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5月9日(土) 『日刊ゲンダイ』に掲載されたコメント [コメント]

〔以下のコメントは『日刊ゲンダイ』5月9日付に掲載されたものです。〕

*巻頭特集「この政権では地獄絵 失業率8%、自殺者27万人、GDP14%減」

 東京・練馬区の老舗とんかつ店の男性店主(54)が先月30日、全身やけどで死亡した一件はショッキングだった。

 警察によれば、遺体には油を浴びた形跡があり、焼身自殺の可能性が高い。とんかつ店は緊急事態宣言後の先月13日から休業し、今月1日から営業再開の予定だった。だが店主は、亡くなる直前に会った商店街の理事長に「お店をやめようかな」と口にしていたという。再開しても、客が戻ってくるかどうか分からない。先行きを悲観し、精神的に追い込まれてしまったのか。

 休業、失業、倒産……。コロナ禍による生活苦や経済的打撃が叫ばれながらも政府の対策は後手後手だ。早くから自殺者増への警鐘が鳴らされていたが、それが現実になってしまった。なぜ少しでも安心させられる資金を4月中に手元に届けられなかったのか。店主は政治に殺されたのではないか。そう考えると、悔やまれるのである。

 法大名誉教授の五十嵐仁氏(政治学)が言う。

 「政治に殺された。私もそう思います。コロナによる感染死の問題以上に、経済的に追い込まれた人たちが今後、さまざまな形で損害を被るのではないか。自殺者がますます増えるのではないかと危惧しています。1カ月の休業ならと、なんとか歯を食いしばってきた事業者や商店主が、さらに今月31日まで1カ月延長となり、心がポッキリ折れてしまわないか気がかりです」

 サービスや小売りを中心に長期にわたる売り上げ減は必至。もはや以前のような商売は諦めろ、ということなのか。

 「『行動様式を変えなさい』という指示は、政府の無策を個人の対応にすり替えるものです。そもそも休業要請と補償はセットなのに、それをしないで要請だけ続ける。政府の緊急事態宣言は法律に基づく要請です。ならば法律に基づき、補償という責任も発生する。日本人はお上から言われると従順。それをいいことに、行政責任の放棄は許されません」(五十嵐仁氏=前出)

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5月5日(火) 緊急事態宣言の延長で明らかになった愚かな政府の失敗と賢明な国民の対応 [首相]

 新型コロナウイルスへの対応を協議する政府対策本部が開かれ、緊急事態宣言の対象地域を全都道府県としたまま、5月31日まで延長することが決定されました。席上、安倍首相は「現時点ではかなりの数の新規感染者数を認め、感染者数の減少も十分なレベルではない。医療提供体制が逼迫している地域もみられる」と発言するとともに。「5月14日をめどに専門家に状況を改めて評価していただきたい」と述べ、期限内にも解除を検討する意向を示しています。

 4月7日の緊急事態宣言の発出自体、当初の新型コロナウイルス感染対策の失敗を示しています。初動の遅れがなく水際対策が成功していれば、韓国や台湾のように感染拡大を防げたかもしれないのですから。
 その水際対策に失敗し、「今が瀬戸際だ」と言い続けた挙句の不手際によって、緊急事態を招いてしまったというわけです。さらに、それを約1ヵ月も延長せざるを得なくなったということは、この緊急事態宣言によってもコロナ禍を抑え込むことができなかったということを示しています。
 緊急事態宣言という「劇薬」によって日本の社会経済生活は深刻な打撃を受け、「アベコロナ不況」は拡大を続けてきました。1ヵ月でも大変だったのに、2ヵ月など無理だと嘆いている商店や中小零細企業経営者、労働者は沢山いることでしょう。

