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5月30日(木) 「私益」のために「国益」を売り渡した安倍「幇間外交」のおぞましさ [国際]

 昔は大砲と軍艦による「砲艦外交」でした。今はまるで太鼓持ちのような接待攻勢による「幇間外交」です。
 何と情けなく、おぞましい光景を見せつけられたものか。まるで「へつらう、おもねる、ゴマをする」というのが、安倍「幇間外交」の3原則であるかのようでした。

 トランプ大統領は「ローマの休日」ならぬ「東京の休日」を存分に楽しんで帰ったにちがいありません。安倍首相はまるで旅行の添乗員兼現地ガイドのようでした。
 日本の首相はいつからツァーガイドになったのか、と言いたくなります。それもトランプ大統領を喜ばせ、取り入るための涙ぐましい努力の結果だったのかもしれません。
 そのために大相撲の伝統を踏みにじったり、新天皇を利用したりすることも平気だったようです。元号や天皇、日本の伝統やアメリカの大統領でさえ、自分の利益になると思えば政治利用することをためらわない安倍首相のおぞましさが露呈したということでしょうか。

 しかし、トランプ大統領は「観光旅行」のために日本にやって来たのではありません。新天皇の最初の「国賓」としての来日、桟敷席での大相撲の観戦と大統領賜杯の贈呈などは、いずれも安倍首相の提案だったそうです。
 安倍首相は自らの政権浮揚と支持率のアップ、夏の選挙での勝利という「私益」のために、天皇と大統領を最大限利用しようとしたのです。トランプ大統領は面白くなさそうな顔をして相撲を観戦しながら、じっとこの要請に応えました。
 安倍首相に恩を売って、貸しを作ろうと考えたからです。それは何のためだったのでしょうか。

 その答えは共同記者会見などで明らかにされた貿易問題についての発言に示されています。「7月の選挙までは待つが、8月には良い結果が示されるだろう。アメリカはTPPには参加していないから、それには縛られない」という発言に。
 これは4月と5月の日米首脳会談の舞台裏でなされた「密約」をバラスものでした。隣でトランプ大統領の発言を聞いていた安倍首相はビックリしたことでしょう。
 平気で嘘をつき約束は守らず友情のあるなしには無関係に取引きを迫る、トランプ大統領のような相手を信じて「密約」を交わしたのが間違いなのです。「ここまでやるか」と思わせ、属国としての屈辱感さえ国民に味あわせるようなオベンチャラも、トランプ大統領にはあまり効果がなかったようです。

 すべては選挙のためでした。「7月まで配慮する」というのはダブル選挙になるかもしれない参院選があるからで、「8月には決着させたい」というのはアメリカの大統領選挙で再選を狙っているからです。
 参院選までは農産物輸入関税での妥協はできないというのが安倍首相の側の事情です。それを配慮する代わりにこちらの言い分を聞いてもらいたい、「分かっているだろうな、シンゾー」というのが、トランプ大統領の立場なのです。
 それを首脳間で確認するために、安倍首相の求めに応じてトランプ大統領は日本にやってきたのです。ただの観光旅行に来たわけではないということ、選挙が終わったらTPPの水準を上回るような農産物関税問題での譲歩を引き出すために来たのだということを、自分の支持者である米中西部のラストベルトの農民たちにはっきりさせることがトランプ発言の狙いでした。

 もう一つの狙いは、日米同盟の軍事的なレベルアップだったのではないでしょうか。世界に対しては自衛隊が米軍と一体でその指揮下にあることを見せつけ、日本に対しては集団的自衛権の行使と武器爆買いへの圧力をかけようとしたのです。
 トランプ大統領は安倍首相と共に自衛隊のヘリコプター空母「かが」を視察し、海上自衛隊の隊員とアメリカ軍横須賀基地の米兵合わせて500人を前に訓示しました。安倍首相は「日米同盟は私とトランプ大統領のもとで、これまでになく強固なものとなった」と述べ、トランプ大統領は「日本は今後F35戦闘機を購入することで同盟国の中でも最大規模のF35戦闘機群を持つことになる。この『かが』も、F35を搭載できるように改修され、地域を越えて、両国が直面するさまざまな脅威を抑止することができるようになる」と述べました。
 このトランプ発言も重大です。「地域を越えて」広域で作戦行動を行い「両国の」脅威を抑止することを明らかにしているからです。

 「幇間外交」は「屈辱外交」です。独立国としての誇りも矜持も投げ捨て、ひたすらトランプ大統領のご機嫌を取って喜ばせることに終始しました。
 しかし、過剰な接待は相手をますますつけ上がらせるだけです。選挙勝利による政権安定という「私益」のために、日本の農業を守るという「国益」を売り渡した安倍「幇間外交」のツケは、今後高くつくのではないでしょうか。

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5月28日(火) 『日刊ゲンダイ』に掲載されたコメント [コメント]

