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12月14日(土) 今日の『朝日新聞』に石破発言に対するコメントが出た [マスコミ]

 このところ、報道機関などからの取材が相次いでいます。『日刊ゲンダイ』からの取材はいつものことですが、それ以外にも、『共同通信』『革新懇ニュース』『週刊大衆』『読売新聞』『東京民報』『朝日新聞』『産経新聞』などからの取材がありました。
 このうち、『読売新聞』へのコメントはトラブル続きのJR北海道の労働組合や労使関係についてのもので、12月11日付の北海道版に出たのではないかと思いますが、まだ確認していません。昨日、研究所に電話で取材があった『朝日新聞』へのコメントは、今日の朝刊に出ています。

 この『朝日新聞』からの取材は、このところの石破茂自民党幹事長の発言についてのものです。石破さんは、ブログでデモとテロを同一視するかのような書き込みをして批判され、「単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらない」とした部分に線を引いて削除し、「本来あるべき民主主義の手法とは異なるように思います」と修正しました。
 その意図についても、「市民の平穏を妨げるような大音量で自己の主張を述べるような手法は、本来あるべき民主主義とは相容れないものであるように思います」と書いています。「絶叫デモ」「大音量で自己の主張を述べるような主張」は、「テロ」と「あまり変わらない」もので、「民主主義とは相容れない」という主張の本筋は変わっていません。
 相変わらず、デモを敵視しているということになります。このような石破さんの本音は、特定秘密保護法によって指定される「特定秘密」を報道機関が報じることを控えるよう繰り返し求めている今回の発言にも共通しています。

 石破さんは11日の日本記者クラブでの会見で、特定秘密に関する情報を取材で入手した報道機関が報道することについて「抑制が効いてしかるべきだ」と発言し、暗に自制を求めました。その後、マズイと思ったのか、記者団に「報道機関に抑制を求めてはいない」などと釈明しました。
 しかし、12日のラジオ番組でも「(報道によって)大勢の人が死んだとなれば『それはどうだろう』となる」と指摘し、テロなどを起こす可能性がある場合には報道するべきではないとの考えを示しました。どのような情報であれ、報道するかどうかは報道機関が自主的主体的に選択するべきものであり、このような発言は報道の自由や国民の知る権利よりも国家の機密を重視する姿勢を鮮明にするものです。
 しかも、一連の石破さんの発言は、報道陣に問われて答えたものではなく、自分から進んでブログに書き込んだり、記者クラブでの会見やラジオ番組で発言したりしたものです。誤ってポロリと飛び出した「失言」などではなく、自らの信念に基づいて考えを明らかにした「確言」にほかなりません。

 これについて、今日の『朝日新聞』は38面で「石破氏、国家観かたくな」という記事を掲載しました。この記事の最後に私のコメントが出てきますが、それは次のようなものです。

 五十嵐仁・法政大教授(政治学)は、石破氏のブログでの記述は、「デモを敵視し、制限すべきものだという本音が出たのだろう」と話す。
 石破氏の一連の発言は、「特定秘密保護法の本当の狙いを口走ったのではないか、国民の反対の声もわかっていながらの発言で、政治家としても問題がある。盤石な議席を持つ与党のおごりがあらわれている」。

 秘密保護法について、安倍首相が記者会見で「秘密が際限なく広がり、知る権利が奪われる、通常の生活が脅かされるようなことは断じてない」と「火消し」に躍起となっているとき、与党自民党の幹事長である石破さんが、大音量のデモは「本来あるべき民主主義の手法とは異なる」と書いたり、「(報道によって)大勢の人が死んだとなれば『それはどうだろう』となる」と報道機関に自制を求める。まるで、「火を付け」て回っているようなものではありませんか。
 安倍さんの発言は「建前」で、石破さんの発言こそ「本音」なのではないでしょうか。「戦争オタク」安倍首相と「軍事オタク」石破幹事長の役割分担なのかもしれません。
 このような「本音」を隠そうともせず、堂々と明らかにして恥じることがないというところに石破さんの政治家としての本質が現れているというべきでしょう。同時に、「自民党一強体制」にあぐらをかく与党の幹事長としてのおごり高ぶりが示されているのではないでしょうか。

 なお、明日15日(日)、基礎経済科学研究所東京支部主催の研究大会で、「今日の政治社会情勢の激変と労働組合運動の展望」について報告します。会場は駒澤大学で、時間は午後1時からです。
 興味と関心のある方に御出席いただければ幸いです。

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7月6日(土) 『週刊新潮』の記事「中国『嫌日ジャーナリズム』の研究」に見る「嫌中ジャーナリズム」の問題点 [マスコミ]

 先日取材された『週刊新潮』の記事が出ました。7月11日号に掲載された「中国『嫌日ジャーナリズム』の研究」というもので、私の発言も2ヵ所引用されています。

 6月22日のブログ「『週刊新潮』の記者の取材を受けた」で、「この『週刊新潮』による取材がどのような記事になるのか、楽しみにしています。私は、どう扱われるのでしょうか。中国に利用された左翼知識人としてピエロにされるのでしょうか。それとも、中国メディアを利用した左翼知識人として、悪者にされるのでしょうか」と書きました。しかし、そのどちらでもなかったようです。
 「中国の“嫌日ジャーナリズム”には典型的な手法がある。……日本の『識者』に批判させるというものだ」ということで、私の6月18日付の人民日報に掲載された記事とそれについての発言が紹介されています。私は、鳩山由紀夫元首相、田中均元外務審議官、大西広慶應大学教授、纐纈厚山口大学副学長らの「識者」と並ぶ「安倍政権に批判的な“論客”」の一人として紹介されました。
 「左翼知識人」ではなく、「識者」にして「論客」とされたわけです。誠に光栄なことです。

