉首相自身が内閣を去り、「安倍晋三内閣のもとでの経済財政諮問会議では、官および与党内からの猛烈な巻き返しが展開された(6)」のである。
 八代尚宏が経済財政諮問会議に加わり「労働ビッグバン」を唱えたのは、この後のことであった。すでに、諮問会議は構造改革の司令塔としての役割を低下させていたのである。06年の秋、ホワイトカラー・エグゼンプション問題で激しい対立が生じて制度導入に失敗したこと、翌07年1月の「労働国会」が不発に終わったことの背景には、経済財政諮問会議が変容し、規制緩和に向けての指導力が低下していたという事情があった。
 第2に指摘しなければならないのは、ワーク・ライフ・バランス(WLB)論の提起と具体化の動きである。経済財政諮問会議の変質に気づいた八代議員は主張を修正してむき出しの規制緩和論を自制するようになり、「改心(7)」したとの見方さえ生まれた。経済財政諮問会議内に労働市場改革専門調査会が設置され、八代はその主査となって提起したのが、労働と生活の調和を図るべきだというWLB論である。
 その後、これは具体化が図られ、07年7月13日にワーク・ライフ・バランス推進官民トップ会議が設置され、12月18日には「仕事と生活の調和(ワーク・ライフ・バランス)憲章(8)」、「仕事と生活の調和推進のための行動指針(9)」が策定された。これは「別紙」で、5年後、10年後を目指した労働時間短縮や年次有給休暇取得率の数値目標を明らかにしており、労働時間の再規制を政策課題として提起することになる。
 第3に、最低賃金の引き上げに向けての新た動きである。これには、最低賃金法(最賃法)の改正と中央最低賃金審議会(中賃)への圧力という二つの流れがあった。法改正は、「健康で文化的な最低限度の生活を営むことができるよう」との文言を加えて、07年11月28日に成立した。
 中賃への圧力は成長力底上げ戦略推進円卓会議によってなされた。中賃の答申が出される直前の7月9日、第3回会議で「従来の考え方の単なる延長線上ではなく、……『賃金の底上げ』を図る趣旨に沿った引上げが図られるよう十分審議」するようにとの「合意」がなされ、翌08年においても、円卓会議は6月20日に「賃金の底上げを図る趣旨から、……当面五年間程度で引き上げる」との方針を示したのである。
 第4に、規制改革会議と厚労省との攻防がある。規制改革会議の労働タスクフォースは07年5月に「脱格差と活力をもたらす労働市場へ(10)」という文書を出し、「一部に残存する神話のように、労働者の権利を強めれば、その労働者の保護が図られるという考え方は間違っている」と主張した。これはそのまま規制改革会議の第2次答申(11)に組み込まれた。
 他方、厚生労働省は雇用・労働政策の基軸・方向性に関する研究会での検討を進め、8月に「『上質な市場社会』に向けて(12)」という報告書を公表し、「上質な市場社会」では、「多様性」以前に、「公正」と「安定」を重視すべきだと主張した。そこに出てきたのが規制改革会議の第2次答申であった。これが12月25日に公表されると、すぐさま厚労省は「当省の基本的考え方と見解を異にする部分が少なくない」との反論(13)を明らかにした。わずか3日後という素早さであった。その結果、規制改革会議は08年2月に「労働者の保護に必要な法的な手当を行うべきことは当然である」と釈明せざるを得なくなるのである(14)。

