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1月12日(木) 消費増税の「一体改革」でもマスコミは犯罪的な歴史を繰り返そうというのか [マスコミ]

 「この休み癖がすぐに直りますかどうか……」と、前回のブログで書きました。どうも、直らなかったようで、またしばらく更新を休んでしまいました。
 そのお陰もありまして、自治体政策セミナーと韓国での二つの講演のレジュメとパワーポイントの作成を終わりました。東京革新懇総会での講演のレジュメはまだですが、まあ、これは何とかなるでしょう。

 しかし、この講演の準備をしていて痛感しましたが、新年を迎えたにもかかわらず日本の政治と労働の現状は酷いものです。とても、新しい年に向けての希望を語れるような状況ではありません。
 昨年の3月11日に東日本大震災に見舞われ、それに福島第1原発の過酷事故が続きました。その翌年である今年は、「復興元年」ということになります。
 しかし、その「復興」は遅々として進んでいません。未曾有の大災害を好機とし、「人々が茫然自失としている間に急進的な社会的・経済的変革を進めるという手口」(ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』)が、ここでも試みられているかのようです。

 とりわけ、急を告げているのが消費増税をめぐる動きでしょう。野田首相は、「不退転の決意」で増税を実現すると言い、「ネバー、ネバー、ネバー・ギブアップ」と叫び、テレビも新聞も、消費増税の大合唱に加わりました。
 『読売』『朝日』『毎日』『産経』『日経』の全国紙5紙は政府の増税方針を応援し、与野党協議に応ずるべきだと野党を批判する異様な光景が展開されています。権力を監視し、過った政策を批判するジャーナリズムとしての本分はどうなったのでしょうか。
 しかも、世論調査では消費増税への反対論が増え続け、現在では賛否が逆転しました。マスコミは世論の動向に反する形で政府を応援していることになります。

 かつて、新聞など日本のマスコミは国民に戦争をたきつけ、侵略戦争に協力するという過ちを犯しました。原子力政策でも、原発の「安全神話」を振りまいて国民を騙す片棒を担いできました。
 今また、消費増税に反対する国民をしかりつけ、政府の増税政策を応援するという間違いを犯しつつあります。消費税を増税しても、長期的には税収増にならないのではないか、社会保障との一体改革という触れ込みでも、社会保障の充実には結びつかないのではないか、デフレと大震災で疲弊した経済や産業に大打撃を与え、かえって財政再建を遅らせてしまうのではないか、消費増税、復興増税、TPP参加などによって中小企業や農業・漁業は壊滅し、地方は崩壊してしまうのではないか、税収増を図るためには、消費税より大企業や富裕層への増税の方が効果的ではないか、などという不安や疑問にマスコミはきちんと答えてきたのでしょうか。
 全国紙5紙などのマスコミは、日本の財政危機を救い社会保障を安定させるためには税収増が必要だ、そのためには消費増税しかないと思い込み、他の選択肢は目に入らないという視野狭窄に陥ってしまいました。国民をたきつけて戦争協力という過ちを犯した戦前と同じような症状を呈しつつあると言うべきでしょう。

 「改革」と言えば、それだけで善であり正しいかのように思われがちです。しかし、すでに何度も指摘したように、政治改革や構造改革は「改革」の名の下に国民をミス・リードし、日本の政治と経済・社会をぶっ壊してしまいました。
 この時も、全国紙などのマスコミは「改革」の応援団としての役割を演じ、大きな間違いを犯したのです。今度の社会保障と税の「一体改革」においても、その犯罪的な歴史を繰り返そうというのでしょうか。

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11月9日(水) マスコミは自らが果たした役割を先ず反省するべきではないのか [マスコミ]

 「なぜ、政治はこれほどの機能不全に陥っているのか。問題の根源を見さだめ、処方箋を探らねばならない。」
 これは11月7日付『朝日新聞』の社説「政治を鍛える〈序論〉―民主主義の技量を磨く改革を」の一節です。
 この社説は、次のように続いています。

 原発でも格差でも「生きる権利を脅かされているのに、政治に声が届かない」と憤る人々が増えている。まさに「民主主義の欠乏」への異議申し立てだ。……
 一方で、いまの政治のていたらくは「民主主義の結果」であることも間違いない。
……
 金権腐敗批判と冷戦の終結を機に本格化した90年代の政治改革は、2大政党を生み、政権交代をもたらした。ただ、その中身は選挙制度の手直しや政党への税金投入にとどまった。
 いま必要なのは、政治の機能不全をただす「次なる政治改革」だ。このままでは、政治不信の嵐が政治への冷笑や、強力な指導者の待望論に変質する危険すらある。
 痛みを分かち合わなければならない厳しい時代には、すべての政治家にこれまでより高度な民主主義の技量が求められる。 (以上、引用終わり)