 私の発言は、6月18日付の人民日報に掲載された記事を「勝手に掲載したものらしい」ということで引用されていますが、これについては説明が必要でしょう。というのは、中味出しが「取材された覚えはない」となっているからです。
 そして、「どうやら勝手に掲載したものらしいが、かの国の新聞はジャーナリズムなんてものではなく、“共産主義の広告塔”だと思えば、こんなやり方も驚くにあたらない」と書いています。これを読むと、『人民日報』が取材もせずに勝手に記事をねつ造したかのように受け取られるでしょう。
 しかし、ここでも引用されているように、「人民日報はこれまで3回取材がありました」と、はっきりと答えています。ですから、「取材された覚えはない」という中味出しは、完全な間違いで、こちらの方がねつ造です。

 私が見せられた6月18日付の記事は「人民網日本語版」でした。私はインタビューが2月19日付『人民日報』の国際欄に掲載されたことを知っていましたから、この「人民網日本語版」については「知りません」と言ったのです。「最初のインタビューを中国語に訳し、それをまた日本語に直したのかも知れない」と答えたのは、そういう意味でした。
 したがって、『人民日報』からの取材を受けたのは明らかで、その経緯については『週刊新潮』の記者からの取材を受けた直後に、以下のようなメールを送って再度このことを明らかにしておいたはずです。

 人民日報東京支局からの最初のメールが見つかりました。研究所に送られてきたもので、私に転送されてきました。そこには、私のブログを見て興味があるので取材させて欲しいこと、具体的には、自衛隊の国防軍化と佐瀬昌盛氏の「看板の掛け替え論」について取材したいと書いてあります。『産経新聞』のインタビュー記事をアップしたブログを見ての申し入れです。

 これに答えたインタビュー記事と、既にお渡ししたコメント2本の3本が、『人民日報』に掲載されています。その記事が中国政府の反日宣伝に利用されているのではないかとのお尋ねですが、その可能性はあると思います。しかし、どのような取材源であっても基本的に応ずるというのが、私の立場です。そうしなければ、マスメディアの自由な取材活動は有名無実となり、知る権利も空洞化すると考えるからです。

 したがって、「取材された覚えはない」と答えた覚えはありません。この6月18日付の記事が日本語版に掲載されていたことについては知らなかったので、「知りません」と答えただけです。
 少なくとも、取材を3回受けていたことははっきりしていますから、「取材された覚えはない」という中味出しはミスリーディングです。極めて意図的な曲解であると言わざるを得ません。
 いかにも『週刊新潮』らしいやり方だと言うべきでしょう。「この国の週刊誌はジャーナリズムなんてものではなく、“商業主義の広告塔”だと思えば、こんなやり方も驚くにあたらない」というところでしょうか。

 ジャーナリストの富坂聡氏は、「中国メディアが反日記事で日本人識者を起用するのは2つの意味合いがあります」として、一つは「自分たちの主張が正しいと示すため」、もう一つは「日本に対する中国人の敵意を和らげるため」だと指摘しています。すると、私などの発言が紹介されるのは、「反日感情を和らげる」ために役に立っているということになります。
 私は、取材記者に送ったメールで「私の談話やコメントが、日中双方の対立を煽る形で利用されたのであれば、それは不本意であり、誠に残念なことです。しかし、そのようなリスクやデメリットがあり得たとしても、取材に応じて安倍政権批判を展開したことは、日本の国民はみな安倍さんのように考えているわけではないということを示し、侵略戦争を反省していないのではないかという誤解を解き、また戦争を仕掛けてくるのではないかとの不安を解消する点で、メリットの方が大きかったと考えています」と書きましたが、そのようなメリットがあることは、私の独りよがりではなかったということになります。
 それなら、このような形で『週刊新潮』が中国の「嫌日ジャーナリズム」を研究することにどのような「意味合い」があるのでしょうか。そこには何かメリットのようなものがあるのでしょうか。ただ単に、日本国内の「反中感情」を強めるだけではないのでしょうか。

 再三紹介しているメールで、私は「マスメディアも、売り上げ部数を増やしたり視聴率を上げたいという誘惑に負けて、日中双方の対立や緊張を煽ったり、センセーショナルな報道で国民の敵対感情を焚きつけたりするようなことは、厳に慎んでいただきたいものです」と書きました。残念ながら、というより思った通り、今回の『週刊新潮』の記事は部数を増やしたいという「誘惑に負けて、日中双方の対立や緊張を煽ったり、センセーショナルな報道で国民の敵対感情を焚きつけたりするようなこと」になっています。
 このようなことを避けるためにも、今度はぜひ、日本における「『嫌中ジャーナリズム』の研究」を行っていただきたいものです。そして、そのような「ジャーナリズム」がはたしてジャーナリズムという名に値するものであるのか、日中関係を改善し、両国の友好を発展させるうえでどのような「意味合い」があるのか、明らかにしていただきたいものです。
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6月22日(土) 『週刊新潮』の記者の取材を受けた [マスコミ]

 昨日、研究所に電話がありました。『週刊新潮』の記者からの取材の申し込みだそうです。
 「新潮」ですから、ここは「慎重」に対応しなければなりません。というのは、冗談です。

 中国はこの間、反日報道を強化している。お前はそれに一枚噛んでいるのではないかというのが、取材の趣旨のようです。実はこの間、『人民日報』から取材を受けて、私の談話が掲載されていたからです。
 内容はもちろん、安倍首相に対する批判です。それが、中国政府の主張を後押しする形になり、「国益」を阻害しているのではないかという趣旨でした。
 この間、中国政府の安倍政権に対する批判が強まっていることも、反日世論が沸騰していることも、私はあまり知りませんでした。中国内での報道についての情報はほとんどありませんから、それについての取材なら遠慮したいと答えたのですが、それとの関連で私の『人民日報』に対する談話やコメントについて聞きたいと言います。「それなら良いですよ」ということで、昨日の夕方、研究所に記者の方が見えました。

