SSブログ

9月24日(月) 利と理-戦後保守政治の相克 [論攷]

 何という分かり易い人事でしょうか。福田さんの自民党の役員人事です。
 「古い自民党の復活だ」などという人がいますが、「古い人」が「古いやり方」を選んだだけであって、何の不思議もありません。福田さんらしい安定した、安心できる「論功行賞型」の派閥人事だと言えるでしょう。

 自民党の福田新総裁は、党役員人事で、幹事長に伊吹文明文部科学相、政調会長に谷垣禎一元財務相の起用を決めました。また、選挙対策の要となる選挙対策総局長を党四役扱いの「選挙対策委員長」に昇格させて古賀誠幹事長を充て、総務会長の二階俊博さん、幹事長代理の細田博之さん、国会対策委員長の大島理森さんの3人を再任しました。
 今回の党総裁選では、党内9派閥のうち8派が福田さんを支持しました。党役員人事では、このうち、伊吹、谷垣、古賀、二階の4派閥の会長を処遇したことになります。
 残った4人のほとんども閣僚になるでしょう。そして、恐らく9人目の派閥の会長である麻生さんも……。

 ところで、今日の『毎日新聞』の一面に、小松浩政治部編集委員の署名論説「『理念過剰政治』脱却を」という署名論説が掲載されていました。この論説で小松さんは、「抽象より具体を、理念より政策を、福田新総裁には語ってもらいたい」と書いていました。
 『朝日新聞』一面の西村陽一政治エディターの論説「リアリズムの復権を」も、「熱を帯びた理想主義者」ではない、「小泉時代の直情や安倍時代のちぐはぐな目線とは違うリアリズムの視線」を福田政権に求めています。期せずして、両者は似たような主張を行いました。
「理念」ではなく「具体を」。「理想」ではなく「リアリズム」をというわけです。

 かつて私は、拙著『概説 現代政治』(法律文化社、1999年)で、「理念政治」と「利益政治」という切り口で戦後の内閣史を描いたことがあります。この二つの論説を読んで、このことを思い出しました。
 安保反対闘争で退陣した岸内閣から池田内閣への交代を、「理念政治から利益政治へ」という見出しで、私は記述しています(拙著、82頁)。このような「利益政治の典型」はいうまでもなく田中政治です(拙著、89頁)。
 しかし、このような「利益政治」は破綻し、その後、中曽根時代になって「理念政治による修正」がなされます(拙著、98頁)。その後を継いだ竹下政権は「ふるさと型」利益政治で、この後は「利益政治と理念政治の重層」が続くとして、小渕政権で拙著の記述は終わっています(拙著、105頁)。

 このような分析視覚をその後に伸ばせばどうなるでしょうか。「利益政治と理念政治の重層」は森政権で終わり、小泉政権では「理念政治」が復活します。
 それは安倍政権で受け継がれるとともに、明確に破綻してしまいました。その結果が、参院選での与党惨敗であり、安倍首相の突然の辞任でした。「『理念過剰政治』脱却を」「リアリズムの復権を」という論説は、「理念政治」からの脱却を呼びかけるものだと言えるでしょう。

 もう一つ、今日の新聞記事で注目すべきものがありました。『東京新聞』の「特報」版にあった「30年の時越え“政治的遺伝子”衝突」「福田vs小沢『新・角福』開戦」という記事です。
 「角」つまり田中元首相は、拙著でも書いたように「利益政治の典型」です。対する福田元首相は岸さんの「理念政治」の継承者で、福田さんはその息子です。
 戦後保守政治の相克を生み出した利益政治と理念政治との対決は、「角福戦争」で頂点を迎えました。その相克は、福田さんの息子である福田康夫さんと、田中角栄の「秘蔵っ子」であった小沢さんとによって、「30年の時越え」、今また、クライマックスを迎えようとしているかのようです。

 つまり、この「新・角福戦争」は、実は、利益政治と理念政治との争いなのです。それはもはや自民党の枠内には収まらず、与野党の対決として展開されようとしています。
 しかも、理念政治の破綻は明らかです。だからこそ、期せずして、そこからの脱却を勧める論説が新聞の第一面に掲載されたわけです。
 ということであれば、その勝敗は明らかでしょう。理念政治的手法は、安倍さんと共に、政治の表舞台から姿を消すことになります。

 『東京新聞』の論説には、「攻める民主 防戦の自民 勝敗握るのは世論?」という見出しも出ていました。「世論」が問題となる限り、福田さんに勝ち目はないでしょう。
 そうすると、理念政治から利益政治への復帰が生ずるというとになるのでしょうか。いずれにせよ、雌雄を決するのが、次の総選挙だということだけは間違いありません。