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5月2日(土) ジャカルタと米議会での安倍演説で明らかになった「70年談話」での騙しのテクニック [首相]

 安倍首相は4月29日、日本の首相として初めて米議会上下両院合同会議で演説(米議会演説)しました。これより前、4月22日にインドネシアのジャカルタで開かれたアジア・アフリカ会議(バンドン会議)60周年記念首脳会議に出席したときにも演説(ジャカルタ演説)しています。
 この2回の演説は、夏に発表される予定の「戦後70年談話」の内容を先取りするものとして注目されていました。この二つの演説で、「70年談話」で安倍首相が駆使しようとしている騙しのテクニックの骨格が明らかになりました。

 その第1は、村山談話や小泉談話に用いられていた「侵略戦争」という用語を回避し、これに代わるものとして「先の大戦」という言い方をしていることです。もちろん、侵略戦争によって可能とされた植民地支配には全く言及せず、知らん顔をしています。
 この点について、ジャカルタ演説では「“侵略または侵略の脅威、武力行使によって、他国の領土保全や政治的独立を侵さない。”“国際紛争は平和的手段によって解決する。”バンドンで確認されたこの原則を、日本は、先の大戦の深い反省と共に、いかなる時でも守り抜く国であろう、と誓いました」と述べています。「侵略」という言葉はありますが、それはバンドン会議の原則への言及として、にすぎません。
 米議会演説でも「戦後の日本は、先の大戦に対する痛切な反省を胸に、歩みを刻みました」と述べています。「先の大戦」という言い方が用いられている点は全く同じです。

 第2に、「アジア諸国民に苦しみを与えた事実」を認める場合でも、その「苦しみ」が侵略戦争や植民地支配によって与えられたことを曖昧にしています。米議会演説では、「みずからの行いが、アジア諸国民に苦しみを与えた事実から目をそむけてはならない。これらの点についての思いは、歴代総理と全く変わるものではありません」としてジャカルタ演説よりも踏み込んでいました。
 これは米議会内に「安倍首相は歴史修正主義ではないのか」という懸念があることへの配慮でしょう。しかし、その場合でも、主語は「みずからの行いが」という抽象的な言い方にとどまり、どのような「行いが……苦しみを与えた」のか、という点については口をつぐんでいます。
 これと好対照なのが、アメリカとの戦争です。日米戦争については、「真珠湾、バターン・コレヒドール、珊瑚海…」と数々の激戦地を列挙し、「メモリアルに刻まれた戦場の名が心をよぎり、私はアメリカの若者の、失われた夢、未来を思いました。歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。私は深い悔悟を胸に、しばしその場に立って、黙祷を捧げました。親愛なる、友人の皆さん、日本国と、日本国民を代表し、先の戦争に斃れた米国の人々の魂に、深い一礼を捧げます。とこしえの、哀悼を捧げます」と「深い悔悟」の意を重ねて表明しています。このとき、アジア「の若者の、失われた夢、未来を思」うことは、なかったのでしょうか。

 第3に、このような「先の大戦」への「反省」の主体を、日本や戦後日本としている点です。反省しているのは日本や戦後日本であって、安倍首相本人ではありません。
 米議会演説では、「先の大戦の深い反省」の主語は「日本」となっています。同様に、 ジャカルタ演説でも「痛切な反省」の主語は「戦後の日本」となっていました。
 「反省だけならサルにもできる」と言われますが、安倍首相にはできないということでしょう。「反省」という言葉は口にするものの、それに対する自らの責任は巧妙に回避するという卑怯極まりないテクニックが用いられているということになります。

 第4に、従軍慰安婦については口をつぐむか、女性の人権侵害として一般的な問題に解消するというやり方をとっています。前者がジャカルタ演説であり、後者が米議会演説です。
 いずれの場合にも、「従軍慰安婦」という言葉は出てきません。間接的に言及したとされている米議会演説では、「紛争下、常に傷ついたのは、女性でした。私たちの時代にこそ、女性の人権が侵されない世の中を実現しなくてはいけません」として、今日の国際紛争との関連における女性の人権問題として言及されています。
 これは過去の歴史問題についての発言ではありません。もし、この問題がり上げられる場合でも、河野談話の継承という形で逃げを打つか、「人身売買の犠牲者」として日本国家や軍の責任を曖昧にするか、どちらかでしょう。

 以上をまとめれば、「70年談話」で「先の大戦への反省」は示しても、その「大戦」が侵略戦争であったことは認めず、「反省」は首相自らのものであることを曖昧にしようとするでしょう。植民地支配や心からのお詫びには口をつぐみ、従軍慰安婦について明言することを避け、戦時下における女性の人権問題一般あるいは人身売買の犠牲者として言及するにとどめるのではないでしょうか。
 それで、日本国民はもとより国際社会の理解が得られるでしょうか。とりわけ、中国や韓国が、そのような姑息なテクニックによって騙されるとは思えません。

 そもそも、戦後70年に当たって談話を出すことの意味はどこにあるのでしょうか。いったい何のために談話を出すのか、和解と仲直りのためなのか、それとも対立し喧嘩するためなのか。
 談話を出すのは周辺諸国と和解し関係を改善するためであって、対立し緊張を高めるためではないはずです。そのことさえ理解していれば、姑息な手練手管などは必要ないはずなのですが……。

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3月25日(水) 安倍首相が口にした「我が軍」という言葉はどのような意味を持っていたのか [首相]

 心の内が、ポロリと表に出てしまったということでしょう。普段からそう考えているから、何気ない答弁で言葉になってしまうのです。

 安倍晋三首相は20日の参院予算委員会で、自衛隊と他国との訓練について説明するなかで自衛隊を「我が軍」と述べました。維新の党の真山勇一氏が訓練の目的を尋ねたのに対し、首相は「我が軍の透明性を上げていくことにおいては、大きな成果を上げている」と語り、大きな問題になっています。
 これが何故、問題になるのかといえば、政府の公式見解では、自衛隊を「通常の観念で考えられる軍隊とは異なる」としているからです。憲法9条は「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と定めていますから、「軍」を保持することは憲法違反になります。
 事実、安倍首相自身も、2006年の第1次安倍内閣の答弁書(06年12月1日付)では、自衛隊は「通常の観念で考えられる軍隊とは異なるもの」で、憲法9条第2項で「保持することが禁止されている『陸海空軍その他の戦力』には当たらない」と答えていました。

 それを、今回の答弁では「我が軍」と述べて、自衛隊を「軍」として認識していることが明らかになったわけです。これに対して、民主党の細野豪志政調会長は24日の記者会見で、「これまで自衛隊という形で憲法の枠組みの中で積み上げた議論を、全部ひっくり返すような話を総理がおっしゃるということについては非常に理解に苦しむ。(新しい安全保障法制をめぐる)与党合意ができたということで前のめりになっておられるのかもしれないが、この問題については時間をかけてしっかりと国会でやることが極めて重要だ。私は安全保障については現実的な対応を、という考え方だが、私の目から見ても非常に懸念される状況なので、より民主党の役割は大きくなってきている」と発言しています。
 このような発言をするのは当然でしょう。「現実的な対応を」と考えている細野さん「の目から見ても非常に懸念される状況」であることが、首相自身の口から明らかになったのですから……。

