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4月8日(水) アジアインフラ投資銀行(AIIB)の新設をめぐる3つの失敗 [国際]

 とうとう、このような失態を演ずることになってしまいました。TPP(環太平洋経済連携協定)によって日米が連携して環太平洋諸国を取り込み、経済や金融面で中国を締め出そうとして躍起になっていましたが、気が付いたらアジアインフラ投資銀行(AIIB)の新設によって、カヤの外に取り残されたのは日本とアメリカだったというわけです。
 安倍首相の判断ミスが日本外交の失敗をもたらしたことは明らかです、小さな島に目を奪われて「中国憎し」に凝り固まり、世界の趨勢を見ながら対応するという大局観を失ってしまったためです。

 第1の失敗は、アメリカによる一極支配から多極支配へのパワー・シフト、別の言い方をすれば、アメリカの没落と覇権の消滅、中国をはじめとした新興国やEUの相対的な影響力の増大と国際政治・経済における大転換に気が付いていなかったという点です。
 このような世界的な変化の趨勢は、すでに10年ほど前から明らかになりつつありました。たとえば、イラク戦争への軍事介入にフランスやドイツが反対してブッシュ米大統領から「古いヨーロッパ」だと批判されたこと、シリアのアサド政権を攻撃しようとした時、ロシアのプーチン大統領が反対してイギリスも攻撃に加わらないと決めたため、結局、地上軍の派遣が実現できなかったこと、ウクライナ紛争ではアメリカではなく、ドイツとフランスがロシアと交渉して停戦合意を実現したことなどがありました。
 そして今回、アメリカの意向に逆らう形で、G7の一員であるイギリス、フランス、ドイツ、イタリアがAIIBへの参加を決定したというわけです。安倍首相が目標としている米英同盟は大きく変容し、イギリスはもはやアメリカの忠実な同盟国という地位に満足していないこと、ヨーロッパ諸国は日米ではなく中露や新興国との共同歩調を取る方向へと転じたことが明らかになりました。

 第2の失敗は、このような国際情勢の趨勢が明確になりつつあるとき、安倍政権はそれに逆行する方向へと日本の進路を定めようとしていることです。国際政治の面でも安倍政権は愚かな「逆走」を始めていることになりますが、このようなコース・シフトは第1の失敗をさらに大きなものとすることでしょう。
 TPPへの参加や集団的自衛権行使のための法制化、日米ガイドラインの再改定、沖縄での辺野古新基地建設の強行、中国や韓国との不和や対立を高める方向でのヘイトデモの放置、歴史認識や従軍慰安婦問題についての発言、教科書記述への介入、そして周辺諸国の警戒や懸念を高めている「戦後70年談話」と改憲への動きなど、この間、安倍政権が行ってきた外交・安全保障政策の全ては、日米同盟の強化と中国敵視を基本とするものでした。これらは全くの時代遅れであり、これからの世界が向かおうとしている方向と正反対の方向を向く誤った進路選択です。
 そもそも、これからの日本が目指すべき外交・安全保障の方向は、戦争と紛争のない世界であり、対立や偏見のない東アジアであり、外国軍隊と基地のない日本でなければならなりません。安倍首相はこのようなビジョンを持たず、安倍政権が進みつつある「この道」はそのようなビジョンから遠ざかっていくばかりです。

 第3の失敗は、このような時代に逆行する国際路線しか頭にない時代錯誤の指導者を首相とし、先の総選挙でも「信任」を与えたような形になってしまったことです。これは日本国民にとって痛恨きわまりない大失敗であり、いずれ大きな苦難として誰もがそれを実感できるようになるでしょう。
 しかし、それでは遅すぎます。国際情勢の趨勢を理解できずに孤立し、国策を誤り無謀な戦争を始めて周辺諸国に巨大な被害を与えたばかりでなく、日本を滅亡のふちに立たすことになった戦前の愚かな歴史を繰り返すことになってしまいます。
 今回の天皇と皇后によるパラオ訪問とペリリュー島での慰霊は、このような歴史を繰り返してはならないという暗黙のメッセージなのではないでしょうか。それをどのように受け止め、安倍政権による好戦的逆行政策をどのようにして押しとどめることができるのかが、いま問われているように思われます。

 歴史的な岐路に立っているということを、はっきりと自覚するべきでしょう。内外の政策的逆行は日本の国際的な孤立を招き、いずれ破たんすることは免れないのですから……。
 今回のAIIB参加をめぐる大失敗は、その予兆にすぎないものです。戦後社会を支えてきた「岩盤規制」をひっくり返し、「戦争立法」と改憲をめざす安倍政権は、さらに増幅された巨大な失敗によって歴史のしっぺ返しを食らって破たんするにちがいありません。
 しかし、その破たんは国策の失敗ということであり、多くの国民を不幸と苦難に直面させることになります。安倍首相はバックミラーに映る「戦前」の姿をめざしつつ「危険ドラッグ」を吸いながら「逆走」を続けているようなものですから、日本という国の存立を危うくするような大事故を起こすことは避けられません。

 アメリカ一極体制という時代遅れの構造を前提にした日米同盟の強化をめざし、文化や「平和国家」への国際的な評価など日本が持つ豊かなソフト・パワーではなく軍事力一辺倒のハード・パワーに頼り、海外でいつでもどこでもどのような戦争にでも加われるような「戦争立法」にばかり力を入れ、周辺諸国との関係改善と友好関係の構築を阻害している安倍政権の逆走を阻止できるチャンスは今しかありません。そして、それができるのは、今を生きている私たちだけです。
 一斉地方選挙での投票は、そのための最も有効な機会になります。ここでの投票によって安倍首相の好戦的政策にノーの意思表示を行い、その与党である自民党と公明党、その応援団である維新の党に痛い目を見せることが必要です。

 そうしなければ、今度は、私たちが後世の人々によって厳しく指弾されることになるでしょう。「なぜあの時、戦争に反対しなかったのか」と……。

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1月31日(土) 安倍首相による「ショック・ドクトリン」(惨事便乗型政策転換)を許してはならない [国際]

