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2月12日(火) FMラジオJ-WAVE「JAM THE WORLD」での放送に向けてのメモ [自衛隊]

 昨晩、FMラジオJ-WAVE「JAM THE WORLD」に出演しました。予想以上に相手の方が多弁で、私の持ち時間が少なくなったのは残念です。
 この放送に向けて、準備するためのメモを作成しました。実際の放送で話すことができたのは、このうちの前半部分くらいです。
 この放送で私が言いたかったことはこのような内容だということをご理解いただくために、ここに公表しておきたいと思います。「国防軍化」について考える参考にしていただければ幸いです。

1,この問題の基本。戦後の日本はアジア・太平洋戦争での侵略と植民地支配によって、310万人以上もの日本人、それ以外で約2000万人もの死者を出した。戦後の日本はこのことに対する反省から出発したことを忘れてはならない。非武装・非戦を誓った平和憲法は国際社会に復帰する際の国際公約だから、これを変更することは国際社会に対する裏切りであり、戦後日本の歩みを否定することになる。

2,自衛隊の「国防軍化」は憲法の理念である平和主義を転換したのではないかとの誤解を与え、周辺諸国だけでなく、欧米からも懸念や批判が表明され、日本は国際的に孤立することになる。アメリカの要請によって外国で戦争するつもりではないかとの疑念を抱かせ、アメリカやイスラエルの仲間になったとしてアラブやイスラムの人々によって敵視され、アルジェリアでの人質事件のように、海外で日本人が狙われる危険性を高める。

3,国会審議で明らかになった重大な問題が二つある。安倍晋三首相は1日の参院本会議で、「自衛隊は国内では軍隊ではありませんが、国際法上は軍隊として扱われています。このような矛盾を実態に合わせて解消することが必要と考えます」と答弁し、自衛隊が「国際法上は軍隊として扱われ」る実態をもっていることを認めた。これまでの歴代政府の答弁は、自衛隊は専守防衛を旨とし、「自衛のための必要最小限度を越える実力を保持し得ない制約を課せられており」、いわゆる軍隊ではなく再軍備を意味しないとしてきた。ところが、今度は「自衛隊は軍隊だから国防軍と呼ぶべきだ」と言い出した。これまでの国会答弁や説明は全て嘘だったのか。国民を欺き、嘘を言って「軍隊」を育成してきたとすれば、憲法9条の制約を踏み越え、国民を欺いてきたことになる。その責任は極めて重大だ。

 「今までの総理大臣は嘘つきだ。だから、本当のことを言おうじゃないか」ということなのかもしれないが、実は、安倍首相自身、2006年12月1日付で、自衛隊は「通常の観念で考えられる軍隊とは異なるもの」で、憲法9条第2項で「保持することが禁止されている『陸海空軍その他の戦力』には当たらない」との答弁書を鈴木宗男議員に出している。安倍首相自身、嘘をついていたことになる。このような2枚舌が許されるのか。

4,もう一つの問題は、このような「国際法上は軍隊として扱われ」るような軍事力を、憲法9条の下で保持することが許されるのかということ。まだ、9条は改正されていない。だから当然、自衛隊はその制約の下におかれなければならない。しかし、すでに「国際法上は軍隊として扱われ」るような実態にあること、したがって憲法9条の制約を突破した存在であることを認めたことになるのではないか。
 また、「もう、軍隊だから国防軍と呼ぼうじゃないか」というのも問題。もし、そのような実態にあるのなら、憲法9条の制約の下で存在可能なレベルに縮小すべきだ。実態に合わせて名称も変えようというのは、方向が逆ではないか。

5,「時期」が悪い。領土問題を契機に中国や韓国との紛争が生じ、緊張が高まっている。先日は中国の艦船から攻撃用レーダーの照射受け、一触即発の状態になった。その後も、対立が高まっている。このようなときに、いらざる誤解を与え、さらに刺激して緊張感を高める危険性があるようなことをするべきではない。

6,「人」が悪い。同じ自民党でも、軍縮研究室を設立し、月刊誌『軍縮問題資料』を出していた宇都宮徳馬さんのような人だったら、「国防軍化しても心配はない」と言えたかもしれない。しかし、歴史認識に問題有りとされ、タカ派で知られる安倍首相で、周辺諸国はもとより、国民の多くが懸念を感じたり、不安を覚えたりするのは当然だろう。