 しかし、安倍首相が「これまで自衛隊という形で憲法の枠組みの中で積み上げた議論を、全部ひっくり返すような話」をするのは、今回が初めてではありません。すでのに、2013年2月1日の参院本会議で、「自衛隊は国内では軍隊ではありませんが、国際法上は軍隊として扱われています。このような矛盾を実態に合わせて解消することが必要と考えます」と答弁していました。
 また、自民党が2012年4月に発表した憲法改正草案には「国防軍」の創設が盛り込まれています。これも、「矛盾を実態に合わせて解消する」ためのものでしょう。
 これまで、「戦力」としての軍隊は保有できないけれども、憲法は自衛権を認めているので、「国際紛争を解決する手段としては」放棄しても「自衛」のためなら許されるとし、その「必要最小限度」を越えない実力組織であれば保有は許されるという解釈の下に、自衛隊が発足し、保持され、増強されてきました。その結果、「国際法上は軍隊として扱われる」ほどの「戦力」にまで成長し、その結果生じた「矛盾」を「実態に合わせて解消する」ために、自衛隊を通常の軍隊と位置付けるために、「実体」の方ではなく「憲法」に法を変えようというのが、安倍首相が考えている改憲方針だということになります。

 これまで国民を欺いてきた結果、憲法の枠に実態が合わなくなり、自衛隊は「軍」になってしまいました。本来であれば、憲法の趣旨によってそれを是正するというのが、あるべき姿でしょう。
 それを、実態がこうなってしまったから、憲法の方を変えるというわけです。これでは憲法の持っている規範性が失われてしまいます。
 国民を欺き憲法に違反して実態を変え、今度は、その実態に合わせて憲法の方を変えてしまおうというのですから……。

 自衛隊は通常の軍隊ではないから憲法違反ではないというのが、これまでの政府の説明でした。安倍首相も第1次内閣では、そう答弁していたのです。しかし、このような偽りの答弁で取り繕うことができないほどに、自衛隊の「実力」は増強され、世界でも有数の軍隊としての「実態」を持つようになってしまいました。
 このような「実態」を踏まえて、力を弱めてきたアメリカから、もっと能動的で積極的な役割を果たし、軍事分担を引き受けるように強く要求されるようになりました。それに応えるためには、これまでの枠を外し、憲法の制約を踏み越える必要が出てきたというわけです。
 日本の安全と関係あろうがなかろうが普通の軍隊として米軍などと協力できるようにするための方策が集団的自衛権の行使容認であり、9条改憲なのです。そのような方向を目指して与党協議会で公明党を抱き込むことに成功し、いよいよ国会に法案を出してそれが実現できると思い込んだ安倍首相が、思わずポロリと言ってしまった言葉が「我が軍」でした。

 集団的自衛権の行使を容認するための新3要件の最初には、「我が国と密接な関係にある他国が攻撃されたとき」とありますが、ここには「軍」という言葉が隠されています。実際に自衛隊が守るのは、「他国」ではなく「他国(軍)」であり、その主たる対象は米軍です。
 集団的自衛権の行使容認と9条改憲が目指しているのは、自衛隊を普通の軍隊として認知し、いつでもどこでも米軍との共同作戦を可能にすることなのです。今回、思わず安倍首相が口にした「我が軍」という言葉は、はしなくもこのような思惑の一端を表面化させる失言だったということになります。

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3月17日(火) 「戦後70年談話」をめぐって形成されつつある安倍包囲網 [首相]

 安倍首相にとっては頭の痛い問題になりつつあるのではないでしょうか。「戦後70年」
に当たって発表するとしている談話です。

 これについては、当初、新しい談話を出すことによって村山談話を換骨奪胎することを狙っていたようです。萩生田光一自民党総裁特別補佐が明らかにしていたように、新談話によって「上書き効果」を生じさせ、事実上、村山談話の内容を修正することが目指されていました。
 しかし、ここにきて次第に様子が変わってきたように見えます。「戦後70年談話」をめぐって、安倍首相の目論みを許さない方向での包囲網が次第に形成されつつあると言って良いのではないでしょうか。
 安倍首相の大きな誤算は、「戦後70年談話」が思いのほか国際的な注目を浴びるようになってしまったということにあります。それは、「歴史認識に関する歴代内閣の立場を全体として引き継いでいく」と言い続け、「部分的には引き継がない」ことを示唆してきた安倍首相本人がもたらした結果でもあるのですが……。

 すでに今年の初めにアメリカからのジャブが繰り出され、アメリカ政府がこの問題に大きな関心を抱いている事実が明らかになりました。サキ報道官が1月5日の記者会見で「村山談話、河野談話が示した謝罪は、日本が近隣諸国との関係改善に努力をする中で重要な一章を刻んだというのがわれわれの見方だ」と強調し、村山談話や河野談話を踏襲するようクギを刺したからです。
 これに対して安倍首相は、「先の大戦への反省、そして戦後の平和国家としての歩み、そして今後、日本としてアジア太平洋地域や世界のために、さらにどのような貢献を果たしていくのか。世界に発信できるようなものを、英知を結集して考え、新たな談話に書き込んでいく考えであります」と述べ、「大戦への反省」を口にせざるを得なくなりました。この発言を受けて、サキ報道官も「(安倍氏の発言は)歴史問題と戦後日本の平和への貢献に前向きなメッセージを含んでおり、歓迎する」と発言しました。
 このサキ報道官の発言について前日の発言を「訂正」したという報道がありましたが、それは「訂正」ではなく、首相の釈明を「歓迎」するものだったのです。これによって、少なくとも安倍首相は「戦後70年談話」で「先の大戦への反省」に言及することを約束した形になりました。

 その後、首相談話に関する政府の有識者会議「21世紀構想懇談会」が発足しました。その座長代理を務める北岡伸一国際大学長は3月9日、東京都内で開かれた国際シンポジウムのパネル討論で、先の大戦に言及して「日本は侵略戦争をした。私は安倍首相に『日本が侵略した』と言ってほしい」と述べています。
 安倍首相はこれまで、「侵略の定義は学界的にも国際的にも定まっていない」として、「先の大戦」が侵略戦争であったかどうかについて、あいまいな発言を繰り返してきました。これに対して、北岡さんは「侵略戦争」であったことをはっきりさせるべきだとクギを刺した形になります。
 この発言が有識者会議の答申にどう生かされるかは分かりません。しかし、集団的自衛権行使容認に向けての露払い役を務めた北岡座長代理でさえ、「侵略」であった事実を認め、それを明言することを求めた事実は重要でしょう。

 さらに、先日訪日したドイツのメルケル首相も歴史認識に触れ、「過去の総括は、和解をするための前提になっている。和解の仕事があったからこそ、EUを作ることができた」と、地域の安定には自国の「過去の総括」が必要だという見方を示しました。また、かつての敵国とどのようにして和解することができたのか、との質問には、「隣国が寛大でなければ和解は実現しないものだったが、ドイツが真摯に歴史に向き合おうとしたことが重要だった」と述べ、周辺国と和解した経緯を紹介しています。
 和解のための努力が必要だということ、その前提は「過去の総括」であり、そのためには「真摯に歴史に向き合おうとする」ことが重要だというのが、メルケル首相から安倍首相に対する忠告でした。この報道に接して、以前、ポーランドのワルシャワ郊外でユダヤ人を強制的に隔離したゲットーの跡地を訪れた時のことを思い出しました。
 ここには、西ドイツ時代のブラント首相が訪問して慰霊碑にひざまずき花輪をささげている姿を刻んだレリーフが残されていたのです。日本の首相で、かつての植民地支配や侵略戦争での残虐行為に対して、このような明確な行動によって謝罪した人が一人でもいたでしょうか。

