6月27日(月) 大軍拡・9条改憲論に乗せられてはならないこれだけの理由(その1) [参院選]
「平和を守るために 防衛力偏重は打開策か」
これは今日付けの『東京新聞』の社説です。これを読んで、私なりの警告を発しなければならないと思い、急遽「大軍拡・9条改憲論に乗せられてはならない理由」を書くことにしました。
これは講演などで繰り返し話してきたことですが、改めて強調する必要があるように感じました。というのは、「防衛力偏重」を批判したこの社説ですら「厳しさを増す周辺情勢に応じて防衛力を整備する必要性は認めるとしても」と書いていたからです。
「なんだ。防衛力を整備する必要性は認めるんかい」と思いました。「防衛力の整備」はしても「偏重」してはならないというのが、東京新聞の立場だということになります。商業新聞の社説としては、ここまでが限界ということでしょうか。
しかし、私の主張は違います。「整備する必要性」があるのは外交力であって、必要なのは外交・安全保障政策の自主性自立性です。
社説は「世界や日本周辺の情勢をこれ以上、緊張させないために何をすべきか」を問い、「短期間に防衛費を倍増すれば、周辺諸国の警戒を招いて軍拡競争に拍車をかけ、逆に緊張を高める『安全保障のジレンマ』に陥りかねない」と警告しています。財源も示されていないこと、世界第3位の「軍事大国」になること、「敵基地攻撃能力を持てば先制攻撃の意図を疑われる」こと、そうなれば「専守防衛」とは言い切れず、「平和国家の道から外れてしまうのではないか」とも書いています。これらの指摘はすべて正しいものですが、批判としては中途半端で弱いと言わざるを得ません。
5年という短期間に倍増されなくても米製兵器の爆買いなどですでに防衛費は増え続けており、日本周辺の情勢は緊張と厳しさを増しています。「これ以上、緊張させないために」は防衛力整備を口実とした軍拡路線をストップさせ、憲法9条の路線に立ち戻ること以外にありません。
社説は「防衛力の主眼は、日本を攻撃しても反撃されて目的を達することができないと思わせる『抑止力』だ」と指摘しています。これもよく知られている一般的な説明ですが、問題は「思わせる」というところにあります。
「目的を達することができない」と思うかどうかは相手国の主観(意図)に委ねられており、そう「思わせる」ためにどのような軍事力がどれだけ必要なのかは不明です。そのために「軍拡競争に拍車をかけ」、逆に緊張が高まる「ジレンマ」に陥ることになります。このようなジレンマにすでに陥り緊張を高めているのが、今の日本ではないでしょうか。
5年間に防衛費を倍増するという大軍拡論だけではありません。敵基地攻撃能力保有論も、相手国の懸念を強め緊張を高めることは明らかです。
相手国のミサイルが発射される前にその国の中枢部を攻撃するというのですから、日本からの攻撃が先になります。「反撃能力」と言ってゴマ化しても、先に攻撃すれば「先制攻撃」にほかならず、防衛のための「特別軍事作戦」だと言ってウクライナを攻撃したプーチンと変わりありません。
「専守防衛」だとの言い訳は通用せず、先制攻撃を禁じた国連憲章に違反し、今日のロシアと同様、国際的に孤立することは明らかです。すでに日本でこのような議論が堂々となされ、それが国政選挙で与党や一部野党の公約とされているという事実は、「軍事大国」となって先制攻撃を行うと国際社会に向けて宣言し、「平和国家の道」からの離脱を表明しているようなものではないでしょうか。(明日に続く)
これは今日付けの『東京新聞』の社説です。これを読んで、私なりの警告を発しなければならないと思い、急遽「大軍拡・9条改憲論に乗せられてはならない理由」を書くことにしました。
これは講演などで繰り返し話してきたことですが、改めて強調する必要があるように感じました。というのは、「防衛力偏重」を批判したこの社説ですら「厳しさを増す周辺情勢に応じて防衛力を整備する必要性は認めるとしても」と書いていたからです。
「なんだ。防衛力を整備する必要性は認めるんかい」と思いました。「防衛力の整備」はしても「偏重」してはならないというのが、東京新聞の立場だということになります。商業新聞の社説としては、ここまでが限界ということでしょうか。
しかし、私の主張は違います。「整備する必要性」があるのは外交力であって、必要なのは外交・安全保障政策の自主性自立性です。
社説は「世界や日本周辺の情勢をこれ以上、緊張させないために何をすべきか」を問い、「短期間に防衛費を倍増すれば、周辺諸国の警戒を招いて軍拡競争に拍車をかけ、逆に緊張を高める『安全保障のジレンマ』に陥りかねない」と警告しています。財源も示されていないこと、世界第3位の「軍事大国」になること、「敵基地攻撃能力を持てば先制攻撃の意図を疑われる」こと、そうなれば「専守防衛」とは言い切れず、「平和国家の道から外れてしまうのではないか」とも書いています。これらの指摘はすべて正しいものですが、批判としては中途半端で弱いと言わざるを得ません。
5年という短期間に倍増されなくても米製兵器の爆買いなどですでに防衛費は増え続けており、日本周辺の情勢は緊張と厳しさを増しています。「これ以上、緊張させないために」は防衛力整備を口実とした軍拡路線をストップさせ、憲法9条の路線に立ち戻ること以外にありません。
社説は「防衛力の主眼は、日本を攻撃しても反撃されて目的を達することができないと思わせる『抑止力』だ」と指摘しています。これもよく知られている一般的な説明ですが、問題は「思わせる」というところにあります。
「目的を達することができない」と思うかどうかは相手国の主観(意図)に委ねられており、そう「思わせる」ためにどのような軍事力がどれだけ必要なのかは不明です。そのために「軍拡競争に拍車をかけ」、逆に緊張が高まる「ジレンマ」に陥ることになります。このようなジレンマにすでに陥り緊張を高めているのが、今の日本ではないでしょうか。
5年間に防衛費を倍増するという大軍拡論だけではありません。敵基地攻撃能力保有論も、相手国の懸念を強め緊張を高めることは明らかです。
相手国のミサイルが発射される前にその国の中枢部を攻撃するというのですから、日本からの攻撃が先になります。「反撃能力」と言ってゴマ化しても、先に攻撃すれば「先制攻撃」にほかならず、防衛のための「特別軍事作戦」だと言ってウクライナを攻撃したプーチンと変わりありません。
「専守防衛」だとの言い訳は通用せず、先制攻撃を禁じた国連憲章に違反し、今日のロシアと同様、国際的に孤立することは明らかです。すでに日本でこのような議論が堂々となされ、それが国政選挙で与党や一部野党の公約とされているという事実は、「軍事大国」となって先制攻撃を行うと国際社会に向けて宣言し、「平和国家の道」からの離脱を表明しているようなものではないでしょうか。(明日に続く)
2022-06-27 11:11
nice!(0)