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7月14日(木) この夏を脱原発に向けての分岐点に [原発]

 脱原発に向けて、大きな岐路を曲がりつつあるようです。日本の政治にとっても、将来のエネルギーや生活のあり方においても、重大な転換点となることでしょう。

 昨日、菅首相は官邸で記者会見し、今後のエネルギー政策について「将来は原発がなくてもやっていける社会を実現する」と述べて、長期的には原発のない社会を目指す考えを表明しました。首相は福島第1原発の事故後、現在のエネルギー基本計画の見直しに言及していましたが、「脱原発」に転換する方針を明確に打ち出したのは、これが初めてです。
 この方向を堅持しなければなりません。この夏を、「あの時、日本の進路は変わったのだ」と、後世になってから振り返ることのできる分岐点としなければなりません。
 私は、6月9日のブログ「菅首相は脱原発への転換によって歴史に名を残せ」で、「脱原発に舵を切った首相として名前を残せるチャンスを、是非、逃さないでいただきたいものです」と書きました。菅さんは、今回の表明によって、この「チャンス」を生かしたことになるでしょう。

 ただし、「原発に依存しない社会を目指すべきだと考え、計画的、段階的に原発依存度を下げる」と言いながらも、その時期など具体的な目標は「中長期的展望に基づいて議論し固めていきたい」と述べるにとどまったという問題はあります。また、原発の再稼働についても「私を含め4人の大臣で判断する。大丈夫となれば稼働を認めることは十分あり得る」と述べるなど、不十分で中途半端な点もあります。
 それでも、この表明の歴史的な意義は消えません。日本のエネルギー政策の根本的な転換に向けて一歩前進したことは明瞭です。

 しかも、これに足並みをそろえるかのように、昨日、二つの注目すべき動きがありました。一つは、『朝日新聞』の一面に掲載された「原発ゼロ社会 いまこそ政策の大転換を」という提言であり、もう一つは、全国知事会議での嘉田滋賀県知事と吉村山形県知事の「卒原発」共同提言です。
 これらもまた、脱原発に向けての動きを強めるものです。菅首相の表明は世界の脱原発に向けての流れにも、国内の世論動向にも添うものであることは明らかです。

 このような菅首相の表明に対して、退陣を表明しているのにおかしいじゃないかとか、場当たり的な思いつきで単なるパフォーマンスにすぎないという指摘があります。政権の延命を図ろうとする邪悪でよこしまな意図が見え隠れするとの批判もあります。
 しかし、問題は意図ではなく結果です。政治とは、そういうものでしょう。
 延命のためであれ何であれ、その結果、脱原発へと転換する道筋が表明されたことは、大いに評価したいと思います。具体論についての言及がなく、今後、巻き返しにあう可能性もありますが、それはこれから詰めていけばよいことです。

 政権延命のためのパフォーマンスついでに、いっそのこと消費税引き上げやTPPへの参加方針も見直したらどうでしょうか。それに加えて、普天間基地の辺野古移転日米合意の撤回と国外移設を打ち出してもらいたいものです。
 そうすれば菅内閣の支持率は急浮上し、政権延命の効果は絶大なものとなるでしょう。居座りに執念を燃やす菅首相には、ぜひ、検討していただきたいところです。
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7月12日(火) 岸本組への受注は17億円ではなく78億円弱だった [原発]

 驚きましたね。岸本組への受注は17億円ではなく78億円弱だったとは。
 昨日のブログで、私は次のように書きました。

 「岸本組」は九州電力玄海原発がある佐賀県玄海町の岸本英雄町長の実弟が経営している建設会社です。岸本さんが町長に就任した2006年8月以降の4年8カ月間で、電源立地地域対策交付金などの“原発マネー”を財源に使った町発注工事と九電発注の玄海原発関連工事を少なくとも約17億円分も受注したとされています。

 しかし、岸本組が得ていた受注額は、この程度のものではなかったようです。今日の『朝日新聞』には、「玄海町長の弟の建設会社、九電から54億円受注」という見出しで、次のように書かれていました。

 九州電力玄海原子力発電所がある佐賀県玄海町の岸本英雄町長の実弟が社長を務める建設会社「岸本組」(本社・同県唐津市)が、1994~2009年度(決算期は5月~翌年4月)の16年間に九電から少なくとも約54億円分の工事を受注していたことが分かった。
 ……
 佐賀県に提出された岸本組の工事経歴書によると、16年間に玄海原発内の建設や修繕で約54億円分の工事を九電から受注。同じ期間に、電源立地地域対策交付金や県核燃料サイクル補助金など電源三法交付金を利用した町発注工事も約23億7千万円分受注している。
 09年度の岸本組の売り上げは約41億5千万円。うち約1億6230万円(3.9%)が九電発注、約4億4990万円(10.8%)が同交付金を使った町発注の工事だった。

 昨日のブログで紹介した数字は「2006年8月以降の4年8カ月間」のもので、『朝日新聞』が報じたのは「1994~2009年度」の「16年間」に及んでいます。対象の期間が長くなれば、受注額が多くなるのは当然でしょう。
 それにしても、すさまじい額です。岸本組が九電と玄海町から受注していた額は、合計して78億円近くにもなるのですから……。
 『朝日新聞』の記事の見出しにある54億円というのは「九電から受注」したものだけです。岸本組は、それに加えて「電源三法交付金を利用した町発注工事も約23億7千万円分受注」していました。

 「09年度の岸本組の売り上げ」でみれば約6億円、全体の14%ほどが九電関連になります。岸本町長が九電の意に沿う形での決定を行おうとしたのも、十分に理解できるような数字です。
 しかし、それは住民の命と生活を守るべき町長としての立場を充分にわきまえたものであったのかといえば、大いに疑問です。ストレステストなどによって玄海原発の安全性についての確証が示される以前に、再稼働を承認しようとしたのですから……。
 岸本町長の対応に、公的な責任よりも私的な利害を優先するという問題は無かったのでしょうか。玄海原発の再稼働への合意を表明した後にストレステストの実施方針を示された岸本町長は「2階に登ってハシゴを外された」と憤っていましたが、九電の意を忖度するあまり、急いでハシゴを登ってしまった岸本町長自身の対応にこそ問題があったのではないでしょうか。

