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10月25日(月) 市民と野党の共闘こそが「勝利の方程式」(その2) [論攷]

〔以下の論攷は、五十嵐仁・小林節・高田健・竹信美恵子・前川喜平・孫崎享・西郷南海子『市民と野党の共闘で政権交代を』あけび書房、2021年、に収録された拙稿です。3回に分けてアップさせていただきます。〕

 総選挙はどうなるのか

 自公政権の新型コロナウイルス対策とオリンピック・パラリンピック(以下、オリ・パラ)の開催強行に対する批判も極めて大きい。このことは、自民が敗北し、都民ファーストが留まり、立憲・共産が善戦したことにはっきりと示されています。オリ・パラやコロナの感染状況がどうなるかにもよりますが、基本的に総選挙でもこの傾向は続くと思います。
 今後の展開を予測するうえでは、2009年に起きた政権交代の例が参考になります。この年も9月に衆院議員の任期切れが迫り、7月に都議選が実施されました。前年のリーマン・ショックや政治スキャンダルもあって麻生政権に対する不満と批判が高まり、8月の解散・総選挙で自民党は歴史的な敗北を喫して鳩山政権に交代しました。
 2009年8月30日の総選挙は、小選挙区300、比例区180の計480議席で争われました。自民党は公示前の300議席から119議席へと惨敗して初めて第1党の座を失い、公明党も31から21議席へと10減になりました。自公両党は合計140議席にとどまり、過半数の241議席を大きく下回っています。
 他方の野党は、民主党が115議席から2倍以上の308議席の第1党となり、地滑り的な勝利を収めました。共産党は9議席、社民党は7議席と公示前勢力を維持し、みんなの党は4議席から5議席に、国民新党は4議席から3議席、新党日本が1議席、新党大地も1議席となっています。
 これに先立つ都議選での当選者は自民38議席で、戦後最低の議席数でした。今回の当選者数は前回の24議席からは回復しましたが、この2009年の時より3議席少ない35議席で、戦後2番目の敗北です。

 2009年の政権交代と似通った状況になっていますが、そのときよりも国民の苦難は大きいのではないでしょうか。新型コロナウイルスの感染拡大で命がかかっている状況です。商売ができなくて職を失う。若者やひとり親家庭の生活苦は深刻で、食もままならず、女性の自殺率も高い。菅政権や自民党の支持率が回復する要素はほとんど見当たりません。
 菅義偉首相はワクチン接種とオリ・パラの成功に賭けてきましたが、これもうまくいく見込みがなくなってきました。オリ・パラは開催できても、緊急事態宣言下という異常な状況で国民の冷ややかな視線にさらされての強行です。成功とはほど遠く開催自体が目的となってしまいました。ワクチン接種も大混乱で、思惑通りに進んでいません。
 都議選でもオリ・パラの開催中止や延期を訴えていた候補に票が入り、都民の「こんな時にオリンピックかよ」という気持ちがにじみ出るような結果でした。菅首相が考えているように、コロナを抑え込んでオリ・パラを成功させて選挙に勝つことができるのか、暗雲が漂ってきています。国民の命を賭けて大きな博打を打って良いのかが問われていると思います

 新自由主義的な政治経済からの転換

 総選挙の争点の一つは、新自由主義を続けるのか、転換するのかという点にあります。新型コロナウイルスの感染拡大とその対策で明らかになったように、新自由主義的な政治や経済、社会のあり方が大きな脆弱性を持ち、根本的な限界が明らかになったからです。
 日本を含めた第2次世界大戦後の世界は、公共の力で資本活動を制御する仕組みを基本としてきました。資本の好き勝手を許さず、経済や社会に公的な力が介入したのです。いわゆる「修正資本主義」的な仕組みで、ヨーロッパなどの福祉国家がその典型でした。
 しかし、石油ショック後の新自由主義への転換によって「官から民へ」が主流となり、規制緩和や民営化が進められ、企業活動を最優先して邪魔になるセーフティネットを減らしてきました。自己責任や効率優先によって稼ぐことを目的に政治や経済を運営してきたために、医療・介護・保育・教育・福祉などが削られ、ケアに弱い社会を作ってきてしまった。これを再転換し、新自由主義的な自己責任・効率優先の社会からケ人々の命と生活を守るケア優先の社会へと変えていけるかどうかが、今度の総選挙での最大の争点です。

