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“赤城おろし”の冷たい風に耐えられなかったのか? [内閣]

 “赤城おろし”の冷たい風に耐えられなかったからでしょうか。とうとう、赤城農水相が辞任しました。
 これで、安倍内閣での閣僚の交代は4人目になります。参院選敗北の全責任を取らされた形での辞任でした。

 赤城辞任は、「辞任」ではありますが、自らの意思で辞めたものではありません。安倍首相に強いられ、詰め腹を切らされたのです。
 辞任する直前、赤城さんは赤坂の議員宿舎を出るとき、記者団に対し「任期の間は全力でやっていきたい」「進退は首相の判断次第」として、自ら辞任することについては否定していました。ところが、安倍さんに官邸に呼び出されて、「あなたはまだ若いんだから、事務所を立て直し、一から出直してほしい」と辞任を求められました。
 赤城さんは「わかりました」と応じ、その場で便せんに辞表をしたためたそうです。辞表を持参していなかったというところに、自分から辞めるつもりはなかったということがはっきりと示されています。

 それでは、どうして安倍首相はこの時点で赤城さんの首を切ったのでしょうか。あれほど赤城さんをかばっていたのに……。
 「どうせ辞めさせるのなら、何故もっと早く辞めさせなかったのか」という声があります。この時点での「更迭」は、最悪のタイミングだという声もあります。
 それなのに、どうしてこの時点なのでしょうか。

 一つの理由は、新たな問題が持ち上がったことです。さすがの安倍さんも、「もうこれまで」と思ったのでしょう。
 いや、「これがチャンス」と考えたのかもしれません。新たな問題を口実に、赤城さんんを閣外に追い出すことができるからです。
 新たな問題というのは、赤城さんが代表の「自民党茨城県第1選挙区支部」が、後援会あての請求書を収支報告書に添付し、経費を計上していたことが分かったことです。また、政党支部の04年分の政治資金収支報告書で記載されていた「印刷物発送費」約12万円分の支出先の郵便局名と、添付されていた領収書の発行元の郵便局名が異なっていることも明らかになりました。

 安倍さんは、選挙が終わった時点から、“赤城切り”を考えていたに違いありません。首を切るチャンスを待ちかまえていたのです。たまたま、新たな問題が判明し、「待っていました」とばかりに、「辞任」を強要したのでしょう。
 それは、何としても臨時国会が始まる前に、赤城さんを内閣から追い出したいと思っていたからです。これが、もう一つの理由です。
 臨時国会が始まれば、今回の選挙で苦戦しつつも当選した自民党の新しい参院議員やその応援で全国を走り回った衆院議員が国会にやってきます。正面の閣僚席に座った赤城さんを見て、これらの人はどう思うでしょうか。

 赤城さんの姿を見て、自民党の議員たちは改めて怒りを燃やすかもしれません。自民党と共に批判を浴びた公明党の議員も、選挙戦の苦労を思い出すことでしょう。
 そうなると、参院選の敗北に対する責任論が再燃する可能性があります。当然、最高指揮官であった安倍首相への批判も強まるでしょう。
 一度は葬った辞任論が、再び首をもたげるおそれがあります。それを避けるための“赤城切り”だったのです。それが「この時点」になったのは、選挙敗北に対する責任論の再燃を避けたいという安倍首相の個人的な思惑からでした。

 目的は自らの地位を守ることにあります。自らの政治プログラムや政策構想、政治理念が拒絶されたと思っていない安倍首相は、居座ることが“善”だと考えているのです。世論無視の「確信犯」だという点では、国民多数の反対を押し切って安保条約の改定を強行した岸首相と同じです。
 このとき、岸首相は「声ある声」を無視し、「声なき声」に従うことが“善”だと考えました。今、安倍首相も、本当は自分を支持しているはずの「声なき声」に従っているつもりなのでしょう。
 しかし、「声ある声」は現実ですが「声なき声」は幻想にすぎません。幻の「声」を信じた岸首相は、世論の批判に逆らえず辞任します。同様に、幻の「声」を信じている安倍首相もまた、やがては辞任せざるを得なくなるでしょう。それが、民主政治というものです。

 安倍首相は、一刻も早くその地位を去るべきです。首相の地位を失ったからといって、がっかりすることはありません。
 安倍さん。「あなたはまだ若いんだから」、「一から出直」せば、「再チャレンジ」の道も残されているでしょう。民意に従うことこそ、「美しい国」におけるトップリーダーの出処進退ではありませんか。