 〔以下のコメントは『日刊ゲンダイ』に掲載されたものです。〕
 
*5月25日付巻頭特集「気づいたらこんな惨状 「令和」を覆う安倍・菅ファシズム」
 制度設計にも問題があったのに、総務省は菅に「忖度」。政権に公然と歯向かう泉佐野市が許せないのだ。法大名誉教授の五十嵐仁氏(政治学)がこう言う。

 「今の官僚、行政組織は、公平公正も何もない。政権の顔色をひたすらうかがっているだけ。それがすっかり身についてしまった。選挙に勝つためなら何でも利用する『なりふり構わずファシズム』に役人が尻尾を振っている。異常な状況です」

*5月28日付巻頭特集「日本はどうしたのか 正気とは思えないトランプ“狂騒”」
 「朝鮮半島の危機」などの著書がある米ジョージ・ワシントン大准教授のマイク・モチヅキ氏は25日付の朝日新聞で〈安倍首相に対しては「トランプ大統領のペット」という批判があります。ノーベル平和賞の推薦文を書いたり、大相撲の表彰式という機会を用意したりと、いくつかはやり過ぎだと思います〉と断じていたが、その通りだろう。法大名誉教授の五十嵐仁氏(政治学)がこう言う。

 「来日目的がいまひとつハッキリしないトランプ大統領をなぜ、安倍首相はこれほど持ち上げるのか。どこまでご機嫌を取れば気が済むのか。日本の国民として情けないし、恥ずかしいとしか言いようがない」

 日本は米国従属を超え、もはや主権国家さえも放棄してしまったかのようだ。

 「今後の日米貿易交渉で、米国に強硬姿勢で臨んでこられれば政権維持が危うくなる。ならば、『代わりに武器を買いますよ』というシグナルを送ろうと考えているのであれば言語道断です」(五十嵐仁氏=前出)

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5月26日(日) 清潔な政治実現して [選挙]

〔以下の東京・八王子日本共産党の街頭演説での訴えは、『しんぶん赤旗』2019年5月21日付、に掲載されたものです。〕

 18日に東京都八王子市で行われた日本共産党の街頭演説での五十嵐仁法政大学名誉教授の訴え(要旨)を紹介します。

 安倍首相は2020年に改憲を施行すると言っています。この安倍改憲論に励まされて「戦争で領土を取り戻す」とまで言い出す議員まで現れました。まったくとんでもない状況です。
 政治学者として日本の政治を長年見てきましたが、今の安倍政権は最低・最悪です。異質のあくどい政権であり、多くの問題を抱えています。「森友・加計」問題に統計不正、公文書の隠ぺい改ざん、捏造。そして忖度に次ぐ忖度。国会審議の内容や政策の中身ではなく、その前提・土台がゆがんでいます。
 日本の政治に必要なのは忖度ではなく洗濯です。汚れ切った日本の政治を洗い清めることです。吉良よし子さんを国会に送って、日本の政治、安倍政治打倒に奔走してもらいましょう。きらきらと輝く清潔な政治を実現してもらおうではありませんか。
 そのためにも市民と野党の共闘が必要です。「だます。ごまかす、ウソをつく」が安倍三原則ですが、私たち市民にとって「忘れず、あきらめず、手を結ぶ」というのが勝利の方程式・三原則です。きたる参院選、市民と野党の共闘で希望の持てる政治を実現していこうではありませんか。
 今こそ希望のある政治、その扉を共産党の躍進で切り開いていこうではありませんか。


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5月24日(金) 衆参同日(ダブル)選挙を恐れる必要はない [選挙]

 衆参同日(ダブル)選挙についての様々な観測が飛び交っています。今のところ、実施されるかどうかは不明ですが、たとえ実施されることになったとしても恐れることはありません。

 参議院にしても衆議院にしても、前回の選挙(参院の場合は6年前の改選議席)で自公両党はかなりの好成績を収めています。今度の選挙でそれを再現することはほとんど不可能で、実際にはどれだけ減少を少なくできるかが獲得目標にならざるを得ません。
 ダブルにすれば野党共闘を分断できるという見方がありますが、逆に野党共闘を促進する可能背もあります。参院選に力を集中したい公明党はダブルに反対しており、自公の衆院での選挙協力の方がギクシャクするかもしれません。
 したがって、ダブルが与党に有利になるとは限らず、かえって衆参両院で議席減になってしまう可能性の方が大きいのです。マスコミは実施の方向で報道していますが、ダブルは脅しであって実際の選択肢にはならないという見方も可能です。