Ⅳ 現段階と展望

 新自由主義的構造改革からの反転は福田内閣の下でさらに強まり、自民党内部の路線上の亀裂も深まっていく。福田前首相が政権を投げ出した深層には、このような路線対立が存在していた。それは、その後の自民党総裁選挙でも争点となったが、構造改革を継承派は分裂し、党内の多数派となることはできなかった。その後のリーマン・ショックによる国際的な新自由主義の破綻を待つまでもなく、国内政治における新自由主義路線の行き詰まりと反転はますます明瞭になっていった。
 第1に、「骨太の方針2008(15)」である。その特徴として、「構造改革」「民間開放」「労働市場改革」という用語が本文の記述から消えたこと、「労働市場改革」からWLB論への重点移動がみられることが指摘できる。いずれも、これまでの「骨太の方針」とは異なるものであり、構造改革路線からの離反を示すものだと言える。
 また、雇用・労働問題の扱われかたを見ると、期間を区切った数値目標の提示がなされていること、厚労省が提起した「新雇用戦略」が採用されていることなどの特徴がある。これらも、基本的には厚労省の主張によるものであり、「官僚の復権」を示していると言えよう(16)。
 第2に、規制改革会議の動きである。07年暮れに厚労省に反論されて以来、その活動は停滞していたが、7月から年末の答申に向けての活動を再開し、12月22日に第3次答申(17)が出した。その「5 社会基盤」の「(2)労働分野(18)」で労働が扱われている。ここには規制改革会議の守勢と抵抗という二面性が示され、一方で「環境変化を意識した労働者保護政策が必要」であることを認めながらも、他方で、「真の労働者保護は規制の強化により達成されるものではな」いと主張していた。
 この規制改革会議の「第3次答申」に対して、厚労省は12月26日に「規制改革会議『第3次答申』に対する厚生労働省の考え方(19)」を示して直ちに厳しい批判と反論を行った。つまり、07年暮れの第2次答申の時と同様のパターンが繰り返されたのである。
 最後に、新自由主義や構造改革からの反転、労働再規制に向けてのいくつかの動きを見ておこう。当面の焦点は労働者派遣法の改正問題に結ばれている。相次ぐ派遣法の改正によって派遣労働者が急増し(20)、日雇い派遣がワーキングプアの温床となっただけでなく、「派遣切り」による大量解雇が発生したからである。
 舛添要一厚生労働大臣は製造業派遣を禁止する必要性に言及し、民主党の枝野幸男議員は「労働者派遣法の改悪に賛成したのは間違いだった」と認めるにいたった。広島労働局の落合淳一局長は製造業への派遣を解禁した03年の改正について「私はもともと問題がある制度だと思っている」と述べ、「謝りたい」と発言している。
 09年1月、第171通常国会への施政方針演説(21)で麻生首相は「市場にゆだねればすべてが良くなる、というものではありません」と語った。これに対する代表質問で、自民党の尾辻参院議員会長は「政府の規制改革会議は、派遣労働の対象業務原則自由化などの答申で、労働者派遣法を変えてきた。……経済財政諮問会議は市場原理主義を唱えてきたが、間違いだったことは世界の不況が証明している。その責任は重い。両会議は廃止すべきだ。(22)」と迫った。06年からの「反転」は、ここまで進んできたのである。

Ⅴ むすび

 「このごろ、しみじみ思うんだよ。市場原理の経済は良かったのかと。アメリカ式じゃなく、まろやか、おだやかな世界をつくらないと、東洋的な世界をね。負け組にも入れない国民を生み出す政治はどうにか直さなきゃいかん。そのために政治のかたちを変えなきゃいかんと考えているんだよ(23)」

 これは森喜朗元首相の述懐である。この人まで、こんなことを言い出すようになった。
 「市場原理の経済は良かったのか」との疑念の高まりとともに、80年代の初め以降、約4分の1世紀に及んだ新自由主義の時代は終わろうとしている。新自由主義政策の重要な構成部分だった労働の規制緩和も反転し、労働再規制に向けての動きを強めている。その「終わりの始まり」は2006年であった。
 反転のプロセスは、政治・経済・社会・国際面における変化、マスコミと労働運動による働きかけを背景に、自民党雇用・生活調査会の発足、経済財政諮問会議内での意見の違い、労働改革専門調査会と規制改革会議やタスクフォースとの違い、「今井・宮内論争」に示される財界内での違いなど、「政官財」の内部で分岐した多様な勢力間の複雑な作用によって生じた。その結果、規制緩和の急先鋒だった規制改革会議は孤立していく。
 こうして、新自由主義政策の推進モデルだった「アメリカ型」からの反転が生じたが、次の段階は旧「日本型」という過去への復帰ではなく、新たな路線である「第三の道」の探求でなければならない。その「政策的な軸」は、①日本国憲法第25条や第27条などの理念を政治と生活に活かす「活憲(24)」、②アメリカからの自立と独自のイノベーション戦略の策定、③労働再規制など、大企業の側ではなく労働者、生活者の側に立った政策転換である。
 新自由主義によって日本の労働は荒廃し、ワーキングプアが急増した。働いても生活できないような社会は異常であり、再生産による持続機能を失っている。この異常を正し、日本を持続可能な社会とするために、再規制によって労働の歪みを是正することは急務である。