 岸本町長はあんなに急いで再稼働に「イエス」と言おうとしなければ良かったんです。そうすれば、「ハシゴを外された」などと言って赤っ恥をかくこともなったでしょうに……。

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7月11日(月) 原発の背後に広がる大きな闇 [原発]

 原発の背後には大きな闇が広がっているということでしょうか。その一つの例が「やらせメール事件」でした。

 原発は安全だということに自信と確信があれば、何も「やらせメール」によって世論工作をする必要はなかったでしょう。今回の事件は、九電がそのような自信を失い、裏から手を回して誘導しなければ世論の支持が得られないと判断していたことを示しています。
 それは、今回だけのことではなかったのではないでしょうか。これまでも当然のこととしてなされていたために今回も機械的になされ、それが発覚したときにも、どうして問題なのかが理解できなかったように見えます。
 佐賀県庁も背後でこのような働きかけがあることを知っていたのではないでしょうか。情報を入手した共産党の福岡県委員会が県に通知していたにもかかわらず、全く対応していなかったのですから……。

 このような電力会社による裏からの働きかけは、世論工作だけではなかったようです。原発の地元の首長や議員への利益提供というもう一つの闇にも、ようやく光が当たるようになってきました。
 報道によれば、佐賀県の古川知事の政治団体「康友会」と「古川康後援会」に対して、2006年から09年まで、佐賀支店長と玄海原発所長がそれぞれ年3万円を献金していたそうです。人事異動で役職を交代すると、後任が継承する形で献金していたと言いますから、個人の自発的な意志に基づく献金ではなかったということは明瞭です。
 もし、個人献金を装った企業献金であったとすれば、政治資金規正法違反に当たります。企業献金は政党支部に対してだけ認められ、知事の政治団体に対しては認められていませんから……。

 また、別の形での利益提供も報じられています。これは建設会社「岸本組」に対する工事の発注という形を取ったものです。
 「岸本組」は九州電力玄海原発がある佐賀県玄海町の岸本英雄町長の実弟が経営している建設会社です。岸本さんが町長に就任した2006年8月以降の4年8カ月間で、電源立地地域対策交付金などの“原発マネー”を財源に使った町発注工事と九電発注の玄海原発関連工事を少なくとも約17億円分も受注したとされています。
 つまり、町長としての兄が弟の会社に工事を発注したというわけです。町長である岸本さん自身も、主要株主として株式の売却益や配当金で約1000万円も稼いでいたといいますから、「原発様々」というところでしょうか。

 以上は九電と玄海原発についてですが、女川原発(宮城県女川町・石巻市)や東通原発(青森県東通村)を持つ東北電力についても、別の形での利益供与が報じられています。役員報酬として県議に現金を渡していたというのです。
 地元の宮城・福島・青森3県の県議会議員のべ77人が東北電力の役員として迎え入れられ、月1回の役員会に出席するだけで年200万円超の報酬を得ていました。しかも、これは原発を推進してきた自民党会派内だけでの持ち回りポストだったと言いますから、まさに「役得」そのものです。
 このようにして、県議は東北電力に買収されていたということになります。原発の危険性に対する議会のチェックなどが効くはずがありません。

 このようにして、電力会社は地元の首長や議員を「買収」してきました。玄海原発の再稼働受け入れに対して、地元の玄海町の岸本町長がいち早く承認の姿勢を見せた背景には、このような事情があったのです。
 しかも、このような「買収」の原資は電力料金であり、最終的には電気代に上乗せされて利用者が支払うことになります。原発周辺の住民は、ひとたび原発事故が起きれば大きな犠牲を払わされるにもかかわらず、電気代という形で原発推進の原資を負担させられ、そのようなリスクの増大に協力させられて来たということになります。
 踏んだり蹴ったり、ということでしょうか。このような悪循環は断ち切られなければなりません。

 ところで、以上に紹介したのは九電と東北電力の2例ですが、他の電力会社の場合はどうなのでしょうか。他の原発の地元でも首長や議員への利益提供などはないのでしょうか。
 今こそ、マスコミは原発利権の実態を暴くべきでしょう。原発の背後に広がる大きな闇に光を当てることによって、マスコミ本来の役割を取り戻すべきではないでしょうか。
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7月8日(金) 九電「やらせメール」は誰の指示だったのか [原発]

やっぱり、課長級の社員が勝手にやったものではありませんでした。九電「やらせメール」の発信です。

 もともと、メールの形式や内容からして「私信」でないことは明らかでした。企業社会の常識からして、個人としての社員が「国主催の佐賀県民向け説明会へのネット参加について」という表題で「協力会社本店 各位」に宛てて、勝手にメールを出すなどということはあり得ませんから……。
 もっと上位の誰かからの指示でメールを出させられたことは、当初からはっきりしていました。「そんなことをするのは、まずいんじゃやないか」と思っていても拒否できません。
 中間管理職である課長の辛いところです。その課長に指示できるとすれば、その上の部長か、さらにその上の役職者ということになります。

 そして、今日、一斉に、それが誰であるかが報道されました。九電の原発担当の元副社長や原子力発電本部長だった元常務だそうです。
 この2人は、すでに6月一杯で退職しているそうですが、その責任は免れません。もちろん、原子力部門トップ2の指示があった事実が明らかになったのですから、真部利応社長の責任も免れず、辞任は避けられないでしょう。
 昨日の『朝日新聞』の「天声人語」では、「やらせメール」を「サクラメール」と呼んでいました。これで社長辞任となれば、「サクラメール」で「桜散る」ということになります。