 結局、4時過ぎから6時半までの2時間以上にわたる取材になりました。なかなか熱心で結構ですね。
 でも、どうなんでしょうか。『人民日報』の取材に応じた方をターゲットに、「取材」という形で、このように話を聞くということ自体に問題はないのでしょうか。
 一種の嫌がらせと受けとられるかもしれないということはないのでしょうか。「お前はどうして中国なんぞのメディアの取材に応じたのか」と、それとなく圧力をかけるような雰囲気を感じました。何せ、『週刊新潮』の看板を背負っている記者の方なのですから……。

 ということで、この方の取材を受けましたが、自宅に帰ってから以下のようなメールを差し上げました。参考のために、ここにアップさせていただきます。

 本日は、雨の中、遠いところまでお出でいただき、ご苦労様でした。本日の取材について、いくつか補足したいことがありますので、メールを差し上げます。

 人民日報東京支局からの最初のメールが見つかりました。研究所に送られてきたもので、私に転送されてきました。そこには、私のブログを見て興味があるので取材させて欲しいこと、具体的には、自衛隊の国防軍化と佐瀬昌盛氏の「看板の掛け替え論」について取材したいと書いてあります。『産経新聞』のインタビュー記事をアップしたブログを見ての申し入れです。

 これに答えたインタビュー記事と、既にお渡ししたコメント2本の3本が、『人民日報』に掲載されています。その記事が中国政府の反日宣伝に利用されているのではないかとのお尋ねですが、その可能性はあると思います。しかし、どのような取材源であっても基本的に応ずるというのが、私の立場です。そうしなければ、マスメディアの自由な取材活動は有名無実となり、知る権利も空洞化すると考えるからです。

 「『産経新聞』や『週刊新潮』の取材を受けて談話やコメントを出せば、右派的色彩を薄めるために利用されるリスクやデメリットがあるから応ずるべきではない」という意見があるかもしれません。しかし、私はそのような立場はとらないということです。中国批判のために利用されるリスクやデメリットがあるかもしれないということを知りながら、本日、『週刊新潮』の取材を受けたのは、そのためです。

 もちろん、私の談話やコメントが、日中双方の対立を煽る形で利用されたのであれば、それは不本意であり、誠に残念なことです。しかし、そのようなリスクやデメリットがあり得たとしても、取材に応じて安倍政権批判を展開したことは、日本の国民はみな安倍さんのように考えているわけではないということを示し、侵略戦争を反省していないのではないかという誤解を解き、また戦争を仕掛けてくるのではないかとの不安を解消する点で、メリットの方が大きかったと考えています。

 この点では、国際的世論を味方に付けるために日本批判の材料を欲しがっている中国に格好の「攻撃材料」を提供し続けている安倍首相の方が、ずっと日本の「国益」に反していると言うべきではないでしょうか。マスメディアも、売り上げ部数を増やしたり視聴率を上げたいという誘惑に負けて、日中双方の対立や緊張を煽ったり、センセーショナルな報道で国民の敵対感情を焚きつけたりするようなことは、厳に慎んでいただきたいものです。

 ということで、私の意図はご了解いただけるものと思われます。この『週刊新潮』による取材がどのような記事になるのか、楽しみにしています。
 私は、どう扱われるのでしょうか。中国に利用された左翼知識人としてピエロにされるのでしょうか。それとも、中国メディアを利用した左翼知識人として、悪者にされるのでしょうか。
 どちらにしても、ぜひ「左翼知識人」として扱われることを望んでいます。「悪名」も「有名」の一種だと言いますから……。

 私は「左翼」であることは自認していますが、「知識人」についてはあまり自信がありません。ここは一つ、「左翼知識人」としての「悪名」をとどろかせていただき、その呼称を定着させていただきたいものです。
 頼みますよ。『週刊新潮』さん。

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5月2日(木) 今度は『朝日はなぜおかしくなったのか』という本を出さなければならないのかも [マスコミ]

 新聞の広告欄で、「安倍晋三と朝日新聞の『不適切な蜜月』」という見出しが目に入りました。『週刊ポスト』2013年5月17日号に掲載されている記事です。

 この記事は、「安倍政権に一番吠えていたはずの朝日新聞が声を失い、いつの間にか『権力者の飼い犬』に変わってしまったかのようだ。クオリティペーパーを標榜する大新聞社の”変節”は、人気絶頂の政権への”降伏”を意味するか」として、その「変節」ぶりを詳しく紹介し、厳しく批判しています。
 2006年に第1次安倍政権が誕生したとき、『朝日新聞』は安倍批判の急先鋒として鋭く批判していました。ところが、今回の第2次安倍政権では、社説で「首相の持論である『戦後レジームからの脱却』をひとまず封印し、最大の懸案だった経済再生に集中的に取り組んできた姿勢は評価できる」と書くなど、批判的な姿勢は姿を消しています。
 しかも、記事が次のように書いているように、朝日新聞の幹部は、他の新聞社などと同様に安倍首相と会食しています。しかも、朝日新聞側の費用負担で……。

 「2013年2月7日、朝日の木村社長は帝国ホテルの中華レストランで安倍首相と会食、曽我豪・政治部長もその後1回、総理と会食している。同社広報室は、『社長をはじめ幹部の会談内容は公表していない。木村社長が安倍氏に会食費用を負担していただいたことは一切ない』と会食の費用は朝日が負担したという回答だった。いつから、この新聞社は社長や政治部長が総理大臣を接待するようになったのか。」