 逆に安倍首相は、過去の「談話」という形での謝罪でさえ、その効果を曖昧にし失わせようとしています。それは、これまでの和解のための努力を無にしてしまう愚かな行為であるということが分かっているのでしょうか。
 メルケル首相の言うように、「戦後70年談話」の前提は「過去の総括」であり、そのためには「真摯に歴史に向き合おうとする」ことが必要です。「戦後70年談話」をめぐっては、このような形で国際的にも包囲網が形成されつつありますが、それによって安倍首相は自縄自縛に陥ってしまったのではないでしょうか。

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2月3日(火) 日本人人質2人を見殺しにした安倍首相の辞任を重ねて要求する [首相]

 この人は人間ではない、と強い嫌悪を感じました。テレビに映る安倍首相の顔を見たときです。
 政治家で、それも一国のリーダーであれば、たとえ保守や極右であったとしても、それなりにまともな人間なのではないかと、今まではそう思ってきました。しかし、安倍さんは違うようです。それに、橋下さんや石原さんも……。

 殺された後藤さんには、2人の幼い娘さんがおられます。この2人の娘さんは、「イスラム国」(IS)を名乗る過激派武装集団によってお父さんを奪われてしまいました。
 下の娘さんはまだ生まれたばかりで、上の娘さんも2歳だそうです。お父さんの記憶は残らないでしょう。
 その娘さん2人と一緒に残された奥さんの嘆きと怒りはいかほどでしょうか。手を下したのはISですが、その要求を無視し、救出のために何もせず、何もできずに2人の人質を見殺しにしたのは安倍首相です。安倍さん、あなたの手は血で汚れている!!

 ISは2人を人質に取り、2億ドルの身代金の支払いを求めてきました。これについて、日本政府は交渉することなく、期限が過ぎたために湯川さんは殺されました。
 その後、ISはヨルダンに収監されている死刑囚と後藤さんとの交換を要求し、その釈放を求めてきました。しかし、日本政府は直接交渉するパイプを持たず、期限までに要求が満たされなかったために後藤さんも殺されてしまいました。
 IS側の要求に対し、「テロには屈しない」と言い続けて安倍首相は無視しました。そうすれば2人とも殺されるであろうことを十分に知りながら……。

 安倍首相や官邸には、最初からこの2人を救う気がなかったのではないでしょうか。覚悟の上でのシリア入りである以上、「自己責任」ではないかという思いが強かったように見えます。
 菅官房長官は記者会見で、身代金を用意していたかについて質問され、「それは全くない。100%ない」と明確に否定し、イスラム国と交渉する気は「全くなかった」と述べました。殺されても仕方がないという立場で見殺しにしたということでしょう。
 何とかして救い出したいという気持ちが少しでもあれば、このような微妙な時期に中東諸国に行こうなどとは考えなかったでしょうし、そこで「イスラム国対策として」の2億ドル拠出を表明するような無神経なことも控えたでしょう。中東は歴訪しても、イスラエルとの親密な関係を誇示するような態度はとらなかったはずですし、有志連合の一員でISを空爆したパイロトが捕虜になっているヨルダンを訪問したり、現地対策本部を作ったりすることは避けたにちがいありません。

 しかし、安倍首相は、このような配慮や慎重さを全く示しませんでした。拘束されている人質のことなど、頭の隅にもなかったからです。
 それどころか、この機会を絶好のチャンスだと捉えていたようです。世界に自分を売り込むことができる良い機会だと。
 『週刊ポスト』2月6日号(1月26日配信)には、次のような記事「安倍首相中東訪問 外務省は時期悪いと指摘も首相の反応は逆」が出ていました。これを読めば、安倍首相の思惑が、はっきりと見て取れます。

 安倍晋三首相は、1月17日~21日にかけて中東歴訪を行なったが、出発前の1月7日にフランスで週刊紙銃撃テロ事件が起きると、外務省内から今回の首相の中東訪問は「タイミングが悪い」という声が上がった。
 ところが、安倍首相の反応は逆だった。官邸関係者がこんな重大証言をした。
「総理は『フランスのテロ事件でイスラム国がクローズアップされている時に、ちょうど中東に行けるのだからオレはツイている』とうれしそうに語っていた。『世界が安倍を頼りにしているということじゃないか』ともいっていた」
 周囲はその言葉を聞いてさすがに異様に感じたという。関係者が続ける。
「総理は総額25億ドル(約3000億円)の中東支援についても、『日本にとってはたいしたカネではないが、中東諸国にはたいへんな金額だ。今回の訪問はどの国でもありがたがられるだろう』と自信満々で、常人の感覚とは違うなと感じた」
 テロは対岸の火事で、自国民の人質には一顧だにしないのが「積極平和外交」の実態だったのか。

 安倍首相の「イスラム国」を名指ししての「挑発行為」の裏には、このような思惑が隠されていたということになります。「フランスのテロ事件でイスラム国がクローズアップされている時に、ちょうど中東に行けるのだからオレはツイている」「世界が安倍を頼りにしているということじゃないか」「日本にとってはたいしたカネではないが、中東諸国にはたいへんな金額だ。今回の訪問はどの国でもありがたがられるだろう」という首相の言葉とされている発言からは、今回のような事件が起きる危険性への備えも、人質となっていた湯川さんや後藤さんに対する配慮も全くうかがうことができません。
 そして、「イスラム国対策」を明示しての中東諸国への資金拠出を表明し、イスラエルとの友好関係を誇示しました。それが今回の事件のきっかけでした。
 ISからの殺害予告ビデオの配信は、この安倍首相の言動に対する報復としてなされたことは明らかです。湯川さんを殺害したあとの動画では、「日本政府が72時間以内に何もしなかったから殺害した。アベがハルナを殺害したのだ」と明言しています。

 しかし、新聞・テレビは一連の政府交渉の失態を一切指摘しようとしません。『週刊ポスト』2月13日号(2月2日配信)は「人質事件でテレビ各局に出演している中東専門家が異常な情報統制の実態を語る」として、次のような証言を報じています。
 「テレビの収録で政府の対応の不手際で湯川さんが殺害された問題や後藤さんを巡る3か月間の交渉が失敗した問題を指摘しても、編集段階でカットされて番組で報じられることはない。生放送でも、司会者が話題を変えてしまう。どのテレビ局も対応は全く同じでした」
 事実上の情報統制がなされているということでしょうか。その結果、「政府の対応の不手際」や安倍首相に対する責任追及が曖昧になるということがあってはなりません。

 昨日のブログでも指摘していたように、後藤さんの殺害が明らかにされたビデオでも「安倍(首相)よ、勝ち目のない戦争に参加するという無謀な決断によって、このナイフは健二だけを殺害するのではなく、お前の国民はどこにいたとしても、殺されることになる。日本にとっての悪夢を始めよう」と、安倍首相が名指しされていました。問題は安倍首相にあったのです。
 首相の無分別と自己顕示欲が引き起こした悲劇が、今回の人質殺害事件であったことは明らかです。ひとりの愚かな首相の無分別な行動が、平和国家としての日本のイメージを大きく転換させ、世界中の日本人を危険にさらすことになってしまいました。
 しかも、このような惨事に便乗して集団的自衛権行使容認のための安保法制の整備を進め、「邦人救出」を名目に中東などに自衛隊を派遣できるようにしようとしています。このような「火事場泥棒」的目論見を断じて許してはなりません。