 なぜこうなってしまったのか、は明らかです。安倍首相のコロナ対策が後手後手に回り失敗してしまったからです。インバウンドへの配慮や習近平主席の訪日予定もあって春節で大量にやってくる中国人旅行者の入国を止めず、クルーズ船の船内感染拡大を防げませんでした。
 安倍首相や小池都知事が新型コロナウイルスの感染対策に本腰を入れるようになったのはオリンピック・パラリンピックの1年延期が決まってからです。それでも安倍首相の状況認識は甘く政府の対策はその場しのぎのピント外れなもので、PCR検査の遅れによって感染者の正確な数の把握に失敗し、医療現場でのマスクや防護服さえ十分に行き渡らず、企業の資金繰り対策も手続きが煩雑で十分に行き渡っていません。
 コロナ禍に対する「目玉政策」として打ち出された「アベノマスク」2枚と国民1人10万円の給付は、いまだに届いていません。緊急事態宣言を出しながら、それに見合ったスピードで対策が実施されていないということです。

 他方で、新型コロナウイルスに感染した人の数は、政府の発表によれば減る傾向にあります。全国の感染者数のグラフは増加から減少に転じていますが、その減り方が緩やかなために緊急事態宣言を延長せざるを得なくなりました。
 日本ではまだオーバーシュート(爆発的な感染)は起きていないと評価されています。緩やかとはいえ、感染者の数も減少に転じました。
 新型コロナウイル対策で安倍政権が失敗を重ねてきたのに、なぜオーバーシュートを防ぎ、感染者の数を増加から減少に転ずることができたのでしょうか。それは国民が自ら進んで行動制限に取り組むという賢明な対応を行い、日本社会の生活習慣などが感染拡大の防止に効果があったからではないでしょうか。

 欧米諸国とは異なって緊急事態宣言では外出自粛や休業は要請にとどまっており、法的な強制力はありません。それでも、多くの国民や商店は。地方自治体などの要請に応じて自主的に外出を控え、休業に応じています。
 また、欧米とは異なる日本社会の生活スタイルや習慣も、新型コロナウイルスの感染防止に一定の効果を挙げているように見えます。あいさつでハグ(抱擁)や握手などの身体接触をせず、家に入る時には靴を脱いで靴底からの感染拡大を防ぎ、この時期には花粉症対策で普段からマスクをしている人も沢山います。
 南アフリカのように食糧暴動を起こしたり、アメリカのように自粛解除を求めてデモをしたりすることもなく、「上から」の指示に従順に従い横並びで行動するという特性もあります。今の時点ではこのような国民性は感染防止にプラスに作用していますが、これが「自粛警察」などによる同調の強要や無批判での過剰な同調になれば、市民生活を阻害し民主主義を棄損することに注意しなければなりません。

 しかし、このような国民の賢い対応も、「最低7割、極力8割」という接触機会削減の目標を達成できていません。それは安心して外出自粛や休業できるような枠組みができていないからです。
 自粛や休業の要請が緊急事態宣言のもとでの法に基づく要請である以上、それによって生ずる損害をきちんと補償する責任が要請する側に生ずるのは当然です。政府や自治体はそのような補償を行う責任があり、多くの自治体はそれなりの休業補償などを打ち出していますが、各自治体の財政力には格差があり、しかも延長ということなればいつまで可能なのかという問題が生じます。
 自粛や休業に実効性を持たせるためにも、国民が納得し安心して自粛や休業を受け入れられるようにしなければなりません。自粛や休業で利益や収入が失われ廃業したり失業したりするということになれば、生き延びるために従うことができなくなります。

 国民に行動変容を呼びかけるのであれば、それに見合った補償措置が必要です。自粛には補償するという具体策を打ち出すことによって、国民が納得し安心して自粛を受け入れ自らの行動を変えるようにしなければなりません。
 ドイツのメルケル首相の場合、それを言葉によって実現することができましたが、モリカケから桜を見る会に至るまで、国会で嘘をつき、公文書を隠したり書き換えたりして「偽装、捏造、安倍晋三」と言われ政治への信頼を踏みにじってきた安倍首相は、このような言葉の力を持ちあわせていません。言葉が信用されない安倍首相は、具体的な行動によってしか、国民を納得させることができません。
 一刻も早く、安心して自粛や休業ができるような補償を国民に示すべきです。十分な休業・自粛補償や雇用を維持するための施策、中小事業者への家賃補助や学生への支援策、防疫や医療に対する手厚い支援体制など、具体的な政策を打ち出すことによってしか、国民を安心させ信頼をつなぎとめることはできないのですから。