 ここに書かれている「政治のていたらく」という現状認識に異存はありません。それとともに、このような形で『朝日新聞』が政治の機能不全を認め、「次なる政治改革」が必要であるとしていることに注目したいと思います。
 しかし、「いまの政治のていたらくは『民主主義の結果』である」としている点、「政治改革」は、「2大政党を生み、政権交代をもたらした」が、「その中身は選挙制度の手直しや政党への税金投入にとどまった」としている点、「すべての政治家にこれまでより高度な民主主義の技量が求められる」としている点については同意できません。
 なぜなら、「いまの政治のていたらく」は政治改革が失敗したからであり、その失敗とは2大政党を生み出すような「選挙制度の手直し」を行ったからです。したがって、それを是正するには「政治家にこれまでより高度な民主主義の技量が求め」るだけでは不十分だからです。

 そもそも、この「社説」には、政治の機能不全と劣化の根本原因が2大政党制とそれを生み出した小選挙区制にあるという問題意識が完全に欠落しています。「選挙制度の手直し」によって小選挙区制を導入した点に政治改革が失敗した最大の要因であるということも……。
 政治家がいかに高度な「民主主義の技量」を高めても、小選挙区制が維持されている限り「次なる政治改革」は不可能です。また、小選挙区制の下では、政治家が高度な民主主義の技量を高めることも難しいでしょう。
 『朝日新聞』の社説は、政治改革の失敗とは何であったのかについて正しく認識していません。失敗の原因が理解されていなければ、それを是正することは不可能です。

 かつて選挙制度改革に当たって、選挙の役割は「民意の集約」にあるという意見と、「民意の反映」にあるという意見がありました。前者は小選挙区制、後者は比例代表制の支持に結びつきます。
 当時のマスコミや世論の多くは、前者の「民意の集約」論を支持しました。その結果、小選挙区制が導入され、衆議院の選挙制度は「中選挙区制」から「小選挙区比例代表並立制」へと変更されたのです。
 その結果として生じたのが民主・自民の2大政党制です。つまり、2大政党制は政治の機能不全をもたらした根本原因であり、それは2大政党制の「母国」とされるイギリスやアメリカでも同様なのです。

 本来、「民意の集約」は議会での審議を通じてなされるべきものです。そのために、選挙は正確な「民意の反映」を可能にするものでなければなりません。
 議会での「民意の集約」のためにこそ、選挙での「民意の反映」が必要なのです。この議会と選挙との関係が正しく理解されなかったところに、政治改革が失敗した根本的な原因があります。
 そのことを正しく理解せず、政治改革を選挙制度改革へと誘導し、2大政党制実現のために小選挙区制導入の旗を振ったのは当時のマスコミでした。『朝日新聞』も例外ではありません。

 昨日(11月8日付)の『朝日新聞』の社説「どうするTPP―交渉参加で日本を前へ」は「まず交渉に参加すべきだ。そのうえで、この国の未来を切り開くため、交渉での具体的な戦略づくりを急がねばならない」と書き、今度はTPP参加に向けて旗を振っています。また、同じ過ちを繰り返すつもりなのでしょうか。
 政治改革はもとより、その後の構造改革でも規制緩和の旗を振り、原発推進では「安全神話」を振りまいてきたのが、『朝日新聞』をはじめとしたマスコミではありませんか。これまで犯してきた数々の間違いを総括し、反省することこそ、何よりも必要なのではないでしょうか。

 「政治を鍛える」などと言って、何を偉そうに。全ての責任を政治家に転嫁するのは卑怯ではありませんか。
 マスコミは政治のていたらくを招いた責任を自覚するべきでしょう。日本の政治の機能不全を生み出すうえで果たした自らの役割をきちんと総括し反省のが先ではないでしょうか。
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9月2日(金) 「みのもんたのサタデーずばっと」で放映されるかも [マスコミ]

 今日のお昼過ぎのことでした。研究所から電話がありました。
 TBSから取材の申し込みがあったというのです。「自宅の電話番号を教えても良いですか」と言いますので、「ああ、良いですよ」と答えました。

 多分、今日発足した野田内閣についてのコメントでも求められるのだろうと思っていました。電話で感想を言えば、それで終わりだと。
 しばらくして、電話がかかってきました。南相馬市の市長さんが、電源3法交付金を辞退したというのです。
 それについての意見などを聞きたいという電話でした。「ついては、お宅に伺ってインタビューを収録したいのですが」と言います。

 「え、うちに来る? 我が家にですか」「ええ、今日のご予定はどうなっていますか」
 「え、今日ですか? これから見えられるのですか」「ええ、撮影に伺いたいのですが」 「そりゃまあ、今日は休みで家にいますが、家までこられるというのはどうも」