 ところで、この「やらせメール事件」の背後関係はこれで解明されたのかという疑問が残ります。ここで、一連の流れを振り返っておきましょう。
 この事件の発端は、6月18日に海江田経産相が「運転停止中の原発の再稼働は可能」との見解を表明したところにありました。21日には、玄海原発について住民の参加を限定した国の説明会の計画は「身勝手なやり方だ」として市民グループが県に抗議しています。
 そして、その翌日(22日)に、問題のメールが送られていたのです。番組形式の説明会が開かれたのは6月26日で、その3日後の29日、海江田経産相は福島原発の事故後初めて佐賀県の玄海町を訪問し、安全性を説明したうえで、町長に直接、原発の再稼働を要請しています。

 つまり、停止中の原発の再稼働方針は経産省が打ち出したもので、その突破口として狙われたのが玄海原発だったのです。番組形式の説明会の主催者も県ではなく経産省であり、説明したのも県の役人ではなく経産省の下にある原子力安全・保安院の担当者でした。
 この説明会で玄海原発の再稼働について、反対ではなく賛成の方向が強まることを最も願っていたのは、一体、誰なのでしょうか。それは九電よりも、むしろ経産省の方だったのではないでしょうか。
 九電の元副社長や元常務は「よろしく頼む」などと部下に伝えたと報じられていますが、この言葉はさらに別の方から伝えられていたということはなかったのでしょうか。東の東京・霞が関の方向から……。

 菅首相のストレステスト実施の指示によって海江田経産相は「はしご」を外されたと言われています。それ以上に「はしご」を外されたのは、停止中の原発の稼働再開を急いでいた経産省であり原子力安全・保安院だったように思われます。
 今回の「やらせメール事件」の背後に、果たしてこれらの勢力の画策はなかったのでしょうか。「やらせメール」をやらせたのは、一体、誰の指示だったのか、九電社内に限らず、とことん追及してもらいたいものです。
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7月7日(木) 電力会社が抱く二つの危機感 [原発]

 「本件は我々のみならず協力会社においても極めて重大な関心事であることから、万難を排して対応に当たることが重要と考えている」
 「ついては関係者に対して説明会開催を周知いただくとともに、可能な範囲で当日ネット参加への協力を依頼するようお願いする」
 「説明会ライブ配信のウェブサイトにアクセスの上、会の進行に応じて発電再開容認の一国民の立場から、真摯に、かつ県民の共感を得るような意見や質問を発信」
 「なお、会社のPCでは処理能力が低いこと等から、是非、ご自宅等のPCからのアクセスをお願いする」

 これは、九州電力が「国主催の佐賀県民向け説明会へのネット参加について」という表題で「協力会社本店 各位」にあてたメールの概要です。この「やらせメール」問題は、昨日の衆院予算委員会で共産党の笠井亮議員が指摘しました。
 菅直人首相は「もし本当なら、けしからん話。しっかりとさせていきたい」と答弁し、海江田経産相も「非常に けしからん。しかるべき措置をする」と答えました。その直後、九電の真部利応社長が記者会見してこの事実を認め、謝罪しています。
 この九電の本社は、私が先日泊まったホテルニューオータニ博多の向かい側にありました。辞任した松本復興担当相と言い、今回の「九電やらせメール事件」と言い、博多関連のニュースが目に付きます。

 こんなメールを出すとは、なんて愚かなことをしたものでしょう。メールは転送すればたちどころに伝わっていきますし、記録が残りますから出所はすぐに分かってしまいます。
 ばれたときの逆効果について、思いが至らなかったのでしょうか。浅はかな愚行だと言うしかありません。
 メールを送ったのは、九電の原子力発電本部の課長級社員で、6月22日に本社の一部と玄海原発などの3事業所、子会社4社の担当者に依頼したとされています。しかし、これは個人名ではなく会社名で送られていますから、「課長級社員」が誰かの指示でメールを送ったことは明らかです。それを指示したのは、一体誰なのでしょうか?

 この「やらせメール」の発覚と共に、政府は全原発を対象に新たに安全性を点検するストレステスト(耐性試験)を行うと発表しました。これは原発再稼働を急ごうとした海江田経産相に対し、脱原発に傾きつつある菅首相が「待った」をかけたためであると見られています。
 このテストには3ヵ月ほどかかるとされています。「やらせメール」が批判を浴び、九電への信頼が地に墜ちたばかりか、新たな条件も加わって玄海原発の再稼働が遅れるのは確実となりました。
 原発の再稼働を急いだ背景には、電力会社が抱いていた二つの相反する危機感があったように思われます。一つは、この夏の電力供給が足りなくなるのではないかという危機感であり、もう一つは、電力供給が足りなくならないのではないかという危機感です。

 電力が足りなくなると大規模停電の恐れが生じ、それを避けるためには計画停電などが必要になります。そうなれば、産業や生活に巨大な影響が及ぶでしょう。
 電力会社が節電キャンペーンを展開し、停止中の原発の再稼働を急いだ理由はここにあります。その焦りが、今回の「九電やらせメール事件」を生んだ背景の一つです。
 どんな手を使ってでも、原発の再稼働を急ぎたいと考えたのでしょう。それが形だけの説明会番組の製作となり、それを利用した世論工作として「やらせメール」の依頼を出してしまったというわけです。

 同時に、もう一つの危機感があったように思われます。それは、もし電力不足を生ずることなくこの夏が無事に乗り切られたらどうしようかという危機感です。
 もしそうなったら、停止中の原発がなくても大丈夫だということが実証されてしまいます。そうならないためには、何基かの原発を再稼働させ、その結果、電力危機を乗り切ったという形を作らなければなりません。
 それは、電力需要がピークを迎える夏場までが勝負です。そして、九電はその勝負に出ようとして、大きな失敗を犯したというわけです。

 その結果、現在停止中の原発が再稼働する可能性はほとんどなくなりました。今度は、私たちが試されることになります。
 夏場の電力供給不足を回避するために、火力発電や大規模事業所の自家発電などによる電力供給を増大させなければなりません。同時に、政府や事業所、公共施設、そして各家庭での電力需要を増やさないための努力も欠かせないでしょう。
 ただし、問題は需要のピーク時での供給量であって、その他の時間での節電は必要ないということです。昼間の午後1時から4時くらいまでの間、電力需要を高めないために汗をかくことが必要です。