(1)これについて、詳しくは、拙稿「労働政治の構造変化と労働組合の対応」『大原社会問題研究所雑誌』第580号(2007年3月号)参照。
(2)『東京新聞』2007年1月23日付。
(3)この特集を取材した風間直樹は、後に『雇用融解―これが新しい「日本型雇用」なのか』東洋経済新報社、2007年、を出版した。
(4)中野麻美『労働ダンピング』岩波新書、2006年、橘木俊詔『格差社会―何が問題なのか』岩波新書、2006年。
(5)竹中平蔵『構造改革の真実―竹中平蔵大臣日誌』日本経済新聞出版社、2006年、298頁。
(6)竹中平蔵『闘う経済学―未来を作る[公共政策論]入門』集英社インターナショナル、2008年、210頁。
(7)濱口桂一郎「『労働ビッグバン』を解読する」『世界』2007年11月号、90頁。
(8)「仕事と生活の調和(ワーク・ライフ・バランス)憲章」については、http://www8.cao.go.jp/wlb/government/pdf/charter.pdfを参照。
(9)「仕事と生活の調和推進のための行動指針」については、http://www8.cao.go.jp/wlb/government/pdf/indicator.pdfを参照。
(10)規制改革会議再チャレンジワーキンググループ労働タスクフォースの「脱格差と活力をもたらす労働市場へ-労働法制の抜本的見直しを」については、http://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/publication/2007/0521/item070521_01.pdfを参照。
(11)規制改革会議「規制改革推進のための第2次答申-規制の集中改革プログラム」については、http://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/publication/2007/1225/item071225_02.pdfを参照。
(12)『雇用労働政策の基軸・方向性に関する研究会』報告書「『上質な市場社会』に向けて-公正、安定、多様性」については、http://www.mhlw.go.jp/shingi/2007/08/dl/s0809-3a.pdfを参照。
(13)厚生労働省「規制改革会議『第二次答申』に対する厚生労働省の考え方」については、http://www.mhlw.go.jp/houdou/2007/12/h1228-4.htmlを参照。
(14)以上の経緯について、詳しくは、拙著『労働再規制-反転の構図を読みとく』ちくま新書、2008年、とりわけ「第8章 規制改革会議の孤立と弁明」を参照。
(15)閣議決定「経済財政改革の基本方針2008 -開かれた国、全員参加の成長、環境との共生」については、http://www.kantei.go.jp/jp/singi/keizai/kakugi/080627kettei.pdfを参照。
(16)これについて、詳しくは、拙稿「労働の規制緩和の現段階―『骨太の方針2008』の意味するもの」『賃金と社会保障』No.1472(2008年8月下旬号)を参照。
(17)「規制改革推進のための第3次答申-規制の集中改革プログラム」の概要についてはhttp://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/publication/2008/1222/item081222_00.pdfを参照。
(18)(2)の労働分野についてはhttp://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/publication/2008/1222/item081222_18.pdf を参照。
(19)厚生労働省「規制改革会議『第3次答申』に対する厚生労働省の考え方」については、http://www.mhlw.go.jp/houdou/2008/12/dl/h1226-12a.pdfを参照。
(20)拙稿「こうして貧困は作られた-派遣法に焦点を当てた労働法制の変遷」『週刊金曜日』2009年1月30日付(第736号)を参照。
(21)「第171回国会における麻生内閣総理大臣施政方針演説」http://www.kantei.go.jp/jp/asospeech/2009/01/28housin.htmlを参照。
(22)『読売新聞』2009年1月31日付。
(23)「特集ワイド」での森喜朗元首相インタビュー(『毎日新聞』12月24日付夕刊)。
(24)「活憲」については、拙著『活憲-「特上の国」づくりをめざして』(績文堂・山吹書店)、2005年、参照。