 7月の参院選では自公が議席を減らし、過半数を割ってしまう可能性が十分にあります。改憲勢力が3分の2の多数を下回る可能性も小さくありません。
 今回、改選されるのは6年前の2013年に当選した参院議員です。この時は自民党が現行制度下で最多の65議席(選挙区47議席、比例区18議席)を獲得して6年ぶりに参院第1党に復帰し、公明党は選挙区に立候補した4人全員が当選して比例区の7議席と合わせて改選前を上回る11議席を獲得しました。
 この結果、自公両党の与党は76議席となって非改選の59議席と合わせて過半数を上回る135議席となりました。とりわけ31あった1人区では、岩手と沖縄を除く29選挙区で議席を獲得し、2人区ではすべて1議席を確保、3人区の千葉と5人区の東京では2議席を獲得するなど、望みうる最高の成績を収めています。

 参院での改選議席を維持するためには、この6年前の選挙を再現しなければなりません。それはほとんど不可能です。
 3年前の参院選と同等の成績を残しただけでも、大きな議席減となります。3年前の参院選で自民党は選挙区で37(追加公認1含む)、比例で19、合わせて56議席の獲得にとどまったからです。
 選挙後、過半数の121議席を上回ったのは、非改選議席が65議席もあったからです。自民党が前回と同じ56議席にとどまった場合には単独過半数には達せず、前回14議席となった公明党を加えてようやく過半数を上回ります。

 2年前の衆院選も、自民党にとっては極めて有利な状況の下での選挙となりました。衆議院解散前後に野党第一党の民進党が事実上分裂して希望の党と立憲民主党が結成され、野党勢力が分断されたからです。
 自民党は小選挙区で218議席(追加公認となった3人を含む)、比例代表で66議席の選挙前と同じ284議席を獲得しました。他方で、公明党は9年ぶりに小選挙区で落選し88議席、比例代表も得票を減らして21議席の計29議席にとどまりました。
 野党共闘は共産党の立候補取り下げという自己犠牲的な対応によって辛うじて維持されましたが、十分に機能しませんでした。ほとんどオウンゴールともいえるような野党の側の失敗によって自民党が助けられた形です。

 3年前の参院選と2年前の衆院選の二つの選挙の結果は、大きな教訓を示しています。3年前の参院選と同様に1人区での野党共闘を実現して勝利すれば、与党を過半数割れに追い込むことは可能だということであり、2年前の衆院選のような野党の分断を避けて共闘すれば自民党を敗北させることができるということです。
 もしダブルになれば、参院選1人区と衆院選小選挙区での野党共闘が必要になります。どちらも与党との間で1対1の構図を作ることが課題になり、そのために譲り合う選挙区の数も膨大になって共闘に向けての話し合いがやりやすくなるという要素も生まれてきます。
 すでに、参院選1人区での共闘実現に向けての調整が本格化し、ほぼ全選挙区での統一候補の擁立に目途が立ちつつあります。この勢いを維持することができれば、衆院選小選挙区での統一候補擁立に向けての協議も難しくはないでしょう。

 もしダブルということになれば、安倍首相は10%への消費税再増税を先延ばしするかもしれないという観測があります。再増税の延期は大歓迎ですが、それが与党にとって有利になるとは限りません。
 再増税の延期は日本経済が悪化しており景気に大きな影響が出ることを認めることになるからです。つまり、安倍内閣の最大の旗印であった「アベノミクス」の失敗を天下に公言するようなものです。
 しかも、10%への増税の準備はすでに始まっており、そのための景気対策を組み込んだ今年度予算も可決されています。増税の影響緩和のためプレミアム商品券やカード決済による5%のポイント還元の予算、消費増税を財源とした幼保無償化や大学無償化などはどうなるのでしょうか。

 参院選に向けて安倍首相は改憲も争点として真正面から提起すると言われています。これも逆効果になる可能性が少なくありません。
 安倍首相の下での改憲には反対する世論の方が多数です。保守勢力内でも改憲に反対する人びともいますから、国政選挙での改憲の争点化は野党ではなく与党を分断する可能性があり、無党派層の反発を招くかもしれません。
 安倍首相がダブルを狙い、消費再増税の延期や改憲の争点化を打ち出そうと考えていても、それが選挙にプラスになるとは限りません。裏目に出るリスクの方が大きいのではないでしょうか。

 安倍首相が消費増税を先送りし、改憲を前面に打ち出してダブルを狙っている可能性は大いにあります。しかし、そうだとしても恐れる必要はありません。
 もしそうなったら、堂々と受けて立てばいいんです。ダブルで挑んできたら、ダブルで跳ね返す。衆参両院でいっぺんに自民党を敗北させることができれば、手間が省けていいじゃありませんか。


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5月22日(水) 書評:飯田洋子著『九条の会―新しいネットワークの形成と蘇生する社会運動』(その2) [論攷]