 この夏の電力供給が足りなくなるという危機を回避しつつ、同時に電力供給は足りなくならないということを実証しなければなりません。そうすることによって、原発がなくてもやっていけるということを示すための「社会実験」が、今始まろうとしているのです。
 この「社会実験」を成功裏にクリアーすることこそ、脱原発社会に向けての第1歩となることでしょう。そのために、皆さん、大いに汗を流そうじゃありませんか。
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6月29日(水) 原発は莫大な送電線コストや電力ロスを生ずる無駄なシステムだ [原発]

 まだ続きます。今日は「原発は過疎地にしか建設できず、消費地である大都市への長距離の送電線を必要とし、多くの電力ロスを生んでいる」という点について説明しましょう。

 昨日の電源3法交付金についての説明で、「発電する施設と電気を利用する場所とが離れていて、施設のある地元にはメリットがないから」、「交付金によって受け入れるメリットを人為的に作り、発電所の建設などを促進しようとした」と書きました。それなら、「発電する施設と電気を利用する場所」とを接近させればよいことになります。
 東京電力の場合、東電の管内に原発は存在していません。東電が使用している原発の電力は、全て東電管内の外で発電されています。
 だから、「そんなに安全なら、東京に原発を作れば良いではないか」という意見が出るわけです。それはもっともな意見ですが、そうすることはできません。

 何故できないのかというと、1964年5月27日に原子力委員会によって決定された「原子炉立地審査指針及びその適用に関する判断のめやすについて(原子炉立地審査指針)」(1989年3月27日一部改訂)がるかあるです。この原子力立地審査指針によれば、「原子炉敷地は、人口密集地帯からある距離だけ離れていること」とされ、過疎地にしか作れないことになっているからです。
 原子炉立地審査指針は「万一の事故に関連して、その立地条件の適否を判断するためのもの」であり、「原子炉は、どこに設置されるにしても、事故を起さないように設計、建設、運転及び保守を行わなければならないことは当然のことであるが、なお万一の事故に備え、公衆の安全を確保するためには、原則的に次のような立地条件が必要である」として、次のように述べています。

(1) 大きな事故の誘因となるような事象が過去においてなかったことはもちろんであるが、将来においてもあるとは考えられないこと。また、災害を拡大するような事象も少ないこと。
(2) 原子炉は、その安全防護施設との関連において十分に公衆から離れていること。
(3) 原子炉の敷地は、その周辺も含め、必要に応じ公衆に対して適切な措置を講じうる環境にあること。

 そのうえで、以下の3点を「基本的目標」に定めています。

a 敷地周辺の事象、原子炉の特性、安全防護施設等を考慮し、技術的見地からみて、最悪の場合には起るかもしれないと考えられる重大な事故(以下「重大事故」という。)の発生を仮定しても、周辺の公衆に放射線障害を与えないこと。
b 更に、重大事故を超えるような技術的見地からは起るとは考えられない事故(以下「仮想事故」という。)(例えば、重大事故を想定する際には効果を期待した安全防護施設のうちのいくつかが動作しないと仮想し、それに相当する放射性物質の放散を仮想するもの)の発生を仮想しても、周辺の公衆に著しい放射線災害を与えないこと。
c なお、仮想事故の場合には、集団線量に対する影響が十分に小さいこと。

 こうして、「立地審査の指針」を、次のように示しています。

 立地条件の適否を判断する際には、上記の基本的目標を達成するため、少なくとも次の三条件が満たされていることを確認しなければならない。
1 原子炉の周囲は、原子炉からある距離の範囲内は非居住区域であること。
 ここにいう「ある距離の範囲」としては、重大事故の場合、もし、その距離だけ離れた地点に人がいつづけるならば、その人に放射線障害を与えるかもしれないと判断される距離までの範囲をとるものとし、「非居住区域」とは、公衆が原則として居住しない区域をいうものとする。
2 原子炉からある距離の範囲内であって、非居住区域の外側の地帯は、低人口地帯であること。
 ここにいう「ある距離の範囲」としては、仮想事故の場合、何らの措置を講じなければ、範囲内にいる公衆に著しい放射線災害を与えるかもしれないと判断される範囲をとるものとし、「低人口地帯」とは、著しい放射線災害を与えないために、適切な措置を講じうる環境にある地帯(例えば、人口密度の低い地帯)をいうものとする。
3 原子炉敷地は、人口密集地帯からある距離だけ離れていること。
 ここにいう「ある距離」としては、仮想事故の場合、全身線量の積算値が、集団線量の見地から十分受け入れられる程度に小さい値になるような距離をとるものとする。

 これが、原子炉建設の条件です。このような「立地条件」がなければ、原子炉建設に当たっての審査を通ることはできません。
 東京などの「人口密集地帯」ではなく、福島や新潟、福井などの「低人口地帯」でなければならないとされているのです。それは、「著しい放射線災害を与えないために、適切な措置を講じうる環境にある地帯(例えば、人口密度の低い地帯)」のことを意味しています。
 つまり、原子力安全委員会は、「大きな事故の誘因となるような事象が過去においてなかったことはもちろんであるが、将来においてもあるとは考えられないこと。また、災害を拡大するような事象も少ないこと」という「安全神話」に立脚しつつも、万一の事故があるかもしれないことをちゃんと「想定」していたわけです。

 しかし、その場合でも、「人口密集地帯」ではなく「低人口地帯」で「原子炉からある距離の範囲内は非居住区域」とすれば、「放射線被害」を防ぐことができると考えていました。このような考えがまったくの「空想」であったことは、フクシマの現実が雄弁に物語っています。
 いずれにせよ、原子力安全委員会が「人口密度の低い地帯」であれば、万一、事故が起きたとしても、「適切な措置を講じうる」と考えていたことは明らかです。ここには、人口密集地帯の大消費地のために、人口密度の低い農漁村地帯が犠牲になってもやむを得ないという考え方がかいま見えます。
 東京のために福島が切り捨てられるという構図は、原子炉立地審査指針で前提とされていたと言うべきでしょう。それが現実になったのが、今回の事故でした。