 というわけで、カミさんに相談したら、案の定、来られるのはどうもと言います。私も自宅というのは困ります。
 「これからスタジオに行きましょうか?」と提案しました。すると、「じゃ、車を出します」と仰るではありませんか。
 約束した時間に、黒のセダンが我が家の前に横付けになりました。「これがハイヤーというものか」と、始めて知った次第です。

 迎えの車に乗り込んで、一路、中央高速をひた走り、赤坂のTBSに向かいました。道路は空いていて、1時間もかからずに到着です。
 「あれ、石破さんじゃ?」「そうですね。時事放談に出演されるんじゃないでしょうか」
 石破さんとは、日本テレビの「太田総理」の番組に出ていたとき、やりあったことがあります。お付きの人に囲まれて、石破さんは目の前を通り過ぎていきました。

 ということで、15分ほどの収録を終えて、また黒塗りセダンのハイヤーに送ってもらって帰ってきたというわけです。あっと言う間の3時間弱でした。
 放映は明日の朝5時45分からの「みのもんたのサタデーずっばっと」の枠内です。多分、6時頃からになるだろうといいます。
 「でも、組閣直後ですから、放映されるかどうかも含めて、変更があるかもしれません」と仰います。そういうことは、テレビ局では良くあることです。

 期待せずに、待つことにしましょう。どのような形で放映されるのか、今から楽しみではありますが……。
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9月8日(水) フェアーでなければ信は得られず [マスコミ]

 毎回、同じような話で恐縮ですが、今日の『朝日新聞』もひどいものです。読者からの批判の声は届いていないのでしょうか。
 『朝日新聞』は、よほど小沢さんが嫌いなんでしょうね。社説「民主党議員へ 派閥の論理と縁を切ろう」は、次のように書いています。

 民主党の国会議員に望みたい。
 今回の党代表選は事実上、日本の首相選びである。国民に代わって選択する極めて重い責務を委ねられている。その自覚を持って、自分自身で悩み、投票先を決めてもらいたい。 残念なことに、責務への自覚が足りないのではないかと疑われる発言が、いかにも無造作に飛び出している。
 「私は小沢一郎さんに、総理にまで導いていただいた。ご恩返しをすべきだ」という鳩山由紀夫前首相の発言が典型である。
 一個人としてなら恩返しは美徳だろう。しかし、一国の最高指導者を義理や私情で選ばれたのでは国民はかなわない。自分だけならまだしも、グループの仲間にも同調を呼びかけている。
 鳩山氏に限らず、選挙で世話になったから、などと聞かされると、あまりに内向きの発想に驚かざるをえない。
……
 民主党と合流したころの自由党は30人ほどだったが、いま小沢グループは約150人。代表や幹事長として選挙や資金の実権を握り、党の力を背景に手勢を拡大していく姿は、改革の狙いからは明らかに外れている。
 幸いどのグループにも、上の方針をうのみにせず自分で考えようとしている人々がいる。態度を公表していない議員らが両候補の公開討論会を近く開くのも、それぞれ判断材料を得るためだろう。当然のことだが評価したい。
……
 いっそこの際、各グループこぞって自主投票を決めてはどうか。民主党への評価が高まるに違いない。
 本来なら、総選挙を通じ有権者が直接、政権党と首相を選ぶ時代である。派閥の論理とはきっぱり縁を切ろう。
 あくまで有権者に基盤を置きつつ、自らの頭で考え投票する。それでこそ議員は「国民代表」の名に値する。

 この社説も、小沢さんとその支持者の国会議員を標的にしていることは明らかです。選挙でお世話になったからといって投票するのは間違いだ、グループや派閥に縛られて投票するのも間違いだ、菅支持が多数だとされている「有権者に基盤を置きつつ、自らの頭で考え投票する」べきだというのですから……。
 去年の総選挙と今年の参院選は小沢さんが仕切り、お世話になった初当選議員が沢山生まれました。これが「小沢チルドレン」と呼ばれる新人議員です。
 この人達が、国会議員の中での小沢優位を生み出す背景になっています。『朝日新聞』は、「社説」でその切り崩しを図っているというわけです。

 そればかりではありません。14面の声欄には、小沢さんを揶揄する「渾身の『作り笑顔』作戦でなぜ支持が来ぬ」という悪意に満ちたマンガが描かれています。
 このマンガは、渋面の小沢さんが右手で笑顔の小沢人形を掲げている図です。「『作り笑顔』作戦」というのであれば、「イラ菅」と呼ばれている菅さんだって同様でしょう。
 どうして、この絵は菅さんではなく、小沢さんなのでしょうか。その笑顔を、どうして「作り笑顔」などと断言できるのでしょうか。