〔以下の書評は、『大原社会問題研究所雑誌』第727号、2019年5月号、に掲載されたものです。2回に分けてアップさせていただきます。〕

 以上のような本書の特徴と構造を前提に、いくつかの論点についての感想を書くことにしたい。
 第1に、「会」誕生の背景についてである。本書は「突如として『九条の会』という新しい運動が現れ」たと指摘し、「何がこの新しい社会運動へと繋がり、どのようにして、そしてなぜ、この運動はこれほど急速に発展したのか」と問題提起したうえで、「政治的過程、プロテスト・サイクル、そして社会的ネットワークという三つの研究領域における理論的蓄積に依拠し」て探求したと述べている(192~193頁)。
 社会運動の高揚をもたらす要因としては、客観的情勢と主体的な条件の双方が存在している。このうち本書は「会」という運動主体をテーマにしているから当然のことかもしれないが、「政治的過程」における客観的情勢が持っていた意味への注目が弱いのではないかと思われる。
 「会」がなぜ2004年に「突如」として現れたのかという点では、イラク戦争の勃発と安倍晋三という政治家が大きな意味を持っていたのではないだろうか。イラク戦争が2003年に始まり、翌2004年から陸上自衛隊がサマワに派遣されて多国籍軍に組み込まれ、日本人の拉致事件も発生した。
 他方で、改憲論者として警戒されていた安倍晋三が2003年に自民党幹事長に抜擢されるなど一挙に権力の中枢へと歩みを進めた。このような憲法9条に対する「脅威」(19頁)と「差し迫った危機」(21頁)こそが、「突如として」新しい運動を立ち上げた大きな要因の一つだったように思われる。
 第2に、プロテスト・サイクルという概念についてである。本書では社会運動の高揚期と停滞期(潜行期)がサイクル状に繰り返され、「会」の結成と広がりは60年安保闘争の再活性化であるととらえられている。
 このような運動の波とその循環は、「会」の活動にもあったように思われる。「会」結成後の最初の3年間の高揚期、第1次安倍内閣が倒れた後の停滞期を経たのち、自民党政権が復活して安倍首相が再登場した再活性期、さらには2015年9月の安全保障関連法成立後の一時的沈静の後、2017年5月3日の安倍首相による9条加憲と2020年改憲施行の表明に対する運動の高揚という一定のサイクルを認めることができるのではないだろうか。このようなサイクルが生じたのも、主体の側というより客観的な情勢の変化とそれに対応した「脅威」や「危機」の認識と深く関わっていたのである。
 なお、客観的情勢との関連という点では、「安倍の辞任は2007年の世論調査における憲法改正に対する支持率の劇的な効果のせいであるということだ。世論におけるこの変化は、与野党間の力の均衡の変化に直接的に現れた。自民党は2009年の総選挙で野に下り、民主党が社民党とみんなの党とともに連立政権を形成した」という記述が気になる。確かに憲法についての世論の変化はこれらの政変に影響を与えたかもしれないが、それが主たる要因であったとするのは「会」運動の過大評価であり、この点については慎重な検討が求められる。また、連立政権に加わったのは「みんなの党」ではなく「国民新党」であった。
 第3に、本書のキー概念である「60年代政治世代」についてである。この世代は60年安保闘争を担った人々であると理解されるが、これに対する筆者の記述は揺れている。
 たとえば、9頁では「1960年から1970年前半の、第9条と矛盾する軍事同盟であるところの日米安全保障条約の改定に反対する運動がつくり出した巨大なプロテスト・サイクル(抗議の周期)」と記述しながら、195頁では「この『政治の季節』が1970年代前半に終焉を迎え」と書いている。運動が続いたのは「1970年前半」までなのか、それとも「1970年代前半」までなのか。また31頁には「1960年代から1970年代にかけて日米安全保障条約改定に対する反対運動として起こった批判的直接行動」という記述もある。
 このような混乱が生じたのは、性格の異なる60年安保闘争と70年安保闘争とを混同し、この両者を一連のものとしてとらえているからである。そもそも60年安保闘争は安保改定に対する反対運動だったが、70年安保闘争は「改定反対」ではなく「延長反対」であり条約の「廃棄」を求める運動であった。
 両者の運動課題は異なっており、10年の間には運動を担う「世代」も交代していた。60年代後半からの学園闘争や70年安保闘争を担った人々と60年安保闘争を担った人々を一括して「60年代政治世代」としてとらえることには無理があるのではないだろうか。最初から「会」の事務局を担った小森陽一と渡辺治も60年安保闘争は経験していない。
 実際には60年安保闘争と70年安保闘争との間にもプロテスト・サイクルが存在し、運動主体の世代交代があった。評者は1969年に大学に入学し、学生自治会委員長として70年安保闘争に参加した経験がある。1970年6月23日の東大駒場での全国学生集会と代々木公園での全国中央集会にも参加した。71年の沖縄返還闘争や75年までのベトナム戦争反対運動にも加わっている。その後、確かに「政治の季節」は終焉を迎えるが、それ以前の活動家すべてと一緒にされて「60年代政治世代」と呼ばれれば、面食らうだけである。
 第4に、ネットワークの形成とクリアリングハウスの役割についてである。詳細な聴き取りに基づく叙述は本書の白眉だと言えるが、聴き取りだけでアンケートや統計に基づく数量的データなどは少ない。草の根の「会」の増加についてのグラフはある(65頁)が、その構成員の男女別、年齢別、社会的属性別の構成比などが数字として示されれば、「会」の全体像を把握するうえで有益だったと思われる。
 「クリアリングハウス・チャプター」としての県レベルの「会」についての解明も、本書の大きな貢献だと言える。その主要な機能は「それぞれの県の中で草の根の会の間のコミュニケーションや協力を促進することである」(93頁)として、神奈川、広島、宮城、京都、沖縄、福島の実例が紹介されている。それぞれの「会」の結成には「共通するパターンがある」として、「社会運動の活動蓄積と歴史の上に立ったものであること」や、それを率いているのは「社会政治活動の豊富な経験を持つ、専門性ある市民たち」で、この活動家集団の間には社会主義者と共産主義者、労働運動と市民運動、グループ参加と個人参加、若い世代とベテラン市民活動家、プロフェッショナルとアマチュアなどの間に溝が存在しており、それを克服することがめざされてきたと指摘している。ただし、これらの「溝」への対処法についての記述はいささか物足りない。
 第5に、新しい世代の登場と社会運動の継承についてである。筆者は2011年3月の東日本大震災を地震と巨大津波、原発の爆発という「三重災害」ととらえ、これを契機に若者による反核運動という「新しい社会運動」が始まり、「会」もこれに関わることによって運動の幅を広げたこと、第2次安倍内閣の登場と新安全保障法制や96条改憲論に対抗するための改憲派との共同、集団的自衛権の行使容認の閣議決定という「クーデター」(168頁)に反対する多様な運動の展開と分裂してきた運動組織や左派政党の共同、学生と学者の間の共働などのプロセスをフォローし、安保法制に反対する運動でのSEALsやママの会など若者による新たな活動家の出現に注目している。
 以上のような理解は基本的に正しいと思われるが、いくつか気になる点もある。これらの過程において、「会」自体の若返りと運動の継承が実現したのかという点である。学生や若者の「会」や「会」への若者の参加者がどれほど増えたのか、「会」内部での指導的活動家層の若返りと運動の継承がなされたのか。これらに対して本書は明確な答えを示しているとはいい難い。
 なお、大原社会問題研究所について、社会運動は「研究対象としては日本の学者にとって一種のタブーであった」と指摘しつつ「1919年から主に労働問題について研究し続けている学術組織だ」(48頁)と言及されていることを付記しておきたい。