 この記事を読んで、「やっぱり」と思いました。この間の『朝日新聞』には大きな違和感を感じていたからです。
 すでに、4月10日付のブログ「裁判官の独立などは『絵に描いた餅』だった」で、私は次のように書きました。

 驚いたのは、8日の『朝日新聞』です。各紙が一斉にこの記事を報じていたのに、朝刊でも夕刊でも全く触れられていなかったからです。
 昨日の朝刊で、ようやく「上告見通し 米へ伝達」「砂川事件で最高裁長官」という記事が報じられましたが、38面の連載漫画の横です。事実を淡々と伝えるもので、識者の批判的なコメントも最後に付けたしのような形になっています。
 もし、朝日の「特落ち」だったとすれば取材力の衰退を示すものですし、そうでなかったとすれば意図的な政治的配慮が働いたものと考えざるを得ません。
 以前から、「朝日はおかしくなっている」という声が私の周囲から聞こえていましたが、今回も『朝日新聞』の変質をうかがわせるような報道姿勢だと言って良いでしょう。「商売」上、私も仕方なく『朝日新聞』を取っていますが、その必要がなくなったら、とっとと購読をやめるつもりです。

 対照的に、この問題を重視して報じていたのが『東京新聞』です。8日付朝刊では1面と社会面で大きく扱っていました。
 翌9日付でも、1面下のコラム「筆洗」で取り上げ、田中長官に対して「司法の独立を説く資格のないこの人物は、退官後に本紙に寄稿している。『独立を保障されている裁判所や裁判官は、政府や国会や与野党に気兼ねをする理由は全然ない』。厚顔とはこんな人のことを言う」と、厳しく批判しています。
 これに対して、この日の『朝日新聞』の「天声人語」は、何と書いていたでしょうか。「社会に出てからというもの、朝ご飯を食べる習慣を失った。せわしいということもあるが、特に食べたいとも思わない。そんな無精者の関心をおおいに引く記事が、きのうの本紙朝刊に載っていた」というのが、その書き出しです。

 両者の、何という違い。『朝日新聞』はボケボケだと言うしかありません。昔は、そうではなかったように思います。
 今の『東京新聞』は、かつての『朝日新聞』でした。今の『朝日新聞』は、かつての『読売新聞』になってしまったようです。
 このまま変質し続けるのであれば、以前の姿と違っていることをはっきり示すために、名前を変えた方が良いのではないでしょうか。『朝日新聞』から『夕日新聞』に……。

 『週刊ポスト』の記事も、「読者は朝日の”変節”をしっかり見抜いている」と書いています。私も、そのような「変節」を見抜いた「読者」の一人ということになるでしょうか。
 そして、記事は最後に、こう付け加えています。「いまや社長から一線記者までも政治との距離の置き方も批判精神も忘れてしまったことが、朝日新聞の一番の危機ではないか」と……。
 その通りです。そして、やはり「変節」した『朝日新聞』は、『夕日新聞』に名前を変えるべきでしょう。

 先に、私は3人の方と共に、テレビによる報道のあり方を批判し、ジャーナリズムとしての再生を願って『テレビはなぜおかしくなったのか』という本を出しました。今度は、『朝日新聞』による報道のあり方を批判し、ジャーナリズムとしての再生を願って『朝日はなぜおかしくなったのか』という本を出さなければならないかもしれません。

 なお、今日から6日まで、ふる里の新潟に帰省します。この間、ブログはお休みさせていただきます。
 明日5月3日、9条を守る長岡の会主催の第8回憲法9条を守る長岡の集いで「政治の右傾化と改憲の危機」について講演します。会場は長岡市立中央図書館講堂で、時間は午後1時半から(講演そのものは午後2時半から1時間)です。
 お近くの方に、足を運んでいただければ幸いです。新潟の皆さん、お世話になりますが、よろしく。

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12月19日(水) テレビはなぜおかしくなったのか [マスコミ]

 テレビの報道は、どうして国民の期待に応えられなくなったのか。このような問題意識の下に、本を緊急に出版したいという相談のメールを受け取ったのは、10月11日のことです。差出人は高文研という出版社の編集担当者でした。

 日本の「テレビ報道」に対する批判をテーマにした本を作りたいというわけです。4人の共著による企画です。
 私に与えられたテーマは、石原都知事による尖閣諸島の購入表明以降の一連の経過を明らかにし、その報道のあり方について、テレビに限定せず問題点を指摘することでした。それから約1ヵ月で原稿を書き、高文研に渡したのが11月の初めです。
 その本の再校が終わり、表紙の写真が送られてきました。出版は、総選挙後や年末の慌ただしい時期を避け、来年の1月7日発売予定だそうです。
 ということで、新しい共著の内容を紹介させていただきます。近くの書店などで、目にとまることがありましたら、手にとってご覧になっていただければ幸いです。

『テレビはなぜおかしくなったのか』(高文研、2013年1月)http://www.koubunken.co.jp/0525/0501.html

金平茂紀(TBS報道局記者)「日本のテレビはなぜ『脱原発』を報道しそこなったのか」
永田浩三(元NHKプロデューサー)「NHKを覆う『権威』依存主義の呪縛」
水島宏明(ジャーナリスト)「『生活保護バッシング報道』が露呈させたテレビの未熟」
五十嵐仁(法政大学大原社会問題研究所教授)「『領土紛争』を引き起こした石原慎太郎の責任」

 ちなみに、私の書いた論攷の中身出しは、以下のようになっています。これを見れば、大体の内容をご理解いただけるものと思います。

石原都知事による尖閣諸島購入の表明
石原都知事が引いた2度の「引き金」
中国での反日デモの激化と暴徒化
大きな打撃を受けた日本経済
石原慎太郎の「狙い」は何か
都知事辞職の本当の「理由」
マスメディアの報道と問題点
日本の右傾化に加担するメディアの責任