 まだ、あります。その横の「ザ・コラム」という欄に、若宮敬文さんの書いた「因縁の対決、亡霊が語れば」という文章が載っています。
 これは、田中角栄と三木武夫という2人の元首相の「亡霊」の会話というスタイルを取っていますが、その狙いも明らかです。小沢と菅をダ-ティーな田中とクリーンな三木にダブらせて、小沢さんを貶めようとしているわけです。
 この中で、三木さんは2度に渡って「信なくば立たず」と強調しています。私もそう思いますが、それに倣って『朝日新聞』には、こう言いたいと思います。
 「フェアーでなければ信は得られず」と……。

 なお、昨日のブログで、『朝日新聞』9月7日付夕刊に掲載された大原社会問題研究所の秋のイヴェント「三池争議と向坂逸郎」http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/notice/miike.htmlの案内について書きました。実は、これよりも前に、案内を掲載してくださった新聞があります。
 『東京新聞』9月4日付夕刊の「文化」欄です。藤原正彦さんのインタビュー記事の下に「三池争議から50年で資料展示会とシンポ 法政大で来月13日から」という記事が掲載されていました。
 朝日新聞の記者はこれを見て研究所に問い合わせをし、記事にしたようです。まず、何よりも『東京新聞』の担当者の方にお礼を申し上げるべきでした。ありがとうございました。

9月7日(火) 「天声人語」よ、お前もか [マスコミ]

 「天声人語」よ、お前もか、と言いたくなります。今日の『朝日新聞』の一面下のコラムです。

 もう、お読みになりましたでしょうか。「天声人語」まで、このような書き方をするなんて、全くガッカリです。
 私のこのブログを「転成仁語」としたのは、本家の「天声人語」にあやかってのものでした。それだけ、このコラムの見識と筆力を評価し、敬意を払っていたからです。
 それが、何ですか、今日の「天声人語」は。言葉による「世論誘導」に等しいものではありませんか。

 さて、どちらが首相にふさわしいか。小紙の世論調査では65%が菅首相をあげ、小沢前幹事長は17%だった。他紙も似た傾向のようだ。民意という川は、菅さんを浮かべ、小沢さんを沈めたがっていると見ていいだろう▼民主的なコントロールとは、素人である大衆の方が、結局は、しがらみに巻かれた玄人より賢い結論を出す、という考え方で成り立っている。バッジ組は、新人議員とて利害損得の渦中にあろう。民意が遠吠(とおぼ)えにすぎないとなれば、むなしさはいや増す▼もとより政治は対立を前提とする。そして政治家とは対立の中で勝者をめざす人たちだ。だが小沢さんの出馬には、どこか「私闘」の影がさしていないか。権力ゲームでジリ貧になる焦りから勝負に出たような――。このあたりの陰影に人は鈍くはない

 これが、今日の「天声人語」です。民意は、「菅さんを浮かべ、小沢さんを沈めたがっている」し、「民主的なコントロールとは、素人である大衆の方が、結局は、しがらみに巻かれた玄人より賢い結論を出す、という考え方で成り立っている」のだから、これに従えというのです。
 議員は「利害損得の渦中」にあるだろうが、「民意が遠吠(とおぼ)えにすぎないとなれば、むなしさはいや増す」から、「民意」を尊重すべきだ、というのです。そして、「小沢さんの出馬には、どこか『私闘』の影がさしていないか」と腐すのです。
 おまけに、小沢さんは「権力ゲームでジリ貧になる焦りから勝負に出たような」ものだから、投票してならないと諭すのです。最初から最後まで、反小沢のオンパレードではありませんか。

 このような一方的に偏った「コラム」が、これまであったでしょうか。「天声人語」の名が泣こうというものです。
 これが「天声」なのでしょうか。「小沢さんの出馬には、どこか『私闘』の影がさしていないか」などと、根拠を示すこともなく誹謗することが……。
 これが「人語」なのでしょうか。「権力ゲームでジリ貧になる焦りから勝負に出たような」との憶測を述べることが……。

 と、ここまで『朝日新聞』を批判してきましたが、ガラリと転じて、ひと言、お礼を言わなければなりません。今日の『朝日新聞』の夕刊5面の「文化」欄に、大原社会問題研究所の秋のイヴェント「三池争議と向坂逸郎」についての案内を載せていただいたからです。担当の方、ありがとうございます。
 記事では、「当時のビラやヘルメットなどが見られる展示会」とありますが、これはいささか誤解を招く書き方です。「ビラ」はその通りで、「ヘルメット」も展示しますが、これは当時の採炭夫が被っていた作業用のものです。
 このほかにも、実物の石炭、貴重なポスター、珍しい写真、旗や腕章、主婦会の主婦が作った人形や壁掛け、木彫りの主婦の像なども展示されます。是非、ご覧いただきたいと思います。

