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6月30日(火) 政権交代後にとり組むべき最初の仕事は隠蔽されてきた秘密の開示 [政権交代]

 今日で、6月も終わりです。というより、1年の半分が過ぎ去ろうとしているわけです。まさに、「光陰矢のごとし」というところでしょうか。

 私にとっては、約1カ月間続いた「講演月間」の終了です。5月30日(土)の大阪に続いて、6月7日(日)の伊豆・伊東温泉、13日(土)の札幌、そして28日(日)の京都と、講演旅行が続きました。旅行好きの私にとっては楽しい1カ月でしたが、講演の内容を考えてレジュメを作り、宿を予約して切符を取るなど、それなりの苦労があります。
 こういうときです。秘書が欲しいと思うのは……。
 でも、旅というのは、計画を立ててあれこれ思いめぐらすときから始まっています。ホテルや切符の予約も、それなりに楽しいものです。

 ところで、60年の安保条約改定時に、核兵器搭載艦船の寄港などを日本政府が認めた「核持ち込み密約」について、村田良平元外務事務次官が前任次官から文書で「引き継ぎ」を受けていたと証言しました。すでに、この秘密交渉プロセスは、アメリカの公文書や日米の交渉当事者による証言でも明らかにされてきていますが、事務次官経験者が初めて実名で「密約」の存在を認めた意味は極めて大きいというべきでしょう。
 村田さんは、証言した理由について「(外務省を)辞めてもう十数年たち、冷戦も終わって時代が全く違う。だから、もういいだろうと判断した」と語っています。これに対して、相変わらず、河村建夫官房長官は「核持ち込みの事前協議がない以上、核持ち込みはない」と否定しました。

 『毎日新聞』紙上で、これについて村田さんは、概略、次のように語っています。

-事務次官になる前から密約の存在は知っていましたか。
 密約があるらしいということはいろんな意味で耳に入っていましたけど。密約に関する日本側の紙を見たのは事務次官になった時が初めてです。

-その時に初めて確認をされたということですか。
 まあ、確認もへったくれもない、ああそうだろうと思っただけです。ライシャワー(元駐日米大使)だったかな。「ずいぶん前にそういう約束がある」と言ったことが、アメリカの外交文書として公開された。日本の新聞が少し騒ぎましたよ。「ライシャワーがこんなことを言ってる」と。そうしたら政府は必死になって「いや、そんな密約はない。ない」と言った。アメリカが外交文書を公開して「密約があった」と言ってるのにね、日本は「そういう密約はない」と言ってる。どっちかが言ってることがウソなんです。どちらがウソかといえば、日本がウソをついていることは明らかですよ。

-密約についての引き継ぎの紙はどういう紙か覚えていますか?
 外務省で普通に使う事務用の紙ですよ。

-紙一枚なんですか。
 外務省で使う紙に書いて、封筒に入っていて、前任者(柳谷謙介氏)から私は渡された。「この内容は大臣に説明してくれよ」と言われて、それは(第3次中曽根内閣の)倉成(正・外相)さんと(竹下内閣の)宇野(宗佑)外務大臣には話しました。

-米国の外交文書の公開があって、日本が否定しましたが、その反応についてはどうみていたんですか。
 なんでそんなウソを言い続けるのかなとぶぜんたる気持ちになりましたね。どうせ明るみに出る話ですから、いつかは。遅かれ早かれ。

 村田さんは、「どうせ明るみに出る話ですから、いつかは。遅かれ早かれ」と述べています。それなのに、政府は、いつまで嘘をつき続けるつもりなのでしょうか。
 今は、しらばっくれることができても、すぐにその嘘はばれてしまうにちがいありません。今度の総選挙で与党が敗れれば、この問題を含む外交上の密約の全ては明らかにされるにちがいないのですから……。
 いや、外交問題だけではありません。内政を含むあらゆる秘密が明らかにされる必要があります。

 それが、政権交代の大きな意味です。新政権が何よりも先ず着手すべきことは、国民が知るべき事実を全て明らかにすることです。
 各省庁の奥深くに隠されている秘密を全て明らかにする。そのための準備を今から始めておくべきでしょう。


6月27日(土) やけくその「自爆解散」はあるのか [解散・総選挙]

 いよいよ、麻生首相は衆院の解散・総選挙に向けて準備を始めるようです。さし当たり、党役員人事を行うことで、臨戦態勢を固めようというわけです。
 選挙に向けて「アピール力」や「論戦力」のある自民党役員に代えるつもりでしょう。でも、党内からは反対の声もあります。
 それは、そうでしょう。今の役員からすれば、「お前たちでは総選挙は戦えない」と言われたようなものですから……。

 麻生さんが、ここにきてやる気を高めているのは、昨日書いたような「勘違い」があります。同時に、このままでは自分のクビが危なくなると、危機感を覚えたのでしょう。
 総選挙に大きく影響すると見られている二つの選挙での敗北が濃厚になっているからです。5日(日)投票の静岡県知事選と12日(日)投票の東京都議選です。
 もし、この二つの選挙で負ければ、徐々に強まりつつある「麻生降ろし」の火が一気に燃え上がります。麻生首相は、解散の主導権を失うだけでなく、首相の座から追い出されてしまう可能性も出てきます。

 そこで、麻生さんは考えたにちがいありません。自分の手で解散できるチャンスは二つの選挙の結果が明らかになる前しかない、と……。
 解散したら、もう総選挙から逃れることはできません。その後に、静岡県知事選で推薦候補が落選しようと、都議選で惨敗して民主党に第一党の座を明け渡そうと、投票日は確実にやってきます。
 そうなれば、総選挙での自民党の大敗は避けられません。それが分かっていながらの解散は、「自爆解散」にほかなりません。