7,すぐに自衛隊を国防軍に変えなければならない必要性は全くない。時間と政治的エネルギーの無駄使いだ。東日本大震災からの復旧・復興や経済の再建、景気回復のために全てのエネルギーを傾けるべきだ。

8,我々、60歳以上の年寄りには関係のないことだが、若者にとっては戦争に巻き込まれることになるかもしれない、戦場に行かされるかもしれないという切実な問題になる。このようなきな臭い未来を望むのか、と問いたい。戦争できる国になるのか、平和憲法を守って戦争しない国であり続けるのか、大きな岐路に立っている。平和で安全な国家を、次の世代に手渡していきたいものだ。

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1月26日(土) 「看板の掛け替え論」を主張している『産経新聞』の佐瀬昌盛氏のインタビュー記事 [自衛隊]

 大きな写真と一緒に、私の発言が掲載されていました。昨日の『産経新聞』の記事です。

 「自衛隊の国防軍化について取材したい」という連絡があったとき、「私でいいんですか。国防軍化には反対ですよ」。相手は右翼的論調で知られている『産経新聞』ですから、思わずこう言ってしまいました。
 「討論の欄で、反対論も取り上げたいものですから」という返答でした。「それなら」ということで、お受けしたのがこの記事になったというわけです。
 しかも、私と一緒に掲載される相手が佐瀬昌盛先生と聞いて驚きました。まだ、お元気だったんですね。西ドイツの専門家としての佐瀬先生のお名前は大学院時代から知っており、その論敵として私が選ばれるとは誠に光栄(?)だと言うべきでしょうか。

 とはいえ、記事の横にある写真を見て、『産経新聞』らしいなあ、と思ったのも事実です。佐瀬先生はまっすぐ前を向いて堂々としているのに、私はうつむき加減で、自信がないように見えるからです。
 「写真、いいですか」と何枚も撮ったのに、こんなのを載せるなんて、と思いました。どんな写真でも、大した違いはないかもしれませんが……。
 このような組み合わせが、果たして意図的なものであったかどうかは分かりません。でも、いかにも『産経新聞』らしいなと、ちょっと苦笑してしまいました。

 さて、佐瀬先生は次のように自衛隊の国防軍化を支持する論を展開されています。そのエッセンスを紹介しておきましょう。

「大前提は憲法を改正して国防軍にするということだ。自衛隊、というのは非常に分かりにくい概念。『自衛軍』とする案もあるが私は国際的スタンダードで『国防軍』とするのが正しいと考える」
「国防軍化は中庸の軍隊にするというだけのこと」、「国際的標準に合わせて“普通の国”になるだけのことで、多くの国から理解される考え方だろう。むしろこれまでは偽善的な側面が多分にあったといえる」
 「国防軍化が危険だなどと言ったら、他の国の軍隊はみんな危険になってしまう。ためにする議論か、世界が見えていないからだ」
 「改憲して国防軍とすれば、自衛隊は国の内外で2枚舌を使わなくて済むようになり、心のつかえが取れるだろう。今の自衛官は半ば日陰者の状態で、不必要なフラストレーションがたまってしまう現状は不健全で、危険性がある」

 要するに、国防軍化は「国際的標準」に合わせた「看板の掛け替え」にすぎず、それによって自衛隊は「普通の国」の普通の軍隊になるだけだ、というものです。そうすれば、これまでは多分にあった「偽善的な側面」がなくなり、自衛隊は「2枚舌を使わなくて済む」ようになって「心のつかえが取れ」、「半ば日陰者の状態」から脱して「不必要なフラストレーションがたまってしまう」不健全で危険な現状から脱することができるというわけです。
 ここでの佐瀬先生の指摘が正しいとして、このような問題は全て、憲法9条があるにもかかわらず自衛隊という事実上の軍隊が設立されために生じたものです。それを解決するには、憲法9条にしたがって自衛隊を事実上の軍隊でなくせば良いはずですが、そのような選択肢は最初から佐瀬先生の視野には入っていません。