 このように、電力の大消費地の近くに発電所を作れないのは、原発の立地条件からして当然のことなのです。その結果として、電気を送るための長い送電線が必要になります。
 そしてそれは、新たな大きな問題を生みます。送電線のコストと電力ロスという問題を……。
 長距離の送電のためには高圧の送電線が必要になり、それには高いコストがかかります。そのような送電線でも、送電中における電力の喪失は避けられません。

 長い距離の送電を可能とするために、日本は100万ボルトという高圧の送電線を敷設しています。このような高圧線のコストは1キロメートル当たり10億円もかかりますから、青森にある東通原発から東京まで送るためには、送電線だけで2兆円ものコストが必要になります。
 このような高圧送電線でも、総発電量の5%ほどが喪失することは避けられません。その結果、2000年度には、1年間で約458億kWhの電力が送電中に失われました。
 これは100万kW級の原子力発電所6基分に相当します。もし、消費地の近くに発電所があり、これほど遠くから電気を送る必要がなければ、このようなコストは避けられ、送電ロスも生じません。

 ここに原発の放射能汚染と並ぶもう一つの弱点があり、小規模分散型の自然エネルギーの優位性があります。原発は大消費地から離れて立地せざるを得ず、高価な送電線と電力ロスを不可避にするからです。
 これに対して、小規模分散型の自然エネルギーは電力消費地の近くで得ることができます。事業所などで自家発電して消費すれば、送電する必要はなく、送電線のコストも電力ロスも生じません。
 この点で、自然エネルギーによる地産地消型の発電システムは原発に勝っています。このような無駄のない発電システムを、何故、促進しようとしないのでしょうか。

 原発は、危険に満ちた無駄な発電システムなのです。まともなビジネスマンなら、それがいかにペイしないものであるかは、容易に理解することができるのではないでしょうか。
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6月28日(火) 電源3法交付金を原発依存を生み出す「麻薬」から自然エネルギーを育てる「肥料」に [原発]

 昨日の続きです。今回は「電源3法交付金なしには原発を建設できず、最終的には料金に上乗せされて電気代を高くしている」ということについて述べることにしましょう。

 ここで言う電源3法というのは、電源開発促進税法、特別会計に関する法律(旧電源開発促進対策特別会計法)、発電用施設周辺地域整備法のことです。これらの法律に基づいて、発電施設の建設や整備のために交付金が支給されてきました。
 それは、発電する施設と電気を利用する場所とが離れていて、施設のある地元にはメリットがないからです。交付金によって受け入れるメリットを人為的に作り、発電所の建設などを促進しようとしたのが、この交付金でした。
 これらが制定されたのは1974年で、田中角栄首相、中曽根康弘通産相の時でした。電源開発をお金で解決しようとしたのはいかにも角栄らしいやり方でしたし、その意を汲んで実行したのが中曽根さんだったというのも、いかにもというところでしょうか。

 それまで、日本の電源開発は火力発電所に比重を置くものでした。しかし、1973年に第1次石油ショックが発生して、火力発電の原料である石油が高騰します。
 原油の輸入に依存する火力発電所は大きな困難に直面し、日本経済の混乱も拡大しました。その結果、石油を原料とする火力発電以外の電源を開発する必要性が生まれ、リスクを分散して火力発電への依存度を低めるために、原子力、水力、地熱による発電を促進しようとして制定されたのが電源3法でした。
 法制定の趣旨は火力発電への依存度を低めるというのが目的で、地熱発電の開発促進なども目指されていたのです。しかし、次第にこれらの自然エネルギーの開発は後景に退き、原子力による発電が前面に出てくるようになりました。

 この交付金の元になっているのは、電源開発促進税というものです。それは、1KWについて37.5銭になり、東京電力管内で毎月約108円が電気料に上乗せされて徴収されています。
 つまり、原発の開発促進のための交付金は電気事業連合会などを通じて電気料金に上乗せされ、利用者の負担とされているわけです。このようにして徴収された税金は、特別会計に関する法律によってエネルギー対策特別会計に組み入れられ、発電用施設周辺地域整備法によって原発を受け入れた自治体に公布されます。
 この交付金の用途は、2002年までは一部の公共用施設に制限されていました。それでは使いにくいということで、2003年以降は地場産業の振興や福祉サービスの提供事業、人材育成などにも使えるように拡充されています。

 たとえば、2004年度の場合、電源3法交付金は約824億円で、福島県には約130億円、柏崎刈羽原発のある新潟県には約121億円、敦賀・美浜・大飯・高浜原発を抱える福井県には約113億円が公布されたそうです。六ヶ所村核燃料再処理施設や放射性廃棄物管理施設のある青森県にも約89億円が渡されています。
 2010年度の場合、標準的な原発(130万kw)1つに対して運転開始前10年間に約450億円、開始後35年間に約1240億円の交付金が支出されています。これらは全て電気を使う利用者の料金でまかなわれたものです。
 そしてこれらのお金は、「福井・敦賀市のきらめき温泉リラポート」に24億3000万円、「青森・六ヶ所村の文化交流プラザ」に31億9000万円などの形で支出されます。こうして、電源3法交付金という「麻薬」によって地元の自治体は「中毒患者」となり、原発なしでは生きられなくなっていくのです。

 電気事業連合会(電事連)が出している発電コストの比較では、1KW当たり原子力5・3円、火力6・2円、水力11・9円となっていて、原子力が一番安いとされています。しかし、立命館大国際関係学部の大島堅一教授が有価証券報告書を元に、これまで原発に払ってきた総コストを発電実績で割り、それに電源開発促進税等の税金を入れて計算した結果、発電単価は原子力が10.68円、火力9.9円、水力7.26円となって一番高いのが原子力発電でした。
 立地や開発の費用、使用済み燃料の再処理費用だけでも11兆円もかかっているといいます。これらの資金は電源3法交付金によってまかなわれており、電事連の発電コストには計算に入れらていませんでした。
 これでは、安くなるのも当然でしょう。しかも、深刻な原発事故が発生した今となっては、事故の収束や汚染水処理のための費用、放射能による被害への賠償金などは数十兆円とされていますが、最終的には一体、どれだけの金額になるかは誰にも分かりません。