 落ち着かない、憂鬱な日々が続いています。毎日、「後藤さんはどうなったのだろう」と心配しているからです。
 日本中の皆さんが同じような心境なのではないでしょうか。雪国の冬空のような、どんよりとした暗い日々が続いています。

 安倍首相は29日の衆院予算委員会で、自衛隊による在外の邦人救出について、「領域国の受け入れ同意があれば、自衛隊の持てる能力を生かし、救出に対して対応できるようにすることは国の責任だ」と述べ、今国会に提出予定の安全保障関連法案の成立に意欲を示しました。湯川さんの殺害、後藤さんの人質交換要求という惨事に便乗しての政策転換の表明です。
 ナオミ・クラインが言うところの「ショック・ドクトリン」の発動ということでしょうか。危機状況を生み出すことで大きな変革を起こそうとする極めて危険な思想に、安倍首相も取りつかれてしまったようです。
 初めから今回のような事態を意識的に引き起こし、それを利用して自己の「積極的平和主義」の具体化を図ろうとしていたのでしょうか。そうでなくても、このような不幸に便乗して安保法制の整備を進めようとするようなことは断じて許されません。

 そもそも、昨年7月の閣議決定では、邦人救出の際の自衛隊の活動範囲は「その領域において権力が維持されている範囲」と限定しています。日本人人質事件が起きた「イスラム国」はそのような「範囲」ではありませんから、対象外になるとみられています。
 また、「自衛隊の持てる能力」が生かされるとしても、今回のような事態に対して何ができるというのでしょうか。自衛隊による救出作戦によって事態が打開できるとでも言うのでしょうか。
 このような武力対応に向けての意欲や構想を表明することが、日本に対する誤解をさらに強め、敵意を高めることになるということが分からないのでしょうか。そのことによって後藤さんがさらなる危険にさらされることにならないか、大いに心配しています。

 そもそも、今回のような事態は安倍首相の不用意な中東歴訪がなければ、引き起こされなかったのではないでしょうか。今となっては手遅れかもしれませんが、「もしかして」と思うことは沢山あります。
 もし、日本政府が湯川さんと後藤さんの拘束が分かった時点で、もっと早くからきちんと対応していれば、事態は変わっていたかもしれません。
 もし、安倍首相が外務省の静止を振りきって中東4カ国の歴訪などに出かけなければ、今回のような形での脅迫は起きなかったかもしれません。
 もし、エジプトでの演説で2億ドルの拠出を表明して「イスラム国対策である」などといわなければ、当初の2億ドル要求はなかったかもしれません。
 もし、この2億ドルの拠出が各国政府に対するものではなく、赤新月社などの国際機関に出されるものであったなら、人道支援であることははっきりしていたかもしれません。
 もし、そのような形で2億ドルが非軍事的な人道支援であることをもっとはっきりと示していれば、「日本は敵だ」と思われなかったかもしれません。

 要するに、日本の首相が安倍さんではなく、この時期にイスラエルなどに行くと言いださなければ、今回の事件はなかったかもしれません。日本人の人質が2人捕まっていることを知りながら、のこのこと中東にまで出かけていき、事件のきっかけを作った安倍首相の責任はこの上なく大きいと言わなければなりません。
 このことは、湯川さんについて特に当てはまるように思われます。湯川さんはネットを通じて田母神さんや菅官房長官と「お友達」であったとみられたのではないでしょうか。
 日本政府の関係者との間柄を疑われ、スパイという嫌疑で命を奪われてしまった可能性があります。この点では、安倍首相だけでなく、その取り巻きの人々の責任も大きいと言うべきでしょう。

 「積極的平和主義」に前のめりとなって今回の事件の引き金を引いたのは安倍首相です。そのことによって、「地獄の釜」の蓋を開いてしまったのではないでしょうか。
 「日本人記者を誘拐し別の捕虜交換に利用しろ」という書き込みが、「イスラム国」の支持者らによってツイッター上で行われているそうです。過激派支配地域では、人質を売買する誘拐ビジネスが横行し、記者活動は厳しい状況に置かれ、記者は危険にさらされることになりました。
 欧米メディアの記者たちによれば、シリア北部では昨年以降、通訳やガイドを装って外国人に近づき、数万ドル(数百万円)でイスラム国に売り渡す誘拐ビジネスが横行しているそうです。今回人質となった後藤さんも、仲介していた同行ガイドに裏切られて人質取引の材料となった可能性があると言われています。

 「国境なき記者団」は先月、昨年1年間でイスラム国の支配地域があるシリアとイラクで計47人のジャーナリストが誘拐されたことを明らかにしました。日本人記者の中から、第二、第三の後藤さんが出てこないことを祈るばかりです。
 後藤さんの一日も早い無条件での解放を強く要求します。同時に、この事件を利用した安倍首相による「ショック・ドクトリン」の発動を封じ、集団的自衛権の行使容認の法制化を阻止することが急務となっています。
 憲法9条を守り、平和国家としての日本を世界中にアピールすることこそ、最大の安全保障なのですから……。

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1月24日(土) 日本人人質2人の無条件解放を重ねて要求する [国際]

 中東の過激派組織「イスラム国」によって日本人2人を人質にとり身代金2億ドルを要求するという事件が発生し、72時間以内にお金を支払わなければこの2人を殺すというビデオが流れ、すでにその期限は過ぎました。しかし、2人の安否は不明です。
 このような脅迫行為は明白なテロであり、犯罪にほかなりません。断固として糾弾するとともに、2人に危害が加えられることなく、無事に解放されることを重ねて要求するものです。

 同時に、この事件に関連して指摘しなければならないのは、安倍首相の責任です。今回の事件のきっかけを与えたのは、安倍首相の中東歴訪であり、エジプトのカイロでの演説でした。
 そこで表明された「イスラム国」対策としての2億ドルの人道支援の表明が、絶好のタイミングで、格好の口実を与えることになったのはまぎれもない事実です。
 安倍首相は1月17日の阪神・淡路大震災20周年の式典をサボり、企業の幹部約100人を引き連れて中東4カ国の歴訪に出かけました。それは、中東地域に日本企業の売り込みを図るとともに、持論である「積極的平和主義」の実績を示すためだったと思われます。