 また、戦後の日本が、なぜ普通の国として国際的標準にあった普通の軍隊を持つことを憲法で禁じたのか、その歴史的背景や経緯が全く無視されているというのも驚くべきことです。これは「ためにする議論か、歴史が見えていないからだ」と言わざるを得ないでしょう。
 侵略戦争への反省とそれを踏まえた憲法9条の存在こそ、戦後日本の出発と国際社会への復帰に当たってなされた平和への誓いを具現化するものでした。だからこそ、日本は国際標準に合った普通の国の普通の軍隊の保有を、憲法によって自制したのではないでしょうか。
 こんなことは、西ドイツ政治史の泰斗にして現実的防衛論者の佐瀬先生にとっては先刻ご承知のことと思われるのですが、どうも、そうでもないようです。

 自衛隊の国防軍化が「危険だ」とされるのは、「他の国の軍隊」とは違っているからです。その違いをなくして、同じにしてしまうための「国防軍化」だからこそ、それは危険だとみなされるのです。
 なぜ、そうなのか。それは日本の軍隊が周辺諸国を侵略し、植民地支配をした過去があるからです。
 どこが、危険だとみなすのか。それは過去においてそのような侵略を受け、植民地化の被害を被った周辺諸国です。

 しかも、戦後の国際社会への復帰に際して行った非武装の約束を反故にし、自衛隊という事実上の軍隊を復活させることによって、世界でも有数の軍事力を保有するまでに成長させてきた歴史があります。そして、戦前の侵略戦争をきちんと反省しないばかりか、戦後の再軍備を肯定し、それを引き継いでさらに重武装化を進め、アメリカとともに国外で軍事力の行使を可能にしようとしているのが、現在の安倍首相です。
 その安倍首相が執念をもって「国防軍化」を主張しているわけですから、「大丈夫なのか」と周辺諸国が懸念を抱くのも当然でしょう。とても、「国際的標準に合わせて“普通の国”になるだけのことで、多くの国から理解される考え方だろう」などと言えたものではありません。

 そもそも、佐瀬先生は、安倍首相がめざしているのは本当に「看板の掛け替え」だけにすぎないと信じているのでしょうか。そこには、全く「危険性」はないと……。
 少なくとも、国防軍化を支持している人々の多くは、それにとどまらない「期待」を寄せ、「野望」を抱いているのではないでしょうか。自衛隊であるがために課せられている「タガ」を外して、今以上に強力な軍事力をもって外国でも武力を行使できるようにしたいというような……。

 そのような「期待」や「野望」こそが、日本の国際的な孤立化を招き、日本人の安全を損なうことになるのだというのが、昨日書いたアルジェリア人質事件の教訓にほかなりません。このような誤った選択を避けることが憲法9条の要請であり、憲法の理念を活かすことになるのだということを理解するべきでしょう。

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3月3日(月) 防衛省は何を「防衛」しようとしているのか [自衛隊]

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 拙著『労働政策-人間らしく働き、生きるために』、いよいよ5月15日刊行の予定。
 日本経済評論社http://www.nikkeihyo.co.jp/contents/list/index.htmlから2000円(予価)で。予約は、お早めに。
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 気がつくと、いつの間にか弥生3月になっていました。田舎の姉から送られてきた小包の中にも、小さな蕗の薹が入っていました。
 雪に埋もれた新潟で芽を出した新物でしょう。早速、蕗味噌にして味わいました。

 3月に入った実感がなかったのは、この間、濱口桂一郎さんとのやりとり、拙著『労働政策』の著者校正、研究所の業務である『日本労働年鑑』の執筆と編集、それに頼まれ原稿の執筆などに忙殺されていたからです。ようやく、濱口さんとの一件は落着し、『労働政策』の初校ゲラを返送しました。
 これらはヤマを越しましたが、『労働年鑑』の方は原稿集めがほぼ完了し、編集作業が本格化するのはこれからです。まだまだ、「繁忙期」は続きます。
 拙著『労働政策』のゲラを見たら、全体の分量が約340頁、奥付には5月15日刊行とありました。出版予定日が分かりましたので、今日からこのブログで「宣伝バナー」のようなものを入れさせていただくことにしました。ご注文の方、よろしくお願いいたします。