 なお、来る12月23日(日)の午後2時から、「東村山九条の会」8周年記念の集いで講演する予定です。演題は「維新の会と憲法9条」というもので、東村山駅駅ビル内サンパルネ大ホールが会場です。
 上記のような新しい共著の内容についても触れるつもりです。お近くにお住まいで興味と関心のある方は、足を運んでいただければ幸いです。

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8月1日(水) 受信料を取っているNHKはニュースをきちんと報道せよ [マスコミ]

 今日のNHK朝7時のニュースを見て驚いてしまいました。ニュース番組なのにほとんどニュースが報じられず、スポーツ特番になってしまっていたからです。
 今日だけではありません。ロンドンオリンピックが開幕してから、連日、この調子です。NHKはオリンピック特番を放送するテレビ局に変質してしまいました。

 他のテレビ局やマスコミも大同小異ですが、特にNHKは突出したひどさです。NHKは受信料によって支えられているのですから、視聴者の多様な関心に応えるべき責務があります。
 それなのに今朝のニュースでは、始まってから9分間は銅メダルを獲得した上野選手のインタビューが続きました。その後も、7時29分までオリンピック関連のニュースです。
 おかしいじゃ、ありませんか。ニュース番組なのですから、冒頭の10分くらいは通常のニュースを流すべきでしょう。

 オリンピックについて報道するなと言っているのではありません。冒頭に、通常のニュースの一環として結果だけを速報すればいいんです。
 詳しい内容やインタビュー、今後の見通しなどは、その後にいくらでも報じればよいでしょう。冒頭から長々とこのような内容を垂れ流すようなことはやめるべきだというのです。
 今日のニュースを見ている限り、通常のニュースはオリンピック報道に紛れ込み、まるで存在していないかのように思われてしまいます。オリンピックの「カーテン」によって、世界と日本の現実が覆い隠されてしまっていると言うべきでしょう。

 私も、ロンドンオリンピックでの日本選手の活躍を楽しみにしていますし、ガンバってメダルを沢山取って欲しいと思って応援しています。しかし、それはあくまでも、スポーツ・イヴェントの一つにすぎません。
 なかには、別世界のどんちゃん騒ぎだと思っている視聴者もいることでしょう。メダルの数が増えれば我々の生活が良くなるのかと、白けた思いを抱く人もいるでしょう。
 そのような多様な視聴者の存在を前提にした放送をするのが、国営放送としてのNHKのあるべき姿なのではないでしょうか。オリンピックを通じた視聴率獲得競争に熱を上げるよりも、国民の知る権利をきちんと守るのがNHKの責務でしょう。

 オリンピックで人々が熱狂していても、原発は再稼働して動き続け、オスプレイの強行配備に向けての準備は進み、消費増税法案の審議がなされています。テレビのニュースから消えても、これらの重大問題がなくなったわけではありません。
 オリンピックが終われば、さらに大きな問題として姿を現すことは確実です。それが分かっていてきちんと報じないというのでは、報道機関の名が泣くでしょう。報道価値の判断と優先順位の選択を誤ってはなりません。
 それとも、オリンピックを好機として、これらの問題を覆い隠そうとしているのでしょうか。現実を覆い隠すことによって、反対運動の熱を冷まそうとでも考えているのでしょうか。

 マスコミは、自らが果たしている役割と影響力について真面目に考えてもらいたいものです。たとえ、そうする意思がなくても、結果的には、国民が大きな関心を持っている沢山の問題を見えなくさせてしまっているということについて自覚し、もっと大きな問題意識を持つべきではないでしょうか。
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7月21日(土) 「働けない若者の危機」を生み出した責任は『日経新聞』にもあるのではないか [マスコミ]

 「日本はいつの間にか若者に仕事を与えられない国になってしまった。学校を出た24歳以下の10人に1人が失業し、2人はアルバイトなど不安定な仕事で日々をやり過ごす。企業の競争力は低下し、社会保障の担い手が足りなくなる。経済の土台のきしみが聞こえる。若者の危機は、明日の日本の危機でもある。」

 これは『日経新聞』7月16日付から始まった特集「働けない若者の危機 第1部鳴り響く警鐘」の第1回に掲載された記事「明日担う力 陰り 170万人、正社員切望」のリードです。この特集は昨日の7月20日付まで、5回にわたって連載されました。
 そこには、次のような指摘があります。

 「採用減や非正規への置き換えで、企業の教育機能は損なわれ、人的資本の劣化が著しい。」(7月16日付)
 「増える若い世代の失業者。放置すれば日本はしっぺ返しを食らう。」(7月18日付)
「若者の雇用問題を解決するには政府や企業、労働組合、中高年、若者自身がそれぞれ変わらなければならない。若い力を生かせないような国は輝きを失う。」(7月20日付)

 これらの指摘は、まさにその通りだと言うべきでしょう。『日経新聞』でさえ無視できないほどに、若者の状態が悪化し深刻になってきているということを示しています。
 私も、これらの記事に書かれている内容について、世代間の対立を煽ったり解雇規制の緩和を求めたりしている点を除けば、基本的に異存はありません。しかし、このような問題指摘が正しくても、それが『日経新聞』によってなされると、大いなる違和感を覚えざるを得ません。
 このような若者の困難を生み出した原因が小泉構造改革路線にあったと思われるからです。労働の規制緩和による非正規労働者の増大、正規労働者の非正規労働者への置き換えや賃金・労働条件の低下、それによる貧困の増大と格差の拡大という問題や矛盾が集中したことこそ、若者の困難を生み出した最大の要因だったのではないでしょうか。