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5月4日(月) 『日刊ゲンダイ』に掲載されたコメント [コメント]

〔以下のコメントは『日刊ゲンダイ』5月3日付に掲載されたものです。〕

*巻頭特集「緊急事態は半永久的? なぜ韓国、台湾に学ばないのか」

 感染状況も知らないコロナ本部長、責任を押し付けあう政治家と専門家、司令塔不在の場当たり、その先にあるのは出口戦略なき自粛の長期化である。法大名誉教授の五十嵐仁氏(政治学)はこう言う。

 「安倍政権のコロナ対策は一貫して行き当たりばったり。補正予算が成立すると、安倍首相は自民党の二階幹事長らに緊急事態宣言の延長方針を真っ先に伝え、専門家会議の議論は後付け。イベント自粛や一斉休校の要請もそうでしたが、科学的知見に基づかない思い付きの判断を相変わらず繰り返している。これでは事態を収束させられるとはとても思えない。PCR検査件数を画期的に増やさなければ、陽性者の増減が政府の方針に左右されている疑惑もぬぐえません」

 安倍は「5月7日から、かつての日常に戻ることは困難だ。ある程度の持久戦を覚悟しなければならない」とも言っていたが、なぜ長期戦になるのか。韓国、台湾を見習わないのか。

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5月3日(日) コロナ禍に乗じた惨事便乗型アベ改憲策動を許してはならない [憲法]

 今日は憲法記念日です。例年であれば、護憲派・改憲派は共に大きな集会を開きますが、今年は新型コロナウイルスに感染する恐れがあるために、インターネットによるオンラインでの集会などに変わっています。

 コロナ禍は憲法をめぐる論議にも微妙な影響を与えています。感染を恐れた人々は私権の制限を含めた強力な対策を求め、安倍首相は緊急事態宣言に踏み切り、さらに1カ月ほど延長しようとしています。
 自民党は、緊急事態への対処をテーマの一つとして、憲法審査会での論議を始めるように野党に求めました。安倍首相は緊急事態条項の導入について「重く大切な課題」だと述べ、論議を促す姿勢を示しています。
 コロナ禍に対する危機感と国民の不安に乗じ、緊急事態条項を餌にして改憲という「魚」を釣り上げようというわけです。まさに、コロナ禍という惨事に便乗し、どさくさに紛れて改憲議論を進めようという惨事便乗型改憲策動にほかなりません。 

 緊急事態条項は大規模な災害のような重大事態が生じた時に政府の権限を強める規定です。自民党の改憲案には、法律と同等の効力を持つ政令をだす権限を内閣に与える条項が含まれています。
 国会での審議を経ることなく法律を制定できるようにするわけですから、独裁権を与えることになります。三権分立や立憲主義を破壊する「劇薬」だと言わなければなりません。
 憲法と法律とは根本的に異なっており、もし緊急事態宣言に不十分さがあれば、法律を変えれば良いことです。憲法審査会での論議は「不要不急」であり、無用な「三密」を生み出すような愚行は避けるべきでしょう。

 今は新型コロナウイルス対策に全力を尽くすべきです。NHKの調査では、改憲以外のテーマを優先すべきだという意見が78%に及び、改憲議論を進めるべきだという意見は13%にすぎません。
 朝日新聞の調査でも、改憲議論を急ぐべきではないという意見は72%になっています。改憲議論は高まっていないという意見も76%で、8割近くに上っています。
 政治が全力を挙げて取り組むべきは、いかにしてコロナ禍を抑え込み終息させるかということです。改憲どころではなく、政治の優先順位を間違えてはなりません。