 さて、私がブログで取り上げる余裕がなくなってからも、イージス艦「あたご」と漁船「清徳丸」との衝突事故は、新たな展開を見せています。防衛省側の説明は二転、三転、四転、五転し、混乱に混乱を重ねています。
 嘘、誤魔化し、訂正の繰り返しです。「これでは、何が真実なのか分からないではないか」と言いたくなりますが、実は、そこにこそ、狙いがあるのではないのか、と勘ぐりたくなります。
 防衛省は、何か重大なことを隠すために、小さな嘘を繰り返しているのではないでしょうか。嘘、誤魔化し、訂正は、何かを「防衛」するための攪乱工作かもしれません。

 この間、明らかになったことで一番呆れたのは、当直士官から事情を聞くためにヘリコプターを2機も現場から離れさせたことです。海中に投げ出された2人を、本気で救助する積もりがなかったこと、周辺海域での捜索よりも「事情聴取」の方を優先させたこと、遭難者の救助に「全力」を尽くしていなかったことは、この一事によって極めて明白です。
 イージス艦「あたご」は、回避可能な時点で漁船を視認したにもかかわらず、漫然と直進を続けました。衝突してからも直ちに報告せず、事後処理にもたつきました。
 しかし、「事情聴取」だけは、かくも素早く、「全力」で取り組んだわけです。「海の警察」である海上保安庁の許可も受けずに。

 私は以前、「そこのけそこのけ軍艦が通る」というエントリーで、「あたご」の航行を、人混みの中を肩で風切って歩くヤクザに喩えました。その続きで言えば、ぶつかった通行人を突き飛ばして負傷させたヤクザが、警察の事情聴取を受ける前に親分や兄貴などと相談していたようなものです。
 このような場合、何を相談するでしょうか。もちろん、親分は事情を聞くでしょうが、それだけではなく、警察に聞かれたら何と答えるかも相談するにちがいありません。
 防衛相に呼ばれて、石破茂防衛相をはじめ事務次官、統合幕僚長ら最高幹部に会った航海長(交代前の当直士官)も同様でしょう。何と弁明するか、相談したにちがいありません。

 ここでの密談で何を話し合ったのでしょうか。ポイントは、「漁船の青い光を見たのは衝突の2分前だった」という航海長の当初の発言です。ここに、防衛省の隠蔽工作の証拠があるからです。
 当初、赤い光ではなく「青い光」だと言ったのは、漁船が右からではなく左から来たということを示すためでした。漁船の光は、右側が青で左側が赤だからです。
 「青い光を見た」というのは「漁船の右側を見た」ということです、つまり、「清徳丸」は「あたご」の前方を左からやってきたのであり、回避義務は「あたご」ではなく「清徳丸」にあったと言いたかったわけです。しかし、その後、見たのは「青」ではなく、「赤」だったと訂正されました。

 もうひとつの「衝突2分前」という証言にも意味があります。直前に気がついたから、回避する余裕がなかったと言いたかったわけです。
 これも、「あたご」の責任を逃れるための嘘でした。しかし、その後、「2分前」ではなく「12分前」あるいは「2分以上前」と訂正されています。
 このように、当初の証言は、その後、訂正されています。詳しい状況が明らかになり、嘘をつき続けることができなくなったからです。直後に事情を聞いていたのに、どうして、その後の説明が二転、三転したのか、と思われるかもしれませんが、直後の事情聴取で偽りの弁明を打ち合わせたために、その後、事実が明らかになるにつれて訂正せざるをえなくなったというのが、本当のところなのではないでしょうか。

 さて、そうなると、本来、回避義務を有していたはずの「あたご」は、回避可能な時点で漁船を視認していたにもかかわらず、「相手がよけるだろう」と思い込んで漫然と直進し、「清徳丸」と衝突したことになります。混雑する東京湾に入り、前方に漁船団の存在を確認しながら、それでもなお自動操舵を手動に切り替える指示を出さなかった艦長は、「未必の故意」の罪を犯したことは明らかです。
 また、右から来る漁船に対して、「相手がよけるだろう」と思い込んで回避義務を果たさなかった「あたご」は、海上衝突予防法違反の罪を犯しています。「全力」で、遭難者の救助に当たらなかったという点では、「海の掟」にも反していると言うべきでしょう。

