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9月15日(土) 幻の「福田談合政権」構想の復活 [総裁選]

 始まった途端に終わってしまったようなものではないでしょうか。自民党の後継総裁選びです。
 今日、総裁選への立候補が受け付けられましたが、届け出たのは福田康夫元官房長官と麻生太郎自民党幹事長の二人です。このうち、福田さんは自民党の9派閥のうち、麻生派を除く全ての派閥からの支持を取り付け、圧倒的な優位に立ちました。
 麻生さんは地方票の獲得に力をれる方針だそうです。しかし、それでも福田さんの優位は動かないでしょう。
 昨年の総裁選挙で出馬を促され、「年も年だからね」と言って立候補を辞退した福田さんでした。それから1年経って、年を取るどころか若返ったようです。

 ところで、投票日の7月29日夕方、参院選での自民党敗北が避けられないとの見通しが強まる中で、二つの密談が開かれていました。一つは「国会に近いグランドプリンスホテル赤坂の一室」での「森喜朗元首相、青木幹雄参院議員会長、中川秀直幹事長森元首相」の3者会談で、もう一つは、首相官邸での安倍首相と麻生外相との会談です。
 3者会談では、「安倍首相の退陣を想定して、福田康夫元官房長官を後継首相に擁立する構想を具体的に話し合って」いたといいます。「暫定的な緊急避難措置」としての「福田選挙管理内閣」構想を伝えるために、中川幹事長が官邸を訪れたとき、すでに、もう一つの密談も終了していました。
 官邸での安倍・麻生会談の結論は「安倍続投」で、結局、安倍首相は辞任しませんでした。「続投」を支持した麻生さんは、おそらく安倍さんから「もし何かあったら、後を頼むよ」と言われていたのでしょう。

 以上の経緯については、私は8月4日付のブログ「消えたものには『福』がある」http://blog.so-net.ne.jp/igajin/archive/20070804で書いています。詳細は、そちらをご覧下さい。
 このとき、参院選大敗の責任を取って辞任していたら、安倍さんは今回のような醜態をさらすこともなく、戦後政治史に大きな汚点を残すこともなかったでしょう。今回のような異常事態にならなければ、また幹事長として事前に辞意を漏らされていなければ、麻生さんは安倍政権への責任を問われず、もう少し支持の広がりもあったでしょう。
 総理の椅子にしがみついてしまった安倍さんの未練であり、その安倍さんからの「禅譲」に期待をかけてしまった麻生さんの失敗でした。まことに、政治とは難しいものです。

 ということは、今回の総裁選で浮上した福田対麻生の対決構図は、実質的には、すでに7月29日の参院選投開票日にできていたということになります。このような対決は、1ヵ月以上も前に形成されていた水面下の構図が浮上したにすぎません。
 津島派の重鎮で参院議員を束ねる青木さんが「福田選挙管理内閣」構想を打ち出した3者会談に加わっていました。一度は手を挙げようとした津島派の額賀さんが、福田さんへの協力を約束して立候補を断念したのは、そのためでしょう。
 8派閥が福田支持を決めたのに対して、麻生さんは「派閥の談合だ」と批判していますが、7月29日の密談はどちらも談合でしょう。ただ、福田さんの場合には、それが派閥レベルに拡大したのに、麻生さんの場合には、安倍さんの辞め方やそれに対する麻生さん自身の責任への批判もあって、それだけの広がりにかけるというにすぎません。

 つまり、今回の自民党総裁選挙は、1ヵ月以上も前に打ち出された幻の「福田選挙管理内閣」構想を復活させる作業にすぎないのです。本来、意外性も新鮮味も全くない密室での「談合政権」だと言うべきでしょう。
 しかし、安倍辞任によって危機に陥っている自民党としては、それでは困る、ということになります。いかにして、このような水面下での動きを隠蔽し、来るべき“選挙の顔”としての粉飾をこらすかが、総裁選挙の課題にほかなりません。
 野党からすれば麻生さんの方が闘いやすいでしょう。とはいえ、自民党にとって福田さんの方が良いともかぎりません。福田さんで自民党の支持率がそれなりに回復すれば、政権交代含みの総選挙は早まるでしょうから……。

 福田さん優勢の報を聞いて麻生さんは悔しそうな顔をしていますが、内心では「ホッ」としているかもしれません。次期首相が重い荷物を担いで、「地雷原」を歩まなければならないのは明らかなのですから……。