 麻生さんは、徹頭徹尾、「自己愛の人」なのでしょう。自分可愛さのために解散を回避し続け、今度は、自分可愛さのために「自爆」覚悟で解散に打って出ようというのですから……。
 道連れにされるのは、自民党です。連立与党である公明党もとばっちりを受けることになります。
 これまでだって、国民の生活がどうなろうと総理の椅子にしがみ続けてきた麻生さんです。自民党や公明党が迷惑しようと、こう言うだけでしょう。
 「アッ、そう」

 もし、「自爆解散」が不発に終わるなら、残された道は、もう麻生首相自身の「自爆」しかありません。いずれにしましても、来週が一つのヤマ場になるのではないでしょうか。


6月26日(金) 勘違いでも早期解散すれば大歓迎 [スキャンダル]

 またまた、麻生さんにとっては困った事柄が発覚しました。あらたな「政治とカネ」の問題です。

 今度、名前が挙がったのは、鳩山前総務相の後任となった佐藤勉総務相です。公正取引委員会から排除勧告を受けた建設業者6社から、2001~07年の7年間に総額1142万円の献金を受け取っていたことが判明しました。
 佐藤さんは「政治資金規正法にのっとって適切に処理しているが、具体的な状況を調べてから(返還するなどの)対応をしたい」と答えました。結局、夜になって、都内で記者団に対し、佐藤さんは「中身を整理して、返金する方向で指示した」と語ったそうです。
 国会などで問題にされる前に、早く片付けて終わりにしたいということなのでしょう。でも、「返金する」ということは、本来、受け取ってはならないお金を受け取っていたということを、自ら認めたことにほかなりません。

 昨日、麻生さんは日本記者クラブで会見し、衆院解散・総選挙の時期について「きょう時期を申し上げることはないが、そう遠くない日だ」と述べました。7月上旬の解散、8月上旬総選挙の日程に含みを持たせたものと見られています。
 麻生さんがやる気満々なのは、民主党の鳩山由起夫代表のスキャンダルが『週刊新潮』で報道されたことと関係があるのかもしれません。麻生さんが待ちに待った「敵失」が、このような形で明らかになったと喜んだのでしょう。
 「これなら選挙で勝てる」と勘違いしたのかもしれません。勘違いでもいいんです、とっとと解散してくれれば大歓迎なのですが……。

 「次期総理の椅子に最も近い民主党代表は清廉な『白い鳩』か?」というのが、『週刊新潮』の記事の見出しです。「まさかの『故人献金』は氷山の一角。政治資金収支報告書から『献金者捏造』『架空住所記載』という悪質な嘘八百が浮かび上がった」と続いています。
 今日の『朝日新聞』の記事は、この続報に当たるでしょう。「『献金してない』証言次々 民主・鳩山氏の献金記載問題」というのですから……。
 『週刊新潮』と『朝日新聞』の連係プレーですか。「民主・鳩山たたき」ですから、『朝日』が『新潮』に近寄ったというところでしょうか。

 これで民主党の足が止まるとは思えませんが、事実であれば、きちんとした説明が必要でしょう。「鳩」だから白いとは限りませんし、金持ちだからといって「汚いカネ」に手を出さないというわけではないでしょうし。
 いずれにしても、「政治とカネ」の問題では、麻生自民党も鳩山民主党も「同じ穴の狢」です。この問題では同じ病根をもっているわけで、早急に企業・団体献金という「腐りやすいカレーのルー」の使用を禁止するべきでしょう。
 もっとも、これで民主党の勝ちすぎが無くなり、「適度な勝利」となれば、大いに結構なことだと思います。そのうえで政権交代を実現するためには、他の野党が頑張って自公両党の議席を奪うことが必要でしょう。

 さて、明日の土曜日には、児童労働ネットワークと大原社会問題研究所の共催で「シンポジウム児童労働の現状とNGOの政策提言-インドとEUの経験に学ぶ」http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/notice/jidorodo.pdfが、法政大学の市ヶ谷キャンパスで開かれます。これと同じ時間に、研究所のプロジェクト「労働運動再活性化に関する国際比較」もボアソナードタワーで行われることになっています。
 ということで、同じキャンパスですので、掛け持ちで顔を出すことになりそうです。シンポジウムはどなたでも参加できます。
 私は主催者としてあいさつします。関心のある方にご出席いただければ幸いです。

 翌日の28日(日)は、京建労の労働学校の卒業記念講演のために京都に行きます。会場は東本願寺横の大谷婦人会館のホールだそうですので、ついでに、本願寺でも覗いてきましょうか。

6月25日(木) 問題噴出で「落城」寸前の自公城 [政局]

 政権党の瓦解前夜というのは、こういうものなのかもしれません。さすが、100年に一度の危機の下での、85年ぶりの本格的な政権交代です。思いもかけない出来事やドラマが満載で、目が離せなくなってきています。

 まず、相も変わらず、麻生首相の阿呆ぶりです。「沖縄県民斯く戦えり。県民に対し後世特別のご高配を賜らんことを」との電文を送った後に自決し、死後、中将に昇進した大田実少将のことを「大田大将」と言い、「良く知られている」はずの「鉄の暴風」を「鉄の嵐」と言ってみたり、先日のブログで書いたような「一般常識の無さ」が、またも立証されてしまいました。
 沖縄でも麻生さんは、知ったかぶりをして間違えるというみっともない姿をさらけ出しているというわけです。間違えるくらいなら、はじめから言わなければ良いのに……。