 防衛省が「防衛」しようとしたのは、これらの「罪」を犯した最大の責任者である「あたご」の艦長だった舩渡健1等海佐だったのではないでしょうか。この方は、ハワイ沖でのミサイル防衛実験を指揮し、誰も持たない「貴重な経験」を積んで帰ってきた「英雄」です。
 防衛省は、下部の乗員に責任をなすりつけて、この「英雄」を守ろうとしたのではないのか、というのが私の推測です。親分が事件を起こしたのに、子分を身代わりに差し出すというのは、ヤクザの良くやる“手”ですから。しかし、守りきれないと分かったら、今度はあっさりと更迭することにし、大親分(石破防衛相)を守るために「トカゲのしっぽ」を切ってしまいましたが……。
 ひょっとしたら、艦長が仮眠していたというのも嘘で、艦橋で指揮を執っていたのかもしれません。そして、この艦長が、最後の段階で操舵を誤ったことが、「清徳丸撃沈」の最大の要因となったのではないでしょうか。その時に生じた、決定的なミスによって……。

 その決定的なミスとは、何でしょうか。それは、衝突の直前、右から来る「清徳丸」をよけるために、右に切るべき舵を左に切ってしまったことです。
 前方を横切る船が見えたとき、右側に見た方が回避する義務を負うというのが、海上衝突予防法の規定です。そしてその際、回避するためには、右に舵を切らなければなりません。
 もし、「あたご」が右に舵を切っていれば、「清徳丸」は何事もなく前を通過していったでしょう。しかし、左に舵を切るというミスを犯したために、前方を横切る「清徳丸」を追いかけて真横から「撃沈」することになってしまったのではないでしょうか。

 なぜ、そのようなミスを犯したと分かるのでしょうか。それは、「あたご」の艦首に残っている傷が右側にあるからです。
 もし、「あたご」が右に舵を切れば右向きで衝突し、艦首の傷は左側にできます。しかし、実際には左に舵を切ってしまったために左向きで衝突し、艦首の傷は右側にできたのです。
 というわけで、艦首の下、右側に残る傷は、「あたご」が犯したミスを雄弁に物語っています。「あたご」は行き過ぎる「清徳丸」を追いかける形で真横からぶつかり、操舵室を引きちぎって海に投げ込んでしまったのだということを。

 防衛省が今も「防衛」しようとしている「秘密」がここにあります。嘘、誤魔化し、訂正を繰り返すことによってぼかそうとしている真実こそ、懸命に回避しようとした「清徳丸」を、イージス艦「あたご」が追いかける形で「撃沈」してしまったということなのではないでしょうか。
 いや、それは結果的にそうなってしまったのではなく、意図的にそうしたのかもしれません。自らが犯した過ちを隠蔽するために……。


2月24日(日) 漁船衝突事故が明るみに出した自衛隊のたるみ、特権意識、自己防衛本能 [自衛隊]

 自衛隊の傍若無人ぶりが次第に明らかになってきました。「そこのけそこのけ自衛艦が通る」という、ヤクザ顔負けの通行ぶりだったようです。
 「自衛艦はよけない」と、普段からいわれていたそうです。イージス艦「あたご」は、漁船「清徳丸」らの漁船団を蹴散らして進むつもりだったのでしょう。
 だから、混雑する東京湾に近づいても手動操縦に切り替えず、見張りを増やすこともしませんでした。衝突1分前まで、漫然と自動操舵を続けていたのはそのためにちがいありません。

 今回の事件の背景の一つは、「たるみ」です。情報が伝達されず、確認もおろそかでした。危険に対する想定や警戒心が弛緩しきっているといわざるを得ないでしょう。
 軍隊は戦争の防止のためにあるというのが、バランス・オブ・パワーに基づく「抑止力論」です。この主張を認める場合でも、絶対的な矛盾は避けられません。
 軍隊によって戦争が防止され、戦争の可能性が低下すれば、軍隊の存在意義もまた低下してしまうという矛盾です。現在の自衛隊は、このような矛盾を抱えています。そこからの脱却の道として考え出されてきたのが「国際貢献論」でした。

 もはや、日本を巻き込む戦争の可能性はほとんど考えられません。国民のほとんどは日本有事などあり得ないと考えていますし、自衛隊員の多くもそうでしょう。
 私も、日本有事などはあってはならないと思います。そのリアリティが減少している現状は、望ましいものだと考えています。
 しかし、そうなれば、自衛隊員の「やる気」は低下します。士気を維持するために考案されたのが、海外での戦争支援、すなわち「対テロ戦争」への参加です。