 安倍首相の罪の大きさからすれば首相を辞任しただけでは済まないと思いますが、まずはその座を去ることによって責任を取るべきでしょう。重ねて、事件のきっかけを作っただけでなく、日本人人質2人を見殺しにした安倍首相の辞任を強く求めるものです。

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2月2日(月) 日本人人質事件を引き起こしただけでなく救出に失敗した責任を取り安倍首相は辞任すべきだ [首相]

 とうとう恐れていた事態が起きてしまいました。「イスラム国」(ISIS)を名乗る過激派組織による人質事件で、後藤健二さんとみられる男性が殺害される様子の動画がインターネット上に公開されたからです。

 このような悲報に接することはまことに残念であり、何の罪もないジャーナリストの命を奪う残忍な犯罪行為を断固として糾弾するものです。後藤さんの命を救うことができなかったのは痛恨の極みであると言わなければなりません。
 後藤さんと湯川さんのご冥福をお祈り申し上げます。また、もう二度とこのような事件が繰り返されないことを望みます。
 同時に、2人の人質を見殺しにした無能で冷酷な安倍首相に満腔の怒りをもって抗議し、その責任の重大さについても声を大にして訴えたいと思います。人質となった2人の救出に失敗しただけでなく、今回の事件発生の引き金を引いてしまったことへの責任を取り、首相は直ちに辞任するべきでしょう。

 このビデオの公開に際して、ISISによる以下のようなメッセージも公表されました。

 日本政府よ。邪悪な有志連合を構成する愚かな同盟諸国のように、お前たちはまだ、我々がアラーの加護により、権威と力を持ったカリフ国家であることを理解していない。軍すべてがお前たちの血に飢えている。安倍(首相)よ、勝ち目のない戦争に参加するという無謀な決断によって、このナイフは健二だけを殺害するのではなく、お前の国民はどこにいたとしても、殺されることになる。日本にとっての悪夢を始めよう。

 ここでは、以下の3点が注目されます。1つは、「安倍(首相)よ」と、首相に対して直接呼びかけていることであり、2つ目は「勝ち目のない戦争に参加するという無謀な決断」を行ったと非難していることであり、3つ目は「お前の国民はどこにいたとしても、殺されることになる」と述べていることです。
 つまり、ISIS側は安倍首相を敵視し、その「無謀な決断」が今回の殺害の原因であることを示したうえで、日本人全体を敵視して今後もこのようなテロ行為を続けると表明していることになります。今回で終わりではない、としている点が不気味です。
 日本は「戦争に参加」したわけではなく、このような非難は「誤解」です。しかし、何度も繰り返してきたように、そのような「誤解」を生む言動を繰り返してきたのが安倍首相であったことも否定できない事実です。

 後藤さんの殺害ビデオに対して、安倍首相は次のような声明を出しました。

 首相声明
 1 湯川遥菜(はるな)さんに続いて、後藤健二さんが殺害されたとみられる動画が公開されました。
 ご親族のご心痛を思えば、言葉もありません。政府として、全力を挙げて対応してまいりました。誠に無念、痛恨の極みであります。
 2 非道、卑劣極まりないテロ行為に、強い怒りを覚えます。許しがたい暴挙を、断固、非難します。
 テロリストたちを絶対に許さない。その罪を償わせるために、国際社会と連携してまいります。
 3 日本が、テロに屈することは、決してありません。
 中東への食糧、医療などの人道支援を、更に拡充してまいります。
 テロと闘う国際社会において、日本としての責任を、毅然(きぜん)として、果たしてまいります。
 4 このテロ行為に対して、強い連帯を示し、解放に向けて協力してくれた、世界の指導者、日本の友人たちに、心から感謝の意を表します。
 5 今後とも、国内外における国民の安全に万全を期してまいります。

 声明は、「政府として、全力を挙げて対応してまいりました」とべています。どのような形で「対応」してきたのか、そこには問題がなかったのか、これからきちんと検証する必要があります。
 湯川さんの拘束は昨年の8月であり、後藤さんは11月につかまっていたようです。後藤さんについては奥さんに対して直接身代金の要求があった事実を政府もつかんでおり、対策本部を立ち上げて対応していたと伝えられています。
 その対応とは、どのようなものだったのでしょうか。2人が拘束されていたことを知りながら、パリでの襲撃事件があった直後だからということで外務省が制止したにもかかわらず、どうして安倍首相は中東諸国歴訪にでかけてしまったのでしょうか。

 2人の救出に向けての「対応」には、全く効果がなったということになります。政府は一体、何をしていたのか、と言いたくなります。
 今回の「対応」についても、この間の経験と教訓は全く生かされませんでした。政府は一体、何をしていたのかと、その無為・無策について重ねて問わなければなりません。
 このようななかで、安倍首相は人質を危険にさらし、死地に追い込むような無神経な発言を繰り返してきました。「言語道断」で「テロには屈しない」、「断固戦う」という発言を……。

 このような言葉を安倍首相が繰り返すことによって「宣戦布告」と受け取られ、ISIS側の敵意を高め、人質の生命を危うくする危険性が高まったのではないでしょうか。そして、それは今回の殺害によって裏付けられたことになります。
 それについて、安倍首相は注意し配慮する必要性を感じていなかったのでしょうか。今回も、「首相声明」で「テロリストたちを絶対に許さない。その罪を償わせるために、国際社会と連携してまいります。日本が、テロに屈することは、決してありません」と述べています。
 これをISIS側が「十字軍」と呼んでいる有志連合への参加表明だと受け取り、日本の国民が「どこにいたとしても、殺される」ような「悪夢」が始まる危険性を高めるとは考えなかったのでしょうか。あまりにも無思慮で浅薄な「政府声明」だと言わなければなりません。

 また、31日のブログ「安倍首相による『ショック・ドクトリン』(惨事便乗型政策転換)を許してはならない」で明らかにしたように、安倍首相は29日の衆院予算委員会で、自衛隊による在外の邦人救出について、「領域国の受け入れ同意があれば、自衛隊の持てる能力を生かし、救出に対して対応できるようにすることは国の責任だ」と述べ、今国会に提出予定の安全保障関連法案の成立に意欲を示しました。中東への関与が非軍事的な人道支援であるということを強調しなければならない時に、自衛隊による「邦人救出」に言及するというトンデモナイ間違いを犯したわけです。
 あくまでも軍事的な手段に頼らず、平和的な手段を通じての人道的関与に徹するという覚悟がないからです。あわよくば、集団的自衛権行使容認の口実として利用したいという思惑があるからこそ、このような間違った発言をしてしまったわけです。
 そのことが、今回の後藤さん殺害に至るISIS側の「誤解」を強める結果になりました。憲法9条に基づく「専守防衛」の国是を踏み越えることがこれほど大きな悲劇を生み、日本国民全体に対するリスクを高めるということが安倍首相には理解できなかったのでしょうか。