 この麻生さんと、本来なら一緒に沖縄に行くはずだった古賀誠日本遺族会会長は、急遽、予定を変更して宮崎入りして東国原宮崎県知事への総選挙出馬要請を行い、逆に、自民党総裁選の候補とすることなどの条件を出されました。
 元お笑いタレント特有の冗談かと思いましたが、ご本人は「いたって真剣」なのだそうです。溺れかかった自民党の古賀さんは「藁にもすがる思い」で東国原さんにアタックし、東国原さんは国政では何の経験も実績もないのに「総理の椅子」を求めたというわけです。
 政治家としての能力や実績、資質や政見よりも人気にすがって選挙を乗り切ろうというのが、安倍元首相以来の自民党のやり方です。その結果、不適格者が首相になってしまい、どれほど政治が歪み、総理の権威が傷つけられ、国民生活が混乱させられたか、分かっていないのでしょうか。

 もし、東国原さんの要求が通れば、比例区のトップに据えて総選挙の顔として利用することになるでしょう。与党が政権を維持すれば、東国原首相の誕生ということになるのでしょうか。
 勘弁してくださいよ。冗談は顔だけにして欲しいものです。
 東国原知事は、立候補の条件に、自分を総裁選の候補とすること、全国知事会の要望を次期衆院選の党政権公約に盛り込むことという二つの条件を示し、現在は、これについての回答を待っているところだそうです。これに対して、古賀さんは何と答えるのでしょうか。

 自民党政権の瓦解前夜における末期症状ということでは、さらに大きな問題が持ち上がっています。西松建設の献金と同様の構図を持った「政治とカネ」の問題ですが、それ以上に大きな激震となるかもしれません。
 何と言っても、時期が悪い。都議選の投票まで3週間を切っている時点での問題発覚ですから……。
 問題となった人も悪い。麻生内閣のナンバー2である与謝野馨財務・金融・経済財政担当相で、しかも、与謝野さんは多額献金の中心となった商品先物取引会社「オリエント貿易」が2000年に発刊した40年史に祝辞まで寄せています。

 これで、麻生さんは、民主党追求の唯一の武器だった「西松カード」を使えなくなってしまいました。おまけに、閣内で最も頼りにしていた与謝野さんを、逆にかばわなければならないはめに陥っています。
 今後の国会審議でも、野党からの追及がなされるでしょう。会期末を迎えつつある麻生内閣が、やむなく防戦に転ずることは明らかです。
 自民党内で「麻生おろし」に動こうとしている人々も困っているでしょう。ポスト麻生の最有力候補だった与謝野さんが疑惑の渦中に巻き込まれてしまったのですから……。

 この「オリエント貿易」による多額迂回献金事件の発覚は『毎日新聞』のスクープでした。各紙の記者は今、一斉に与謝野さんの周囲を洗っていることでしょう。
 今後、さらに新しい事実が出てくるかもしれません。まさに、自公城は「落城」寸前の様相を呈してきていると言うべきでしょうか。

6月24日(水) 民主党ライスカレーの腐敗防止のために必要なこと [政権交代]

 自民党カレーライスと民主党ライスカレーは、見た目は違うが味は同じかもしれない。でも、自民党カレーライスは腐っているから、すぐに食べるのを止めなければならない、というのが昨日書いた趣旨です。
 正確に言えば、両党は、ビーフカレーとチキンカレー、甘口と辛口以上の違いがあります。政治的な立ち位置は、基本的には、自民党は中道右派よりも右、民主党は中道左派よりも左だと言うべきでしょう。
 理念的にも政策的にも、両者は必ずしも同じではありません。これを同じだと言ってしまっては、政治研究者としての資格を問われます。

 しかし、似通っている部分があることも否定できません。また。自民党と同様の政治理念や政策的志向性を持つ議員が民主党内に存在することも否定できないでしょう。
 この両側面を見ることが重要です。民主党はきわめて雑然としており、多様な政治傾向の雑居政党なのですから。
 この民主党内には、旧自民党や民社党などから流れ込んだ議員がいます。だから、民主党も自民党と同じように“腐ってしまう”可能性があるのではないか、これをどうするのか、というのが、次の問いです。この問いにお答えしましょう。

 まず、腐敗の元になる可能性のある議員を、次の総選挙で落とさなければなりません。腐ったリンゴを取り除くことで、周りを腐らせるのを防ぐことができます。
 安全保障や歴史認識の問題で自民党以上にタカ派で復古的な主張をする議員、改憲を公言するような議員、消費税の引き上げや議員定数の削減を強く主張するような議員、労働者派遣法の改正による労働再規制に反対するような議員は、たとえ民主党であっても落とさなければなりません。代わりに、他の野党の議員を当選させることが必要です。

 次に、民主党に過大な勝利を与えてはなりません。有頂天になって慎みを忘れるほどの大勝利になれば、民主党は他の野党や国民世論を無視して暴走する危険性があります。
 今でも、社民党などとの連立は次の参院選までだと言い始めているほどです。今度の衆院選で単独過半数を獲得し、次の参院選でも過半数以上を占めれば、連立する必要がなくなるからです。
 そうなれば、自衛隊の活用、改憲や消費税の引き上げに向けての準備、議員定数の削減などに向けて動き始める可能性があります。そうさせないためには、単独過半数ではなく、他の野党の議席を合わせて初めて過半数を上回れる程度の「適度な勝利」でなければなりません。