5月14日(木) 『毎日新聞』の世論調査が示すもの [政局]

 今日の『毎日新聞』に興味深い調査が出ています。小沢辞任が表明された後の12日と13日に行われた緊急の世論調査の結果です。
 鴻池官房副長官の女性スキャンダルにからんだ辞任は、まだ発表されていません。これを報道した『週刊新潮』が発売されたのは昨日(13日)のことですから……。

 この調査でも、小沢さんの後任の代表にふさわしい人としては、岡田克也副代表との回答が最多の25%で、鳩山由紀夫幹事長の13%を12ポイントも上回っています。やはり、世論は岡田新代表を待望しているということになります。
 岡田さんについては、かつて消費税の増税を主張していたこと、背後に前原元代表が控えていることなど、大いに気がかりな点があります。しかし、当面の総選挙で自民党を政権の座から追い落とすためには、岡田さんを“利用”する以外にありません。
 将来に気がかりがあるとはいえ、当面の決戦を最優先せざるを得ない。そのためには岡田さんの方がよろしかろう、というのが私の判断です。

 これまで小沢執行部を支えてきた鳩山さんでは、変わり映えしません。「小沢後継」とされる鳩山さんを、自民党は「小沢に操られたロボットだ」と言い立てるでしょう。
 それに、鳩山さんも4代目の政治家で、ある意味では世襲議員の一人です。この問題で自民党を追及するどころか、本人が追及されてしまう恐れがあります。
 “新生民主党をアピールする”という点からいえば、鳩山さんでは役不足だといわざるを得ません。もっとも、“小沢亜流で良いんだ”というのであれば、話は別ですが……。

その小沢さんですが、世論の見方には厳しいものがあります。公設秘書の政治資金規正法違反事件に関する説明責任を十分果たしたと「思わない」との回答は8割以上(83%)にも上っています。
 また、「小沢代表の辞任を評価しますか」という問いへの回答は、評価する49%、評価しない47%と拮抗しています。「辞めるのが遅すぎた」という回答は7割弱(66%)もあります。
 つまり世論は、いまさら辞めるというのでは評価に値しないと考えているようです。せっかくの小沢さんの決断でしたが、世論の見方には厳しいものがあり、「小沢亜流」にも厳しい目が向けられる可能性があるということになります。

 他方の麻生さんですが、内閣の支持率は前回調査(4月10、11日)から3ポイント増の27%にすぎません。「上げ止まった」ということでしょう。逆に不支持率は、過半数以上(52%)のままです。
 注目されるのは、支持率の回復を狙ってバラ撒いた低額給付金への評価が35%と、前回調査より4ポイント低くなったことです。昨夜、衆院を通過した補正予算案に対しても、「評価する」と答えた人は37%にとどまり、半分以上(54%)が「評価しない」としています。
 きっと、麻生さんは頭を抱えていることでしょう。内閣支持率は伸び悩み、総額15.4兆円もの「大盤振る舞い」のバラ撒き経済対策の目途が付いたというのに評価されず、しかも、8ヵ月で4人目の閣僚辞任で内閣と首相の統治能力が問われる事態になっているのですから……。