 コロナ対策のために外出自粛などが求められている今は、むしろ憲法が掲げる基本的人権を守ることこそが急務なのではないでしょうか。人々の健康と命を守り健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を定めた25条、雇用を維持し働く人の権利を定めた28条、財産権を定めた29条などは、今こそ実現を政府に求めていかなければなりません。
 営業と雇用、労働を守り、休業や自粛によって生じた損失を補償することは憲法上の要請であり、国民の権利なのです。まして、緊急事態宣言が1ヵ月ほど延長されることになれば国民生活は更なる苦境に立たされます。
 この苦境を脱するために手を差し伸べることこそ、政府の責任ではありませんか。その責任を果たせないというのであれば、憲法を変えるのではなく政府を変えなければなりません。

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5月1日(金) 新型コロナウイルス禍の下で迎えたメーデーは労働組合の真価を問うている [労働]

 今日は「労働者の祭典」と言われるメーデーです。世界80カ国以上で祝日とされ、例年なら全労連は代々木公園で、全労協は日比谷野外音楽堂で集会を開きます。
 最大の労働組合全国組織(ナショナルセンター)である連合は、連休が始まる前に集会を開いていました。今年は、新型コロナウイルスへの感染を避けるということで、どこも集会を開かずインターネットでの動画配信にとどめています。

 メーデーは、1886年5月1日に、8時間労働日と労働条件の改善を求めてシカゴの労働組合がストライキを行ったのが始まりです。その時のスローガンは、「第1の8時間は労働に、第2の8時間は休息に、そして残りの8時間はわれらの自由に」というものでした。
 このメーデーが初めて日本で開催されたのは1920年5月2日のことです。今年は100年目に当たりますから、盛大に祝われるはずでした。
 世界で初めてのメーデーから130年以上、日本での最初のメーデーからでも100年の歳月が経過しています。それにもかかわらず、8時間労働日の実現という目標はいまだに実現していません。

 今年のメーデーは新型コロナウイルスの感染危機というかつてない状況の下で迎えることになりました。緊急事態宣言が出され、さらに1カ月ほど延長されると報じられています。
 自宅での滞在や営業の自粛が呼びかけられ、経済活動や雇用に打撃的な影響が懸念されています。このような状況の下で「労働者の祭典」をどう迎えるべきだったでしょうか。
 働く人々の雇用や労働がかつてない危機に直面している状況ですから、連合や全労連、全労協などが力を合わせて危機打開の方向を示すべきだったのではないでしょうか。せめて、連名で労働者を励ますような共同宣言などを出せれば良かったと思います。

 3つの労働組合全国組織は、それぞれが支持したり協力関係を持ったりする政党を異にしています。これはそれぞれの労働組合全国組織の立場や政策の違いを反映したものです。
 しかし、すでに市民と野党の共闘は進み、野党間の連携は様々な実績を残してきました。今回の補正予算をめぐる国会審議でも、野党は統一した対応を行っています。
 残念ながら労働組合分野ではこれに対応した共同行動は実現していません。コロナ禍による雇用と労働の危機においてこそ、このような共同した対応が必要だったのではないでしょうか。

 まだ、遅くはありません。これから緊急事態宣言が延長されれば、経済と雇用、労働と生活の危機はかつてないほど深刻なものとなるでしょう。
 立場や潮流の違いを超え、労働組合全国組織が力を合わせることによってこの危機を乗り越えることが必要です。そのことが今ほど求められている時はありません。
 それはコロナ禍に苦しむ労働者を守り支える大きな力となるでしょう。さらには、市民と野党の共闘を強めて政治を変える新た力を生み出し、将来的には統一したメーデーの開催に結び付くかもしれません。

 分断ではなく連帯を。対立ではなく共同の力の発揮を。
 そうしてこそ「労働者の祭典」を、本当の意味で祝うことができるのではないでしょうか。新型コロナウイルスが生み出した危機によって、労働者を守るべき労働組合の真価も問われているように思われます。

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