 自民党と公明党が敗北し、現有議席を大きく減少させることは大前提です。しかし、民主党が勝ちすぎて他の野党との協力や国民世論の動向を無視できるようになっては困ります。
 民主党が与党になっても、共産党や社民党によって牽制することができ、暴走を抑制できるような状況の下での政権交代でなければなりません。
 民主党の暴走を押さえるためには強力なブレーキ役が必要なのであり、共産党や社民党に頑張ってもらわなければならないということになります。民主党以外の他の野党が躍進する意義は、まさにこの点にあると言うべきでしょう。

 そうなったときに初めて、現時点で最も望ましい国会構成が実現することになります。共産党や社民党など他の野党にとっては、かなり政治技術を要する難しい対応になるでしょうが、一方の麻生自民党、他方の鳩山民主党なら、その間隙をついて前進することは十分に可能ではないでしょうか。


6月23日(火) 自民党カレーライスは腐っている [政権交代]

 自民党の古賀選挙対策委員長は今日、宮崎県庁に東国原英夫知事を訪ね、次期衆院選に自民党公認での出馬を要請しました。知事は選挙後の党総裁就任を条件に掲げ、話し合いはつかなかったそうです。
 自民党総裁くらいなら、自分だってやれるにちがいないと思ったのかもしれません。あの麻生さんでさえ、やっているんですから……。
 さすが、東国原知事は元コメディアンです。「笑い」の取り方を、よくご存知のようで……。

 ところで、見た目は違っていても、中身は同じだと言われています。自民党と民主党についてです。
 自民党カレーライスは、上にカレー、下がご飯です。他方、民主党ライスカレーは、上にご飯で下がカレーだというわけです。
 一見すると違って見えます。でも、食べてみると味は一緒です。かき混ぜてしまえば、違いはなくなるからです。

 とはいっても、違いはある、というのが私の主張です。どちらも不味く味は同じでも、自民党カレーライスは腐っているからです。
 どれだけ腐っているか、私たちはこれまで、嫌というほど思い知らされてきました。自公政権は、日本の経済と社会をズタズタにしてしまったからです。
 これ以上自民党カレーを食べ続ければ、死んでしまいます。これまでも病人続出で、その害毒は日本社会の隅々に及んでしまいました。

 まず、毒入り自民党カレーライスを食べるのをやめなければなりません。これ以上食べ続ければ、日本社会は滅亡してしまうでしょうから。
 麻生政権も腐りきっています。元々、賞味期限1ヵ月だったのですから、首相がアホーでも、選挙目当ての「お友達内閣」でも良かったのです。
 昨年の9月に福田さんが辞任したのは、総選挙で自民党を勝たせるためでした。そのために、自分よりも人気があると勘違いした麻生さんに後を任せ、総裁選で盛り上げるためにスケジュールまで書いて手渡したそうじゃありませんか。

 それなのに、総理の椅子に目がくらんだ麻生さんは解散を回避し続け、今に至るも総選挙を行っていません。麻生さんのためにわざわざ身を引いた福田さんの好意を無にしたというわけです。
 そのために、思いもかけない「長期政権」となってしまいました。1ヵ月も持てばよいということで出発した麻生政権です。1年近くも持つはずがありません。
 閣僚の辞任が相次ぎ、内閣支持率も下がっています。「お友達内閣」ですから、おかしな閣僚が現れるのも当然でしょう。

 麻生さん自身も、こんなに長く首相をやっていなければ、これほどのアホーだということは分からなかったでしょうに。漢字が読めないことも、一般的な知識がないということも、言い間違いが多く、ブレ続けるということも、決断力やリーダーシップが皆無だということも、それに、夜な夜な高級バーに通っていることも、国民に知られることはなかったでしょう。
 お気の毒に。

 話がそれました。腐ったものは口に入れてはなりません。直ちにはき出して、食べるのを止めるべきです。
 でも、民主党の中にも、旧自民党の一部が入り込んでいます。つまり、腐敗の原因になる菌が紛れ込んでいるということになります。
 これでは困ります。何か、良い方法はあるのでしょうか。

 ということで、続きはまた明日。

6月22日(月) 政権交代の意義と必要性 [政権交代]

 麻生首相のお陰で、政権交代に向けての期待が高まっています。都議選の応援に行って、「必勝を期して」と言うべきところ、「惜敗を期して」と言ってしまったそうです。
 なんて、正直な人なんでしょう。思っていることが、そのまま口をついて出てしまうなんて。

 今日の新聞を見たら、発行中の週刊誌の宣伝が出ていました。『週刊現代』7月4日号の見出しは「民意恐るべし!自民はなんと174人が落選」「鳩山民主283議席 自民130議席」となっています。
 都議選についての予測記事もあります。『サンデー毎日』7月5日号には、「『都議選』世論調査 自民はショック死」という記事が出ているそうです。
 総選挙でも、その前哨戦として注目されている都議選でも、自民党の大敗北は避けられないということです。それはそうでしょう、最高指揮官である自民党総裁の麻生首相が、今から「惜敗を期して」いるのですから。

 ところで、ときどき講演などでこう聞かれることがあります。自民党と民主党は政策的には同じだから、政権交代にはあまり意味ないのでは? ヒョッとしたら、もっと悪くなるのでは? という質問です。
 これについて、どう答えたら良いのでしょうか。これからも、このような質問があると思いますので、私の考えを書いておきましょう。
 まず、たとえ政策的に同じであっても、政権交代には意味があり、その可能性がある以上、何としてもそれを実現する必要があるということです。

 その理由は第1に、政権交代は、政権が交代できるという民主的な政治制度のメリットを具体的に示すことになります。これは一般的な意義ですが、現状は変わらないと諦めている人々に、「いや、変わるし、変えることができるのだ」ということを示す最善の例になるでしょう。
 この点では、変わること自体に意味があるということです。このような変化によって政治のダイナミズムを示すことは、政治への関心を高めることにもつながるに違いありません。