 国際社会に振りまかれた「誤解」を解いて国民の安全を確保する最善の手段は、このような「誤解」を振りまいた張本人である安倍首相を辞めさせることです。これ以上の犠牲を出さないために、これまでと変わらず憲法9条と「専守防衛」の国是を守り、中東地域に対しては非軍事的な人道支援に徹するということを明らかにしたうえで、安倍首相はその座を去るべきでしょう。
 そうすることによってこそ、この大きな悲劇を招いた責任を取ることができ、日本国民が「どこにいたとしても、殺される」ような「悪夢」を避けることができます。少なくともこれくらいのことは、安倍首相といえども理解できると思いたいのですが……。

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1月19日(月) 「戦後70年談話」の最大の障害は安倍首相自身 [首相]

 今年は、1945年の敗戦から70年になります。この年に当たって安倍首相が戦後70年の談話を出すかどうか、出すとすればどのような内容にするかが注目されています。

 戦後50年は1995年でした。この時には村山首相による次のような部分を含む談話が出されました。

 わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて、痛切な反省の意を表し、、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。

 その10年後の2005年は戦後60年に当たっていました。この時も、以下のような内容を含む談話が、小泉首相によって出されています。

 また、我が国は、かつて、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。こうした歴史の事実を謙虚に受け止め、改めて、痛切な反省と、心からのお詫びの気持ちを表明するとともに、先の大戦における内外のすべての犠牲者に謹んで哀悼の意を表します。悲惨な戦争の教訓を風化させず、二度と戦火を交えることなく世界の平和と繁栄に貢献していく決意です。

 下線で示したように、両者ともに「植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与え」たことを認め、「痛切な反省」と「心からのお詫びの気持ちを表明」しています。この部分について、二つの談話は文章も全く同じで一字一句変わっていません。
 今年は小泉談話から10年後に当たります。すでに、安倍首相は戦後70年に当たっての首相談話を出すことを表明し、そのために有識者会議を設けて内容を検討してもらうとの意向を示しています。
 その談話は、村山談話と小泉談話を引き継ぐものとなるのでしょうか。とりわけ、両者に共通する「植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与え」たことを認め、「痛切な反省」と「心からのお詫びの気持ちを表明」した部分を踏襲したものになるのでしょうか。

 この談話について、菅官房長官は「安倍内閣としては村山談話を含めて歴史認識に関する歴代内閣の立場を全体的に引き継ぐと言ってきている。日本の歴史認識は米国にも説明し、米国も十分理解しているだろう」と述べていますが、「全体的に」と言っているところが気になります。「部分的に」は引き継がないところもあると言いたいのかもしれません。
 また、萩生田光一首相特別補佐は「70年という大きな節目の年を日本の名誉回復元年にすべきだ」と主張し、いわゆる従軍慰安婦問題に関する「河野談話」についても、「政府として見直しをしないと公言している」とした上で、「もはや役割は終わったと思っている。戦後70年に合わせた新たな談話を出すことによって、結果として(河野談話は)骨抜きになる」との見通しを述べていました。
 戦後70年に際しての新しい談話を出して「上書きする」ことで、「日本の名誉回復」を図り、「河野談話」を葬り去ろうということのようです。両者ともに、村山談話と河野談話を否定して「骨抜き」にしたいという安倍首相の「本音」を示しているように見えます。

 そう感じているのは、私だけではありません。日本の同盟国であるアメリカも同様です。
 米政府のサキ報道官は1月5日の記者会見で「村山談話、河野談話が示した謝罪は、日本が近隣諸国との関係改善に努力をする中で重要な一章を刻んだというのがわれわれの見方だ」と強調しました。これに対して安倍首相は同日、「先の大戦への反省、戦後の平和国家としての歩み、アジア太平洋地域や世界にどのような貢献を果たしていくか、英知を結集して書き込みたい」と述べています。
 この表明を受けて、サキ報道官は6日「(安倍氏の発言は)歴史問題と戦後日本の平和への貢献に前向きなメッセージを含んでおり、歓迎する」と述べました。 前日の自らの発言をめぐって米政府が日本政府に圧力をかけたとの見方が出たため、「(圧力は)意図していなかった。言い直させてほしい」と前言を修正したわけです。

 ここで重要なことは、安倍首相が「先の大戦への反省」を口にしたことであり、それについては「前向きなメッセージを含んでおり、歓迎する」としていることです。もし、「反省」や「謝罪」が不明瞭であれば、「近隣諸国との関係改善に努力」しているとはみなされないと釘をさしていることに変わりありません。
 この点で安倍首相に懸念と警戒感を抱いているのは、米議会も同様です。1月15日までに発表された米議会調査局による日米関係の報告書は、安倍政権について「経済成長を積極的に加速しようとしてきた」と評価する一方で、歴史問題について「周辺国との関係を悪化させ、米国の国益を損なわせたかもしれない」との懸念を示し、戦後70年を迎える今年、安倍首相の対応に「世界が注視している」と指摘しています。
 報告書は安倍首相について「ナショナリストとして知られる」と紹介し、過去の発言について「日本帝国の他のアジアの国々への侵略や虐待を否定する歴史修正主義的視点を持っていることを示唆している」との見方も示しています。また、昨年の衆院選で自民党が勝利したことから「安倍首相が日米関係にプラスにも、マイナスにも影響を与え続ける」とも強調しているそうです。

 このような懸念や警戒感を払しょくし、なおかつ安倍首相の支持基盤である極右勢力の意図をも満足させられるような首相談話が出せるのでしょうか。それは安倍首相にとっても至難の業であり、有識者会議での検討という手続きは、それをクリアして自らの責任を回避するためのものかもしれません。
 かつての枢軸国の中で未だに周辺諸国との完全な和解が得られず、不和を引きずっているのは日本だけです。有識者会議での検討を踏まえたとはいえ、最終的に安倍首相の名で談話が出されることに変わりはなく、その内容が侵略戦争や植民地支配にたいする反省に言及していなかったり、責任逃れや弁護、従軍慰安婦問題の否定など、少しでも戦前の「日本を取り戻す」ようなトーンを帯びたりしていれば、たちどころに批判を浴びて外交問題に発展し、日本の国際的な孤立を深めることになるでしょう。
 すでに、それについては前例があります。一昨年末の安倍首相による靖国神社参拝については米政府も「失望」を表明し、アジアのみならずEU諸国やロシアまで批判的な態度表明を行い、日本は完全に国際社会で孤立しました。

 首相談話の内容いかんでは、同じことが繰り返されるにちがいありません。それは、談話を出すのが、「ナショナリストとして知られ」、その発言によって「日本帝国の他のアジアの国々への侵略や虐待を否定する歴史修正主義的視点を持っている」ことが海外にまで広く知れ渡っている安倍首相だからです。
 「安倍談話」がすでに今から警戒感をもって「注視」されているのは、安倍首相本人の「身から出た錆」によるものです。その意味では、戦後70年談話の最大の障害は安倍首相自身であるということになるでしょう。


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12月20日(土) 総選挙後に安倍首相の表情が「終始険しかった」のはどうしてなのか [首相]

 総選挙が投開票された翌日、12月15日付の『産経新聞』に「衆院選 首相が本気の民主潰し、『大物』狙い撃ちを徹底」という記事が出ています。そこに何気なく書かれていた、次のような文章に目が留まりました。
 「衆院選は自民党が勝利を収めたが、安倍には忸怩(じくじ)たる思いが残る」「衆院選は自公で3分の2超の議席を得たが、憲法改正は遠のいた。任期4年で改憲勢力をどう立て直すのか。勝利とは裏腹に安倍の表情は終始険しかった」というのです。なぜ安倍首相が「忸怩たる思い」を持ち、その「表情は終始険しかった」のでしょうか。

