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12月21日(水) 実証された野党共闘の弁証法的発展(その2) [論攷]

〔以下の論攷は、勤労者通信大学・通信の『知は力 基礎コース6』に掲載されたものです。3回に分けてアップさせていただきます。〕

 共産党を含む野党共闘の成立

 統一戦線運動における新たな芽生えを生み出した力は、安保法案反対運動の国民的な高揚でした。このような運動を生み出す共同の前進は、それ以前にもなかったわけではありません。この点については、テキストでも次のように述べられています。
 「日本の現状を見ると、労働者・国民にすべて犠牲を転嫁した、大企業中心・アメリカいいなりの政治への国民の怒り、国民本位の政治への転換を求める世論が大きく高まっています。そのなかでTPP (環太平洋連携協定)問題、原発問題など一致する要求や課題で共同する『一点共闘』がさまざまな分野でひろがり、良心的保守層をふくむこれまでにない広範な人たちが立ち上がる共同の前進が見られます。」(316頁)
 このような「共同の前進」は、2011年の3.11原発事故以降、顕著になりました。それは原発ゼロ、特定秘密保護法や沖縄での新基地建設に反対する運動などとして発展し、昨年の安保法案反対運動へと合流することになります。
 そこには、学生や若い母親、学者や弁護士など「良心的保守層をふくむこれまでにない広範な人たちが立ち上がる」姿が見られ、その運動の波は東京や国会周辺だけでなく全国津々浦々に広がっていきました。そして、そのようななかで自然発生的に沸き上がって来たのが「野党は共闘」という声でした。
 この声に真っ先に応え、安保法が成立した2015年9月19日の午後に「国民連合政権」の呼びかけを発したのが日本共産党です。今後の運動の展望を示したこの呼びかけは、安保法の成立によって力を失いかけていた人々に勇気を与え、歓迎されました。しかし、この時点では、それがどのようなかたちで具体化され、どう展開していくのか、誰にも分りませんでした。
 それが新たな進展を示したのが、翌2016年2月19日に実現した安保法の廃止と参院選での選挙共闘についての合意です。民主党・日本共産党・維新の党・生活の党・社会民主党の野党5党によるもので、いわゆる「5党合意」です。こうして、共産党を含む新たな政治的共同が実現し、野党共闘が成立することになりました。
 実はこの1ヵ月前、私の住む八王子でもささやかな野党共闘が実現しました。私が立候補した八王子市長選挙です。共産党や社民党だけでなく維新の党や生活者ネット、無所属の市議さんなどに支援していただき、民主党の有田芳生参院議員も個人として応援してくれ、生活の党の山本太郎参院議員からも応援メッセージをいただきました。結果は落選でしたが、野党共闘の先陣を切った点で意義のある挑戦であり、共同の前進のために一定の役割を果たせたのではないかと自負しています。

 参院選での共闘が実現した背景と要因

 参院選の結果と野党共闘の成果や教訓については、すでに『学習の友』2016年9月号に書きました。詳しくは、そちらをご覧いただきたいと思います。ここでも書いたように、参院選では32の一人区で共闘が成立し、11人の統一候補が当選しました。市民と野党との共闘が実現しなければ、このような成果は生まれなかったでしょう。
 このような共闘が実現したのは、野党第1党の民進党が共産党との共闘に踏み切ったためです。これは極めて大きな変化でしたが、そうなったのは何故でしょうか。
 その第1は、「労働者・国民にすべて犠牲を転嫁した、大企業中心・アメリカいいなりの政治への国民の怒り、国民本位の政治への転換を求める世論」が高まったからです。具体的には、安倍暴走政治に対する怒りと危機感であり、それが集約されたのが安保法案反対運動でした。そのなかで上がった「野党は共闘」という声は、まさに「国民本位の政治への転換を求める世論」の具体的な現れにほかなりません。
 第2に、このような国民の声は、市民運動のあり方を変えました。それまでは政治や政党と一定の距離を置いていた市民運動は安保法案廃案にむけて政党に働きかけ、集会などへの参加を求め、国会内外での共闘にも躊躇しなくなりました。「5党合意」の成立後は参院選に向けて「安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合」を結成し、選挙活動にも積極的に取り組みました。
 第3に、このような働きかけを受けて政党の側も変化しました。一番変わったのは民進党です。2015年5月3日の憲法集会で民進党の代表は共産党の代表と手を結ぶことを拒みましたが、その後の安保法案反対集会に代表が参加してあいさつし、他の野党とも手を組むようになっていきました。運動の中で政党も変わっていったのです。
 そして、第4に、このような変化を生み出すうえで、共産党の果たした役割には大きなものがありました。近年の国政選挙で躍進を続け、民進党結成後は野党第2党となり、安保法案反対運動をけん引して市民の信頼を得ただけでなく、国民連合政権を提唱して参院1人区での共闘成立のために候補者を取り下げたのです。これが野党共闘成立の決定的な要因となったことは疑いありません。


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