 第2に、常に政権交代が起き、変わり続けていれば、変わること自体の意味はそれほど大きくありません。しかし、自民党政権は、短期間を除いて、ずっと政権与党であり続けてきましたから、ますます変わること自体の意味は大きいと思います。
 戦後の政治では47年と93年に政権が交代しましたが、政党の再編などではなく与野党が真正面から対峙した政権交代は、1924年の総選挙以来、実現していません。総選挙前に自民党が分裂しなければ、85年ぶりの歴史的な転換だということになります。

 第3に、野党よりも与党の方がましな政治をやっているというのであれば、変わること自体の意味はありません。このような場合、与党が支持されますから、政権交代は起きないでしょう。
 しかし、現与党の自公政権はこれだけの失政を繰り返してきたのですから、それに対する大きなペナルティーを与えなければなりません。これまでの失政に対する責任追及の手段として民主党など野党を利用し、自公両党を政権から引きずり下ろすことが必要だということです。

 第4に、このような形で与党の責任を問うことは、政治に対する緊張感を取り戻すきっかけになるでしょう。過ちを犯せば、政権を追われるのですから。
 政権交代は、現与党に対する責任追及であると同時に、次の与党に対する警告でもあります。もし、同じような過ちを犯せば、同様に政権を追われることになるのだぞ、というわけですから。

 ということで、政権交代後にどのような政権が成立するにせよ、何よりも交代すること自体に大きな意味があるというのが、私の立場です。まず、自民党をたたきつぶすことが必要です。
 自民党が大敗北して与党の座を追われるのは、15歳の時、政治に関心を持って以来の私の夢でした。40年以上の間、抱き続けてきたその夢が、今、実現できそうなのです。

 嬉しいじゃありませんか。楽しみじゃありませんか。
 この楽しみを、誰にも邪魔されたくありません。
 

6月21日(日) 「再規制」のゴールを見つめる―「再規制」はタクシーの専売特許に非ず [論攷]

〔以下のインタビュー記事は、タクシー会社の業界紙『交通界』第300号特集記念号、2009年5月号、に掲載されたものです〕

「再規制」のゴールを見つめる―「再規制」はタクシーの専売特許に非ず

「官から民へ」という「民営化信仰」
――先生は一般的に「規制緩和」あるいは「再規制」についてどのようにお考えですか。

五十嵐 「規制」がなくても困るし、あり過ぎても困るということです。つまり「必要にして適切な規制であるかどうか」ということに尽きます。
 なぜ規制が必要かというと、資本主義が自由競争で成り立つとしても、公正な競争のためには一定のルールが必要だからです。スポーツだって、「ヨーイ、ドン」じゃなくて、バラバラにスタートして構わないことにしたら競争にならないわけですから。自由で公正な競争のためには、ルールや規制が必要だということですよね。「過当競争で共倒れする」あるいは「がんじがらめで自由に競争できない」という状況は、ともに避けなければならないわけです。
 日本の場合は「官から民へ」という「民営化信仰」が強すぎたんじゃないでしょうか。「市場原理主義」ということで、市場任せにすれば“神の手”が働いて自動的に調整されると思い込んでしまったということでしょうね。
 
規制緩和を推進した「3つの力」

――例えば、規制改革会議議長代理の八田達夫・政策研究大学院大学学長や竹中平蔵・慶大教授のような人が「経済学」という学問の正統性を装いつつ「規制緩和は日本経済の競争力アップに必要不可欠」などと言うのを聞くと、「そうかもしれないなあ」とコロッと思ってしまう人は少なくないわけで・・・…。

五十嵐 日本の規制緩和を推進するうえで、三つの力があったと思います。一つは、アメリカの圧力です。これは「交通界21」の「09新年特別号」に登場した関岡英之氏らが強調されています。「年次改革要望書」は94年から毎年10月に出されてきましたが、それ以前の89年から日米構造協議が始まっています。米国が日本市場の障壁をどう取り払って市場参入するかという目的で、日本市場に入り込んでいく、「競争相手」である日本の足を引っ張る、あるいは 「協力者」に変えていく―などの思惑があったと思います。
 二つめは、今おっしゃった竹中さんのような人たちです。中谷巌氏が『資本主義はなぜ自壊したのか』で記したようなアメリカ流資本主義に対するある種の憧れを抱いた人たち。新自由主義的な政策やイデオロギーに魅了された人たちですね。こういう学者グループが理論的な正統性を装って導入した。
しかも91年以降、「失われた10年」といって不況が深刻 になりました。逆に米国は当時、「ニュー・エコノミー」などと言われて好調でした。「日本のやり方はまずかったんじゃないか、米国のマネをしたらうまくいくんじゃないか」と、米国で勉強した竹中さんなどは思いこんでしまった。そういう米国モデルへの「帰依」「信奉」というイデオロギー的な流れがあったと思います。
 三つめは、財界でビジネスチャンス拡大をねらう人たちがいたということですね。財界内にも2つの意見がありまして、旧来の日本的なあり方をある程度尊重してその修正を図ることで乗り切ろうという人たちと、完全に転換させてアメリカ流の市場原理主義、株主主権でやっていこうとする人たちがいました。
前者の「旧日本型」の方は「ステークーホルダー論」といって、従業員、顧客、地域社会など、企業に利害関係を持つすべての関係者のことを考えるべきだという立場ですが、「株主主権論」のほうは株価を上げて配当金を増やしさえすればいいんだ、という考え方です。そして、規制緩和して「官から民へ」で、民間が参入できる余地を拡大していく。そこから大きなビジネスチャンスが生まれるにちがいないというわけです。