 なお、特別展示として、マルクスの書いた『資本論』初版本も出す予定です。初版本は世界で約100冊、うち日本には50冊ほどあると言われていますが、研究所が所蔵しているこの『資本論』はマルクスの署名入りで、しかも「Seinem Freund Dr. Kugelmann Hanover,17 Sept. 1869. 」という親友のクーゲルマンへの献辞が入った世界で1冊しかない「お宝」です。
 来る9月27日(月)にNHK教育テレビの番組「一週間で『資本論』」(夜10時25分~10時50分)の初回で、この『資本論』の映像が放送される予定ですが、その実物を眼にすることができるというわけです。この、またとない貴重な機会を、是非、お見逃しなく。

9月6日(月) 複雑な問題を分かりやすく、難しいことを易しく、そして何よりも面白く伝えたい [マスコミ]

 昨日のブログへのコメントとして、土曜日の講演への感想を書いていただきました。ご満足いただけたようで、何よりです。

 私の話は「落語みたいでおもしろい」と書いてくださりました。大変な誉め言葉でして、そう受け取っていただいて、嬉しく思います。
 講演では、最低限のマナーとして、第1にレジュメを作成すること、第2に時間を守ること、第3に大きな声で話すことを心がけています。その上で、複雑な問題を分かりやすく、難しいことを易しく、そして何よりも面白く、興味や関心を持ってもらえるように伝えたいと思っています。
 人に話したり伝えたりする場合、何を伝えるかという内容は重要ですが、それと同じくらい、どのように伝えるかという伝え方の問題も大切だからです。相手にきちんと届き、受け取られるようでなければ、どのような内容であっても伝えたことにはなりませんから……。

 法政大学で「講義はされておられないのでしょうか」とのお問い合わせですが、残念ながら(というか、幸いにもというべきか)授業は受け持っていず、学生に直接話をする機会はありません。私のようなものが学生に話をすれば、「講義」どころか「抗議」されるかもしれませんし。などというのは、冗談です。
 ただ、社会学部は大原社会問題研究所と同じ法政大学の多摩キャンパスにあります。研究所は、図書館と同じ建物の5階にあり、学生だけでなく一般の方を含めてどなたでも利用でき、図書や資料を閲覧することができます。
 卒業論文の作成などでも大いに役立つと思いますし、実際に利用している学生も沢山おられます。また、10月には「三池争議と向坂逸郎」に関連する展示会やシンポジウムなどのイヴェントhttp://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/notice/miike.htmlなどもありますので、機会がありましたら、是非、顔を出してくださいとお伝え下さい。

 話は変わりますが、相変わらず『朝日新聞』は小沢さんへのネガティブ・キャンペーンに地道を上げています。今日の1面には大きく「『首相には菅氏』65%」という世論調査の結果が報じられていました。
 その2面には「新人議員 板挟み」という見出しで、1面からの続きで「多数派工作と世論の間で揺れる姿」が紹介されています。そして、その左下には、ご丁寧に、「小沢氏、政策でも支持劣る」という記事が出ています。
 「頼みの綱の『マニフェスト順守』『脱官僚』『景気・雇用対策』といった菅氏に対峙する主張の面でも支持が劣っている」というわけです。しかし、よくよく読んでみると、ここで書かれていることのほとんどは、1面で書かれていることの繰り返しにすぎません。

 つまり、今日の『朝日新聞』は、世論が「首相には菅氏」を望んでいることをデカデカと報じ、次に「多数派工作と世論の間で揺れる」新人議員の姿を間に挟み、彼らに対して小沢さんは「政策でも」支持が劣っているのだから「多数派工作」などに屈しないで「世論」に従うべきだと訴えているわけです。何という恣意的な紙面構成なのでしょうか。
 『朝日新聞』は極めて意図的に反小沢の世論誘導を行い、その「世論」を背景に、新人議員を説得しようとしているように見えます。このような姿勢は、『朝日新聞』だけでなく、多くのマスコミに共通しています。
 マスコミのあり方として、極めて問題のある報道姿勢だと思うのは私だけでしょうか。このような報道を続けていけば、新聞の権威と信頼性は低下し、IT化の下で深まりつつある「新聞の危機」を更に加速させることになるのではないでしょうか。

8月31日(火) イラク戦争支持の「言論責任」はマスコミを含む全ての「言論人」に対して問われるべきだ [マスコミ]

 『朝日新聞』の夕刊に、「人・脈・記」という連載コラムがあります。しばらく前から、「イラク 深き淵より」という連載が始まり、昨夕で「21」という番号が付いています。
 その21回目の記事の見出しは「問われ続ける 言論責任」となっていました。911テロとイラク戦争に対する言論人の責任についての検証です。

 その記事の最後に、次のように書いてありました。

 戦争の正当性を正面から問うことなく、「米国に協力する以外に選択肢はない」と主張した論者がいた。その人々が、「大義なき戦争」が引き起こした様々な問題を直視し、その後「反省の弁」を口にしたとは、寡聞にして聞かない。
 言論に対する責任は、今も問われ続けている。

