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3月13日(金) 書評:赤堀正成著『戦後民主主義と労働運動』 [論攷]

〔以下の書評は、『大原社会問題研究所雑誌』第677号、2015年3月号、に掲載されたものです。〕

 「戦後民主主義」とは何か。それは「実体」であったのか、「虚妄」であったのか。長い間の論争と考察の歴史に新たな視座と問いかけを提起したのが本書である。その特徴は、「労働運動」との関わりを重視するところにある。それも、かつて「昔陸軍、今総評」と言われて戦後の一時代を風靡した総評労働運動との関連を主軸においての考察である。
 ただし、残念ながら本書には全体にわたって課題や視角を示した「はじめに」もなければ、全体を総括する形での「結論」も付されていない。もし、そのような形での配慮がなされていれば、本書に対する理解がさらに深まったのではないかと惜しまれる。
 ただし、本書の中心をなしている第1部については、冒頭に「はじめに」が記されている。ここで示されている問題提起や課題は本書全体に通ずるものと思われるので、それをここで紹介しておこう。
 著者によれば、本稿(第1部)の課題は「総評労働運動とまたそれが自己と不可分に担った戦後民主主義とは何なのか、或は何だったのか、また何であり得るのか、ということである」。総評労働運動は政治と社会に大きな影響を与えた「成熟した運動」という点に大きな特徴があり、「こうした特殊な性格をもつ労働運動がどのように形成され、成立したのかを検討することが本稿の課題」とされている。
 つまり、「戦後民主主義」という視覚から再評価した総評労働運動史が第Ⅰ部なのであり、第Ⅱ部はその各論となっている。それによって、総評労働運動が持っていた「特殊な性格」を明らかにしつつ、同時にその総評によって担われていた戦後民主主義の意義と力量を考察することが意図されている。この点に、本書の最大の特徴があり、メリットもある。
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 本書は「第Ⅰ部 戦後民主主義と労働運動――その形成」と「第Ⅱ部 戦後民主主義、労働運動、市民運動」の二部に分かれている。
 第1部は「戦後民主主義の主体形成」「戦後民主主義の形成――“ニワトリからアヒルへ”の過程」「戦後民主主義の確立――労働組合主義、経済主義に抗して」という3つの章からなる。
 このうち第1章は、民主化同盟(民同)、活動家層の形成、「地域闘争」と「職場闘争」、平和問題談話会などを扱っている。これらを通じて、戦後民主主義を担う主体(労働組合、社会主義政党、知識人)がどのように形作られていったかが検討され、社会党左派と民同との結合が社会党-総評ブロックの原型であり、その流れが戦後民主主義運動を形成していくこと、この時期の地域闘争と職場闘争が戦後民主主義の運動形態の端緒であったこと、労働運動と知識人集団を含む統一戦線の構想が存在したことなどが指摘されている。
 第2章は、このようにして形作られた主体(総評、社会党、知識人)が「有機的連関をもって戦後民主主義を形成してくる過程」が検討される。具体的には、講和三原則と平和四原則、平和問題談話会、総評の結成と第二回大会での「ニワトリからアヒルへ」の変化、社会党の分裂、破防法反対闘争、知識人との共闘、高野実による指導、社会党-総評ブロックの成立、選挙運動と知識人などが扱われており、「高野時代」の総評と社会党、知識人との有機的な関連を分析した本章が、内容的にも分量的にも本書の中心だと言える。
 第3章は、高野指導から「太田-岩井ライン」への転換の過程を追いながら、第3勢力論と平和勢力論、高野と和田博夫や太田薫との確執や対立、左派社会党綱領論争と知識人、統一戦線の可能性、太田の事務局長選落選と岩井章事務局長の登場、太田-岩井ラインにおける高野指導の存続などが扱われている。
 本章の最後に位置する「終わりに変えて」では、「職場闘争と地域共闘という戦後民主主義に特有の運動形態」が60年代にどのように変容するかが概観されている。結論的に、民間大企業労組の脱落はありつつも、ベトナム反戦運動や革新自治体運動などを経て新自由主義改革の下で再び「地域共闘の復活がみられるようになった」とし、「担い手がいる限り、戦後民主主義と労働運動はこれからも新たな展開を生み出すだろう」との展望が示されている。
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 続く第2部は、このような展望を具体的な事例をもって検証することが期待される位置にあった。しかし、ここでの「1960年代初頭における教育政策の転換と教育運動――岩手県における全国一斉学力テスト反対闘争を中心に」「高度成長期における『市民の論理』の歴史性」「1990年代新自由主義東京の労働運動」という3つの章は、残念ながら部分的にしかこの期待に応えるものとなっていない。
 このうち第1章は、岩手県教職員組合(岩教組)の取り組みを事例に、「日教組を中心として展開した学力テスト反対闘争がいかなる対応を示したのかを考察することで、総評労働運動がどのように企業社会を『準備』したのか」を検討したものである。岩教祖の反対運動は教育の国家統制に反対する運動であったというよりは大衆社会から排除されていた民衆による「貧困」を主敵とする運動であったために、「大衆社会に組み込まれ」るにつれて「運動はその後、停滞し、沈滞し、後退していった」とされる。そのような特徴が日教組の学力テスト反対運動全体に共通する限界であったのか、「総評労働運動と企業社会の成立」といかなる関係にあったのかについては十分な検討がなされていない。
 第2章は、久野収、高畠通敏、小田実などの議論を通じて60年安保闘争時とそれ以降における「市民の論理」を検討し、「世直しの論理と倫理」などを媒介としつつ「階級の論理」との「協同」へと至るプロセスが跡付けられている。本章の最後には、「残した論点、対象は今後の課題としたい」と記されているが、どのような「論点」や「対象」が残されているのかについては明示されていない。