 第1に、憲法をめぐる国会内の勢力分野が大きく変わってしまったからです。総選挙では、次世代の党の壊滅、維新の党の不振、みんなの党の消滅という形で「第三極」は存在感を大きく低下させました。
 その結果、「いざという時の第三極頼み」という戦術が取れなくなってしまったわけです。とりわけ、改憲発議については衆参両院で3分の2を確保しなければなりませんが、参院での3分の2は再来年の参院選で躍進しても自民党だけでは無理で、公明党が頼りにならない場合、「第三極」を当てにしていたようです。
 特に、次世代の党が大きな援軍でしたが、それがほとんど姿を消してしまいました。安倍さんとしては、これほど大きな計算違いはなかったでしょう。

 それに、与党の中でも与党内「野党」ともいうべき公明党が議席を増やし、与党内での比重を高めました。公明党は、集団的自衛権の行使容認問題でもそうだったように、支持団体の創価学会内に平和志向の強い女性部を抱えています。
 今後の関連法の改定や日米ガイドラインの改定などでもできるだけ「限定」する方向で抵抗するとみられます。総選挙が終わってすぐに、安保法制の改定について、集団的自衛権行使容認の範囲を「日本周辺の地域」に限る方針だとの報道がありました(『毎日新聞』12月18日付)が、これは公明党の意向を踏まえた方針転換だと思われます。
 また、憲法についても公明党は9条を変える「改憲」ではなく、プライバシー権などの新たな条項を追加する「加憲」の立場です。安倍首相の改憲戦略にとっては、「躓きの石」になるかもしれません。

 さらに、それ以上に頭が痛いのは野党の中の野党ともいうべき共産党が躍進したことです。民主党も議席を増やしましたから野党内の勢力地図は大きく塗り替えられ、安倍首相にとっては味方が減っただけでなく、敵対する勢力が大きく増えたことになります。
 その結果、これまで十分でなかった国会の各種委員会での委員を確保し、いままでよりずっと多くの共産党議員が幅広い領域で論戦に参加できるようになります。様々な情報へのアクセスも容易になって調査能力が格段に増し、省庁への影響力も強まり、独自の議案提案権によって法案を提出することができ、党首討論に志位委員長が出て直接安倍首相と渡り合うことになります。
 これほど、安倍首相にとって困った事態はないでしょう。険しい表情になるのは当然で、今からでも国会運営の難しさにたじろぐ思いなのではないでしょうか。

 第2に、盛り上がらなかった選挙戦と投票率の低さという問題があります。これは、「争点隠し」によって意識的に選挙が盛り上がらないようにし、組織的な基盤のある政党を有利にしようとした安倍首相自身の責任でもあります。
 その結果、自民党は小選挙区では18万票減で議席を減らしたものの、比例代表では104万票増で議席も増やしました。公明党は議席を4議席増やして比例代表の得票数も19万票増になっています。
 両党とも投票率が下がったにもかかわらず比例代表での得票を増やしていますから、低投票率に助けられたわけではなく支持そのものを増やしたと言えます。しかし、それはアベノミクスを続ければデフレ不況から脱却して好循環が始まるという口車に乗せられ、景気回復への淡い期待を抱いた消極的な支持であり、民主党や第三極を見放して行き場を失った一種の「吹き溜まり」のようなものです。

 安倍首相は、今回の支持増大が「吹き溜まり」であり、別の風が吹けば飛び散ってしまうことを薄々感づいているのかもしれません。そこに熱狂はなく、醒めた計算と懐疑的な眼差しがあるだけです。
 「この道しかない」と言って有権者に無理強いしたアベノミクスの前途は不透明で、経済の先行き不安を感じているのは安倍首相も同様でしょう。しかも、消費増税の打撃が思いのほか大きく、円安が必ずしも日本経済にプラスにはならず、かえって物価高を招いて消費不況を強めてしまうことが明らかになりました。
 今後もアベノミクスによって景気が回復し、好循環が始まる可能性は低いと見たからこそ、安倍首相は「今のうち解散」に打って出たわけです。それにもかかわらず、1年半後の消費税10%への再引き上げを確約してしまったわけで、いずれそのツケがやってくるのではないかという心配が頭をよぎったのではないでしょうか。

 第3に、これからの安倍首相はいくつもの難題に直面し、ジレンマを抱えることになるからです。それがどれほど大きな打撃となって日本の政治と社会を揺るがせ、安倍政権を打ちのめすかは分かりませんが、やってくるのは確実で逃れることはできません。
 そのうちの一つは、沖縄の新基地建設をめぐるジレンマで、辺野古での新基地の建設に反対だという民意は今回の総選挙でもはっきりと示されました。名護市長選、名護市議選、沖縄県知事選、そして今回の総選挙と、今年に入ってから全ての選挙で基地反対派が勝利したという事実には極めて重いものがあります。
 それにもかかわらず安倍政権は新基地建設を強行しようとしており、今後、政府と沖縄の対立はさらに強まると予想されますが、その時、アメリカ政府はどう対応するでしょうか。辺野古での新基地建設は無理だと諦めるようなことになれば(その可能性は少なくないと思います)、階段を外された安倍政権は窮地に陥ることでしょう。

 もう一つは、TPPへの参加をめぐるジレンマです。中間選挙での共和党の勝利によってオバマ政権は今まで以上に強い態度に出てくる可能性があり、日本に譲歩することは考えられません。
 かといって、この段階での交渉離脱は日米関係を悪化させて政権危機を招きますし、交渉が妥結したとすれば日本が屈服したことを意味します。例外なしでの関税撤廃やISDS条項の導入などによって日本の国内市場の全面的な開放がなされ、農業を始め、商業、建設、医療、保険、金融などの分野は壊滅的な打撃を受けるでしょう。
 地方の創生を言いながら、地方の壊滅に向けての扉を開くというわけです。地方・地域の存続をさらに難しくするような政策展開は地方の「保守」勢力との矛盾や対立を拡大し、自民党という政党の命取りになる可能性さえ生み出すことでしょう。

 三つめのジレンマは原発再稼働をめぐるものです。安倍政権は原発の再稼働を目指して着々と準備を進めてきました。しかし、福島第1原発の事故は未だ原因も不明で事故は収束していず、放射能漏れを遮断する凍土壁は失敗で、放射能漏れ自体もこれまで発表されていた以上の量に上ることが明らかになっており、脱原発を求める世論は多数です。
 このような中での再稼働の強行は世論との激突を招くでしょう。とりわけ、原発の周辺30キロ以内でありながら発言権を認められない自治体の危惧と反発には強いものがあります。
 エネルギーを原発に頼る政策への復帰は、再生可能エネルギーの軽視と買い入れの停止などと結び付きます。太陽光発電などの再生可能エネルギーを新しいビジネスチャンスととらえて取り組んで来た企業や自治体などの反発は大きく、再生可能エネルギーをテコとした循環型経済による地域の活性化を目指してきた動きも封じられ、このような方向での地方創生の芽を摘むことになります。