 その通りです。ここに書かれている問題点の指摘は、極めて正当なものです。
 このような視点から、「大義なき戦争」に対する言論人の責任を問い続けることは極めて重要であり、そのような作業を行っている『朝日新聞』のこの記事を高く評価したいと思います。
 しかし、この日の記事に出てきたのは、911テロ後のアフガニスタン空爆を支持し、その後、イラク戦争に反対した政治哲学者のマイケル・ウォルツアーであり、政治学者のフランシス・フクヤマです。日本人で登場するのは、「『イラク戦争は不必要な戦争だ』と一貫して指摘してきた」東大法学部の藤原帰一教授でした。

 つまり、アメリカで「反省の弁」を口にした学者と、日本で「反省」する必要のない学者が取り上げられているわけです。「『反省の弁』を口にしたとは、寡聞にして聞かない」とありますから、それも仕方ないかもしれません。
 それなら、イラク戦争が始まったあの時、「米国に協力する以外に選択肢はない」と主張し、その後も「反省の弁」を口にしていない「論者」を取り上げ、その言い分を検証してもらいたいものです。そして、真正面からその「言論責任」を問いつめるべきでしょう。
 この場合の「言論責任」は、学者や研究者だけにとどまりません。『産経新聞』『読売新聞』を始めとした新聞社やテレビ局で記事や社説を書き報道したマスコミ人、戦争支持を説き煽り立てた政治家や評論家など、幅広い「言論人」に対して、その責任が追及されるべきでしょう。もちろん、日本政府と小泉元首相などの責任についても……。

 誤った言論には、誤った結果が付随しています。そしてそれが戦争への支持や協力という形で現れる場合、多くの破壊や死傷者という具体的な犠牲を伴わざるを得ません。
 「戦争の正当性を正面から問うことなく」イラク戦争支持を主張した人々は、この「戦争の正当性」をどう考えているのでしょうか。今もなお正しかったと思っているのでしょうか。
 その答えを是非聞いてみたいと思うのは、私だけではないはずです。

6月19日(土) 張本さんとTBSに「喝ッ!」 [マスコミ]

 ガッカリです。張本さんの歯切れの良い野球解説のファンだったのに……。

 これでは、もう、楽しめません。江川紹子さんを降板させるように圧力をかけた張本さんにも、それを受け入れてしまったTBSにも、全く失望してしまいました。
 以前のように、気楽に見るというわけにはいかないでしょう。毎週、日曜日の朝、楽しみにしていた番組なんですが、誠に残念です。
 画面が、薄汚く見えてしまうかもしれません。全く、ガッカリです。

 報道によれば、ジャーナリストの江川紹子さんがコメンテーターとして出演しているTBSの報道番組「サンデーモーニング」(日曜午前8時)で野球解説者の張本勲さんと意見がぶつかり、TBSから今月20日の出演を見合わせるよう求められたことを18日、自身のツイッターで明かしたそうです。
 TBS宣伝部によると、意見の食い違いがあったのは5月23日の「御意見番スポーツ」コーナーで、張本さんがプロ野球の楽天、岩隈久志投手の途中降板について「喝ッ!」と一喝した後に「最後までマウンドを守るのがエース」などと言い、これに対して江川さんが「えーっ」「途中降板もありなのでは?」などと反論し、意見の食い違いがあったとされています。
 しかし、実際には、「意見の食い違い」というよりも、この江川さんの突っ込みに張本さんが腹を立て、江川さんの降板を求めたようです。TBSは「2人が積極的に気持ちよく出演していただけるための措置。今後も話し合いを続けていきたい」と説明しているそうですが、江川さんだけが「出演を見合わせるよう求められ」て出られなくなったわけですから、何が真実かは明らかでしょう。

 実は、この時の番組は、私も見ていました。2人のやり取りは、良く覚えています。
 それほど険悪な感じはしませんでした。どうして、張本さんがそれほど腹を立てたのか、何故、わざわざ江川さんの降板を求めたのか、TBSがどうしてこのような措置をとったのか、全く理解できません。
 とはいえ、番組中の発言によって降板させられたということであれば、表現の自由に関わる重大問題です。しかも、報道番組で「報道のTBS」と言われている局での出来事です。笑って済ませられるような問題ではありません。

 張本さんは、慌てているでしょう。これで、一挙に評判を落とすことなるでしょうから……。
 TBSや「サンデーモーニング」の関係者も、頭を抱えているかもしれません。今後、問題が拡大する可能性もあり、番組に傷が付いたことは否定できませんから……。
 少なくとも、熱心な視聴者の一人を失ったことは確かです。江川さんの降板が撤回されるまで、抗議の意味で、私はこの番組を見ることを止めるつもりですから……。

 張本さんも、ファンの一人を失ったことになります。何というバカなことをしたのでしょうか。あの程度の問題で……。

4月27日(火) 批判するだけで解決策を示さないマスコミの無責任 [マスコミ]