 この時期に、このような形で中東を訪問する必要があったのでしょうか。人道支援は結構ですが、それを華々しくぶち上げるというパフォーマンスに問題はなかったのでしょうか。
 人道的な難民支援であれば、国連や赤十字(赤新月社)を通じて粛々と拠出すれば良かったのです。しかし、安倍首相には、通常国会を前に集団的自衛権の行使容認に向けての実績を示しておこうという思惑がありました。
 そのために、わざわざ中東地域に出かけ、今回のような目立つ形でパフォーマンスを行いました。それが格好の標的となって、今回の事件に利用されたというわけです。

 安倍首相の中東歴訪がなければ、今回のような事件は起きなかったのではないでしょうか。その責任は極めて大きいというべきでしょう。
 それにもかかわらず、一般のマスコミは、ほとんどこの点には触れず、沈黙を守っています。これは極めて奇妙なことであり、大きな問題だと言わなければなりません。
 2億ドルの拠出は難民の民生への援助であり、人道支援で非軍事的なものです。それを問題にするのは大きな誤解ですが、そのような誤解はどうして生まれたのでしょうか。

 そのような誤解を世界中に振りまいてきたのも、安倍首相自身ではありませんか。その最たるものは、集団的自衛権の行使容認によって日本を海外で「戦争できる国」に変え、アメリカとの同盟関係を強化しようとしてきたことです。
 そのために、アメリカの仲間だとして、日本は「イスラム国」から敵視されるようになってしまいました。アメリカの同盟国として空爆に参加している国と同じような敵だと見なされてしまったのです。
 それが、今回の事件を引き起こした大きな要因ではないでしょうか。しかも、エジプトでの人道支援表明に際しては「『イスラム国』対策」であることを明確にし、その直後にイスラエルに行き、人質事件についての記者会見はイスラエル国旗の前でした。

 今回の事件は安倍首相が目指している「積極的平和主義」の危険性を、はっきりと示しています。集団的自衛権の行使容認によって、中東やイスラム圏でも定着していた「平和国家」としてのイメージを、日本は大きく変えてしまったからです。
 そのようになれば日本人の安全が損なわれ、テロに巻き込まれる危険性が高まることは十分予想されていたはずです。その予想が、具体的な姿を取って現れたのが、今回の事件でした。
 集団的自衛権の行使容認が法制化され日米同盟が強化されれば、今後さらにこのような事件に日本人が巻き込まれる危険が増えるにちがいありません。そのような危ない道に踏み込んでも良いのでしょうか。

 中東地域での紛争や戦争に巻き込まれる危険性が高まっています。日本と日本人が敵視され、テロに巻き込まれるリスクを覚悟しなければならない時代が始まろうとしています。 
 戦後70年の今年、再び、戦争と平和のあり方、日本の進路が問われようとしているのです。このような年であるからこそ、憲法9条を守り、平和国家としてのあり方を断固として堅持しなければなりません。
 そのためにも、通常国会での集団的自衛権行使容認のための法改定を阻止する必要があります。日本は武力に訴えて国際紛争に介入するような国ではないということを、改めて世界中に示すことが急務になっています。

 後藤さんと湯川さんの2人は、そのような日本の国民であり、危害を加えられるような理由は全くありません。改めて、この2人の無条件での解放を強く求めるものです。

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1月21日(水) 安倍首相の「積極的平和主義」が引き起こした日本人人質への殺人予告 [国際]

 イスラム過激派の組織「イスラム国」のメンバーとみられる男が、安否不明となっていた湯川遙菜さんと後藤健二さんを人質とし、身代金2億ドルを要求するという事件が起きました。72時間以内に支払わないと、2人を殺すというのです。

 人質を取って要求を突きつけ、受け入れられなければ殺害すると脅す。これは完全な犯罪行為であり、どのような理由があっても許されず、強く非難するものです。
 このような形で人命をもてあそび、力ずくの脅迫によって要求を受け入れさせようとするやり方は極めて卑劣であり、断じて認められません。脅しに屈することなく断固とした対応が求められますが、同時に2人の命も救わなければなりません。
 しかし、23日(金)の午後までという72時間のタイムリミットがあり、日本政府は難しい対応を迫られています。パレスチナ側の支援をはじめ関係国と連携しながら、人質となっている2人が無事に解放されることを望みたいものです。

 それにしても、日本を対象に、どうしてこのような事件が起きてしまったのでしょうか。これまでも「イスラム国」が人質を取って身代金を要求する事件はあり、フランスやスペインはお金を払ったと言われています。
 しかし、日本人がその対象とされたことはありませんでした。要求された身代金の額もこれまでは数億円で、2億ドル(約236億円)という多額の要求も初めてです。
 湯川さんが行方不明になったのは昨年の夏で、「イスラム国」に拘束されているらしいという情報はありました。しかし、これまでの半年間、身代金の要求もなければ、このような形での脅迫もありませんでした。

 それなのに、今回、突然このような形で表面化したのは何故でしょうか。その原因は、はっきりしています。
 安倍首相の中東歴訪であり、とりわけエジプトでの演説で表明した「イスラム国」対策のための2億ドルの資金援助でした。これが今回の事件の「引き金」を引いたことは明白です。
 「あなた方の政府は、『イスラム国』と戦うために2億ドルを支払うという馬鹿げた決定をした」という脅迫者の発言でも、そのことは明瞭に示されています。2億ドルという巨額な身代金の額も、安倍首相が示した拠出額と同じです。

