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4月23日(木) なぜテレビは政治を正面から報じないのか(その2) [マスコミ]

〔下記の座談会は、『前衛』No.922、2015年5月号、に掲載されたものです。出席者は、五十嵐仁(法政大学元教授)、岩崎貞明(放送レポート編集長)、砂川浩慶(立教大学准教授)、永田浩三(武蔵大学教授)の4人ですが、私の発言部分だけを3回に分けてアップします。他の方の発言を含めたやり取りをお知りになりたい方は掲載誌をお読みください。〕

 五十嵐 私が在籍していた法政大学の大原社会問題研究所の初代所長は高野岩三郎氏です。戦後最初のNHKの会長として、「権力に屈せず、大衆とともに歩み、大衆に一歩先んずる」放送をめざしました。また、戦前の研究員であった権田保之助さんもNHKの理事でした。この高野会長と現在の籾井会長との間にある巨大な「落差」が、戦後におけるNHKのもつ意義・役割あるいは内容の大きな変化を象徴しているように思います。
 岩崎さんが「内部での自由」ということを言われましたが、それは政府や権力側が報じてほしくない、国民に知られたくないことがらを報道する自由です。それは国民にとっては知らなくてはならない、権力が隠そうとしている事実を知る権利、そのような国民の権利を守ることにつながります。報道の内部における現場や記者の自由を確保することは、報じる側の記者自身あるいは報道機関にとってだけでなく、それを受け取る国民の側にとっても必要なことであるということを強調しておく必要があるでしょう。
 安倍首相のメディアに対するかかわり方は特異です。問題の「ETV2001」への介入も、当時、安倍さんは官房副長官でしたが、同時に日本軍「慰安婦」の記述を教科書からなくすこと を課題に掲げた国会議員の議連「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」の元事務局長として、意識的に「従軍慰安婦」問題を取り上げた番組に介入したのです。これが極めて露骨であったのは、はっきりとした目的意識に基づいて介入したからです。その後の高裁での判決では介入が事実だったと認定されましたが、最終的には最高裁でNHK側の主張に沿った不当判決が下されました。その後、担当者がNHK内部で他の部局に飛ばされることもあり、安倍さんとしては上手くいったと思っているのではないでしょうか。これが成功体験として残ったように見えます。
 他方で、第一次安倍内閣のときには失敗の体験があります。この「従軍慰安婦」問題の番組についても、その後朝日新聞がスクープしたわけですが、この問題も含めて第一次安倍内閣のときは「朝日」と激しくやりあいました。当時、「政治と金」の問題で閣僚の辞任が相次ぎ、朝日新聞をはじめとしたマスコミは安倍内閣に対する批判の論陣を張った。その結果、内閣支持率が下がり、参議院選挙で大敗します。潰瘍性大腸炎という持病もあって九月に辞任しましたが、安倍さんにとってはマスコミ報道に負けた体験として総括されているのではないか。
 「ETV2001」問題で介入して、それなりに成果をあげたという成功体験と、その後マスコミ対策に成功せず、してやられたという失敗体験との両方の総括の下に、今回の第二次内閣でのメディア戦略、テレビなどに対する工作が編み出され、専任担当者として世耕弘成さんを官房副長官に配置し、メディア対策を強化しているのだと思います。

 五十嵐 ただ、国際社会への働きかけの強化という点で、ある種それは意識的にやろうとしているわけです。安倍政権は、いままでの政権以上に外国の目を気にし、働きかけを強めています。「戦後レジームからの脱却」や「積極的平和主義」などの安倍路線を実行するうえで、国際社会の目が障害になっているという意識なり自覚なりがあるわけです。歴史認識の問題でも「従軍慰安婦」の問題でも、国際社会に受け入れられていないということを自覚している。これを変えたい、それを国際放送で変えようというわけです。
 安倍さんは、首相になってから海外に行く機会が極めて多い。月に一回くらい行くということを自分に義務づけているそうで、すでに六〇か国以上を訪れ、六兆円以上に上る支援を表明してきました。こうして外国でお金をばらまいてくるわけですが、私に言わせれば、安倍路線を受け入れてもらうために国際社会を買収しているようなものです。買収するのも、行くのも税金ですから、「税金バラマキ外交」そのものです。今回の中東歴訪も、このような取り組みの一環でした。
 最終的には、国連の組織改革を実現して安全保障理事会の常任理事国に加わりたいということでしょう。「積極的平和主義」という新しい外交・安全保障路線についての味方を増やし、中国包囲網=反中国勢力を拡大していく。そのためにも、国際放送によって日本政府の立場なり安倍首相自身の考え方を世界に向かってPRする。国際放送としての信頼感が低下することなどはお構いなし、ということなのではないでしょうか。

 五十嵐 つまり、権力や政府からの介入という問題、あるいはそれに対する「忖度」や「萎縮」「自主規制」という問題だけでなく、テレビ産業の構造的な変化によって生じた問題も、いまのテレビの状況を生み出している。それが政治とのかかわりでどういう意味を持つのかというと、端的に言って「第四の権力」としての機能の衰退ということです。テレビ業界の関係者は、立法・行政・司法に次ぐ「第四の権力」であるという自覚すらないように見えます。

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