「日米両政府 普天間基地の国外移設で合意」「移設先など 詳細はこれから」

 5月のある日、このような見出しが新聞の一面を飾るかもしれません。そうなることを願っています。そうなるしか、普天間問題の「決着」はないからです。
 それ以外のどのような案も、問題を長引かせたり、新しい問題を生んだりするだけです。「決着」にはなりません。
 普天間基地問題の「決着」とは、沖縄の基地負担を軽減することです。それ以外には、どのような「解決策」も「決着」を意味しません。

 一昨日の県民大会は、「私たち沖縄県民は、県民の生命・財産・生活環境を守る立場から、日米両政府が普天間飛行場を早期に閉鎖・返還するとともに、県内移設を断念し、国外・県外に移設されるよう強く求める」との「決議」をあげました。つまり、「決着」とは、「普天間飛行場を早期に閉鎖・返還するとともに、県内移設を断念し、国外・県外に移設」することなのです。
 しかも、その移設は「国外・県外」となっています。「県外」よりも「国外」が先に来ていることに注目してください。
 沖縄の人々は、普天間飛行場を沖縄の外に持っていって欲しいと願っています。しかし、他の県に負担を押し付けるのも嫌だ、「国外」に持っていって欲しいというのが、本当の願いなのです。

 しかし、このような願いについて、マスコミはほとんど正確に報じていません。25日の県民大会については一面などで報じられましたが、真の要求は国外移設だということをきちんと書いている新聞があったでしょうか。
 「米自治領北マリアナ諸島の上院議会が16日、米軍普天間飛行場の移設先として同諸島のテニアン島を検討するよう日米両政府に求める決議を全会一致で可決していたことが分かった。あて先は米国防総省、日本政府など。27日には下院議会で同様の決議が行われる見通し」と報じたのは、『沖縄タイムス』くらいしかありません。『朝日新聞』や『読売新聞』は、完全に黙殺しています。
 県民大会の報道について、昨日のブログで私は「NHKの7時のニュースでは、テニアン島のテの字も放送されませんでした」と書きました。昨日の新聞報道でも、「テニアン島のテの字も」書かれた記事があったでしょうか。

 現時点において、唯一、可能で現実的な選択肢であると思われる事実が、全く報道されていません。驚くべき「偏向報道」だと言うべきでしょう。
 実現不可能な徳之島移設案や辺野古沖移転の現行案、杭打ち工法による修正案などについては、細かく報じられています。そしてそれは、混迷や迷走だとして批判されています。
 ならば、どうすべきだというのでしょうか。マスコミ各社は、普天間基地の移設問題はどう解決されるべきだと考えているのでしょうか。

 鳩山政権における検討や提案がどのようなものであっても、「県内」や「国内」であれば、5月中の「決着」は不可能です。ならば、どうすれば「決着」できると考えているのでしょうか。
 普天間問題が「決着」できずに鳩山政権が挫折し、政局が混乱すれば好都合だとでも思っているのでしょうか。内閣支持率が低下し、政治不信が高まり、問題解決が先送りされても、新聞が売れ、テレビの視聴率が高まればそれで良いと考えているのでしょうか。
 マスコミもまた、問題の解決に向けて努力するべきです。沖縄県民の負担を軽減するためにどうすれば良いのか、可能な選択肢を提起するべきでしょう。

 「国外」移設案を真剣に検討するべきです。「国内」で地元の支持が得られる場所は皆無ですから、これしか「決着」の道がないからです。
 しかも、一方が、「出ていって欲しい」と声を高めているときに、他方が、「是非来て欲しい」と決議を上げているのです。絶好の「渡りに船」ではありませんか。これで解決できないなんて、どうかしています。
 普天間の海兵隊は行き場を失っているわけではなく、行ける場所があるのです。そのことを、どうしてもっと大々的に報じないのでしょうか。

 沖縄の世論は変わりました。日本の世論も変わりつつあります。いずれ、アメリカのオバマ大統領も理解するにちがいありません。このような世論・民意に従うことこそ、民主主義なのだと……。
 そうすれば、5月のある日、「日米両政府 普天間基地の国外移設で合意」「移設先など 詳細はこれから」という見出しが、大きく新聞に掲げられるにちがいありません。
 あきらめる必要はないでしょう。時間は、まだ1カ月以上もあるのですから……。

12月28日(月) デフレ克服のためには賃上げと雇用の安定、セーフティネットの充実が必要だ [マスコミ]

 だが日本のデフレは突出している。日本は7~9月期に約35兆円の需要不足に陥った。国内総生産(GDP)に対する比率は7%で、米欧の3~4%を上回る。少子高齢化といった固有の問題もあって需要の収縮がひどく、価格の下落が顕著になっている。
 クレディ・スイス証券の白川浩道氏は「雇用慣行にも原因がある」と話す。日本の企業は人員の削減を抑える代わりに、賃金のカットで不況に対応してきた。賃下げよりも人員整理に動きやすい米欧の企業とは対照的だ。これがモノだけでなく、サービスの価格も押し下げているという。(「デフレと闘う(上)」『日本経済新聞』2009年12月17日付)