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5月21日(火) 書評:飯田洋子著『九条の会―新しいネットワークの形成と蘇生する社会運動』(その1) [論攷]

〔以下の書評は、『大原社会問題研究所雑誌』第727号、2019年5月号、に掲載されたものです。2回に分けてアップさせていただきます。〕

 2017年5月3日、安倍首相は改憲派の集会において2020年までに憲法を変えて新しい憲法を施行する意向を明らかにした。その後、首相のめざす改憲の内容は4項目に整理されたが、その中心は憲法9条に自衛隊の存在を書き込むことであった。
 これが「安倍9条改憲論」と言われるものだが、その特徴は9条の条文を変えないということにある。したがって、正確に言えば「改憲」というよりも、「加憲」というべきものだった。安倍首相自身、これによって自衛隊の性格や任務にはいささかの変更もないと説明している。
 「加憲」による憲法の改定は、従来から公明党によって提唱されてきた。「安倍9条改憲論」は、従来の改憲論をトーンダウンさせ、同じ与党である公明党の主張に歩み寄ったものだと言える。このような形で譲歩したのは、9条改憲には警戒心が強く世論も反発していたからである。
 安倍首相による9条改憲論は、このような世論状況に対応したものだった。自衛隊の「国防軍」化と集団的自衛権の全面的な容認をめざした2012年の自民党憲法草案のような内容では、改憲を実現することは困難だと判断したのであろう。
 しかし、このような政治判断によって「加憲論」に転じたにもかかわらず、憲法審査会での審議は進まず、改憲発議できない状況が続いている。公明党は相変わらず9条改憲には消極的で、野党の多くは安倍首相の手による改憲に反対しているからである。その背景には改憲反対世論の増大がある。このような世論状況を生み出した大きな要因の一つが全国で7500を上回る「九条の会」の存在と運動であった。