 電源3法交付金の使い方を変えるべきでしょう。エネルギー対策特別会計の支出対象を原発から地熱などの自然エネルギーへと転換するべきです。
 脱原発のためのエネルギーシフトを促進するための資金として、電源3法交付金の性格を転換しなければなりません。そうすれば、それは原発依存を生み出す「麻薬」ではなく、「肥料」になることができます。自然エネルギーの芽を大きく育てるための「肥料」に……。

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6月27日(月) 「原発は環境に優しい」というのは事実を無視した弁護論であり無知から生じた誤解だ [原発]

 今回は、24日のブログからの続きです。「発電に使用されているのは原発によって発生する熱量の3分の1にすぎず、残りは温排水として海水の温度を上げ、地球温暖化を促進している」という点について、説明することにしましょう。

 これは、温暖化効果ガス(CO2)を出さないから、地球温暖化防止に効果があるという原発に対する弁護論、ないしは誤解に対する反論です。
 そもそも、地球の温暖化に対してCO2が主要因であるのか、どれほどの寄与をしているのかについては、色々と議論のあることころです。私はこれについては専門的な知見を持たず、おそらく原因の一つではあり、CO2の排出を抑えることは地球温暖化防止にそれなりの効果があるだろうと考えている程度です。
 それを前提にすれば、ここで指摘するべきは、第1に原発は発電時以外にCO2を出していること、第2にCO2を排出するという間接的な方法ではなく、海を温めるという直接的な方法で、地球の温暖化を促進しているということです。

前回にも書いたように、原発の原料はウラン燃料であり、それは鉱石から精製されなければなりません。この生成の過程で、CO2が排出されます。
 このウラン燃料は国内で供給されず、海外から輸入されます。オーストラリアなどから海を渡ってくる過程でもCO2が出ます。
 また、ひとたび事故が起きれば、火力発電所などによる代替電力の供給が必要になりますから、ここでもCO2の排出量が増えます。そして、原子力発電所に事故は付きもので、度々、稼働停止になってきたことは私たちの良く知るところです。

 しかし、原発が抱える独自の問題はCO2の排出という点以外の所にあります。CO2を出さなくても地球を温めているからです。
 それは、原子力による発電という仕組み自体が持っている問題点でもあります。ウラン燃料による核融合反応によって高熱を発生させ、高温の水蒸気でタービンを回転して発電するのが原発だからです。
 このタービンを回すために発生した蒸気を冷却する時、大量の海水を使用するため、発電所は海岸近くに建設されます。当然、排出される海水は蒸気の熱で温度が上昇しますが、この温まった海水が「温排水」です。

 このように、原子力による発電は必ず熱を生みます。しかし、その全量が発電に利用されているわけではありません。
 原子力発電の熱効率は33~35%程度ですから、3分の1ほどしか利用されていないのです。後はどうしているかといえば、日本の原発は全て水冷式ですから大量の温排水が排出され、一部は、魚や貝などの養殖、道路の融雪、建物などの暖房、植物類栽培の温室などに利用されますが、ほとんどはそのまま海に流されます。
 この温排水は7度以下と制限され、取水口と排出口はできるだけ離されることになっています。しかし、繰り返し取水され、温められて排水されれば周辺の海水温は次第に上昇して生態系にも微妙な影響を及ぼし、巨大化や(放射能汚染はないとされていますが)奇形魚の噂なども絶えませんでした。

 このように、日本の原発は、発生される熱量の3分の2を用いて、せっせと周りの海を温めているのです。これを温暖化と言わずして何と言ったらよいのでしょうか。
 CO2による温暖化効果には議論の余地もありそうですが、原発の温暖化効果には議論の余地はありません。最低でも、周辺の海水温を7度上昇させているという事実があるからです。
 しかも、前回説明したように、原発は事故を起こさなくても放射能被ばくを前提とした「悪魔の施設」でした。温暖化よりも放射能汚染の方がずっと環境破壊につながることは明らかでしょう。

 「原発は環境に優しい」などということが、どうして言えるのでしょうか。それは事実を無視した弁護論であり、無知から生じた誤解にほかならないものです。

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6月24日(金) 原発は事故を起こさなくても放射能被ばくを前提とした「悪魔の施設」だった [原発]

 昨日の続きです。「ウラン鉱石の採掘、精製で生ずる放射能残滓、配管の清掃などに際して被曝は避けられず、使用済み核燃料の廃棄と最終処分についての技術も開発されていない」ということについて、説明しましょう。
 これについては、第1にウラン鉱石の採掘と精製、第2に原発稼働中の被ばく、第3に使用済み核燃料の保管と処分の問題があります。

 第1のウラン鉱石の採掘と精製による放射能汚染残滓の問題については、以前、このブログでも書いたことがあります。日本でも昔は人形峠でウラン鉱石を採掘していたことがありますが、今ではオーストラリアなどからの輸入です。
 その輸入されるウラン原料は、鉱山から採掘されます。ウランが含まれていますから、鉱山労働者は被ばくを免れません。
 輸送コストを下げるために、鉱石は近くの精錬所で細かく砕かれて水で洗われ、濃硫酸やアンモニア等の薬品によって精製されます。余った残滓は池に貯められたり野積みされたりして保管されます。

 ウランを含んだ土はトリウムやラジウムなども含んでおり、肺がんや骨肉腫などの原因となります。その水や土が洪水によって周辺の湖や川に流れ込んだりします。
 乾けば乾いたで埃となって飛び散り、回りの広範な土地を放射能で汚染するのです。現在、世界で14カ国がウランの採掘を行っていますが、100万トン以上が採掘されたといいます。
 その残土は16億8000万トン以上に達するそうです。国連科学委員会は人類の最大の被ばく源はウラン鉱山の鉱滓にあると指摘しているほどですが、原発の維持・推進を目指している人々は、この問題をどう考えているのでしょうか。