 政党支持率では、自民27%、民主24%と自民が民主を上回りました。これは麻生内閣発足直後の08年9月の調査以来のことだそうです。
 でも、「次の衆院選で自民党と民主党のどちらに勝ってほしいか」という質問では、民主党が前回比3ポイント増の45%で、自民党は2ポイント増の34%にすぎません。民主党に勝って欲しいと望んでいる人は、11ポイントも多いということになります。
 この傾向は、昨年10月から一貫しているそうです。ということは、民主党を支持していない人も、次の衆院選では民主党に勝って欲しいと願っているということになります。

 このような願いに答えるのが、民主党の責任でしょう。そのために誰を看板にするのかが、今度の代表選の意味なのです。
 その点では、残念ながら、せっかくのチャンスを十分に生かしていないように見えます。せめて、投票日を16日(土)ではなく18日(月)にし、土曜日と日曜日には繁華街で街頭演説でもすれば良かったのに、と思います。
 そうすれば、マスコミは大きく取り上げ、もっと民主党を売り込むことができたでしょう。まだまだ、マスコミの利用や世論対策では、民主党は未熟だということでしょうか。

 もし、私が民主党の“策士”なら、月曜日を投票日にして土日を使い選挙戦を大いに盛り上げ、鳩山有利の情報を意識的に流し、月曜日の代表選には地方代表も加え、不利とされていた岡田さんを選出して世間をアッと言わせるんですが。その昔、自民党の総裁選で小泉さんが選ばれたときのように……。
 今の民主党には、そんな“策士”はいないんでしょうね、多分。

5月13日(水) 国民が望み、与党が嫌がるような選択を [政党]

 小沢民主党代表の辞任に続いて、鴻池官房副長官が女性スキャンダルの責任を取って病院に逃げ込み、辞任しました。政局は、流動性を増しつつあります。

 総選挙という決戦を間近に控えた今、何を判断の基準とすべきでしょうか。それは、“変革”の実現のために何をするべきかということです。
 このままでは、日本はお終いです。変えなければなりません。
 そのためには、さし当たり、政治を変えることが必要であり、そのためには政権を変えなければなりません。

 私は小沢さんの辞任を求めましたが、だからといって、民主党をここまでにした小沢さんの功績を認めていないわけではありません。その逆です。
 「偽メール事件」で窮地に陥った民主党を救い、参院での与野党逆転を実現し、衆院での政権交代を展望できるところまで民主党を育てたのは、小沢さんの大きな功績でした。それを無にしないためにこそ、辞任を求めました。

 このままでは、野党が総選挙で勝利し、与野党逆転を実現するのが難しいと考えたからです。「生かさず殺さず、ズルズル行った方が有利だ」と、与党が考えているように見えたからです。
 小沢続投は総選挙での政権交代を困難にするというのが、私の判断でした。そしてそれは、小沢さん自身の判断でもありました。
 こうして、自らが切り開いてきた政権交代の可能性を無にしないため、小沢さんは大きな決断をしました。それが、民主党の代表辞任だったと思います。

 後任の代表には岡田さんと鳩山さんの2人が立候補の意向を示し、一騎打ちになると見られています。党内の基盤では鳩山さんが有利、国民の世論では岡田さんが有利というのが、マスコミの見立てです。
 政治家としての実績や信頼感という点ではいずれも遜色ありません。総選挙で勝てるのならどちらでも良いでしょう。
 でも、国民の支持の多い方が民主党にとっても好都合なのではないでしょうか。相手にとってやりにくい、嫌がる方を選択するというのが、戦いの常套手段だと思うのですが……。

 かつて民主党は、党全体として自民党と新自由主義的政策を競いあったという過去を持っています。岡田さんにしても鳩山さんにしても、この点は似たようなものです。
 とはいえ、まずは“変革”の実現を……。そのために最善のリーダーを選ぶということを、民主党は考えるべきです。

5月12日(火) 民主党は岡田代表・長妻幹事長の新体制で反転攻勢に転じよ [政党]

 昨夕、民主党の小沢代表が正式に辞意表明を行いました。民主党は本日午前の党役員会と常任幹事会で小沢代表の辞任を了承し、16日(土)に両院議員総会を開いて所属国会議員による選挙を行い、同日中に新代表を選出するという日程を決めました。