 今回の中東歴訪は安倍首相が自ら望み、わざわざ出かけたものでした。それが、拘束していた日本人の扱いに困っていた「イスラム国」に、絶好のタイミングと格好の口実を与える結果になったのではないでしょうか。
 安倍首相は「飛んで火にいる夏の虫」ならぬ、「飛んで火にいる冬の安倍」になってしまいました。この時期に、このような形で中東諸国を訪問せず、エジプトであのような演説を行わなければ、今回のような事件は起きなった可能性が高いと思われます。
 もちろん、2億ドルの資金援助は非軍事的なもので、脅迫者の言うような「馬鹿げた決定」ではないと弁解することは可能です。その拠出自体は人道的なものだったとしても、それを中東歴訪と絡めて、あのような形で目立つように華々しく打ち出す必要があったのでしょうか。

 今回、安倍首相がわざわざ中東に出かけて行って、「イスラム国」対策として2億ドルの支援を表明したのは、「積極的平和主義」の実績を示す絶好のチャンスだと考えたからではないでしょうか。そのようなパフォーマンスを見せつけることで、これから始まる通常国会での集団的自衛権行使容認に向けての安保法制の整備に有利な状況を作り出したいという思惑があったように思われます。
 中東での難民支援や非軍事的な資金を拠出するにしても、紛争当事国に大金を渡すのではなく、国連や赤十字などに粛々と支援金を送ればいいだけの話でしょう。それなら誰からも恨みを買うことはなかったはずです。財界人など46社約100人の幹部を引き連れた派手な訪問で2490億円もばらまいて日本企業を売り込み、多額の経済援助で「いい恰好」しようなどと考えたのが間違いの元でした。
 それが思わぬ形で裏目に出てしまったということになります。中東の情勢にも「イスラム国」の出方についても全く無知で、判断を大きく誤った結果だったと言って良いでしょう。

 そればかりではありません。難民支援のための非軍事的な援助であるにもかかわらず、その2億ドル拠出が敵視されたことにも、この間の安倍首相の言動や日本の立ち位置の変化が微妙に反映しているように見えます。
 集団的自衛権の行使容認や改憲を目指すことによってアメリカとの同盟関係を強めようとしてきたからです。そのための自衛隊の海外派遣など、中東への軍事的な関与を強めようとしてきたという経緯もあります。
 それ以前、ブッシュ米大統領が始めたイラク戦争を支持して自衛隊を派遣したころから、イスラム社会の日本を見る目が変わり始めていました。それまでは、中東諸国でも日本は平和国家として認識され、廃墟の中から経済復興を遂げた国としての尊敬と信頼を集めていたのです。

 これは戦後日本が持っていた、国際社会における貴重な政治的資産だったのです。しかし、小泉元首相や安倍首相は、この資産を食いつぶしてしまいました。
 今また、安倍首相は集団的自衛権行使容認を閣議決定してアメリカ寄りの姿勢を明確にし、日本への敵意を掻き立てようとしています。今回の事件の背後には、このような安倍政権による外交・安全保障政策の転換があります。
 それは安倍首相にとっても誤算だったでしょうが、それを引き出してしまった責任の一端が首相にもあることは否定できません。その責任をどのようにして取るつもりなのでしょうか。

 テロリストとは交渉せず、屈服しないという原則を貫きながら、身代金を支払わずに人質を解放させることができるのでしょうか。それが成功し、2人が無事に解放されることを強く望みますが、予断は許されません。
 もし、身代金を支払えば、テロとの戦いを放棄したものとして国際社会から非難を浴びるでしょうし、支払わなければ2人の人質は殺害されてしまうかもしれません。安倍政権は大きなジレンマに陥り、極めて難しい対応を迫られることになりました。

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1月17日(土) 外交文書の公開によって明らかになった日米関係の闇 [国際]

 このような秘密があったのか、と思いました。そうであれば、なおさらその秘密を明らかにするための仕組みや努力が必要になるでしょう。

 1月15日、外務省は外交文書41冊を新たに公開しました。それによって、日米関係に秘められてきた数々の闇が明らかになっています。
 その最大のものは、1965年8月に当時の佐藤栄作首相が米国統治下の沖縄を訪問した時に行った演説について、基地の意義を強調するように求める米側の圧力によって内容を修正していたことです。冷戦下を念頭に「極東の平和と安定のために沖縄が果たしている役割は極めて重要」との一節を加え、8月19日に行われた「国映館」での歓迎大会で読み上げられました。
 これは基地存続を前提とする文言で、米軍普天間飛行場を含むその後の沖縄の過重負担に大きな影響を及ぼし、それを正当化するものです。また、佐藤首相が沖縄訪問時に、米側現地トップのワトソン琉球列島高等弁務官との会談で「返還は日米安全保障条約の下に実施したい」と伝えていたことも判明しています。

 これ以外にも、以下のような重要な事実が明らかになっています。

 第1に、中曽根康弘防衛庁長官が「米国の核兵器導入については留保しておいた方がよいと思う」として、核兵器の持ち込みに反対していなかったことです。70年9月9日の中曽根防衛庁長官とレアード米国防長官との会談記録で示されています。
 この密約については、82年12月9日の衆院本会議で不破哲三共産党委員長が質問し、中曽根首相は「私が核兵器の導入を認めるような発言をしたことは全くありません」と答えていました。この答弁は真っ赤な嘘だったということになります。
 「安保条約改定の際に日米間で交わされた合意・密約の存在」の一つとして、「核兵器についての事前協議は『持ち込み』(イントロダクション)だけで立ち入りや飛来(エントリー)は対象外という『核持ち込み密約』」があったことは、すでに12月27日付のブログ「歴史による検証」で明らかにしたように、私も指摘してきました。今回の公文書で明らかになった中曽根防衛庁長官の発言はこの密約に沿うものであり、首相になってからの答弁はそれが嘘を言ってでも守られなければならない「秘密の約束」だったことを示しています。

 第2に、沖縄返還に際しての米軍用地の原状回復費用400万ドルの肩代わり密約について、「一切知らないと応答されたく」、「国務省にこの点を強く申し入れおきありたい」と求めていたことです。71年12月11日の福田赳夫外相から牛場信彦駐米大使への「大至急」の極秘公電で明らかになりました。
 この「400万ドル上乗せ」という「秘密の取決め」は、機密公電を入手した西山太吉毎日新聞記者を通じて横路孝弘社会党衆院議員が12月7日に国会で追求し、政府はそれを否定し続けてきました。しかし、2010年3月、外務省有識者委員会の調査を踏まえて、民主党政権は密約の存在を認めています。
 今回の公開で密約の存在がさらに裏付けられたことになります。それだけでなく、それを秘匿するために日米間で「口裏合わせ」をしていたという、おぞましい姿まで表面化したわけです。