現実感覚を失った「講壇経済学」

 労働の分野でいえば、「人材派遣」とか「リクルート」などの就職情報に関連する人達が総合規制改革会議に委員として参加して規制緩和の旗を振りました。「かんぽの宿」問題で疑いをかけられている宮内義彦氏も、タクシーの規制緩和に伴う車両のリース業で大儲けしたわけです。こういう人たちはうまくやったかもしれないが、その陰ではいろいろな問題が起きていました。
景気に関していえば、02年から07年まで戦後最長の景気拡大です。大企業は5年間、過去最高の収益を更新しつづけました。もちろん、儲かったのは大企業だけで中小企業や労働者の収入は増えていない。しかも、大企業の利益は外に出てきません。設備投資よりも証券や株式などの形で内部留保される部分が多い。もし、給与という形で労働者に回るならモノを買うから内需が生まれます。ところが、サラリーマンの給与は減り続けてきたわけで、内需は弱く外需依存の成長構造になってしまった。今回、景気が急落したのはそのためです。 
竹中氏にせよ中谷氏にせよ、「経済学」に則って論理を展開したつもりでしょうが、現実を踏まえない「講壇経済学」でした。「理論的にはこうなるはず」と思っても、現実はそう簡単にはいきません。
例えばある大学教授は「経済成長のためには一定の失業者が必要だ」などと書いていますが、失業する側からすれば「そんなの困る」と言わざるを得ないでしょう。「あなたそんなこと言えるのは大学に就職できているからじゃないですか」と言いたくなるわけです。つまり、「完全雇用下では経済成長できません」と平然と言えてしまうという感覚は「現実」に立脚していないと言わざるを得ないと思います。百歩譲ってそうだとしても、まずは「失業者のセーフティットが不可欠である」と言った上でなければできない議論です。こういう経済理論は「理論」に過ぎない。現実感覚を失っていると思いますね。

「2006年」という「転換点」

――先生の著書『労働再規制』では、「2006年」が「規制緩和」から「再規制」に向かう転換点だったとの説を展開されていますが、具体的にはどういうことでしょうか。

五十嵐 規制緩和の旗を振っていた経済財政諮問会議と規制改革会議という二つの機関がありますが、まず、経済財政会議の変容が始まるんですね。05年の郵政選挙(第44回衆議院議員総選挙)の直後から。竹中さんは経済財政担当相から郵政民営化担当の総務大臣にかわります。そのとき竹中さんは「経済財政諮問会議の景色が変わって見えた」と言っています。
経済財政担当相というのは諮問会議の司会なんですね。つまり、竹中さんが司会して隣りに小泉純一郎首相がいて、民間議員が4人いるわけです。この6人がタッグを組めば過半数を占めることができます。経済財政諮問会議は11人ですから。
で、竹中さんと4人の民間議員は「裏諮問会議」のようなものをやって事前に打ち合わせをしていた。だから、司会であれば議論を思うように引っ張ることができた。ところが、総務大臣に変わってしまったので司会をはずれた。しかも、代わりに経済財政担当相になったのは、市場原理主義には批判的な与謝野(馨)さん。これが変化の始まりです。
さらに、翌06年には小泉首相自身が辞めちゃう。これは大きいと思いますね。そのあと出てくるのが安倍晋三さん。構造改革の負の側面を無視するわけにはいかず、「再チャレンジ」を掲げた。実際、06年に「格差問題」とか「ワーキングプア」とかいった問題がどっと出て、マスコミにも取り上げられるようになっていく。政治的には小泉さんが引っ込み、構造改革の申し子であったようなホリエモンや村上世彰(村上ファンド)が逮捕される。つまり、市場原理主義、構造改革の負の側面がかなりはっきりしてきたということですね、2006年に。
 労働政策の面で大きかったのは、06年暮れのホワイトカラー・エグゼンプション(労働時間規制の適用免除)問題に対する反対運動だったと思います。翌年1月、「労働国会」で導入しようとしたが、反対が大きく、夏に参議院選挙を控えていたこともあって安倍首相は導入を断念した。
 のみならず、その前から厚労省では学者を集めて研究会を組織していました。労働市場政策について新しい方向を打ち出そうということで、07年2月に研究会が発足して8月に報告を出しました。実は、厚労省と規制改革会議はずっと緊張関係にあったんです。あの時まで厚労省はジッと我慢していたと思う。反撃の機会を狙っていたんじゃないでしょうか。で、この報告書を手に、逆襲を始めるんですよ。

「2006年」と「市場の失敗」に触れたタクビジョン小委報告

――実はタクシー業界も同様に06年7月に国交省が交政審タクビジョン小委報告書を出し、「再規制」にまで踏み込みはしませんでしたが、「市場の失敗」と初めて「失敗」という言葉を使いました。「『市場の失敗』なんて経済学の専門用語など使ってごまかすな」と業界の評判は必ずしも良くはありませんでしたが・・・…。

五十嵐 学者を使って、国交省として言ってもらいたいことを言わせた、ということじゃないでしょうか。少なくとも、厚労省の場合はそうだと思います。面と向かって自分達が言うのでなく、学者を使って“理論武装”したという・・・。車が増え、過当競争になって事故が多発し、収入が減り、労働条件が低下する。これはまずい、という考えが国交省の中でも出てきたのだろうと思いますね。
 交通関係でいえば、05年のJR西日本の福知山線での事故が「見直し」の始まりだと思います。これに関連していえば、国鉄の「分割・民営化」が「官から民 へ」の流れの始まりなんですね。その意味で、日本における民営化論の元祖は中曽根(康弘)。その次は、「6大改革」の橋本(龍太郎)です。その後の小渕、森首相で多少下火になるけど、これを否定する形で、構造改革を掲げて小泉さんが出てくる。