 もう一つの争点は、時代遅れの政治や政治家を一掃して世界標準の思考やルールへと根本的に転換することです。政治が問われているのは、従来の「右か左か」だけではありません。「新しいか古いか」という観点が付け加わってきています。いまの日本は、世界の潮流となっている「時代の流れ」がまったく分からないような人たちに政権が担われているからです。
 「反核の時代」になっているのに、いまだにアメリカの核兵器の傘に頼り、核爆弾の唯一の被爆国でありながら国連の「核兵器禁止条約」に参加できない。東日本大震災と福島第一原発事故で大きな被害を受けながら脱原発の方向に転換できない。いまだに原発の電力に頼ろうとしている政治家がいます。もう再生可能な電力に転換するときでしょう。
 環境問題にも真剣に取り組むべき時代になっています。今回のコロナウイルスの拡大にしても、大企業のやりたい放題で開発を進めてきたツケが回って来たようなものです。利益を高めるために際限なく自然を破壊し市場を拡大していくようなやり方では、もう地球は持たない。
 人間の尊厳を守り、個性を尊重し、差別を許さない社会への転換も、世界全体が直面している今日的な課題です。反ヘイト、人種差別反対、奴隷貿易や植民地支配の歴史の見直し、ジェンダー平等を進めて多様性を認める社会のあり方が模索されています。SDGs(持続可能な開発目標)をめざし、性的少数者であるLGBTQの権利を守り、選択的夫婦別姓を認めることは当たり前ではないでしょうか。
 このような方向に切り替えていく点で、日本の政治も政権党の政治家も極めて遅れています。大きく転換するためには、「古い政治」を担ってきた古い政治家たちを一掃しなければなりません。この点でも、日本を含む世界全体が時代の転換期にさしかかっていることを自覚すべきです。

 ホップ、ステップ、ジャンプで政権交代へ

 この本のタイトルは『市民と野党の共闘で政権交代を』ですが、まさに機は熟したといって良いでしょう。「古い政治」に代わる「新しい政治」を新しい政府が担う必要性・必然性が明白になってきているからです。それだけではありません。それを担うべき勢力も生み出されてきています。
 2009年の政権交代はある意味、麻生政権の「敵失」による「風頼み」によるものでした。今回は準備万端、整ったうえでの「決戦」ということになります。これまで野党共闘の実績と経験を積んできたからです。このような共闘の力は政権が誕生してからも大きな意味をもちます。「草の根」で連合政権を担い支える地域での基盤が出来上がりつつあるからです。
 秋の総選挙での政権交代に向けて、立憲野党は4月25日の北海道、長野、広島の3選挙全勝でホップ、今回の都議選の議席増でステップと勢いをつけてきました。この成果を「踏み台」に、野党連合政権の樹立による政権交代に向けて大きくジャンプすることが必要です。
 小選挙区制は勢いがついたら止まらない、一気に変わる、中途半端にならない結果を生むという特徴があります。都議選でも市民と野党の共闘の威力をはっきりと示したのは、1人区でした。小金井選挙区は野党の各政党・政派が協力して推薦した無所属候補が当選し、武蔵野選挙区では野党共闘で応援された立憲民主党の候補者が当選しました。野党が共闘した共産の候補者も4選挙区でトップ当選しています。対立構図によっては、小選挙区でも当選できる可能性を示したと言えます。

 ただし、秋の総選挙で一気に野党連合政権が実現できなくてもがっかりすることはありません。たとえ政権交代が実現しても。衆参の多数が異なる「ネジレ国会」なるだけですから。しばらくこの状態が続き、下野した自民・公明両党は連合政権の足を引っ張ろうと妨害活動を展開するでしょう。
 本当の「勝負」は、来年(2022年)7月の参議院選挙の際にやってくることになります。野党連合勢力が参院で過半数を超えることで、初めて安定した連合政権になる。この時までは、「過渡期の政権」ということになります。
 今度の総選挙で自民党が減ることは避けられません。問題はどれだけ減るかです。単独過半数を割るか、あるいは公明党を加えた自・公で過半数を割るか。さらには維新や国民まで入閣させて政権を維持するか。それでも足りなければ、これはもう政権交代です。
 自・公や維新・国民をかき集めてなんとか過半数を超えてしのいだとしても、次のチャンスは来年7月の参議院選挙でやってきます。この選挙で野党共闘側が多数を取れれば、夏から秋にかけて与党連合を解散・総選挙に追い込んで「最終決戦」を挑むことができます。
 このように、今度の総選挙でたとえ野党が多数にならなくても、政権交代の可能性は残ります。来年の参議院選挙と、その後の解散・総選挙の可能性というプロセスがあり得るからです。今年から来年にかけての1年間、日本の政治はまさに激突と激動の時代を迎えるにちがいありません。

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