 第3に、沖縄返還時の基地縮小の交渉では、日本側が70%程度への縮小を目指していたのに対し、米側は基地機能の維持と移転費用の日本負担を主張していましたが、同時に、外務・大蔵両省の協議では、多くの軍用基地が返還されても「わが国の防衛力から無用の長物になる恐れがある。費用もかかり、かえって迷惑」との発言も出ていました。70年6月から71年4月ごろまでの機密文書で明らかになっています。
 また、4月1日付の文書では、日米合同委員会のファイスナー事務局長が「海兵隊の訓練地域はかなりの面積を減じうると信じている」と主張していたそうです。実際には、72年5月の復帰時には約81%への縮小にとどまっています。
 もし、この時、日本側が主張していたように7割への縮小が実現していたら、沖縄の負担はもっと軽くなっていたことでしょう。それを可能にするような基地縮小論が米側にもあったこと、それに対して「かえって迷惑」だという否定的な意見が日本側にあったことは、基地の返還・縮小問題を考えるうえで重要な事実だと言えるでしょう。

 これらの文書は日米関係のあり方や沖縄の基地問題を考えるうえでの貴重な示唆を与えています。日本は実質的にはアメリカの従属国であり、核の持ち込みや基地の返還・縮小に際して主権国家としての対応ができず、国民に嘘を言ってまで欺いてきた姿がくっきりと示されているからです。
 特定秘密保護法が施行された今、今後もこのような形で日米関係の闇が明らかになることはあるのでしょうか。それとも、日米の当局者にとって不都合な、このような闇があるからこそ、特定秘密保護法という密約隠蔽のための法律が必要とされたのでしょうか。


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1月14日(水) フランスでの連続テロ事件を考える際に指摘しておくべきこと [国際]

 フランスでの連続テロ事件に対する国際的な批判が高まり、フランスでは全土で370万人以上が抗議行動に立ち上がりました。デモ行進には約50か国・地域の代表も参加し、対立が続くイスラエルやパレスチナ自治政府の両首脳も参加しました。
 このような行動は言論の自由を守ろうとする強い決意の現れです。私も、そのような行動を断固として支持したいと思います。

 同時に、これら一連の事件を考える際に指摘しておきたいことがいくつかあります。それは、前回のブログで「貧困や憎悪、宗教的な敵対や民族的な差別、不寛容や社会的な排除など、敵意とテロ行為を生み出す政治的社会的土壌を可能な限り縮小する地道な努力を続けていくしか、根本的な解決の道はないように思われます。
 長期的な背景としては、中東地域での敵意と対立を強めてきたイスラエルとそれに対する欧米諸国の甘やかし、イラク戦争でのボタンの掛け違えなどを指摘しなければなりません。とりわけ、ありもしない大量破壊兵器の開発・保有疑惑によって力づくでフセイン政権を倒してしまったイラク戦争の過ちは大きかったと言えるでしょう」と書いたことに関連しています。

 その第1は、いかなる理由でも暴力やテロは許されませんが、それとは別に、風刺週刊紙「シャルリー・エブド」についても問題はなかったのか、自省する必要があるということです。たとえ風刺漫画であっても、異なった人種・民族・宗教について蔑視したり、対立を深めたり、憎悪を煽ったりするようなものであってはならず、一定の節度が求められるからです。
 この後の風刺漫画のあり方としても、そのような自己検証や節度は必要でしょう。また、今後のイスラム社会や移民などへの対応としても、暴力・テロによる応酬や排除に結びつくものであってはなりません。
 今回の事件を機に、欧米批判を強めるイスラム過激派と移民の排除を主張する極右勢力との対立が強まっています。互いの過激な主張や行動を利用しつつ社会の分断と対立を強めたり差別や社会的排除を促進したりすることのないように注意し、移民排除を主張する極右勢力を利するような形にならないようにしなければなりません。

 第2に、このようなテロリズムの拡大において、イスラエルという国の存在と欧米諸国の対応にも大きな責任があるということです。そもそもヨーロッパにアラブからの移民がこれほど多く存在するのには中東問題が深くかかわっており、イスラエルによって迫害された難民の多くがそこに含まれています。
 第2次世界大戦後、中東地域に入り込んでアラブ人を排除し弾圧をくわえ続けてきたイスラエルと、この国を守るために周辺の独裁国家の存在を黙認してきたアメリカの対応こそ、中東での混乱を引き起こしてきた元凶なのです。イスラエルによる占領地を拡大してアラブの人々を追い出してきた結果、行き場を失った人々が欧米に逃れ、移民として定着してきたのです。
 しかし、これらの人々はまともな仕事に就くことができず経済的にも恵まれないために困窮し、差別などの社会的排除もあって欧米社会への憎悪を高めてきました。今回のようなテロ事件やイスラム国への共感・参加の背景には、このような事情が存在していることを直視する必要があります。この問題を解決するためには、イスラエルによるアラブの人々に対する敵視と排除を改め、対話と共存に転換しなければなりません。

 第3に、このような対立や憎悪は戦争や暴力によって解決することはできず、問題を生み出す根本原因の除去に地道に努めるしかないということです。何よりも、貧困や差別、怒りや憎しみ、無学や無知、将来への絶望や自暴自棄などの問題が解決されなければなりません。
 このような戦争や暴力の原因をなくすための積極的な努力こそが、本来の「積極的平和主義」なのです。それを安倍首相は逆転させ、軍事的な手段や力による平和、すなわち「戦争による平和」を「積極的平和主義」だと読み替えてしまいました。
 そのような逆転した「積極的平和主義」では、紛争や戦争の原因を除去できないばかりか、対立や憎悪を強めることでかえって紛争の土壌を拡大してしまいます。まさに今、私たちがイラクで目撃しているのは、このような例だと言うべきでしょう。