 とはいえ、戦争の可能性が低下すれば、軍事組織における士気の衰えと「たるみ」は避けられません。何があっても接待に応じてゴルフをやっていた守屋前防衛次官のような人が事務方のトップであり続け「守屋天皇」などと呼ばれたのも、このような「たるみ」が防衛省(防衛庁)の全身に行き渡っていたからでしょう。
 そして、それが最新鋭の「イージス艦」の乗組員をも蝕んでいたことが、今回の衝突事件で明らかになったというわけです。艦長から見張りの隊員まで、全員がたるみきっていたという以外に、今回の事件を上手く説明することはできません。

 もう一つの問題は、「特権意識」です。自衛艦には船舶安全法が適用されず、航海情報記録装置(VDR)が装備されていないなど、民間船に適用されるいくつもの法令が自衛艦だけ除外されるという「特別扱い」を受けていました。混雑する湾内に、外洋を航行するときと同じように自動操舵で入ってきたという事実こそは、このような「特権意識」の表れにほかなりません。
 それは、自衛隊員だけに特有なものではないという点に、さらに大きな問題があります。軍隊は国を守るものだから特別だという誤った意識は、一般の人々の中にもあるからです。
 その典型的な例は、「生業として漁業をしているから優先されると考えている人達には、生業の為に海を海賊から守ってくれる海軍に対する感謝の意識が欠落しているのではないでしょうか」というクライン孝子さんの主張http://www2.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=119209&log=20080221です。

 この主張には、二つの大きな誤りがあります。一つは、「海軍に対する感謝の意識」を持つべきだとして、その特権を認めていることです。赤信号を無視して交差点に入ってきたダンプカーが小型車をはねとばしたとき、ダンプカーが警察車両であれば、小型車の方が責任を負うべきだということになるのでしょうか。
 もう一つは、事実誤認の上で、この主張がなされていることです。「あたご」の非は海上のルールを守らなかったことにあり、漁民たちの批判も「生業として漁業をしているから優先されると考えている」からではありません。
 右からやってくる船を見た方に回避義務があり、それが「清徳丸」であったら「生業として漁業をしている」か否かに関わりなく、漁船の方に回避義務が生じます。「あたご」はこの義務を果たさなかったから批判されているのです。

 事実誤認といえば、「海を海賊から守ってくれる海軍」などというのが、その最たるものです。千葉近海に「海賊」が出没するとでも言いたいのでしょうか。
 そもそも、「海賊」対策は海上自衛隊ではなく、海上保安庁の仕事です。海上自衛隊は、「海を海賊から守ってくれる」任務を帯びておりません。
 時には海のレジャーにも行かれるらしいクライン孝子さんでさえ、こんなこともご存じないとは驚くばかりです。もう少し、常識と事実を踏まえた主張をしていただきたいものです。

 このほか、今回の事故では、事故後の対応として、自らの組織防衛を優先して海に投げ出された2人の遭難者を見殺しにした疑いが濃厚です。自衛隊における「自己防衛」本能のようなものが働いたのではないでしょうか。
 イージス艦は軍艦です。海上の戦闘に参加すれば、僚船が撃沈されることがあるでしょう。沈没した船の乗員の救助は、本来的な任務の一部とされているはずです。
 当然、海中に投げ出された海上戦闘員を救助するための最新鋭の装備を備え、そのための訓練も施されていたはずです。今回の衝突事故では、それがどのように生かされたのでしょうか。

 事故後の報告の遅れという問題もあります。自らの非が明らかになるのを恐れ、「なだしお」事故のときのような事実隠しが行われていたのではないかとの疑念をぬぐうことができません。
 もっと早く報告されていれば、救助活動はそれだけ早まり、2人が助かった可能性もそれだけ高まったことでしょう。自衛隊は、本気で2人を救うつもりがあったのでしょうか。
 この2人を見殺しにしたのかもしれません。隠蔽工作のために、救助を手控えたなどということはなかったのでしょうか。

 自衛隊もまた、本気で事実を明らかにする積もりがあるのか疑問です。艦長からの事情聴取は未だに行われていないようです。
 防衛庁が省になったのは間違いでした。事実関係と責任を明らかにし、解体的出直しが必要でしょう。
 石破さんも、きちんとした対応策と責任を明らかにして辞任すべきです。詰め腹を切らされることは明らかですから、自ら辞める方が賢明だと思いますよ。

