SSブログ

5月1日(水) 「日本の労働組合に、未来はあるのか」との質問への回答 [労働]

 昨晩、息子を通じて、組合の書記をしている先輩からの質問を受け取りました。その方は、私の書いたものなども読んでいて、「日本の労働組合に、未来はあるのか」と聞いてきたというのです。
 息子からこのような質問を受けるとは、嬉しいものです。しかも、労働者の祭典であるメーデーの前日に……。
 というわけで、早速、回答を書いて送りました。せっかくですので、このブログにもアップすることにします。

 質問は、以下のようなものでした。

「日本の労働組合に、未来はあるのか」
・なぜ未来があると言えるのか
・未来がないとどうなるのか
・なぜ未来がないかもしれないという意見が出てくるのか
・では未来のためにどうするべきなのか

 日本の労働組合に未来はあると思います。モノやサービスの生産者がいなくならない限り、その権利を守り、要求を実現するための団体もなくならないからです。
 また、労働組合は労使の対等な契約を保障するためにも欠かせません。労働力は生きた人間ですから保存は利かず、個々バラバラでは弱い立場にあります。それが使用者側と対等な立場に立って交渉し、契約を結ぶためには、労働組合に団結する以外にないからです。

 労働組合は、このような労使対等な労働契約の締結を可能にするために不可欠な組織であり、それが正常に機能することによって資本主義的なシステムも正常に機能することができます。この意味で、労働組合は資本主義システムに敵対するものではなく、その正常な機能を維持するためにビルトインされた存在であると言えます。
 自動車も、アクセルだけでは正常な運転は不可能です。ハンドルやブレーキも必要です。正しく走るためには「止める装置」がなければならないというのは、資本主義システムにとっても同様です。
 もし、そのような装置である労働組合が「止める」機能を充分に果たせなくなれば、資本主義は暴走します。運転を誤り、事故を起こして走行できなくなる危険性が生まれるのです。

 今の日本の労働組合は、このような危険性を生み出しつつあると言って良いでしょう。会社に癒着したり、過度に協調したりすると、本来果たすべきハンドルやブレーキとしての役割が失われてしまうからです。
 その結果、労働者の権利は守られず、賃金は生活を維持するに充分でなくなり、労働条件も過酷になって労働者自身の肉体や健康を維持できなくなります。その結果、人口は減り続け、労働力の再生産機能も阻害されます。
 このような状況は、使用者側にとっても大きな困難をもたらすものでしょう。これは労働組合が力を弱めた結果であり、このような現実を見れば、誰だって、労働組合に未来はないのでは?と思うにちがいありません。

 少子化は、ワーキングプアが増大し、結婚して子どもを生み家庭を維持するに充分な賃金を得られず、子育てが不可能になるような働き方を強いられている結果です。消費不況の深刻化も、可処分所得の低下と生産年齢人口の減少によって生じています。
 このようにして社会と経済が壊れつつあります。その現状を打開する力があるのも、労働組合だけです。そのためには、会社と癒着せず、過度の労使協調を改めて、自立することが必要です。
 それは難しいことではありません。構成員である労働者の意見や要求を大切にし、労使の意見や利害が対立したときには、使用者の側にではなく労働者の側に立てば良いのです。

 そもそも、労使は相互に対立しつつ、同時に依存し合っている関係にあります。労使の利害が対立することは避けられません。しかし、常に一方は他方を必要としています。労働者がいなければ会社は存立できず、会社がなくなれば労働者は働く場所を失うからです。
 このような相互の関係を正しく認識し、互いの立場と利害を認めつつ主張をぶつけ合って均衡点を見出す力を身につけなければなりません。それは労使双方にとって必要なことです。
 そのような要請に応えられなければ、日本の労働者はさらに困難な状況に直面することになるでしょう。そして、それを打開するために、労働組合のあり方を刷新し、新たな運動主体を形成することになるのではないでしょうか。

 このような意味で、労働組合は不滅です。したがって、日本の労働組合に未来はある、と私は思います。

nice!(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

トラックバック 0