 そして『日経新聞』は、このような若者の困難を生み出した新自由主義的な雇用政策を是認し推進してきた過去があります。いや、それは過去の問題だけにとどまりません。
 現在も、『日経新聞』は消費増税に向けての旗を熱心に振り続けています。消費税の引き上げは若者を直撃し、デフレ下の消費増税による景気の悪化は若者の雇用と生活に大きな困難をもたらすであろうことは確実であるにもかかわらず。
 このような過去と現在からすれば、『日経新聞』に若者の雇用の改善を論ずる資格があるのかと疑問に思わざるを得ません。このような状況を生み出すうえで、自らがその原因を生み出しながら、結果の重大性にたじろいで「大変だ」と騒ぎ始めている『日経新聞』に……。

 『日経新聞』は消費税の引き上げを焚きつけているだけではありません。TPP(環太平洋経済連携協定)への参加を支持し、原子力発電所の再稼働や推進も求めています。
 『日経新聞』がこれまでの過ちを反省せず、自らが演じた犯罪的な役割について無自覚であり続ければ、今回の「働けない若者の危機」という特集に続いて、いずれ「生活できない若者の貧困」という特集が必要になるでしょう。そして再び、「若者の危機は、明日の日本の危機でもある」と書かなければならなくなるにちがいありません。

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6月27日(水) マスコミは「大量のゴミ」になってしまった [マスコミ]

 消費増税を報じる昨日のニュースを見て、呆れてしまいました。「消費税の引き上げが、どうしてこの時期なんですか」「消費税が上がったからといって、価格に転化なんてできませんよ。廃業しかありませんね」という、庶民の声が報じられていたからです。
 消費増税法案が衆院を通過してから、このような庶民の声が伝えられるなんて。どうして、その前に報じなかったのでしょうか。

 その理由ははっきりしています。消費増税への反対論が強まっては困るからです。マスコミのほとんどは、消費増税に賛成しているからです。
 今回の衆院可決への民主党内の造反についても、マスコミの見通しではもっと少ないはずでした。しかし、反対票を投じたのが57人、欠席や棄権を合わせれば70人以上で、造反は民主党の4分の1に達しています。
 造反がこれほどの数になったのは、「除名しろなんていうやつこそ除名すればいい」という輿石幹事長の発言で、厳しい処分がないと受け取られたからです。それをマスコミが見誤ったのは、造反者が増えて欲しくないという願望のゆえに、現実が良く見えなかったからでしょう。

 日曜日に東京土建の幹部学校で講演しましたが、600人も集まった幹部の皆さんを前に、私はこう言いました。「今の日本で、マスコミはマスゴミになってしまった。つまり、『大量のゴミ』です」と……。
 民意を裏切り、嘘を言って、国会ではなくホテルの一室で3党だけで勝手に決めてしまった合意を「決められる政治」だなどと持ち上げるようなことは、「ゴミ」にしかできません。それを批判するどころか、焚きつけたり、評価したり。
 マニフェストは金科玉条ではない、状況に合わせて変えることもあるだろうというのはその通りですが、問題は変える方向です。政権交代時の約束や民主党の理念を生かす形で変えるのではなく、それを打ち捨てて自民党に同化するようなことは、自民党政治からの転換を求めて政権を託した国民に対する完全な裏切りではありませんか。

 二大政党制とは、本来、二つの政党が異なった選択肢を提起して国民の信を問うことでしょう。二大政党が同じことを言い出したら、二大政党制は死にます。
 今、まさに二大政党制は死に瀕しており、自民党と民主党は自民民主党という巨大政党の二大派閥に変貌しようとしています。そのお先棒を担いでいるのが、新聞やテレビの「マスゴミ」です。
 消費増税によって国民の生活と日本の経済は大打撃を受けようとしています。そして、それを「決める」プロセスによって、日本の政党制と議会制民主主義もまた、大きな打撃を受けることになりました。

 しかも、驚くべきことに、「マスゴミ」は、一方で消費増税の旗を振りながら、他方で、自分たちには税率の引き上げではなく軽減税率を適用するよう要望しています。たとえば、6月20日に超党派の国会議員で作る「活字文化議員連盟」の総会に出席した日本新聞協会会長の秋山耿太郎朝日新聞社長は「軽減税率を導入していただきたい。国の力を衰退させ、国民の活字離れが一段と進むような方向での知識課税は望ましくない」と述べ、協会副会長の白石興二郎読売新聞グループ本社代表取締役社長も「新聞は日本の文化にとってコメであると改めて訴えたい」と発言したそうです(『読売新聞』6月21日付)。
 このような要請に基づいて、「現行税率の維持を求める声明」が採択されました。その要旨は次のようなものです(6月21日時事通信社jijicom)。

 「国民の『知る権利』と議会制民主主義を支え、日本の活字文化保持の中枢の役割を果たしてきた新聞および書籍の公共性は極めて高い。しかるに、新聞・書籍に対する消費税率引き上げは、国民の活字離れを加速させ、これからの日本を支える人づくりはもちろん、地域づくりや国づくりにも悪影響を及ぼしかねない。フランスやドイツなど欧州各国では、食料品とともに新聞や書籍の税率をゼロ税率としたり、標準税率よりも低い税率を適用したりしている。新聞や出版物を民主主義のインフラとみなし、『知識課税は避ける』という理念と伝統を持つ欧州の事例は大いに参考にすべきだ。新聞や書籍の税率引き上げは文字・活字文化振興法の趣旨にも背く。日本の文化と民主主義の基盤を守るため、新聞および出版物の消費税率引き上げには断固として反対し、現行税率の維持を求める」