 第2に、原発が稼働している期間中の被ばくという問題もあります。これについてもほとんど注目されていませんが、無視できるような問題ではありません。
 これには、原発周辺住民の被ばくという問題と原発内で働く原発労働者の被爆の問題があります。前者の周辺住民の被爆問題については、『東京新聞』6月23日付朝刊の「こちら特報部」に、「事故なくても健康被害 一生涯に渡る調査を」という記事が出ていました。
 この記事は、「米国の原子炉や核実験場の周辺住民の乳がん発生率などの増加を示した著書が注目されている」として、ジェイ・マーチン・グールド『低線量内部被曝の脅威』(緑風出版)という本を取り上げ、この本を共訳した戸田清長崎大教授の「実は原発は、事故がなくても健康被害をもたらす。平常運転で放出される放射能で周辺住民が内部被ばくするからです」という言葉を紹介しています。詳しくはこの本をご覧になっていただきたいと思いますが、これまで稼働してきた、あるいは現在稼働中の全ての原発の周辺住民にも、既にこのような被ばくのリスクがあったということでしょうか。

 原発労働者の場合は、もっと直接的な被ばくです。原発はこれまで13ヵ月ごとに定期点検を義務付けられていますが、その際、放射能で汚染された配管などを清掃する必要があります。
 そのために配管の内部に入り込んで放射能を拭き取るという労働が欠かせませんが、その際、ぞうきんで拭き取っていたというのですから、驚くばかりです。さらに驚くべきことに、労働組合である電力総連は電力会社の正社員である組合委員にこのような仕事をさせず、協力社員にやらせるよう求めていたのです。
 このような最底辺の単純労働に従事してきたのが、協力社員と呼ばれる非正規の下請け労働者でした。各地の原発をめぐって被ばく覚悟の仕事に就いたため、「原発ジプシー」とも呼ばれました。

 これらの労働者は、何次にも及ぶ下請け構造の下におかれます。その結果、元請けが一日7万円で請け負った仕事の手間賃が最終的には1万円ほどにしかなりません。
 それでも日給1万円は良い仕事です。暴力団や手配師などを通じて借金でクビが回らなくなった多重債務者がこれらの仕事に送り込まれました。借金を返すために、「女は風俗、男は原発」というのが通り相場だったそうです。
 かつての炭鉱労働者、原発の建設によって土地を奪われた農民や漁場を追われた漁民の多く、近くの町の若者なども、このような仕事に就いたそうです。それが「原発による雇用の創出」の実態でした。

 第3に、使用済み核燃料の保管と処分の問題があります。これは極めて大きな問題であり、原発が「トイレのないマンション」などと言われるのはこのためです。
 これについても、技術、場所、期間の問題があります。これらのどれ一つとっても、解決のメドさえ立っていないのが現状です。
 放射能は技術的に減少させたり消滅させたりすることができません。将来、もしそのような技術が開発されればこの問題はなくなり、「原子力の平和利用」も可能になるでしょうが、現状では自然に減少するのを待つしかありません。

 それが放射能の半減期と呼ばれるもので、それぞれの核種によって異なっています。たとえば、放射性ヨウ素131は8.02日、ストロンチウム90は29年、セシウム137は30年、プルトニウム239は2万4千年、ウラン235は約7億年、ウラン238は45億年という具合に……。
 45億年などと言いますと、ほぼ地球が誕生してから今日までの年数に匹敵します。これからそれと同じ時間が経過しても、放射能は半分にしかなりません。それから45億年経ってさらに半分の4分の1、それからまた45億年で8分の1という具合に、半分ずつ減少していくのを待つだけなのです。
 フィンランドのドキュメンタリー映画『100万年後の安全』で扱われているのが、この問題です。使用済み核燃料の長期的保存といっても、放射能が減少する100万年先まで、どのようにして安全を確保できるのでしょうか。

 日本には、この映画が紹介している地下500mの高レベル放射性廃棄物最終処分場「オンカロ」のような施設はありません。それは今後の課題として残されていますが、どのように解決できるかは誰にも分からないのです。
 これが、「場所」の問題です。どこに、最終処分場を作ったら良いのでしょうか。
 日本国内にそのような場所は見あたらないということで、アメリカと共同でモンゴルに作ろうという計画がスクープされました。でも、自国民にとって危険きわまりない「核のゴミ」を、他国に押し付けるようなことが許されるのでしょうか。

 このように使用済み核燃料の最終的な保管場所もはっきりしていないのに、各地の原発で使用された核燃料の「燃えかす」は増えるばかりです。それは、各地の原発内に一時的に保管されています。
 しかし、その保管場所も次第に満杯になりつつあり、全国平均であと8年もすれば一杯になってしまうと見られています。これが「時間」の問題です。
 使用済み核燃料を再処理して再び燃料として使用するというプルサーマル計画がありますが、これはいまだ「夢」の段階にとどまっています。原発推進を主張している人々は、この「核のゴミ」の後始末の問題をどう考えているのでしょうか。

 このように、原発は事故を起こさなくても、放射能による被ばくを前提とし、多くの問題と危険性を併せ持つ「悪魔の施設」だったのです。その「黒」を「白」と言いくるめて、各地に原発を作り続けてきたのが自民党であり、通産省(経済産業省)や電力会社でした。
 そこには「原発利権」と呼ばれる特別な「旨味」があったからです。しかし、その背後には、放射能に汚染された多くの人々が存在していました。

 原発は、初めからあってはならないものだったのです。電力会社の宣伝などによってこれまで隠されてきた「悪魔」の本質を誰にも分かるような形で明らかにしたのが、今回の福島での原発事故だったのではないでしょうか。

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6月23日(木) 脱原発に向けてどのような対策を取れるかだけが唯一の選択肢なのでは? [原発]

 NHKが「”フクシマ後”の世界~私たちは原発とどう向き合うのか」という番組を企画し、NHKスペシャル「どうする原発」という番組を放送するそうです。そのアンケートに答えました。
 当然、「すべて廃止すべきだ」というのが、私の回答です。この時に送った意見は、下記のようなものでした。