「規制緩和」と「再規制」が混在しているのが現状

――とすると「規制緩和見直し」の方向性も、また揺り戻しがあるということでしょうか。

五十嵐 「再規制」はまだ緒についたばかりですからね。うまくいかなかったとなれば、また(笑)・・・…そういう議論が出てくる可能性はあると思います。
 経済学では、自由競争なのだから規制しないという立場は「古典派」なんですね。次に、自由競争に任せていたらいろいろと問題が出てくる。恐慌を制御しなければならない、有効需要を創出しなければならない、となる。これは「ケインズ主義」ですね。さらに、「ケインズ主義」では自由な経済活動ががんじがらめにされるから、これじゃダメだというのが「新古典派」です。
 「国家は退場して経済は市場に任せろ」ということで市場経済万能論みたいなのが出てきたけれど、結局、破綻してしまった。「マネー資本主義で野放図に行動してはダメだ」ということが、リーマン・ショックによる「金融危機」ではっきりした。
 だから、金融取引については一定の規制をかけなければならない、国家や国際機関が金融市場にも関与しなければならない、となってきました。いわば「新ケインズ主義」なんです。でも、また、これでダメとなれば、「新・新古典派」の時代にならないとも限りません。
労働政策でみても、今は「規制緩和」と「再規制」が混在している状況です。今国会に提出された労働者派遣法の改正案にしても「登録型派遣」を全面禁止したわけではないし、従来禁止されてきた「事前面接」解禁の内容も盛り込まれている。「薬」よりも「毒」の方が多いという内容です。  

「第3の道」を目指せ!

――タクシーも同様に、共同減車を促して供給過剰を解消しようという適正化新法が今国会に提出されているのですが、その実効性を疑問視する向きが少なくありません。労働問題同様、「再規制は緒についたばかり」と言わざるを得ないのですが……。しかし、ここであまり厚労省あるいは国交省官僚の「巻き返し」にばかり期待していては、今度は「官僚主導の復活」ということになってしまうのではありませんか。

五十嵐 たしかに、困った問題です。拙著『労働再規制』でも、官僚の復権を「是」とするものではないことは 強調しておきましたが……。しかし「小さな政府」か「大きな政府か」と問われれば、「小さな政府=善」という立場はとらない。必要な公的事業を担ってくれる人は増やさなければなりません。それが必要なら、今よりも「大きな政府」になることがあってもいいと思います。
「官僚バッシング」で、何でも「官僚はだめだ」なんて言う人もいますが、そんなことはない。国の施策を支えるうえで官僚の果たしている役割は正当に評価しなければなりません。官僚批判が強いのは、今までの政治のあり方が「政・官」の関係を歪めたからです。あまりにも長期にわたり一党が政権を担ってきた結果、「政」「官」の協働関係、依存関係が強まってしまった。さらに、政治家の能力が急速に低下しており、ますます官僚頼りの傾向が強まっています。このような関係は是正されなければなりません。
 いずれにせよ、官僚の「既得権復活」という形での再規制は好ましくありません。官僚は既得権を復活させようとする一方、規制改革を推し進めてきた人たちは「新得権(新たな権益、五十嵐氏の造語)」を得ようとする。オリックス会長の宮内(義彦)さんなどは、その典型です。
 既得権の復活も新得権の拡大も、ともに問題であって、そうではなく「第3の道」を模索するべきだと言いたい。それは、元々の日本モデルが持っていた良さを活かしつつ、米国モデルの問題点を是正していくということですね。そういう意味では、再規制されるルールの中身が問題になってくる。
そのときに考えなければならないのは、対外関係でいえば米国との関係でしょうね。介入を排して自立しなければならない。独自の国益を考えた将来構想を打ち出す必要があります。そのための手がかりになるのは憲法。たとえば憲法第25条の「生存権」や第27条の「労働の権利・義務」などを政治や生活に活かし実現していくことが必要でしょう。国としての参考例を探すとしたら「EU型」、特に参考にすべきは「北欧型」ではないでしょうか。
社会民主主的で福祉国家的な方向です。「新福祉国家モデル」といってもいいと思います。たとえば「福祉」と「労働」を結びつけて対処する考え方。失業者に手当を渡して終わり、ではなくて、再就職を前提として生活支援や職業訓練を行う、といった考え方です。実は、いま厚労省もこのような方向を模索しています。

「歩合給オンリー」は「日雇い派遣」と同じ

――労働問題に関連していえば、タクシーの歩合給についてどうお考えですか。労働組合の中には、固定給部分を厚くするように求める意見が依然少なくないのですが…・・・。

五十嵐 当然です。「歩合給」だけの給与体系だとすると「日雇い派遣」と同じです。「日雇い派遣」は「仕事のある時だけ給与が出る」というものですから。タクシーの歩合給は「客があったときだけ収入がある」―同じじゃないですか。「歩合給」だけしかもらえないのだとしたら、その乗務員は「タクシー業界の“日雇い派遣”」ということになる。「お客を乗せられなかったら給与は出ない」のなら、いつまでも客を乗せられなければ「食っていけない」ということじゃないですか。日雇い派遣の、そもそもの問題も同じです。
 他方、「常用型派遣」の場合は仕事がないときでも給与は支払われる。固定給のようなものですよ。歩合給制というのは限りなく労働強化を誘発する給与体系です。このような体系では、過労死の危険性が増すばかりでしょう。
日本での働き方の問題としては、「命をかけて働く過労死問題」「働いても生活できないワーキングプア」「働いてもお金をもらえないサービス残業」があります。これらは外国人には理解できない「3大ミラクル」です。過労死が問題になった最初は1988年なのに、21年経ってもいまだに解決できない。「死ぬまで働いてしまう」という悲劇、あるいは「食品偽装問題」などに見られる経営者のモラルの著しい低下―これらに歯止めをかけるようなルールや仕組みは不可欠です。再規制の普遍的な課題だと思います。