 このような逆転した「積極的平和主義」は、日本をどこに導いていくのでしょうか。通常国会では、そのことが本格的に問われることになります。
 集団的自衛権行使容認の閣議決定と法制化がいかなるリスクをもたらすことになるのか。今回のフランスでの連続テロ事件は、そのことを示す警告であったのかもしれません。

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1月11日(日) フランスでの連続テロ事件を断固糾弾する [国際]

 年明け早々、フランスで痛ましい連続テロ事件が発生しました。風刺週刊紙「シャルリー・エブド」に対する襲撃事件から始まった連続テロによって週刊誌の編集者や漫画家、警官、立てこもり事件の人質となった一般人ら少なくとも17人が命を失い、フランスでは過去50年で最悪のテロ被害となりました。

 いかなる理由によるものであれ、このようなテロ行為は断じて許されるものではありません。報道の自由と民主主義に対する挑戦であり、政治的な目的を暴力によって達成しようとする最悪の行為です。
 学生時代に新左翼による暴力行為で右目を失った私にとって他人事とは思えません。理不尽な政治テロによって命を失うことになった犠牲者に哀悼の意を捧げます。
 2009年から風刺週刊紙の発行人を務め、犠牲者の1人となって命を落としたステファン・シャルボニエさんは、最新号に載った「イスラム過激派のテロ予告」が遺作となりました。「私には妻子もいないし、車も預金もないから報復は怖くない。ひざまずいて生きるより、立ったまま死ぬほうがいい」と語っていたそうですが、その覚悟の通りになってしまいました。

 テロ事件を引き起こした3人の容疑者はパリ周辺の2カ所で人質を取って立てこもり、突入した特殊部隊に射殺されました。当局は一人の容疑者の内縁の妻とみられる女性の写真を公開して行方を追っています。
 これらの容疑者は事件のさなかに仏テレビの電話インタビューに応じていました。インタビューで2人は、事件を引き起こした理由について「フランスが、『イスラム国』とカリフ(イスラム共同体の指導者)を攻撃したからだ」と答え、「イスラム国」から指示を受けていることを明らかにしたうえで、「私たちは、最初から共同していたので、同時に行動を起こした。彼らの標的は『シャルリー・エブド』で、私の標的は警官だった」と語っています。
 クリバリ容疑者はやりとりの中で、自身がイスラム国に所属していることを明かし、シェリフ容疑者も2011年にイエメンでテロ組織「アラビア半島のアルカイダ(AQAP)」の戦闘訓練を受けたことを認めています。AQAPが9日に、フランスに対する新たなテロを警告するビデオを公開したとの情報もあるそうです。

 今回のテロ行為の背後にはアルカイダ系組織や「イスラム国」の関与があったということになります。これらの組織が資金や武器を提供していた可能性もあり、当局は全容解明を急いでいるそうですから、いずれもっと詳しいことが分かるでしょう。
 「イスラム国」関連では、カナダの国会議事堂での乱射事件やオーストラリアでのカフェ立てこもり事件などもありました。今後もこのような事件が起きる可能性がありますが、それを防止することは極めて困難です。
 今回の容疑者も警察の監視下にあったにもかかわらず、事件の発生を防ぐことができませんでした。貧困や憎悪、宗教的な敵対や民族的な差別、不寛容や社会的な排除など、敵意とテロ行為を生み出す政治的社会的土壌を可能な限り縮小する地道な努力を続けていくしか、根本的な解決の道はないように思われます。

 長期的な背景としては、中東地域での敵意と対立を強めてきたイスラエルとそれに対する欧米諸国の甘やかし、イラク戦争でのボタンの掛け違えなどを指摘しなければなりません。とりわけ、ありもしない大量破壊兵器の開発・保有疑惑によって力づくでフセイン政権を倒してしまったイラク戦争の過ちは大きかったと言えるでしょう。
 その過ちがなければ、「イスラム国」などという「鬼子」が生まれることも、これほど大きな脅威に育つこともなかったでしょう。ブッシュ政権によるイラク戦争を支持し、協力した日本政府の責任も免れることはできません。
 しかし、安倍政権はその間違いを反省するどころか、さらに深入りしてテロの脅威を引き寄せるような過ちを犯そうとしています。今回のフランスでの連続テロ事件は、集団的自衛権行使容認の法制化に当たっても十分に検討すべき重要な教訓を示していると言えるのではないでしょうか。

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10月24日(金) 周辺諸国との良好な関係こそが本当の「抑止力」 [国際]

 「抑止力」とは何でしょうか。それは危機の発生を防ぎ、安全を確保するための力のことです。
 そのためには軍事力を強めることが必要だというのが、一般的な考え方です。しかし、果たしてそうでしょうか。

 軍事力を強めれば、それによって押さえつけようとする相手方も対抗しようとするでしょう。お互いに相手を力で押さえつけようとすれば、軍事力拡大の競争に陥ってしまいます。
 互いに軍事力を拡大する結果、かえって状況は不安定になり、偶発的な衝突の可能性も増大し、安全は低下することになります。こうして、安全保障のパラドクスが生じます。
 現在の日本と中国との関係が、その典型だと言えるでしょう。軍拡のために国費が無駄遣いされ、安全が低下するというわけですから、完全に誤った政策だと言わなければなりません。

 それでは、危機の発生を防ぎ、安全を確保するための力を強めるためにはどうすれば良いのでしょうか。それは、決して難しいことではありません。
 周辺諸国との衝突の可能性を減らすために、良好な外交関係を樹立すれば良いのです。それによって危機の発生が防がれ、安全が高まるのであれば、これこそが本当の「抑止力」だと言えるでしょう。
 二度の世界大戦で激しく闘ったドイツとフランスですが、今では戦争することは考えられず、以前は日本の「仮想敵国」とされていたソ連ですが、ロシアとなった今、軍事的に衝突することはあり得ません。それは外交的に良好な関係にあるからです。