 本書は、安倍9条改憲論の「宿敵」ともいえる「九条の会」(以後、「会」と省略)を真正面から取り上げ、その組織と活動を学術的に分析したものである。政治・社会的に大きな影響力を発揮してきた社会運動団体に対する注目が学術の分野にまで及び、調査と分析の対象となったわけである。「会」がそれだけの実績と成果を上げてきたということの証明でもあろう。
 本書の特徴は第1に、この「会」を主題として書かれた最初の本だということにある。そのために、これまで知られていなかった多くの事実が発見され、その性格や歴史、組織や運動の実態を知るうえで最良の手引き書となっている。たとえば、「多くの地域の『九条の会』の中心的なメンバーには、元教師がいる」(88頁)、「ちがいを抑え込むのではなく、むしろそれに積極的な役割を果たさせることの方が、肯定的な解決策をもたらすこともある」(122~123頁)などの指摘は重要である。
 第2に、ハワイ大学に提出した博士論文を翻訳して加筆修正を加えた学術書だという点にある。本書は運動の当事者ではない研究者による客観的で総合的な立場からなされた専門的な社会運動研究である。そのために理論的な枠組みが明確であるというメリットとともに、「高い中心性」(184頁)や「より関係的な理解を貢献する」(207)のようなこなれない日本語、「共同通信」を「共同ニュース」と呼ぶ間違いや安全保障関連法案(戦争法案)を「国家安全保障法案」とする記述の混乱などが散見され、「フレーム・アラインメント理論」(193頁)のような見慣れない用語に戸惑うというデメリットも生じている。
 したがって第3に、単なるドキュメンタリーではない本書には、様々な専門用語や概念が登場する。なかでも中核的な概念は、プロテスタント・サイクルとクリアリングハウスである。前者はいわば時間にかかわる概念で、社会運動の高揚が一定期間の潜行の後に再び生起するということを示し、後者は空間にかかわるもので、草の根の「会」に情報を提供してまとめ上げるセンター的な役割を担う会(例えば都道府県レベルの「会」)を指している。
 第4に、フィールドワーク(現地調査)とインタビューを主軸に参与観察を行うという手法が取られていることである。この点について、本書を「解説」した小森陽一は、「本書を執筆するうえでの著者の最大の力は、繊細な感覚で運動に参加している人々の心の動きの機微をとらえながら、それを『九条の会』運動の一つの思想にまでつなげていく、エスノグラフィック(民族誌的)なフィールドワークに基づくインタビュー力にある」(225頁)と、高く評価している。その真価が十分に発揮されているのが、第2章と第3章だと言える。

 本書は序章と終章を含めて8つの章から成っている。
 序章では「会」の最初のアピールが紹介され、「本書の目的」と「本書の構造」が明らかにされている。本書の目的は水平方向の社会的ネットワークとして「会」のあり方や活動を分析するだけでなく、それが発足し発展してきたいわば垂直的な過程にも着目し、「会」が草の根で組織され維持される方法や全国組織との連携などを解明することであるとしている。
 第1章「日本の社会運動における政治的過程と1960年代政治世代」では、「会」の出現と発展の歴史的背景に焦点を当て、1950年代から2010年代までの政治的過程、安保闘争を闘った「60年代政治世代」の役割を明らかにし、長い潜行期間後に2011年の大震災後を契機に新しい世代の社会運動が生起したプロセスなどが概観されている。
 第2章「『九条の会』;運動とネットワークの出現と展開」では、「会」の形成過程が詳述され、最初の「会」を立ち上げた指導的なグループの形成、地域での広がり、全国組織との連携、ネットワークの形成などが分析されている。
 第3章「クリアリングハウス・チャプター」では、草の根の「会」の活動を促進し維持する情報センターとしての会(クリアリングハウス)について1府5県の事例が紹介され、とりわけ対立を克服していく方法について解明されている。
 第4章「最初の『九条の会』―-『呼びかけ人』と『事務局』という組織体制とその役割」では、結成後数年間(2004~07年)における「会」の主な役割に焦点を当て、講演会やセミナーの開催、講師派遣、全国交流集会、ニュースレターの発行、アピールの発表などを通じて「会」が果たした交通整理と情報局の機能を明らかにしている。
 第5章「初めの分水嶺、そして新たな脅威」では、「会」のネットワークの発展とそれに伴う憲法世論の変化、第1次安倍政権の退陣と東日本大震災、その後の安倍政権の復活などに対する「会」の対応などが検討されている。
 第6章「新しい世代の中の『九条の会』」では、2011年の東日本大震災後の「会」の活動が取り上げられ、新しい世代の運動の登場と古い世代との共同の発展がフォローされている。
 終章は「結論」である。ここでは、各章の内容を改めて概括した上で、「『ネットワーク的実践』と社会運動の継続」と「社会運動の継続についての関係的理解」という2点における理論的貢献が示されている。

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5月19日(日) 「希望の政治」をめざし参院選に向けて「本気の共闘」を [論攷]

〔以下の論攷は、『東京革新懇ニュース』第442号、5月5日付、に掲載されたものです。〕

 統一地方選挙と衆院補選の結果が明らかになりました。天皇の代替わりを控えた新元号「令和」の発表と、それに伴う「改元フィーバー」という一種の「お祭り騒ぎ」によって天皇制イデオロギーの浸透と定着が図られるなかでの選挙でした。
 このような社会的雰囲気は安倍首相にとって有利に働き、内閣支持率が高まる下での厳しい選挙になりました。また、定数削減や立候補者の減少による当選ラインの上昇など条件の変化もありました。
 このような状況のもとで、日本共産党は地方議員の議席を後退させたものの、2017年総選挙の比例得票率より前進し、反転への足がかかりを築いたと言えます。

