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6月2日(日) 「日本の青空Ⅲ 渡されたバトン~さよなら原発」を見てきた [原発]

 今日は「6・2NO NUKES DAY」(ノーニュークスデイ)で、国会周辺では原発ゼロに向けて様々な取り組みが予定されています。これに向けてというわけではありませんが、先日、ある自主上映会で「日本の青空Ⅲ 渡されたバトン~さよなら原発」という話題の映画を見てきました。

 驚きましたね。映画の主人公の一家は「五十嵐家」だったからです。
 ただし、私の場合は「いがらし」と発音しますが、映画の一家は「いからし」と濁りません。私の故郷である新潟県内では濁らない読み方も多く、私が通っていた中学校の近くには「五十嵐(いからし)」という集落もありました。古くからある地名や人名はあまり濁りません。
 というのは、五十嵐姓のルーツは、越後の三条、魚沼、頸城地方を開拓した第11代垂仁(すいにん)天皇の第8皇子である五十日帯日子命(いかたらしひこのみこと)だからです。この読みから「た」の字が抜けて「伊加良志」となり、やがてこれが「五十嵐」に変わり、読みも「いからし」から「いがらし」と濁るようになったようです。
 今も、三条市の旧下田(しただ)郷には五十嵐(いからし)川があり、その近くには五十日帯日子命の陵墓とされている「五十嵐神社」が残っています。以上、五十嵐姓の由来について、詳しくは「全国五十嵐会」のホームページhttp://tsubamereki.web.fc2.com/ikarashi.htmをご覧下さい。

 おっと、話が違うところに飛んでしまいました。「渡されたバトン」という映画の話でした。
 劇映画「日本の青空」はインディーズが2007年から製作しているシリーズで、最初の映画「日本の青空」は日本国憲法制定時の憲法研究会とその憲法草案を起草した鈴木安蔵を扱っていました。次の「いのちの山河~日本の青空Ⅱ」は全国に先駆けて老人医療費無料化を実現した岩手県旧沢内村(現・西和賀町)の深沢晟雄村長をモデルにしたものです。
 そして、今回、私が見た「渡されたバトン~さよなら原発」は「日本の青空Ⅲ」に当たります。この映画は住民投票で全国で初めて「原発建設NO!」を選択した新潟県巻町(現新潟市)を舞台とし、割烹旅館を営む両親と3人姉妹・弟の6人家族を中心とした物語ですが、はじめの方で墓参りのシーンが出てきたとき「五十嵐家の墓」と書かれていてビックリしました。

 私はもちろん、この「日本の青空」シリーズの前2作を見ています。そして、前2作と同様、今回の映画も大いに感動しました。皆さんも近くで上映される機会がありましたら、ご覧になって下さい。
 特に、割烹旅館の親父を演じた赤塚真人さんと漁協理事の刈谷俊介さんが良かったですね。憎まれ役の原発推進側である、町会議員を演じた鈴木正幸さんも味がありました。
 ただ、最後のところ、お祖母ちゃんの誕生日祝いのシーンで卓の上に並んだご馳走がいささか貧弱だったのが残念です。私の実家もそうですが、田舎でのお祝いのご馳走はあんなものじゃありませんから……。

 なぜ、この映画の表題が「渡されたバトン」なのか。映画を見るまで、不思議に思っていました。
 その謎は、映画を見れば理解することができます。ここでは、「渡されたバトン」を引き継いでいくためには、「さよなら原発」を選択するしかないとだけ書いておきましょう。
 その意味を知りたい方は、是非、映画そのものをご覧になって下さい。

 それにしても、原発建設の動きが始まるのが1968年、原子炉設置許可申請の取下げによってそれが断念されるのは2004年でした。この間、実に36年の長さです。
 私が都立大学に入学するために故郷の旧頸城村から上京するのが1969年ですから、その頃から、巻原発建設に向けてのうごきが始まっていたことになります。その後、風の便りに噂を聞くことはありましたが、このような反対運動についてはほとんど知りませんでした。
 世代を越えた運動の成果が、「さよなら原発」の選択でした。そして、そのような選択の正しさは、2011年の東電福島第1原発の過酷事故によって示されることになります。

 しかし、安倍内閣は今もこのような選択を行おうとはせず、「成長戦略」の中心に原発再稼働を位置づけ、他の国々に原発を売りつけようとしています。その政策の過ちを理解してもらうためにも、一人でも多くの国民にこの映画を見ていただきたいと思います。

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