 これを身勝手といわずして、何と言ったらよいのでしょうか。さんざん消費増税を煽りたててきたのは新聞ではありませんか。
 その先頭に立ってきた『朝日新聞』や『読売新聞』のトップが、国会議員に「消費税アップを適用しないで欲しい」とお願いしているわけです。「大量のゴミ」と化してしまったマスコミの一端が、ここにも示されていると言えるのではないでしょうか。
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6月17日(日) 橋下大阪市長の「ハシズム」で日本を沈めないためには [マスコミ]

 昨日の朝、『毎日新聞』を開いて驚きました。大きく、「民自公修正合意へ 『決める政治』を評価する」と書かれた社説の見だしが目に入ってきたからです。
 この社説には、次のように書かれていました。

 2大政党の党首が主導し、政治は崖っぷちで踏みとどまった。税と社会保障の一体改革関連法案の修正協議で民主、自民、公明3党が合意した。焦点の社会保障分野は民主党が公約した最低保障年金制度創設などの棚上げで歩み寄った。
 民主党政権の発足以来、初めてとすら言える「決める政治」の一歩であり、歴史に恥じぬ合意として率直に評価したい。……
 野田佳彦首相は党内のかたくなな反対勢力と決別し、ひるまず衆院での採決にのぞむべきだ。より広範な国民理解を実現するため、参院での審議などを通じ与野党は制度設計の議論を続けねばならない。

 昨日の午後、この社説を書いた責任者の方の話を聞く機会がありました。日本ジャーナリスト会議(JCJ)が主催するシンポジウム「『ハシズム』で日本は沈む!?――橋下政治の正体、メディアは究明を」に出席するために明治大学のリバティタワーに出かけたからです。
 100人ほどの方が出席したこのシンポジウムの基調講演は元朝日新聞大阪本社編集局長の新妻義輔さんで、パネル討論には新妻さんの他、毎日新聞論説委員長の倉重篤郎さん、OurPlanetーTV代表の白石草さんが登壇され、司会は岩波書店編集部長の岡本厚さんでした。パネリストの一人だった倉重さんが、この日の『毎日新聞』の社説を書かれた責任者です。
 その倉重さんが橋下大阪市長についてどのように発言されるか、大いに注目しました。この日の参加者の多くもそうだったでしょう。

 倉重さんは、発言の冒頭、「私は橋下さんをある程度評価する者です」と、ご自分の立場を明確にされました。「やっぱり」という感じです。
 そのような方が、このようなシンポジウムのパネラーを引き受けられたわけです。その勇気には感心もし、敬意を表したいと思いますが、この後の発言の多くには賛成できませんでした。この日の参加者の間では、かなり評判を落としたように思います。
 とはいえ、私にとっては大いに勉強になりました。毎日新聞の論説委員長がどのような人かが良く分かりましたし、今日のマスコミの状況、とりわけ新聞が置かれている位置などについての理解も進みましたから……。

 倉重さんの発言に対する異論は数々ありますが、さしあたり以下の点についてコメントしておきましょう。

 第1に、「震災直後にあれだけ『頑張ろう日本』『頑張ろう東北』『絆』と叫ばれていたのに、がれき処理になったら一斉に拒絶。全ては憲法9条が原因だと思っています」という橋下発言に対して、倉重さんが「私の心にも響くものがある」と理解を示されたことです。憲法9条があるために、公共性や公的なもの、平和に対して無関心になり、関与しようとしなくなったのではないかと仰るのです。
 しかし、瓦礫処理に対する忌避感情と憲法9条を結びつけるのは、明らかな牽強付会です。このようなアクロバチックな論理に、毎日新聞の論説委員長ともあろう者がコロッといかれてしまう。
 何とも情けない限りですが、これが現在のマスコミの現実なのでしょう。これでは、「橋下政治の正体」をメディアが「究明」できるはずがありません。

 第2に、橋下政治の「決める政治」は既成政党にも好ましい影響を与えているとして、決められない政治から抜け出しつつある点を挙げたことです。これが、この日の毎日新聞の社説と同じ立場からの発言であることは明らかです。
 社説もそうですが、倉重さんにも、決めたことへの評価ばかりが先立ち、その決め方や決められた内容についての問題意識が全くないのは、誠に驚くべきことです。消費増税への3党合意は、野党や世論の反対を押し切って国民に大きな負担を押しつける暴走政治そのものではありませんか。
 これがどうして「決められる政治」などとして評価されるのでしょうか。国会での審議を無視し、議会制民主主義を破壊する密室での談合政治を……。

 第3に、大阪での橋下教育改革について、内容的な問題点を指摘しつつも、中央ではなく地方で、自治体の足もとから教育を変えようとしている全く新しいやり方だと評価していました。しかし、自治体レベルでの君が代・日の丸の強制や教育への政治介入という点では、すでに東京都の石原都知事が先鞭を付けていますから、決して新しいというわけではありません。
 橋下さんの「教育は2万%強制です」という教育観は古くさく、「新たな改革」として打ち出されている学校選択制やバウチャー制度なども、これまで試みられて失敗した「改革」の焼き直しに過ぎません。このような橋下教育改革については、私も『教育』2012年7月号に「大阪条例問題と現代社会の貧困」という論攷を書いています。
 もし、橋下さんの教育改革のやり方などに新しさがあるとすれば、それはあまりにも乱暴なものだからです。思想調査まがいのアンケートや君が代強制のための「口パク検査」などは常軌を逸した人権破壊であり、普通の人なら思いつくこともなく、誰もやらなかったのは当たり前でしょう。

 倉重さんは、今日の行き詰まった政治を変える人材の一人として橋本市長を評価したいとも言っていました。この発言を聞いて、「なるほど、ヒトラーなどが期待を集めたときもそうだったんだろうな」と、妙に納得してしまいました。
 そのような期待感の背後には、閉塞した現状を何とか打開し、突破してもらいたいという強い願望があるのでしょう。現状を良しとせず、そこからの打開をめざすべきだという方向性は正しいと思いますが、何をめざして、どのように、それを行うかが問題です。
 ファシズムは、不幸や不安、怒りなどを温床に、希望を食い物にし、人々の期待を担って成長してくるものです。「ハシズム」も、そうかもしれません。