 第3章は、新自由主義と対峙した1990年代東京という地域と労働運動を対象に、「そうした運動の形成の歴史的基盤と可能性を探ること」を課題にしている。企業社会の新自由主義的な再編の下での地域共闘の周辺共闘への転換に着目しつつ、それが地域レベルで進展し、住民などとの共同の取り組みを進め、自治体に積極的に働きかけて成果を生んだと評価されている。この「90年代周辺共闘が地域や自治体レベルで取り組むエートスと経験は、戦後民主主義、それを担った労働運動を媒介としてもたらされたものだ」というのである。
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 本書について評価されるべき点ないし類書とは異なるメリットは、以下の点にあるといえよう。
 第1に、戦後民主主義を担う構成部分としての総評とその運動という「特殊な性格を持つ労働運動」のあり方が、どのような背景と経緯、論理と指導、担い手たちによって形成されてきたのか、そしてまた日本社会党が他に例を見ない社会民主主義政党となったのかが実証的多角的に明らかにされていることである。この点で本書は独特の総評形成史を描いており、60年安保闘争に至る戦後労働運動史としても極めてユニークなものとなっている。
 第2に、このような著者の独特なとらえ方は、いくつかの重要な指摘を生んでいる。以下に列挙すれば、「地域闘争、職場闘争が戦後民主主義を支えた主要な運動形態となった」(56頁)、「両者が持った政治的意味合いは全く異なり、講和三原則と平和四原則の間には闘争とそれがもたらした大きな断絶が存在する」(73頁)、「労働組合の経済主義、労働組合主義の否定の上に戦後民主主義とその実働部隊たる総評労働運動が成立した」(96頁)、「戦後民主主義は西欧型社会民主主義になれなかったのではなく、西欧型社会民主主義と対峙し、それを克服する過程で成立した」(178頁)、「生産点において『新憲法感覚』が『階級的武器』たり得ているのは50年代までで、60年代前半の民間大経営においては『新憲法感覚』は『新型労務管理にとって有利な武器』となる状況がすでに生まれていた」(193頁)などである。
 第3に、このような総評とその運動を生み出すうえで果たされた左派社会党と知識人の役割に新しい光が当てられていることである。とりわけ、平和問題談話会の役割の重要性、社会党の左旋回と青年部、新産別の総評加盟と水戸信人の幹事会での活躍、平和4原則の採択による「アヒル」への転換、左傾化した総評による社会党への介入と分裂など、通説とは異なる重要な事実発見と指摘が多くみられる。
 第4に、戦後民主主義の形成や総評労働運動の展開において知識人が担った独特で重要な役割が再評価されていることである。60年代後半以降の一日共闘や革新自治体の誕生において知識人は大きな役割を果たすが、それは戦後民主主義の構成主体としての歴史的背景抜きにはあり得なかった。このような知識人の知的営為を検討することによって、「戦後民主主義は『与えられたもの』でもなく、『屈折した心理』によるものでもなく、『憲法9条があったから』でもなく、1950年前後、当時の『歴史的現実』との主体的、自覚的『対決』を経て初めて成立しえたこと」が明らかにされるのである。
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 同時に、本書については、いくつか残念な点についても指摘しておかなければならない。
 第1に、冒頭で指摘したように、本書全体についての「はじめに」が付されていないことである。そのために、本書全体の課題や視角が明示されず、第Ⅰ部と第Ⅱ部の関連についても説明不足で第Ⅱ部の位置づけが不明確になっている。少なくとも、第Ⅱ部の表題は「戦後民主主義の展開」ないしは「変容」とでもして、全体にかかわる記述を置くべきだったように思われる。
 第2に、本書のキー概念である「戦後民主主義」の用法についても、一定の揺れが散見される。本書においては、「戦後民主主義勢力」「戦後民主主義思想」「戦後民主主義運動」「戦後民主主義による達成物」などを示す内容がこの言葉によって代表されているように見える。「戦後民主主義」をきちんと定義した上で、それぞれの内容を明示した方がもっと分かりやすくなったのではないだろうか。
 第3に、「戦後民主主義は、労働組合(総評)、政党(社会党・共産党)、知識人集団(主に平和問題談話会に組織された知識人)――この三者の結合によって成立した」とされているが、「結合によって成立」という意味がよくわからない。また、「政党」では「共産党」の名もあるが、その後の記述ではほとんど登場せず、戦後民主主義の構成主体としての共産党の役割が解明されていないように思われる。
 第4に、2000年以降の研究が十分に反映されていないという大きな問題がある。本書の中心となっている第Ⅰ部は1996年1月に脱稿され、第Ⅱ部の各章も1993年と1997年に書かれ、最も新しいものは2010年である。それぞれ若干の補筆・修正が加えられているとはいえ、小熊英二著『〈民主〉と〈愛国〉』(新曜社、2002年)などの新しい研究動向が参照されておらず、2000年代に入って以降の戦後民主主義をめぐる状況が十分に踏まえられた記述になっていない。
 これらの弱点を補うためにも、最近の研究動向を踏まえ、新自由主義的改革の攻勢下における「戦後民主主義と労働運動」の新たな展開の検証に向けて、今後の研究の発展を期待したい。
(赤堀正成著『戦後民主主義と労働運動』御茶の水書房、2014年4月、ⅲ+303p、5000円+税)
(いがらし・じん 法政大学大原社会問題研究所名誉研究員)


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