 衆院補選で自民党2連敗

 夏の参院選の前哨戦として注目されたのが衆院沖縄3区と大阪12区の補欠選挙でした。辺野古新基地建設の是非を争点とした沖縄3区では野党が支援する屋良朝博候補が圧勝、大阪12区では日本維新の会の新人候補が当選し、自民党は2連敗しました。第2次安倍政権発足以降、自民党が衆参の補選で敗北したのは初めてです。
 この背景には、長期政権の驕り、塚田一郎副国交相の「忖度発言」や桜田義孝五輪担当相による復興軽視の暴言などへの批判がありました。「安倍一強」体制の綻びが生じたということでしょうか。
 自民党候補が正面から辺野古容認を掲げて敗れた沖縄3区補選の結果は、「基地建設ノー」の最終的な審判になりました。選挙態勢として「オール沖縄」が果たした役割も大きなものでした。市民と野党との共闘の源流である沖縄で、その効果と真価が発揮されたということができます。
 他方で、大阪では残念な結果に終わりました。しかし、議員生命を投げ打って安倍政権に対抗する選択肢をつくり出した宮本たけし候補の決断と勇気は高く評価されます。
 自由・社民・立憲・国民の党首をはじめ6野党・会派から多くの国会議員、文化人や知識人、1000人をこすボランティアが応援・激励に駆け付けました。無所属とはいえ共産党議員だった候補を野党の党首や議員が応援したのは初めてのことです。
 最終盤には安倍首相と麻生副総理が自民党候補の応援に入り、「安倍官邸VS.野党共闘」という構図になりました。宮本さんが立候補しなければこのような対立構図が明確になることはなかったでしょう。全国に勇気を与え、野党共闘の発展にとって大きな財産を残しました。
 ただし、沖縄では「本気の共闘」が実現しましたが、大阪では立憲民主党と国民民主党は自主投票で推薦には至りませんでした。「本気度」に大きな違いがあったことは否めません。

 消費増税阻止へ「本気の共闘」を

 選挙戦の最終盤、萩生田光一自民党幹事長代行が消費増税を延期して信を問う可能性に言及し、憲法審査会についても「少しワイルドな憲法審査を自民党は進めていかなければいけない」と語りました。個人の意見だとしていますが、安倍首相の意向を反映したものであることは明らかです。野党に解散をちらつかせて憲法審議への参加を迫る脅しではないでしょうか。
 一般消費税や売上税の導入を共産党の躍進と自民党の大敗によって挫折させた経験があります。選挙の結果次第では、安倍政権を追い込んで消費増税を中止させられることは歴史が証明しています。
 天皇代替わりの政治利用を許さず、「ワイルド」な改憲キャンペーンやダブル選挙にも備え、参院選1人区での野党統一候補の擁立を加速しなければなりません。衆院補選の教訓を学び、明確な対立軸を掲げ、政策合意を進めて相互推薦・相互支援という「本気の共闘」を早急に確立する必要があります。
 選挙中の論戦や衆院補選2連敗、景気の悪化と消費税10%増税への批判の高まりなどによって自民党内での動揺が生まれました。このチャンスを生かして攻勢に転じ、「希望の政治」の扉を開くことが、これからの課題です。

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5月16日(木) 街頭演説で日本共産党の志位委員長と吉良参院議員の前座を務めることになった [日常]

 突然ですが、街頭演説で日本共産党の志位和夫委員長と吉良よし子参院議員の前座を務めることになりました。明後日の18日(土)午後2時からで、場所はJR八王子駅北口です。
 志位さんと吉良さんの前ですので、いささか緊張します。でも、私の演説などはそれほど期待されているとは思えませんので、気楽に楽しくやらせていただこうと思っています。

 この日は、午前中から全国革新懇の総会が開かれます。全国から革新懇運動に関わっておられる方が集まってこられます。
 私も代表世話人の1人として、朝からこの総会に出席しています。各地で講演などに呼んでいただいた関係者と顔を合わせ、お世話になったことへの感謝を伝える絶好の機会ですから。
 しかし、午後2時から八王子駅頭で演説してもらえないかとの要請です。どうしようかと思ったのですが、革新懇の事務室に連絡していただいて「中抜け」することになりました。

 この日の午前中の会議では、志位共産党委員長も「特別報告」をすることになっています。志位さんも全国革新懇の総会から八王子での街頭演説へと直行するわけで、私もまた顔を合わせることになります。
 私の場合はそのまま自宅に帰るというわけにはいかず、自宅のある八王子から再び全国革新懇の総会に戻らなければなりません。懇親会での「中締め」をやることになっているからです。
 18日の土曜日は、自宅のある八王子と全国革新懇の総会が開かれる神保町との間を行ったり来たりすることになります。頼まれれば嫌とは言えない性格ですので、それもやむを得ません。