 土曜日に向けて、小沢辞任に伴う後継選びが注目を集めることになりそうです。代表選出後、鳩山幹事長は辞任するとの意向を示していますから、幹事長も選ぶ必要があります。
 代表人事は、実績があって安心感を持たせる人選でなければなりません。次の総選挙で勝利すれば総理大臣になる可能性のある人ですから、それなりの実績があって、ある程度納得を得られる人を考えるべきです。
 昨日のブログで、私が岡田さんの名前を挙げたのは、このような意味からです。総選挙目当ての意外性人事では、首相になってからが心配です。

 過去3代にわたって、日本の首相は不作続きでした。適格性に欠ける疑い濃厚な政治家が続いたため、世襲禁止が唱えられるようになったほどです。
 無能な首相が続いた後ですから、誰がなってもまともに見えるということはあるでしょう。漢字を読み間違えないだけで現首相よりましだというのであれば、後継首相にとっては大変やりやすい状況かもしれません。
 しかし他方で、3代も無能な首相が続いた後に、またも信頼感に欠ける首相が登場するなどというのでは目も当てられません。この点で、次に登場する首相の責任は重大であり、民主党の代表選出もこのような事情を考慮に入れる必要があるでしょう。

 しかし、幹事長人事は別です。思い切った冒険をすることができます。若手や女性を起用して、大方の予想を裏切る斬新な新機軸を打ち出すことを考えても良いのではないでしょうか。
 この間、年金問題などで大活躍した長妻昭さんなどを起用するというのも一案でしょう。女性では、小沢さんに辞任を迫った小宮山さんでしょうか。
 いずれにしても、これまでの幹事長経験者の中から選ぶなどという無難な人選をしてはなりません。代表は堅実に、幹事長はサプライズを、ということで考えていただきたいものです。

 ということで、民主党は速やかに岡田克也代表、長妻昭幹事長の新体制を整えて、反転攻勢の準備を初めるべきでしょう。総選挙に向けての最終兵器「小沢辞任」を有効に活用し、民主党が生まれ変わるチャンスとしてもらいたいものです。

5月11日(月) 危ないところで間に合った小沢辞任 [政党]

 西松建設の献金問題で窮地に立っていた民主党の小沢代表が辞任する意向を固め、民主党幹部に伝えたというニュースが飛び込んできました。危ないところでしたが、滑り込みセーフというところでしょうか。
 これ以上遅くなると、総選挙に間に合わなくなる可能性がありました。「早く辞めろ」という声が高まり、それに押されて引きずり下ろされるというような醜態は、小沢さん自身にとっても避けて欲しいところでした。
 そうならなくて、ホッとしています。

 私は、3月30日のブログ「小沢さんは『身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もあれ』作戦に出るしかない」で、次のように書きました。

 こうなったら、「身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もあれ」作戦に出るしかないでしょう。最も良いタイミングで「身を捨てて」もらいたいものです。出処進退を過って、晩節を汚すようなことだけはして欲しくありません。

 また、4月17日のブログ「小沢代表辞任こそ、政権交代のための最大の武器」でも、次のように書きました。

 小沢さんは、昨日、連合の中央執行委員会に出席して、次の総選挙について「政治人生の最後の決戦の場と考えている。政権交代が実現できないと死んでも死にきれない」と語ったそうです。「政権交代を最大の目標にするという観点に立って、すべてを判断して参りたい」とも述べ、秘書が起訴された違法献金事件で浮上した自らの進退問題については、総選挙への影響を踏まえて判断する考えを改めて示したといいます。
 何を言ってんでしょうか。総選挙への悪影響なんて、誰の目にも明らかでしょう。それが分かっていないのは、小沢さんだけです。
それが理解できない程度の政治的センスしかないということでは困ります。小沢代表辞任こそ、政権交代のための最大の武器になっているということが、どうして理解できないのでしょうか。