 このイージス艦と清徳丸との衝突事件で、沖縄の米兵による少女暴行事件は後景に退いてしまいました。今日は三浦和義元被告がサイパンで逮捕されたことが報道されていますが、清徳丸の沈没もこのニュースの影にかすんでしまうかもしれません。
 このようにしてニュースは消費されていきます。新しい大きなニュースが飛び込んできて古くなったものは、もはや「ニュース」ではなくなってしまいます。

 これがマスコミの常とはいえ、次々と塗り替えられていくニュース番組に流されてはいけません。いつまでも忘れてはならない事件、古くしてはならない「ニュース」があるということを確認しておきたいものです。


2月21日(木) そこのけそこのけ軍艦が通る [自衛隊]

 可哀想でなりません。「何とか助かって欲しい」という気持ちで一杯です。
 千葉・野島崎沖で起きた海上自衛隊のイージス艦「あたご」とマグロはえ縄漁船「清徳丸」の衝突事故のことです。イージス艦「あたご」によって船を真っ二つにされ、海に消えてしまった吉清さん父子の捜索は今も続いていますが、まだ見つかっていません。

 お父さんは58歳だといいますから、多分、私の1学年上級でしょう。約15年前に脳梗塞で倒れ、体が不自由になっても「家族のため」と船に乗り続けていたそうです。
 息子の哲大さんは高校在学中に小型船舶免許を取り、高校2年で中退してお父さんを手伝うようになったそうです。お父さんはどれほど嬉しかったでしょうか。農家の長男でありながら父の跡を継ぐことができなかった私としては、この息子さんを誉めてあげたい気持ちで一杯です。
 その父子が、これから漁に出かけようと船を走らせていたとき、目の前に現れた巨大な軍艦によって船を切り裂かれ、暗く冷たい海に放り出されてしまったのです。

 イージス艦は1400億円もかけて作られた最新鋭の軍艦です。空母の護衛が主たる任務ですが、ミサイル防衛にも当たるとされています。
 高性能のレーダーを持ち、瞬時に敵の攻撃を察知し、同時に10以上の目標を補足して迎撃できる軍艦が、どうして目の前の漁船が分からなかったのでしょうか。乗員は300人もいるというのに、誰も近づく船に気がつかなかったのでしょうか。
 このイージス艦は、ハワイ沖でのミサイル防衛実験に参加し、寄港する途中だったそうです。大気圏外のミサイルに命中させるほどの精度の高い「目」を持ちながら、眼前の船を見過ごすとは、一体どういうことなのでしょうか。

 衝突現場の周辺は「海の銀座」と呼ばれ、沢山の船が行き来しています。衝突事故が起きた午前4時頃は、漁に出る漁船と帰ってくる船で混み合う時間帯だったといいます。
 そのようなときに東京湾に入ってきたイージス艦「あたご」は、特に注意する体制を取るということはなかったのでしょうか。
 海には波もなく、視界は良好だったといいます。甲板には、見張り以外にも10人ほどの乗員がいたそうです。それなのに何故、近づいてくる漁船を見落としたのでしょうか。

 実は、この漁船が近づいてきていることは、衝突の12分前に分かっていました。当初、青色の光しか見えなかったとされていましたが、今日の報道では赤色や白色の光も確認していたそうです。
 沈没した「清徳丸」は、右に舵を切って回避行動を取っていたようです。その横腹に、直角に「あたご」は衝突しました。
 事故の状況からすれば、「あたご」は灯火を確認して漁船が近づいていることを知りながら、漫然と自動操舵を続け、ほとんど回避行動をとっていなかったように見えます。相手が避けるだろうと、安易に考えていたのかもしれません。

 渋谷などの繁華街に行きますと、人混みのなかを悠然と歩いている人を見かけることがあります。「肩で風切って歩く」そのスジの人かもしれません。
 すれ違う人は、皆、自分の方からよけます。「肩で風切って歩く」人は、よけてもらうのが快感なのかもしれません。
 船で混み合う東京湾に威風堂々と入ってきたイージス艦は、人混みの中を「肩で風切って歩く」そのスジの人と同じだったのではないでしょうか。衝突する恐れがあっても、よけるのは自分ではなく相手だと、そう思いこんでいたのではないでしょうか。