 
 日本の周辺諸国との間でも、このような外交的に良好な関係を打ち立てれば、日本の安全はずっと高まるに違いありません。今では多くの問題を抱えている中国や韓国との間でも、以前はそうだったということを思い出す必要があります。
 それが今日のような形にまで悪化してきたのは、端的に言えば従軍慰安婦など歴史認識の問題と靖国神社参拝問題のせいです。これらの問題をむしかえし、悪化させたのは安倍首相その人です。
 安倍首相は、従軍慰安婦問題で形式的にはその責任を認めた「河野談話」を継承すると言いながら、実質的には従軍慰安婦の存在そのものを否定しようとしています。また、靖国問題でも侵略戦争と植民地支配を反省した「村山談話」を表面的には受け入れつつ、それを実質的に否定する靖国神社への参拝や真榊の奉納を続けています。どちらも、「2枚舌」的対応であり、周辺諸国の不信感と怒りを買う結果になっていることは明らかです。

 かつて、鳩山元首相は沖縄米軍基地が「抑止力」であることを認め、「国外、最低でも県外移設」という主張を取り下げましたが、これは全くの誤りでした。緊張緩和と友好親善こそが、本当の「抑止力」なのです。
 その「抑止力」を低下させているのは、従軍慰安婦など歴史認識の問題と靖国神社参拝問題で間違った対応を取り続けている安倍首相自身です。危機への「抑止力」を高め、日本の安全保障を確実にするための最善の策は、安倍首相が退陣することだと言うべきでしょう。

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9月1日(月) ヘイトスピーチは新法を制定して厳格に取り締まるべきだ [国際]

 いつから日本は、このような形で「後ろ指」をさされるようになったのでしょうか。外国から言われるまでもなく、「日本の恥」は自らの力で解決しなければなりません。
 しかも、集団的自衛権の行使容認によって戦争しやすくなるような憲法解釈の変更と足並みをそろえるような形で、周辺諸国に対する差別や憎悪をあおり、反感と敵意を強めるような風潮を掻き立てているのがヘイトスピーチです。「これでは戦争になってしまうのではないか」と国民が不安に思うのは当然で、このような風潮を放置することは許されず、新しい法律を制定して厳格に取り締まるべきでしょう。

 国連人種差別撤廃委員会(ジュネーブ)は8月29日、日本における人種差別撤廃条約の順守状況に関する「最終見解」を発表しました。その中で、人種や国籍で差別をあおるヘイトスピーチ(憎悪表現)を法律で規制するよう日本政府に勧告がなされました。
 この見解は、右翼団体の街頭宣伝活動でのヘイトスピーチの広がりや公職者、政治家による人種差別発言に懸念を表明し、①街頭宣伝やインターネットを含むメディアでの差別的行為・表現に対する厳正な対応、②差別行為にかかわった個人と組織への捜査と訴追、③ヘイトスピーチを広げる公職者と政治家の処罰、④教育などを通じた人種差別問題への取り組みなどを勧告するものです。
 また、人種差別撤廃条約は差別を助長する表現を「犯罪」と定義し、処罰立法措置を義務付けています。これに対して日本政府は「表現の自由」を保障する憲法との整合性を考慮すべきだとして履行を留保していますが、これについても最終見解は留保の取り下げを要請しました。

 この日本政府の見解のように、表現の自由や言論の自由を保障する立場から、ヘイトスピーチに対して法的規制をためらう意見があります。表現の自由や言論の自由が守られなければならないのは当然であり、ヘイトスピーチの取り締まりを口実にこれらの自由が制限されるようなことがあってはなりません。
 しかし、ヘイトスピーチは「言論」ではなく「暴力」です。それを聞いり見たりする不特定多数の人々の心を深く傷つける許しがたい暴力にほかなりません。
 このような暴力に自由を与える必要があるのでしょうか。人種や民族、国籍で差別をあおり憎悪を焚き付けるようなヘイトスピーチを特定し、法律によって取り締まることは十分に可能でしょう。

 現行法でも、そのようなことができるという意見もあります。ならば、現行法によってきちんとそれを取り締まり、ヘイトスピーチを一掃してもらいたいものです。
 実際には、現行法では十分に取り締まることができないから、野放しになっているのではありませんか。国連人種差別撤廃委員会の委員を驚かせ、憂慮させるような現状が放置されているから、国際社会から「後ろ指」をさされたのではありませんか。
 ヘイトスピーチをなくすための効果的な措置を何も取らず、ただ新法に反対するというのでは単なるサボタージュにすぎません。新たな法的規制に反対するのであれば、それがなくても大丈夫だということを事実によって示すべきでしょう。

 さすがに自民党も、このような状況は放置できないと考えたのかもしれません。プロジェクトチームを設置して、8月28日に初めての会合を開きました。
 この会合では、今後「ヘイトスピーチ」に対して法規制も含めて検討していくことを確認すると同時に、首相官邸前や国会周辺で行われてきた「原発再稼働」や「秘密保護法」に対する抗議・街頭行動などを念頭に、何らかの規制を行うべく議論を進める姿勢も示されたそうです。会合で高市早苗政調会長は抗議行動をさして「何時間も仕事にならない状況が続いている。とても電話の声も聞こえない」などとし、「批判を恐れることなく、議論を進めてまいりたい」と強調したといいます。
 このプロジェクトチームの座長が平沢勝栄議員でメンバーには高市早苗政調会長も入っていると知った時から、このような議論が出てくるのではないかと懸念していましたが、その通りになりました。そもそも、このプロジェクトチームはヘイトスピーチを利用して表現の自由や言論の自由を取り締まる手がかりを作り出すことを隠れた狙いにしていたのかもしれません。