 小沢代表の辞任を求めているのは、政権交代を望んでいる人々です。逆に、政権交代を阻止したいと願っている人々が続投を勧めているのです。その“悪魔のささやき”に耳を傾けてはなりません。
 昨日、民主党最高顧問の渡部恒三さんは「(小沢氏は秘書が起訴された3月)24日に辞めると思っていた」としたうえで、「遊説で歩くと、この1カ月、少しずつ民主党への期待感が薄れている感じがする」と指摘し、「衆院選で過半数をとって政権交代しないといけない。後世の人から『あの時小沢さんは立派な判断をした』と言ってもらえる判断をしてくれると信じている」と述べたそうです。小沢さんの自発的な辞任に期待感を示したわけです。
 私も、そうあって欲しいと思います。でも、総選挙まで、残された時間はそう多くありません。
 「決断の時」は、近づいています。「政権交代を最大の目標にするという観点に立って、すべてを判断」してもらいたいものです。「政権交代が実現できないと死んでも死にきれない」という思いは、何も、小沢さん一人のものではないのですから……。

 ということで、小沢さんが辞任の意向を固めたというニュースは、私にとっては意外なものではありません。こうなることは避けられなかった以上、もっと早く決断するべきだったとは思いますが、しかし、ギリギリの時点で間に合ったように思います。
 民主党は、この小沢さんの決断を無にせず、態勢を立て直して全面的な攻勢に転じ、自公政権を追い込んでいってもらいたいものです。決戦の時は近づいています。グズグズしている暇はありません。

 とはいえ、小沢さんが辞任したとしても、それで「一件落着」というわけにはいきません。さし当たり、3つのことが必要です。
 一つは、西松建設などによる企業献金の実態解明です。小沢さん自身が説明責任を果たさなければなりません。また、二階経産相など自民党側にも多額の献金が行われているわけで、小沢さんが責任を取った以上、いかがわしい献金を受け取ったとして名前が出ている二階さんなども責任を取るべきです。
 もう一つは、「国策捜査」と言われるような問題があったのではないかという疑惑が解明されなければなりません。東京地検特捜部は、今回の捜査のあり方について国民が納得できるような説明をするべきでしょう。
 3番目は、小沢さんの「躓きの石」となった企業献金は、全面的に禁止されるべきだということです。民主党は、次期総選挙のマニフェストに企業・団体献金の禁止を盛り込むそうですが、直ちに実施する方向で具体化するべきでしょう。

 さて、小沢さんが辞めた後、誰が後継の代表になるかということが次の問題です。岡田克也さんしかいないのではないでしょうか。
 菅さんや鳩山さんも悪くはないと思いますが、しかし、現執行部の一員です。これまで小沢代表を支えてきたという経緯からすれば、代わって先頭に立つというわけにはいかないでしょう。
 しかし、現執行部が総退陣するというのも、総選挙を前にしているのですから、好ましくありません。決戦直前の非常時ですから、代表だけが交代し、現執行部はそのまま残るというのが最善でしょう。小沢さんは、“黒子”として総選挙を取り仕切る形にすれば、マイナスをプラスに転ずることができます。

 いずれにしても、決戦の時は差し迫っています。小沢さんは、政権交代のために「身を捨てる」決意をしました。総選挙での勝利という「浮かぶ瀬」をめざして、民主党には本格的な進軍を開始してもらいたいものです。


5月7日(木) ふる里での休暇を終えて東京に戻ってきました [日常]

 昨日、ふる里・新潟での休暇を終えて、東京の自宅に戻ってきました。連休後半は東京は雨だったようですが、新潟では雨は降らず、比較的好天に恵まれました。

 3日は東京から阿賀野市五頭温泉郷にできた友人の別荘兼ギャラリーに行きました。途中、新潟駅で同じく東京や埼玉から来た友人たちと落ち合い、白鳥で有名な瓢湖のある水原駅に向かいます。
 このうち一組の友人夫婦とは15年ぶりの再会でした。懐かしさ一杯で話をしているうちに、あっという間に到着です。
 駅には、新築されたギャラリーの主である村上君たちが車で迎えに来ました。2台の車に3夫婦が分乗し、ギャラリー「木り香(きりか)」へと向かいます。

