SSブログ

12月24日(火) 安倍政権を終わらせ希望ある政治へ(その3) [論攷]

〔以下の私の発言は、10月19・20日に神戸で開かれた「地域・職場・青年革新懇全国交流会in兵庫」でのものです。3回に分けてアップさせていただきます。〕

 まとめ:「市民と野党の共闘」の進化・発展

 ここで結びの言葉を兼ねて、市民と野党の共闘の進化・発展についてお話をさせていただこうと思っておりますけれども、きのうも全体の交流会の司会をやりまして、閉会のあいさつをやってるんですね。これから結びの言葉を述べようと思ったときに、どうも同じことを言いそうだなと。かといって、まったく違うことを言うわけにもいかない。いくつかの点で少し重なるかもしれませんので、あらかじめお断りしておきたいと思います。
 1つは、皆さんのご報告とご発言をうかがいまして、昨日も同じようなことを言いましたが、政治の光景が変わってきていると実感しました。市民と野党の共闘というのが当たり前の光景になってきた。この共闘の中で共産党が大きな役割を演じ、推進力を発揮するという形で加わってきた。こういう光景は自然にそうなったのではなくて、私たちが変えてきたから光景が変わったんだということなんですね。これを変えてきたのは私たちであり、皆さんであったということを、まず共に確認しておきたいと思います。
 ここに穀田さんがおられますけれども、共闘の枠組みに共産党がどう関わるかが問題とされてきた。しかし、それはもう過去の話。先ほど反共主義という話もありましたけれども、「共産党アレルギー」がありました。今は「共産党エネルギー」ですね。アレルギーということで毛嫌いされるような状況が、エネルギーとして頼りにされている。高知では「ぜひ立ってくれ」とお願いされるような状況になってきている。各地で市民と野党の共闘を動かす、推進する力、機関車としての役割を果たすようになってきている。もっともっと変えていかなきゃならない。そのための目標はできたし、そのためにどうやればよいのかということも、昨日と今日の議論を通じて、いろいろな教訓を学ぶことができたのではないでしょうか。
 これをそれぞれの地域、職場、地方に持ち帰って、さらに大きく政治の光景を変えていく。こんなに希望の持てる、そういう政治があるんだということを知らせる。多くの国民が実感できるような、絶望から希望に変わっていけるような、そういう政治の道を切り開いていくことを、これからの課題として考え、実行していく必要があるだろうと思います。
 2つ目の問題として、市民と野党の共闘はかつての「社共共闘」の単なる再現ではないということです。60 年代後半から70 年代初めにかけて、特に革新自治体などで社共間の共闘が進みました。それとの違いと発展があるということです。社共共闘の場合は、総評を仲立ちに社会党と共産党が手を組むという、政党間の連携が主導する形がほとんどであったわけですね。そして、政党や労働組合の系列の団体が勢ぞろいして共闘体制を組んだり、選挙を戦ったりという形になっていました。
 しかし今は、労働組合はもちろん大きな役割を果たしておりますけれども、それとともに市民がさらに大きな役割を果たすようになってきている。草の根での運動と連携が進んでいます。小田川さんのお話では、市民連合といっても人・金は不足しているというお話でしたけれども、不足っていうことは足りないっていうことです。運動が進んでいなければ、足りないっていうことも問題にならない。それが問題となり課題になっているということは、草の根で市民の運動や組織化が大きく発展し進んでいるということの証拠であろうと思います。
 このような市民団体とともに、個人のイニシアチブも大きい。これが特徴ではないかと思います。革新懇も地域で草の根でのイニシアチブを発揮していく。今まで以上に、草の根の根を深く、広く張り巡らしていかなければなりません。それがこれからの政治の革新と野党の連合政権を支える大きな力になっていくのではないかと思います。
 3番目に言いたいことは、これは穀田さんも強調しておられましたけれども、過去を問うことなく、手を結ぶということです。過去を問うたら、一緒にやれる人はあまり居なくなっちゃうんじゃないか。とりわけ2年前の総選挙のとき、東京都知事の小池さん、「希望の党」を立ち上げることによってわれわれの希望を打ち砕いてしまった。「小池にはまって、さあ大変」、選挙情勢が激変して大混乱という状況が生じました。あっちに行ったりこっちに来たりという方がたくさん生まれたわけです。
 しかし、これからの共闘に当たって、相手を好きだ、嫌いだなどと言うぜいたくは許されない。そんなことを言っていられるような状況ではありません。好き嫌いをなくす。昨日私は、食べず嫌いは駄目だという話をしましたけれども、食べず嫌いなしで好き嫌いも言わず、なんでもおいしくいただこうということです。そうすれば、栄養も付くしエネルギーも湧いてきます。