 「そこのけそこのけ軍艦が通る」という気持ちだったのかもしれません。「ぶつかっても悪いのは相手だ。どうせ、こちらが沈むことはないのだから」と考えていたのかもしれません。
 軍の思い上がりがかいま見えるような気がします。「日陰者」の自衛隊が、日の当たる場所で堂々と行動できるようになってきたからかもしれません。
 自衛隊が旧軍に近づいてくるとともに、その構成員の精神性もまた、旧軍のあり方に似通ってきている可能性があります。「そこのそこのけ軍隊が通る」という思い上がった気持ちに……。

 最新鋭の装備がありながら、直ちにこの2人を救助することができなかったということも不可解です。事故のあと、防衛相や最高司令官である首相への報告が遅れたという事実もあります。
 自衛隊は、本気でこの2人を助けようとしたのでしょうか。事件のもみ消しや隠蔽、責任逃れを優先し、遭難者の救助が後手に回ったのではないでしょうか。
 寒い冬の海です。一刻も早い救助を願っていますが、予断を許しません。

 この時点でも、イージス艦の側に非があることは明らかです。対応の遅れも重大です。 関係者の処分は避けられません。石破防衛大臣は、責任を取って辞めるべきです。
 自衛隊の最高司令官は福田首相ですから、その責任も免れません。福田さんも、とっとと辞めるべきではないでしょうか。

 沖縄で米兵による暴行事件が起きたとき、2月15日付のブログ「米兵による事件再発防止のためには基地を撤去すべきだ」http://blog.so-net.ne.jp/igajin/2008-02-15で、私は次のように書きました。

 基地によって守られる「平和」などありません。しかし、基地によって破られる「平和」は確実に存在しています。
 沖縄の人びとの生活に「平和」を取り戻すためには、基地を撤去しなければなりません。それ以外に、このような事件の再発を防ぐ手だてはないのです。

 今また、同じようなことを書かなければならないのは、誠に残念です。

 軍隊によって守られる「平和」などありません。しかし、軍隊によって破られる「平和」は確実に存在しています。
 日本の人びとの生活に「平和」を取り戻すためには、軍隊を廃止しなければなりません。それ以外に、このような事件の再発を防ぐ手だてはないのです。


2月16日(土) 航空自衛隊航空総隊司令部が横田基地に移転する [自衛隊]

 昨日、万葉公園で紅梅が咲き始めたのを見ました。今日は、南浅川の土手で白梅がチラホラ咲き始めていました。
 春は、そこまで来ているようです。この寒さも、もう少しで終わりということでしょうか。

 今日の『毎日新聞』に小さな記事が出ていました。「在日米軍再編:横田基地で航空総隊司令部の移転推進式典」という以下のような記事です。

 在日米軍再編の日米合意に基づく航空自衛隊航空総隊司令部(東京都府中市)の移転推進式典が15日、移転先となる在日米軍横田基地(同福生市など)であり、日米政府関係者ら約80人が出席した。
 航空総隊司令部は空自の航空戦闘任務やミサイル防衛の中枢。在日米軍司令部と米第5空軍司令部のある横田に移り、日米の連携強化と情報共有を図る。今春にも庁舎建設工事が始まり、約600人の規模で10年度末までに移転を完了する。
 シーファー駐日米大使は「リアルタイムの情報共有が脅威への対処にいかに重要かを学んだ。(移転は)日米が平和のために尽くす一助となる」と連携の重要性を強調した。

 いよいよ始まりました。在日米軍と航空自衛隊との一体化に向けての動きです。
 航空自衛隊の司令部が府中から横田に移転し、そこにある米第5空軍司令部と「連携強化」するというわけです。移るのは、自衛隊であって、米軍ではありません。
 これまでは、形だけでも別のところにありました。もはや、融合と一体化を隠す必要もなくなったということなのでしょうか。

 これで、また一歩、虚妄のMD(ミサイル防衛)構想に向けての具体化が進むことになります。「ミサイル防衛の中枢」の強化を図ったというわけですから……。
 まったく愚かなことです。何の現実性もない構想のために、わざわざ司令部まで移そうというわけですから……。
 そのための費用は、全て無駄になります。壮大な無駄遣いが着々と進行しているというわけです。

 このような形で、国費が無駄使いされてよいのでしょうか。無能な政治家による無駄使いの政治は、一刻も早く止めさせなければなりません。