 20分ほど走って到着しました。無垢の木をふんだんに使った日本家屋で2階建てです。1階は展示室になっていて、2階には寝室とゲスト用の部屋がありました。
 まだできたてですから、ギャラリーの名前通り、木の香りに満ちあふれています。近くには、「出湯(でゆ)温泉」があって、そこの共同浴場に入りました。
 驚いたことに「五十嵐邸」という豪農の館もあり、その隣のブリュワリーでは地ビールを売っています。白鳥の絵が描かれたスワンビールを買ってきましたが、黒ビールもヴァイツェンも美味しかったです。

 この日、集まったのは高校時代の友人とそのパートナーなど、総勢17人にも上りました。高校を出てから40年になりますが、都合で来られなかった人を含めれば、20人を超えるでしょう。
 今もなお、これだけの友人が集まるということに、感謝したいと思いました。このような友達関係こそ、私の貴重な財産です。
 この日の夜は、近くのペンションの一棟を借り切り、遅くまでの大宴会です。飲みきれないほど集まった日本酒やワインを、お土産にいただきました。村上君、ありがとう。

 翌日は、車に分乗してギャラリーの周りをめぐった後、私たちは直江津に帰る友人に乗せてもらって寺泊に向かいました。友人が「混んでるよ」と言って渋るのも聞かず、行ってみて初めて分かりました。「魚のアメ横」として売り出し中の寺泊人気のすごさを。
 カーナビに2.5キロの表示が出たころから、のろのろ運転になり、近づくにつれてスピードが落ちます。大渋滞の中、途中、道を間違えたりしてやっと辿り着きましたが、人、人、人の群れです。
 新潟の実家への土産にする魚と蟹を買い込んで、早々に引き上げました。でも、その後は快調で、実家に帰り着いたのは、予定時間ピッタリです。笠原君、ありがとう。

 この日の夜、富山にいる息子もやってきて、またも宴会。翌日の朝早く、息子と連れだって近くの海岸まで散歩して驚きました。
 海岸の砂浜で人が列をなして棹を垂れており、海に突き出している堤防の上にも人が鈴なりです。海沿いの道路脇には、見渡す限り長野や松本ナンバーの車が駐車し、来る途中に横切ってきたバイパスよりも多くの車が行き交っていました。
 ビックリ仰天です。別世界に入り込んだようです。

 途中、立派な魚をぶら下げた地元の人に話を聞きました。すると、こう仰います。
 「ここは良く釣れるから、隠れた海釣りの名所になっているんだよ。最近、雑誌にも紹介され、どっと人が来るようになっちゃった。それに、ETC効果もあるんじゃないの」
 夜のうちに長野から出発し、高速道路をぶっ飛ばせば1~2時間でここに来ることができます。朝のうちにキス釣りを楽しんで、午後、近くの温泉に入って帰宅するという、手軽なレジャーを楽しむ人が増えているということなのでしょう。それにしても、この人の多さには驚きました。

 この日、私たちも息子の車で1時間ほどのところにある松代の芝峠温泉に行き、近くの「善屋」という蕎麦屋で昼食を取りました。新緑は目に染み込むようで、心地よい風に吹かれてのドライブです。
 途中、物産館で山菜や焼いたイワナ、地酒などを買い込みました。この日の夜も、三日連続の宴会となったことは言うまでもありません。

 ということで、楽しい休日を過ごすことができました。指定席を取らなかった帰りの列車も、JRのお客が減って例年より空いていたようで、問題なく座れました。
 これも、「ETC効果」かもしれません。プラスの「効果」はもちろんあるでしょうが、同時に、マイナスの「効果」が生じていることも忘れてはならないでしょう。