 騙されないためには、「橋下政治の正体」を見極めることが重要でしょう。その究明に向けてメディアには大きな役割を担っていただきたいと思いますが、現在のメディアはその期待に応えることができるのでしょうか。

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2月2日(木) 沖縄防衛局長の違法行為とマスコミ各紙の報じ方をどう見るか [マスコミ]

 酷いもんですね。沖縄防衛局長。それに、『朝日新聞』とNHK。
 きっちり、処分すべきでしょう。沖縄防衛局長と「特落ち」させた担当者を。田中防衛相も責任は免れないでしょう。

 米軍普天間飛行場がある沖縄県宜野湾市長選(2月12日投開票)をめぐって、沖縄防衛局が職員や親族に有権者がいるかどうかのリストを作成し、真部朗局長が1月23日と24日の勤務時間内に対象者を集めて話をしていたことが判明しました。共産党の赤嶺政賢衆院議員が衆院予算委員会の集中審議で明らかにしたものです。
 宜野湾市の有権者を対象にしたリストですから、市長選のためであることは明らかです。この依頼メールが総務部総務課人事係から各部の庶務担当者に宛てたものであり、しかも講話は勤務時間内に行われていますから、沖縄防衛局の組織ぐるみであったこともはっきりしています。
 特定の候補者への依頼はなく、選挙への投票を訴えたものだとされていますが、防衛局はいつから選挙管理委員会になったのでしょうか。防衛局の仕事は基地問題の処理であって選挙での投票率を上げることではないでしょうし、職員に投票を勧めるためだったというのであれば、「宜野湾市に選挙権を有する親族(家族、いとこ、親戚)」まで調査してリスト作成する必要はなかったでしょう。

 宜野湾市長選に向けては、共産・社民・沖縄社会大衆3党からの出馬要請に応じた伊波洋一元市長と、自民・公明両党推薦の佐喜真淳県議が出馬表明しています。防衛局としては、伊波さんではなく佐喜真さんに当選して欲しいと思っていたのではないでしょうか。
 そのための側面支援が、今回のリスト作成と講話の目的であったと思われます。真部防衛局長が直接、佐喜真さんへの投票依頼をしていなくても(実際にはしていたかもしれませんが)、参加者にとってその意図は明瞭だったはずです。
 これは公権力による選挙への公然とした介入であり、選挙の中立性、公平性を揺るがす違法行為であることは明らかです。真部防衛局長はじめ関係者は厳正に処分されるべきであり、田中防衛相も責任を取るべきでしょう。

 この問題については、もう一つ重要な事実があります。それはマスコミによる報道の問題です。
 これほどの重要な大問題であるにもかかわらず、昨日の『朝日新聞』朝刊は1面で報ずることをしませんでした。NHKの朝と夜7時のニュースも、大雪のニュースを15分間も流し、この問題を報じたのはその後でした。
 ニュースバリューを見誤ったと言うべきでしょう。特に、明確な「特落ち」となった『朝日新聞』の記者・編集担当者も、処分されてしかるべきです。

 もう少し詳しく、この問題についての全国紙6紙の報道ぶりを検証してみましょう。すると、面白いことが分かります。
 上述のように、最も軽く扱っているのが『朝日新聞』です。1面にも2面にも記事はなく、何と39面の対抗社会面、それも漫画の横に小さな記事が出ているだけです。
 『朝日』についで軽く扱っているのが『産経新聞』です。1面上部の真ん中に「沖縄防衛局長 更迭も」という記事が申し訳程度に出ています。
 これに次ぐのが『日本経済新聞』で、記事は1面に出ていますが、場所は上ではなく、左下の方になっています。ただし、関連する記事が2面に出ている点で前の2紙よりマシであり、『朝日』と『産経』は1ヵ所にしか記事が掲載されていないという点で、経済専門紙にさえ劣っていると言わざるを得ません。

 これらとは違って、『讀賣新聞』『東京新聞』『毎日新聞』の3紙は、1面トップでこの問題を報じています。この点で、『朝日新聞』『産経新聞』『日経新聞』に比べれば、これら3紙の方が数段マシだと言えるでしょう。
 このうち、記事が2ヵ所に出ているのが『讀賣』と『東京』です。ただし、『讀賣』の記事では、この事実が共産党の赤嶺議員の質問によって明らかになったことには触れず、「31日、明らかになった」としているだけです。いかにも『讀賣』らしい報じ方だと言うべきでしょうか。
 これらに比べて、この問題を最も大きく扱っているのは『毎日新聞』で、唯一記事が3ヵ所に掲載されています。力の入れようが分かろうというもので、『朝日』は『毎日』に大きく水を空けられたということになります。

 このような違いはどうして生じたのでしょうか。記者の取材力の違いなのでしょうか。
 しかし、1ヵ所しか出ていない『朝日』の記者の取材力が、3ヵ所も出ている『毎日』の記者の取材力の三分の一であるとは思われません。その違いは、おそらく意図的なものだったのではないでしょうか。
 『朝日』は、『産経』などと同様に、この問題が大きくなることを望まず、ことさら小さく、目立たないような形で報じたということではないでしょうか。しかし、昨日の夕刊の1面には大きく出でており、対抗社会面にまで記事があるところを見ると、他社が大きく扱い、問題が拡大したために「これはマズイ」ということで大あわてで後追いの記事を出したことが分かります。

 民主党はどんどん自民党化し、『朝日新聞』はどんどん『産経』化している。酷いもんですね。

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