 街頭演説は18日(土)午後2時からで、場所はJR八王子駅北口です。マルベリーブリッジの工事中ですので、いつもとは少し場所が違うようです。
 めったにない機会になります。多くの方に足を運んでいただければ幸いです。

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5月15日(水) 『日刊ゲンダイ』に掲載されたコメント [コメント]

 〔以下のコメントは『日刊ゲンダイ』に掲載されたものです。〕
 
*5月11日付巻頭特集「経済無策と外交破綻 令和効果が失せればこの政権は終わる」
 3日間で計850円もの下落だ。9日の日経平均株価は、前日終値比で200円46銭安の2万1402円13銭で取引を終えた。10連休明けの株価は3日間続落。連休中の5月1日に元号が「令和」に変わり、日本中に漂っていたお祝いムードに冷や水の様相である。

 「改元も新天皇の即位も日本国内だけのことで、元号が変わったからといって世界情勢や経済状況が一新されるわけではないし、われわれの日常生活も連綿と続いている。改元フィーバーに浮かれた10連休が終わった途端、日本が抱える諸問題を突きつけられることになりそうです。中身空っぽの政権が目いっぱい改元イベントを利用したところで、目の前にある危機はなくならない。むしろ、バカ騒ぎをあおって危機から目をそらしていた分だけ対応が遅れ、取り返しがつかないことになりかねません」(法大名誉教授・五十嵐仁氏)

 安倍が突然、「無条件で」日朝首脳会談を目指すと言い出したのも、日本中が改元イベントに浮かれていた連休中だった。

 「今まで『対話のための対話はしない』と、圧力一辺倒で拳を振り上げてきたのは誰なのか。ロシアとの北方領土交渉が行き詰まり、米国との貿易交渉もかなり押し込まれそうな中、急に日朝を持ち出してきた。外交の八方塞がりをゴマカすための目くらましなのは明らかです」(五十嵐仁氏=前出)

*5日14日付巻頭特集「日米交渉“やってるふり”「大相撲トランプ杯」の違和感」
 「安倍首相とトランプ大統領が、参院選が終わるまで日米貿易交渉の決着を先延ばしするという“密約”をかわしたことは、米タイム誌も報じています。本来、これは日本のメディアが一斉に報じるべき大スキャンダルですよ。安倍首相がトランプ大統領に弱みを握られたということですからね。そもそも、日米貿易交渉は、紛れもない『自由貿易協定交渉(FTA交渉)』なのに、いまだに大手メディアは安倍政権の言い分に従って『物品貿易協定(TAG交渉)』などと呼んでいるのだから、どうかしています。農産物や自動車だけでなく、アメリカは為替条項なども入れようとしてくるでしょう。貿易協定の締結によって、国益が大きく損なわれかねない。なのに大手メディアは、日米貿易交渉の本質を報じようともしない。恐らく、トランプ大統領が5月末、国賓として来日する時も、安倍首相と一緒にゴルフをしたり、大相撲を観戦する場面を大ハシャギして流すのだと思う。結果的に、日米蜜月の演出に手を貸し、他の問題から目をそらすことになるという自覚もないのでしょう。これでは、安倍首相も楽だと思います」(法大名誉教授・五十嵐仁氏=政治学)

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5月10日(金) 『日刊ゲンダイ』に掲載されたコメント [コメント]

 〔以下のコメントは『日刊ゲンダイ』5月8日付に掲載されたものです。〕
 
*巻頭特集「新天皇で勢いづく安倍政権と右派 「令和」で改憲の現実味」
 連休が明けても、今月末にはトランプ米大統領が来日し、即位後初の国賓として新天皇と面会する。安倍がこの機会をトコトン利用しようとするだろうことは想像に難くない。過去のトランプ来日同様、メディアもトランプ報道一色となり、そこへ新天皇が加わり、またもやお祭り騒ぎになりかねない。この異常なまでの1億総慶祝ムードのまま夏の参院選に突入でもしたら、本当に危うい。
 法大名誉教授の五十嵐仁氏(政治学)が言う。

 「第2次安倍政権の6年間で、日本社会は右傾化が進みました。民主的な運動が敵視され、ヘイトスピーチが広がり、マスコミは政権を忖度する。そんな中で新元号と天皇の代替わりを、政権はフィーバーとも言えるお祭り騒ぎに演出し、マスコミもそれに乗っかった。これで政権への同調圧力がますます強まりました。政権としてはこの雰囲気を維持したまま支持率上昇に結びつけ、参院選へなだれ込みたいと考えているでしょう。野党は何としても分かりやすい対立軸を提起し、本気で共闘を進めなければなりません。『元号と天皇が替わったのだから憲法も変えよう』ではなく、『元号と天皇が替わったのだから、首相も代えよう』ですよ」

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