 95年以降、地殻の活動期に入っている日本では巨大地震再発の可能性が高く、原発震災が大きな被害をもたらすことは福島第1原発の事故によって実証された。ウラン鉱石の採掘、精製で生ずる放射能残滓、配管の清掃などに際して被曝は避けられず、使用済み核燃料の廃棄と最終処分についての技術も開発されていない。発電に使用されているのは原発によって発生する熱量の3分の1にすぎず、残りは温排水として海水の温度を上げ、地球温暖化を促進している。電源3法交付金なしには原発を建設できず、最終的には料金に上乗せされて電気代を高くしている。原発は過疎地にしか建設できず、消費地である大都市への長距離の送電線を必要とし、多くの電力ロスを生んでいる。以上、あらゆる面から見て、原発は全て廃止するべきである。

 以下、これについて、もう少し詳しく説明することにしましょう。

 まず初めに、「95年以降、地殻の活動期に入っている日本では巨大地震再発の可能性が高く、原発震災が大きな被害をもたらすことは福島第1原発の事故によって実証された」ということでは、3つの点が重要だと思います。第1に、日本は世界でもトップクラスの地震国だということであり、第2に、90年代頃から地殻の活動期に入っているということであり、第3に、津波による被害だけでなく、地震そのものによる被害も軽視できないということです。

 現在、世界には原発が435基あります。そのうち、アメリカ104基、フランス59基、日本54基、ロシア27基、韓国20基、イギリス19基、カナダ18基、ドイツ17基、インド17基、中国11基などとなっています。
 日本には商業用原子炉54基のほか、日本原子力開発機構の「もんじゅ」もあります。このうち、現在稼働しているのは19基です。
 同じ原発でも、地震の発生可能性や設置されている地盤の堅さによって、原発震災のリスクは異なります。これらの国々のうち、最も地震の発生確率が高いのは地震国である日本であり、地盤の堅さが劣るのも、ほとんどが海岸線の砂岩のうえに立地している日本の原発です。

 つまり、日本という国の海岸線にある原発は、最もリスクが高く、本来であれば存在してはならないはずの原発群なのです。地盤が古く、内陸部にあるフランスなどの原発とは、そこが異なっています。
 「原発が危険だといったって、フランスなど他の国の方が多いではないか」などという言い訳は通用しません。他の国の原発より日本の原発の方が数段、危険性が高いということを無視すべきではないでしょう。
 しかも、世界の中で4つものプレートがひしめき合っている場所は日本しかありません。東から太平洋プレート、北から北米プレート、西からユーラシア・プレート、南からフィリピン海プレートがぶつかり合い、想定されている東海大地震の震源域の中心に位置する浜岡原発の稼働停止は当然のことですが、稼働していなくても地震などで電源喪失となれば、保管されている燃料棒が暴走を始める危険性は常に存在しています。

 しかも、1990年代頃から、日本は地殻変動の活動期に入ったと見られています。今回の東北沖や茨城沖の大地震は、その一環にすぎません。
 1991年には雲仙普賢岳の大噴火があり、95年には阪神・淡路大震災で多くの犠牲者が出ました。その後も、2000年に三宅島の大噴火、04年には新潟県中越地震、07年にも新潟県中越沖地震、08年に岩手・宮城内陸地震と続きました。
 そして、今年に入ってから、新燃岳が噴火し、東北の三陸沖でM9.0という1900年以降では世界第4位の巨大地震が勃発しました。この時、長野県北部と富士山の麓である静岡県東部でも地震があり、今後は茨城沖から、次第に南下する形で大きな地震が起きるのではないかと予測されています。

 これまで原発は、地震がなくても数々の放射能漏れなどの事故を起こしてきました。その回数があまりにも多いため、報告せずに事故を隠すことさえ度々あったのです。
 しかも、稼働停止しているからといって安心できないのも原発の特徴です。保管されている核燃料は冷やし続けなければ高温になって暴走を始めるからです。
 平時においても原発が事故を起こすのは、複雑な配管の構造を持ち、耐用年数がすぎて劣化していたためです。そのような原発が、大地震の衝撃に耐えることができるのでしょうか。

 一部には、今回の福島第一原発の事故は「想定外」の大きな津波によるものであるから、津波対策を充分にすれば大丈夫だという意見があります。菅首相が浜岡原発の一時停止を命じたのも、津波対策をきちんとするべきだという考えからのものでした。
 しかし、津波が来る前に地震の揺れそのものによって福島第一原発の配管が損傷していたこと、外部電源の喪失は鉄塔が倒れたために生じたことは、既に明らかになっています。また、津波がなかった新潟県中越沖地震に際して、柏崎・刈羽原発が重大事故の寸前まで行っていたこと、東日本大震災の余震によって、東通原発も電源喪失の危機が生じた事実も伝えられています。
 もちろん、津波対策も必要ですが、地震の揺れそのものによる被害を「想定」しなければなりません。そのためには、30年を過ぎて老朽化した原発、活断層の近くにある原発、砂岩など脆弱な地盤のうえにある原発などから優先的に稼働停止し、稼働を停止している場合でも、保管されている核燃料をもっと安全な場所に移動することが必要になるでしょう。

 今後、おそらくは30年以内に、今回の三陸沖地震と同程度の巨大地震が起きるだろうと予測されています。それは、東海、東南海、南海という形で続くか、今回のように全域に渡る広範囲な地震となるかは分かりません。
 しかし、その危機は刻々と近づいているように思われます。地殻変動は一定の周期で生じ、その変動は相互に影響し合って連続するからです。
 今回の東日本大震災は、その始まりにすぎないのかもしれません。だとすれば、福島第一原発のような原発震災もまた、やがて訪れるかもしれない大破局の始まりかもしれないのです。

 もはやグズグズしている暇はない、と考えた方が良いように思われます。今回の原発震災を予兆かつ教訓として、脱原発に向けてどのような対策を取ることができるかということだけが、残された唯一の選択肢なのではないでしょうか。


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