 さらに、四つめのジレンマは労働規制緩和についてのものです。安倍首相は、総選挙翌日の記者会見で「農業、医療、エネルギーといった分野で大胆な規制改革を断行し、成長戦略を力強く前に進めてまいります」と述べましたが、これまでの「労働」が抜けて、新たに「エネルギー」が入りました。
 これは言い間違いなのでしょうか。それとも、意識的に言い換えたのでしょうか。
 労働の規制緩和をあきらめたというのなら結構ですが、通常国会には「生涯ハケン」を可能にする労働者派遣法の改正案が出ると言われ、ホワイトカラーエグザンプションの新版である「残業代ゼロ法案」の準備も進んでいます。これによって派遣が拡大され、労働時間が長くなれば、非正規雇用の拡大、雇用の劣化、過労死・過労自殺やメンタルヘルス不全が蔓延し、経験の蓄積、技能の継承、賃金・労働条件の改善、可処分所得の増大などは望めなくなり、労働力の質は低下し、消費不況と少子化はさらに深刻となって、日本企業の国際競争力と経済の成長力は失われることになります。
 当然、女性の社会進出はさらに困難となり、デフレ不況からの脱却は不可能になるでしょう。「この道しかない」と言って「成長戦略を力強く前に進め」た結果、自滅への道に分け入ってしまうことになるわけで、これこそ最大のジレンマだと言わなければなりません。

 
 安倍首相は、これ以上の内閣支持率の低下を避け、消費再増税の延期についての責任問題を回避して財務省の抵抗を排するために、総選挙に打って出たとみられています。しかし、その結果は必ずしも意図したようにはならず、多くの誤算をはらむものでした。
 今回の総選挙の結果、来年に予定されている自民党の総裁選は何とかしのげそうですが、その前の統一地方選や再来年の参院選の壁は越えられるのでしょうか。「自民圧勝」の大宣伝にもかかわらず安倍首相の表情が「終始険しかった」のは、それが必ずしも容易な課題ではないということに気が付いたからかもしれません。

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11月30日(日) これが安倍首相の言う「好循環」の本質ではないのか [首相]

 「やっと動き出した景気の好循環を止めるわけにいかない」
 これは安倍首相の口癖です。これまで、この「景気の好循環」とは経済のことだと思っていました。景気が良くなって、経済情勢が好転することなのだと……。

 しかし、昨日の新聞各紙の朝刊一面を見て、安倍首相が目指している「景気の好循環」とは別のことだったのだと思い当たりました。景気が良くなったのは、日本経済ではなく自民党の政治資金収入だったからです。
 28日に公表された政治資金収支報告書によれば、自民党の政治資金団体「国民政治協会」への企業・団体からの献金総額は19億5408万円で、前年比43%増になりました。アベノミクスによる円安・株高などで業績を伸ばした大企業が献金額を軒並み増やしたからです。
 証券大手では前年比で5倍以上増やしたところもあります。重電も2〜3倍増で、自動車メーカー各社も一斉に増やしています。

 企業献金額のトップは前年に続いてトヨタ自動車で、1300万円増の6440万円でした。このほか日産が850万円増の2900万円、ホンダも700万円増の2500万円で、他の5社も増額しています。
 証券会社では、株高で大もうけした野村ホールディングスが5.6倍の2800万円、大和証券グループ本社も3.6倍の2500万円を寄付しています。商社では最高益を記録した伊藤忠商事と丸紅がそれぞれ4.5倍の1800万円、3.7倍の1300万円で、三菱商事、三井物産、住友商事も4倍近い2300万円を献金しています。
 重電の献金額の増え方も大きなものでした。原発関連の東芝と日立製作所はともに前年の約2倍の2850万円、兵器生産で知られる三菱重工業は3倍の3000万円もの額になっています。

 つまり、アベノミクスによる円安・株高で大もうけした大企業、原発推進への転換や武器輸出解禁によって収益増となる関連企業が自民党への企業献金という形で利益を還流させ、自民党財政は約1.5倍も豊かになり、その見返りに「世界で一番企業が活躍できる国」に向けての政策を推進するという構造ができあがったわけです。このアベノミクス→大企業の大もうけ→自民党への献金増→アベノミクスの継続という大企業と自民党にとって好ましい循環が「やっと動き出した」というのが、安倍首相の発言の本当の意味だったのです。
 今回の選挙で、ようやく動き始めた「この好循環を止めてはならない」と、安倍首相は訴えています。アベノミクスで好業績に転じた大企業も同じ気持ちでしょう。
 また、安倍首相は「この道しかない」とも強調しています。大企業も自民党もともに大笑いできるのは、まさに「この道しかない」ということになるからです。

 しかし、それで日本経済全体の好循環を実現できるのでしょうか。日本全体の景気回復は可能なのでしょうか。
 政治資金収支報告書が発表されたと同じ28日、総務省が10月の家計調査を公表しました。それによれば1世帯(2人以上)当たりの消費支出は4月以降7カ月連続で前年同月を下回り、消費増税の影響が長引いていることが浮き彫りになっています。
 大企業の収益が激増している半面、家計の消費支出は消費税増税以降、前年同月を下回り続けているわけです。まさに、「消費税不況」というべきでしょう。

 安倍首相は「賃金は上がった」と叫んでいますが、それならば、なぜ消費が増えないのか、説明できるのでしょうか。賃上げは一部の民間大企業だけで中小企業や非正規労働者に波及せず、上がったところでも物価高のため実質的には減収になっており、年金生活者に至ってはそもそも収入増などないからです。
 アベノミクスで笑っているのは大企業と自民党だけで、多くの庶民は泣いています。国民を食い物にして大企業と自らの利益を図る「好循環」を生み出したのがアベノミクスの本質なのです。
 それはもともと「成功しても成功しない」政策的矛盾を抱えていました。アベノミクスが成功しても格差が拡大するだけで日本経済の再生には成功しない、間違った経済政策だったからです。

 安倍首相が始めたアベノミクスは自民党を支持する大企業と富裕者にとっては天国かもしれませんが、一般の庶民は地獄に引きずり込まれてしまいます。このような道をこれからも進んで行って良いのかが、いま国民に問われているのです。

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10月16日(木) 国際社会での評判を落としているのは朝日新聞ではなく安倍首相自身 [首相]

「慰安婦問題の誤報によって多くの人が苦しみ、国際社会で日本の名誉が傷つけられたことは事実だ」
「(従軍慰安婦に関する誤報が)日韓関係に大きな影響、打撃を与えた。記事によって傷ついた日本の名誉を回復すべく、今後努力してほしい。報道機関の責任は重い」

 これは朝日新聞による吉田証言の取り消し問題についての安倍首相の発言です。前者は9月11日のラジオ番組で、後者は10月6日の衆院予算委員会で行われました。
 しかし、この従軍慰安婦の問題を含めて、国際社会での日本の評判を落としているのは、安倍首相本人ではないでしょうか。「安倍首相とそのお友達によって国際社会で日本の名誉が傷つけられたことは事実だ。それらの言動によって傷ついた日本の名誉を回復すべく、今後努力してほしい。安倍首相の責任は重い」と言わなければなりません。

