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6月1日(月) もはや言い逃れできなくなった「核持ち込み」密約 [スキャンダル]

 「核は米軍によって密かに日本に持ち込まれていた。これまで日本政府は、新安保条約に規定された事前協議を盾に、国民に嘘を突き通してきた。この嘘は、安保条約改定に際しての『密約』に基づくものである。」

 これは、拙著『戦後政治の実像-舞台裏で何が決められたのか』(小学館、2003年)の一節です。詳しくは、拙著第4章の「日米関係の舞台裏」の第1節「核持ち込み容認の『密約』」(105頁以下)をご覧になって下さい。
 このような「密約」の存在が事実であったことが、またも暴露されました。日本政府は、もはや言い逃れできないところに追い込まれたと言って良いでしょう。
 共同通信が配信した以下のような記事が、今日の『東京新聞』の一面に大きく出ているからです。記事は、「60年安保『核持ち込み』 密約、外務官僚が管理 伝達する首相を選別」という見出しの下、次のように報じています。

 1960年の日米安全保障条約改定に際し、核兵器を積んだ米軍の艦船や航空機の日本立ち寄りを黙認することで合意した「核持ち込み」に関する密約は、外務事務次官ら外務省の中枢官僚が引き継いで管理し、官僚側の判断で橋本龍太郎氏、小渕恵三氏ら一部の首相、外相だけに伝えていたことが31日分かった。4人の次官経験者が共同通信に明らかにした。
 政府は一貫して「密約はない」と主張しており、密約が組織的に管理され、一部の首相、外相も認識していたと当事者の次官経験者が認めたのは初めて。政府の長年の説明を覆す事実で、真相の説明が迫られそうだ。

 今回分かったのは、「密約」が存在していることではありません。それは以前から知られていました。何せ、6年前に出した私の本でも書かれているくらいですから……。
 しかし、政府関係者がこの「密約」の存在を認めることはありませんでした。今回の記事が重要なのは、「当事者の次官経験者が認めたのは初めて」だからです。それも、「4人の次官経験者」が明らかにしたというのですから、もう、しらばっくれることはできないでしょう。
 「文書を見たという次官経験者は『次官引き継ぎ時に「核に関しては日米間で(非公開の)了解がある」と前任者から聞いて、次の次官に引き継いでいた。これは大秘密だった』と述べた」そうです。そう、「大秘密」が、今回初めて関係者によって暴露されたというわけです。

 それにしても、驚くばかりです。「密約がほごになると懸念した当時のライシャワー駐日大使は63年4月、大平正芳外相(後に首相)と会談し『核を積んだ艦船と飛行機の立ち寄りは「持ち込み」でない』との解釈の確認を要求。大平氏は初めて密約の存在を知り、了承した。こうした経緯や解釈は日本語の内部文書に明記され、外務省の北米局と条約局(現国際法局)で管理されてきたという」のですから。
 外相が知らないことを、「外務省の北米局と条約局(現国際法局)で管理」していたのです。そして、「橋本、小渕両氏ら外務省が信用した政治家だけに密約内容を知らせていた」というのです。
 「(密約内容を話していい首相、外相かどうか)役人が選別していた」のであり、「国家機密の取り扱いを大臣でなく官僚が決めていた」というのですから、呆れかえってしまいます。まさに官僚主導そのものであり、政治家や大臣は官僚の手のひらの上で踊る操り人形にすぎないということになります。

 つまり、官僚によって「信用」されない政治家に、この密約は知らされなかったのです。これまで「密約はない」と答弁した首相は、信用されず、知らされていなかったのかもしれません。
 もし、麻生首相が同じように問われれば、「そんな密約はない」と答えるに違いありません。麻生さんが、このような「大秘密」を知らされるほどに、外務官僚から信用されているとは思えませんから……。