 というのは、私は都立大学時代に全共闘を名乗る暴力学生の旗竿によって右目を突かれて失明するという事故といいますか、事件に遭遇いたしました。右目があるように見えるかもしれませんが、私の右目はプラスチックの義眼でまったく見えません。20 歳のときから左目しか見えない。先ほどからの司会でも、誰か手を挙げてもよく分からない。視界不良です。後ろのほうだと、よく見えない。しかも、右目が義眼ですから、左しか見えない。どうも左ばかり見る傾向が、このころからあったんじゃないかと思います。
 しかし、暴力学生であった方であろうとも、今、安倍政権を倒すんだ、安倍内閣と対決するんだというのであれば手を結ぶ。先ほど冨田さんがおっしゃいましたけれども、若者は病んでいる。若者だけじゃないんです。病んでいるのは、この国の政治そのものです。政治のあり方が、安倍首相によって腐らせられてしまっている。これをなんとかしなきゃならない。この一点で一致できるのであれば、そして暴力はふるわない、かつてやったことは反省しているということさえ確認できれば、恩讐を越えて共に手を組もうということを、私はいろんな所で訴えてきました。ここでも、このことを強調したい。
 政治は変えられるし、変わるんです。人も変わる。中村喜四郎さんの話が出ましたけれど、今私、古賀誠さんの『憲法九条は世界遺産』という本を読んでいます。これは書評を頼まれたからです。まさか自民党元幹事長の本を書評するなんて、思いもよりませんでした。しかも評価する立場で。本当に、人生は生きてみなきゃ分からない。古賀さんは昔から憲法は大切だって言っていましたけれども、とうとうこういう本を書くようになった。
 昨日は小林節さんが出席して、あいさつされました。私は政治学者ですから、小林さんの名前は昔からよく知っています。その主張は、私とは正反対でした。その向こう側に居た人が、気がつくといつの間にか横に居るんです。私が八王子市長選挙に立候補したときは、2回も応援に来てくれました。後ろから押し上げてくれたんですね。本当に人間というのは変わるもんだなと感動しました。政治も変わるし、人も変わる。これらの変化を、われわれの力にするということが共闘の大きな意味であり、役割ではないかと思います。
 最後に、これからの「あり得るシナリオ」について、ひとこと言いたいと思います。ことしの参議院選挙を見ていて思い出したのは、1992年7月の参議院選挙です。この年の5月に、細川護熙元熊本県知事が日本新党を立ち上げました。大きなブームを呼びまして、2カ月後の7月の参議院選挙で一挙に4人の議員を誕生させた。その後もブームは続き、翌1993年7月の総選挙で35 人の議員を誕生させ、自民党を政権の座から追い落とすことに成功しました。これで55 年体制は崩壊したわけです。8つの政党・会派を糾合して野党連合政権を樹立し、細川さんは首相になりました。同じようなシナリオが、これから来年にかけてあり得るのではないか。それを目指そうじゃないかということを、私は皆さんに呼びかけたいと思います。
 この93 年の政権交代、2009年にも民主党を中心に政権交代がありました。しかし、今めざしている野党連合政権は、3つの点でこれらと大きな違いがあります。
 1つは、政権樹立をめざしている市民と野党の連合の中に、共産党が大きな推進力、エネルギーとして入っているということです。この点にも共闘の進化・発展の姿が示されています。
 2つ目は、草の根ですでに準備が始まっているということです。それぞれの地方や選挙区で、野党の共闘が実現し、ダッシュに向けて着々と動きが始まってきている。過去には、このような動きはありませんでした。風頼みです。一時的な、いわば「追い風」に押し上げられるような形で政権が変わった。今回は風ではない。草の根からの力で政権を変える。
 そして3つ目は、政策合意がすでにできているということです。最初は2016年の「5党合意」で4項目です。その翌年の総選挙で7項目、そして今回の参議院選挙で13 項目についての合意がなされました。政策の幅が広がり、合意の水準も上がってきている。これが土台となって来るべき連合政権樹立に向けて野党間の政策を訴え、新しい政権の姿を明らかにする。これも準備ができている。準備は整った。これからは進撃を開始するのみ、ということになろうかと思います。
 フロアからも発言がありましたけれども、新しい政権交代の形を私たちの力で示していく。改革者としての新しい試みを、開拓者精神を持ち勇気をふるって、新しい政治、新しい時代の扉を開く。そのジャンピングボード(跳躍台)に、この交流会がなれば本当にいいなと思います。将来、あのときから政権交代への動きは一気に加速したんだと振り返られるような、そのような場になったのではないかと思います。
 今回のこの交流会、今日のシンポジウムの成功を皆さんと共に喜び合うことで、結びの言葉とさせていただきます。どうもありがとうございました。


nice!(0)