 ときに安倍首相は「価値観を共有する国々」という言葉を口にし、価値観外交を展開しています。その場合の「価値観」とは、自由、民主主義、人権などのことでしょう。
 しかし、安倍首相自身はこのような「価値観」を共有しているとは思えません。自由や民主主義を守ろうとする固い決意もなく、人権も人間の尊厳をも尊重しようとしているようには見えないからです。
 このような「価値観」を持っていないのに、都合の良い時にだけ「価値観の共有」に言及する。このような二枚舌を使うことによって国際社会での評判を落としているのは、安倍首相自身にほかなりません。

 自由について言えば、そのもっとも重要なものは報道の自由です。これは民主主義社会にとっては生命線というべきものです。
 しかし、またもやこの生命線を危うくするような愚行が強行されました。一昨日、特定秘密保護法の運用基準と施行日を12月10日とする施行令を閣議決定したからです。
 運用基準には「国民の知る権利の尊重」の文言が盛り込まれましたが、具体策は示されず、政府に不都合な情報が隠されてしまうのではないかなど、法成立時に懸念された問題点はそのままで、「チェック機関に十分な調査権限がない」などのパブリックコメントに寄せられ指摘はほとんど反映されていません。専門家からは、「甚だ不十分であり、改定されるべき」(米国家安全保障会議メンバーや大統領特別顧問などを歴任したモートン・ハルペリン氏)や「何を特定秘密にするかは結局、行政の裁量によるという問題点は変わらなかった。恣意的な運用を許す法自体がおかしい」(憲法学者の青井未帆学習院大教授)などの意見や批判が寄せられています。

 民主主義について言えば、安倍政権は完全に民意に背を向けています。国民が不安を感じている当面の重要課題は、集団的自衛権の行使容認、消費税の10%への再増税、原発の再稼働、沖縄県辺野古での新基地建設問題です。
 これらの重要課題のどれ一つをとってみても、世論調査では賛成より反対の方が多くなっています。その世論を完全に無視して、安倍首相は集団的自衛権の行使容認に向けてガイドライン改定交渉を行って中間報告を出し、消費税についても再増税中止を明言せず、川内原発再稼働に向けての準備を進め、辺野古での新基地建設を強行しています。
 これが民主主義の国だと言えるのでしょうか。安倍首相には民主主義とは何かが分かっていないのではないでしょうか。

 人権については、従軍慰安婦問題やヘイトスピーチ、ネオナチ団体との関わりなどについての対応が大きな問題を投げかけています。冒頭に引用したように、安倍首相は朝日新聞による吉田証言の取り消しを「慰安婦問題の誤報」だとして、その責任を追及していました。
 しかし、吉田証言についての誤報はそのまま「慰安婦問題の誤報」を意味しているのではなく、吉田証言が取り消されたからといって「慰安婦問題」が取り消されたわけではありません。「河野談話」も、国連人権委員会への「女性への暴力特別報告」に関する報告書(クマラスワミ報告)も、10件の慰安婦裁判の確定判決も、アメリカなど7つの国と地域の決議も、どれも吉田証言だけを根拠にしたものではなく、その証言が誤報であったとして取り消されても「従軍慰安婦問題」を無かったことにすることはできません。
 慰安婦とされた人本人の証言や様々な証拠によって事実上の性奴隷状態にあったことが実証され、人権侵害が認定され人間の尊厳が踏みにじられたことが明らかであるにもかかわらず、歴史をねつ造したり歪曲したりしてこの問題を覆い隠そうとするところに、安倍首相の人権感覚が明瞭に示されていると言って良いでしょう。安倍首相は「河野談話」の継承を表明していますが、荻生田光一特別補佐は「見直しはしないけれども、もはや役割は終わった。骨抜きになっていけばいい」と述べて、首相の本音を代弁しています。

 しかし、国際社会の日本を見る目が厳しくなっているのは、従軍慰安婦問題だけではありません。安倍内閣と極右勢力との不適切な関係についても、大きな疑惑が抱かれているのです。
 これについては、毎日新聞10月10日付夕刊の「特集ワイド」が詳しく報じています。そこには「第2次安倍改造内閣への 欧米の冷ややかな視線」という見出しが付けられていました。
 そこでは、在特会と山谷国家公安委員長との関係、高市総務相や稲田自民党政調会長とネオナチ団体代表との関係などが取り上げられています。国家公安委員長がヘイトスピーチを繰り返している団体の関係者と親しいなんて、山谷さんは取り締まる側にいるのでしょうか、それとも取り締まられる側にいるのでしょうか。

 以前、ニューヨークでの講演で安倍首相は「私を右翼の軍国主義者と呼びたいなら呼んでいただきたい」と居直ったことがあります。この時の首相は、ジョークのつもりだったかもしれません。
 しかし、いまや安倍首相は右翼勢力との関係が地続きで、自由・民主主義の価値観を共有していないということに国際社会が気付きつつあります。今となっては「あれは冗談だった」などと言い訳できなくなってきているのであり、ここに日本の評判を落としている最大の問題があると言わなければなりません。

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10月2日(木) 思わず本音を漏らしたニューヨークでの安倍首相の記者会見 [首相]

 国内では嘘とごまかしだらけの安倍首相ですが、外国に行けばポロッと本音が出てしまうようです。先ほど国連総会に出席するために訪れたニューヨークでも、そのような場面がありました。

 「日本が再び世界の中心で活躍する国になろうとしている」。
 安倍晋三首相は今回の訪米を締めくくる25日(日本時間26日)の内外記者会見で、こう発言しました。これは26日朝のNHKニュースで放映されましたから、ご覧になった方も多かったと思います。
 この言葉を聞いて、やはりこれが本音だったのかと、私は思いました。そのための集団的自衛権行使容認だったのだ、と……。

 これ以前から、安倍首相は「国連を21世紀にふさわしい形に改革していくため日本がリーダーシップを発揮していきたい」と発言していました。国連総会での演説でも、「日本は常任理事国となり、ふさわしい役割を担っていきたい」と訴えています。
 つまり、安倍首相は国連改革を進めて常任理事国の数を増やし、その常任理事国に日本が就任することで「世界の中心で活躍する国」になろうとしているのです。「再び」というからには以前もそうだったということであり、そのとき日本は「世界の中心で活躍」していたというのが、安倍首相の認識です。
 そのような日本を復活させたい。それが「日本を取り戻す」ということなのだと、安倍首相は考えているのでしょう。

 ここに、安倍首相の歴史認識に対する危険性と問題点が明確に示されています。列強の一員として覇権を振るい、ドイツやイタリアとともに第2次世界大戦を引き起こし、周辺諸国を侵略して数千万人の人命を奪った戦前の日本に対する反省が完全に欠落しているからです。
 「再び」という言葉に、このような潜在意識がはっきりと表現されています。「世界の中心で活躍」という認識から、かつての日本に対する反省が全くないということがよく分かります。
 このような潜在意識や無反省が、平和憲法への敵視や集団的自衛権の行使容認へと安倍首相を駆り立てているものにほかなりません。それは結局、覇権大国として日本を復活させ、今度はアメリカの弾除けとして日本の若者に血を流させることになるでしょう。

 安倍首相が個人的にどのような歴史観を持ち、いかなる野望を抱いているかは自由です。しかし、首相の地位にあって一国の指導者となり、国を導く役割を託されている公人としては、そのような誤った歴史観や野望は捨て去るべきです。
 個人的な思い込みや野心によって、日本を戦争に巻き込むようなことは許されません。それを捨て去ることができないというのであれば、速やかに首相の地位を退くべきでしょう。

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