――有り難うございました。(聞き手:三井貴也)

6月20日(土) タクシー業界でも明らかになった再規制の動き [規制緩和]

 「ワシントン・コンセンサスは終わった」
 09年4月2日にロンドンで開かれた20ヵ国地域(G20)首脳会合(金融サミット)の終了後、ホスト国だったイギリスのブラウン首相は、こう語ったそうです。
 このとき、参加各国の首脳の耳に、新自由主義の弔鐘の音が聞こえたでしょうか。国際的な反転は、このブラウン首相の言葉に集約されていると言って良いでしょう。

 日本の国内でも、新自由主義的な規制緩和からの反転は着実に進んでいます。時には、小泉一派による巻き返しもありますが、もはや規制緩和の見直しと再規制の方向は明らかです。
 とはいえ、「労働再規制」に向けての動きは、法改正という形ではそれほど進んでいるわけではありません。中心的な課題であった労働者派遣法の改正案が国会に出されましたが、その内容は「薬」よりも「毒」が多く、棚晒し状態になっています。
 このような中で、注目すべき動きがありました。そえは、タクシー参入規制強化法の成立です。

 昨日(19日)の参院本会議で、タクシー事業への規制を強化する特別措置法案が可決・成立しました。「タクシーが多すぎる」と国土交通省が指定した地域では、新規参入や増車が難しくなるほか、タクシー会社が共同で台数を減らせるようになります。
 国交省は現在でも仙台など109の地域で新規参入や増車を制限しています。この法律の成立で、さらに幅広く規制をかけられるようになります。
 この問題については、以前、タクシーの業界紙『交通界』の取材を受けました。その時のインタビュー記事をアップするのを忘れていたようです。

 このタクシー参入規制強化法の成立と、深く関わっているように思われます。明日、アップさせていただくことにしましょう。


6月19日(金) 小泉・竹中ラインと財界の反撃でひるんでしまった麻生首相 [首相]

 自民党や麻生内閣の支持率低下に大きく作用したと見られているのが、日本郵政の西川社長続投をめぐる軋轢であり、これに反対した鳩山総務相の辞任問題です。
 日本郵政の西川善文社長の進退についての世論調査は、次のようになっています。

共同:「辞任するべきだ」75.5%   「社長を続けるべきだ」17.2%

 また、鳩山前総務相を事実上更迭した麻生首相の対応については、次のようになっています。

共同:「評価しない」74.8%    「評価する」17.5% 
毎日:「評価しない」67%    「評価する」22%

 国民の圧倒的多数が、今回の麻生首相の対応に批判的だということが分かります。この問題が内閣支持率の急落と深く関わっているということは明らかでしょう。
 国民がこう考えている以上、それに応えて西川さんのクビを切れば、内閣支持率は急上昇したかもしれません。しかし、麻生さんはそうすることができませんでした。
 もともと、郵政民営化には反対だったという麻生さんです。なぜ、そうすることができなかったのでしょうか。

 それは、5月の段階で麻生さんがフリーハンドを奪われていたからです。5月18日の日本郵政の指名委員会によって、西川善文社長の続投が内定したためです。
 鳩山さんが暴露したように、麻生首相は西川続投には反対でした。郵政民営化に賛成ではなかったという麻生首相にしてみれば、西川さんを交代させるのは当然の選択であり、3月か4月の時点で、後任候補の名前を書いたリストを同封した手紙を鳩山さんに送ったのは、そのためです。
 しかし、このような動きをいち早く察知した竹中さんが小泉さんに注進し、小泉さんは、日本郵政社長の指名委員会に加わっている牛尾治朗、奥田碩、丹羽宇一郎の各委員に働きかけました。いずれも、経済財政諮問会議の民間議員として、小泉構造改革に協力した面々です。

 言うまでもなく、これらの人々は財界にも強い影響力を持っています。西川さんを辞めさせても後任は出さないということで財界をまとめることはたやすかったでしょう。
 こうして、西川社長の続投が内定した5月の指名委員会の時点で、麻生さんは財界によってフリーハンドを奪われたのです。財界から後任が出なければ官僚OBに頼るしかありませんが、そうすれば改革の後退という批判を浴び、小泉残党による「麻生おろし」が始まったでしょう。
 窮した麻生さんは方針を転換しました。麻生さんの心変わりによって鳩山さんは取り残されてしまい、結局、「正義」の旗を掲げて自爆覚悟で突進せざるを得なくなったというわけです。

 郵政民営化についても反転の必要性は明らかであり、本人もその意向であったにもかかわらず、小泉・竹中ラインと財界の反撃にあってひるんでしまったのが麻生首相です。首相の意を汲んで最後まで突っ張り、2階に上がってハシゴを外された格好になった鳩山さんに比べて、麻生さんの意気地のなさ、指導力の欠如は際だっています。

 トップが愚かでブレてばかりいると、部下が苦労するという典型例ではないでしょうか。その経緯をじっくりと目撃していたのですから、国民の7割が麻生首相の対応を「評価しない」というのも当然でしょう。