 一方で、ヘイトスピーチを取り締まる新法を作れば表現の自由が阻害される懸念があるといい、他方で、ヘイトスピーチへの取り締まりと一緒に表現の自由を制限しようと狙う。懸念されるような行動をとっているのは、自民党自身じゃありませんか。
 ヘイトスピーチとは民族や人種に対する差別や憎悪を掻き立てる発言をさしています。国会周辺の抗議行動で、そのような発言がなされていたのでしょうか。
 ヘイトスピーチと国会周辺などでの抗議行動とは全く性格が異なり、いっしょにするのは筋違いの暴論です。国連人種差別撤廃委員会の勧告は、ヘイトスピーチ対策を、その他の抗議行動などを規制する「口実にしてはならない」とくぎを刺しているそうです。
 ここで釘を刺されているようなことを、まさに自民党のプロジェクトチームはやろうとしているわけです。そんなことをすれば恥の上塗りになり、日本は国際社会の笑い者となることでしょう。

 そもそも、脱原発官邸前行動や秘密保護法反対運動など国会周辺で声をあげなければならないのは、このような反対の声が国会内に届かないからではありませんか。世論の多くが反対する政策を強行する自らの姿勢を反省することもなく、国民の声を単なる「騒音」としか受け取れないとは情けない限りです。
 こんな自民党は、名前を変えるべきでしょう。自由民主党ではなく、不自由非民主党と……。

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7月20日(日) ウクライナとガザでの悲劇が教えるもの [国際]

 ウクライナとガザで、大きな悲劇が相次いでいます。ここから、私たちはどのような教訓を学ぶべきでしょうか。

 ウクライナでは、マレーシア航空のアムステルダム発クアラルンプール行きボーイング777型機が墜落し、子供80人を含む乗員乗客298人が死亡しました。同機は撃墜されたとされていますが、親ロシア派かウクライナ政府側か、どちらによるものかは今のところ不明です。
 パレスチナ自治区ガザではイスラエルによる地上侵攻によって死者が90人、負傷者が400人を超えたと報じられました。8日の軍事作戦開始後では、死者は約330人、負傷者は2400人以上に達したと伝えられています。
 どちらの事例も、軍事力によって平和は保たれないこと、抑止力などは空想の産物でデタラメな空論であることを示しています。集団的自衛権の行使容認をめざす日本としては、このような道を進んではならないという教訓を学ぶべきでしょう。

 武器と技術がなければこのような悲劇は起きず、戦争もできないはずです。マレーシア航空機を撃墜したのは地対空ミサイルだとされていますが、そのようなミサイルが存在せず操作できる要員がいなければ、民間航空機を撃ち落とすなどという間違いも生じなかったでしょう。
 ガザでの戦闘の激化も、イスラム組織のハマスが地対地ミサイルを所有せず、イスラエル側に戦闘機や地上侵攻可能な部隊がなければ、戦闘になることもそれが激化することもありえません。
 武力がなければそれに訴えることはできず、紛争は政治的外交的に解決するしかなくなります。強力な武器や軍事力を持っているからこそ、それに頼って問題を解決しようとしてしまうのだということを、ウクライナとガザの悲劇は私たちに教えているのではないでしょうか。

 強大な軍事力は、戦争の開始と紛争の拡大を防ぐ抑止力にはなっていません。それどころか、対立を激化させ、事態を紛糾させる大きな要因となっています。
 ウクライナの親ロ派勢力は政府軍に抵抗できるだけの武力を持ち、政府側もそれを制圧できるかもしれない軍事力を持っています。だからこそ、ともに力で問題を解決しようとするのです。
 イスラエルは強力な軍事力を持ち核兵器さえ保有しているとされ、ハマス側もこれに対抗できるだけの軍事力を持っています。そのために、かえって戦争を抑止することができず、ガザ地区への地上軍の投入と住民の虐殺、それへの報復としてのミサイル発射を引き起こすことになります。

 軍事への傾斜とそれが持つ力への信奉がウクライナとガザでの悲劇を生む根本的な要因なのです。そのことへの反省なしに、問題の平和的な解決は不可能でしょう。
 力を持っているから、その力に頼ろうとしてしまう。力で抑えつけようとするから、かえって大きな反発を生んでしまう。
 これまで世界史で幾度となく生じてきたこのような誤りが、今回もまた繰り返されてしまいました。人類はいつになったら、力による紛争の解決はかえって紛争を激化させ拡大させてしまうという教訓を学ぶことができるのでしょうか。

 昨日の『朝日新聞』の「ザ・コラム」で曽我豪編集委員が、「私は日本の憲法が世界の中で特異なものであることに誇りを持っております」「我々が自らの武力で外国に自分の意思なり何なりを押しつけることはしない、そういうことはこれからも守っていかなきゃならない一番大切な分野だ」と語った梶山静六元官房長官の言葉を紹介しています。現行憲法が「特異なものである」ことに誇りを持ち、そのメリットを実感し「これからも守っていかなきゃならない」と考えるかどうかという点に、護憲論と改憲論との分岐があるということでしょう。
 安倍首相やその背後にいて集団的自衛権の行使容認を推し進めている外務官僚とそのOBたちは、梶山元官房長官とは異なって憲法を敵視し邪魔者扱いしているように見えます。それを煽り立ている『産経新聞』や『読売新聞』も同様でしょう。
 だからこそ、「特異なものであること」に誇りを持つことができず、それを空洞化して「普通の国」になろうとしているわけです。「この憲法9条のいわば精神というのは日本の今日を築き上げた一番の根幹」(梶山さん)だということも理解できずに……。

 安倍首相は山口県下関市での講演で、ウクライナでの旅客機撃墜について、「いかなる紛争も力ではなく、国際法に基づき、外交的に解決すべきだ」と述べています。それが世界の常識であり、当然の認識でしょう。
 一方で集団的自衛権の行使容認など軍事力行使に傾斜した政策転換を進めながら、他方でこのような発言をせざるを得ないところに、安倍首相の矛盾と自家撞着が示されています。
 自らの言に忠実であるなら、戦争できる国になって「他国」の戦争に参加するための準備などはとっとと止めなければなりません。そして、「いかなる紛争も力ではなく、国際法に基づき、外交的に解決すべきだ」ということを明確に宣言している「憲法9条のいわば精神」に立ち戻るべきではないでしょうか。


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