 一昨日に続いて、日経新聞のこの記事についても言いたいことがあります。「賃下げよりも人員整理に動きやすい米欧の企業とは対照的」に、「日本の企業は人員の削減を抑える代わりに、賃金のカットで不況に対応」するから、「モノだけでなく、サービスの価格も押し下げ」、「日本のデフレは突出」するのだと書かれているからです。
 日本のデフレが突出しているのはその通りです。その原因が、「賃金のカットで不況に対応」する点にあるというのも、間違いではありません。しかし、「日本の企業は人員の削減を抑え」ているでしょうか。

 これについては、2つの点を指摘しておく必要があるでしょう。
 一つは、「米欧に比べれば」という相対的な意味で、そう言えるに過ぎないということです。失業率は、日本よりも米欧の方が高くなっていますから、それに比べれば「日本の企業は人員の削減を抑え」ているということになります。
 もう一つは、「正社員に限って言えば」という限定的な意味で、そう言えるだけだということです。派遣労働者などの非正社員が中途解雇や雇い止めにあったりしていることは誰もが知っている事実です。

 12月25日に総務省が発表した労働力調査によれば、11月の完全失業率(季節調整値)は前月よりも0.1ポイント悪化して5.2%になりました。デフレや消費低迷などによって、依然として雇用環境は厳しい状況が続いています。
 完全失業者数は331万人で、前年同月から75万人増加しました。13カ月連続での増加です。
 就業者数は前年同月比131万人減の6260万人で、22カ月連続のマイナスでした。これらの数字からすれば、「日本の企業は人員の削減を抑え」ているなどと言えるかどうかは大いに疑問です。

 しかし、それでも失業率が10%を前後しているヨーロッパなどと比べれば、日本の失業率は低くなっています。それは何故でしょうか。
 日経新聞の記事は、クレディ・スイス証券の白川さんの言葉を引きながら、人員削減を抑えて賃金をカットする「雇用慣行」のせいだとしています。ヨーロッパでは、賃下げではなく人員を削減するから、価格の下落が顕著にならないというのです。
 この記事によって、日経新聞の記者は賃金をカットせずにもっと首を切れと言いたいのでしょうか。ヨーロッパのように雇用を削減すれば、デフレを克服できると主張しているのでしょうか。

 とんでもありません。そんなことをしたら、日本の景気はさらに悪化し、デフレはもっと酷くなるにちがいないでしょう。
 どうして米欧では雇用の削減が可能なのかと言えば、とりわけヨーロッパ諸国では失業補償が充実しており、職を失ってもすぐに生活に困るということがないからです。再就職に向けての職業訓練などの支援措置も整っています。
 下にきちんとしたセーフティネットが張られているから、「落ちる」ことが怖くないのです。そのようなセーフティネットが、この日本にあるのでしょうか。

 低賃金で蓄えもなく、不十分で貧弱な失業補償のために、職を失ったら住む場所もなくなって路頭に放り出されてしまうというのが、この日本の現実ではありませんか。だから、「日本の企業は人員の削減を抑える代わりに、賃金のカットで不況に対応」せざるを得ないのです。
 このような状況で職を失えば、購買力の低い人々が今以上に大量に排出されるでしょう。そうなれば、もっと需要が収縮することは火を見るよりも明らかです。
 モノもサービスも、さらに価格を下げなければなりません。いっそうデフレが深刻化することになります。

 日本のデフレが突出しているのは、労働者の可処分所得が極端に減少してしまったからです。そのうえ、将来が不安でお金を使うことができません。
 これを解決するには、二つの道しかないと言って良いでしょう。一つは、可処分所得の増大のために、収入を増やして国民負担を減らすことであり、もう一つは、雇用を安定させて将来への不安をなくし、安心してお金を使えるようにすることです。
 今度の春闘での賃上げや、国民の懐を暖めて安心感を与えるような施策が必要です。雇用の創出と確保、ヨーロッパ並みのセーフティネットの充実も不可欠でしょう。

 「ない袖は振れない」けれど、「ある袖」なら振れるはずです。大企業の内部留保が218.7兆円もあるという事実を、何故、新聞はきちんと報道しないのでしょうか。
 新聞記者には、問題の指摘だけでなく、その背景や意味、解決に向けての見通しなど、正確な論評ができるだけの能力が求められます。「俗論・俗説の垂れ流しをやめてもっと勉強せよ」と、もう一度、強調させていただく必要がありそうです。
 もちろん、勉強が必要なのは記者だけではありません。自戒を込めつつ、そう書かせていただくことにしましょう。