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6月30日(火) 政権交代後にとり組むべき最初の仕事は隠蔽されてきた秘密の開示 [政権交代]

 今日で、6月も終わりです。というより、1年の半分が過ぎ去ろうとしているわけです。まさに、「光陰矢のごとし」というところでしょうか。

 私にとっては、約1カ月間続いた「講演月間」の終了です。5月30日(土)の大阪に続いて、6月7日(日)の伊豆・伊東温泉、13日(土)の札幌、そして28日(日)の京都と、講演旅行が続きました。旅行好きの私にとっては楽しい1カ月でしたが、講演の内容を考えてレジュメを作り、宿を予約して切符を取るなど、それなりの苦労があります。
 こういうときです。秘書が欲しいと思うのは……。
 でも、旅というのは、計画を立ててあれこれ思いめぐらすときから始まっています。ホテルや切符の予約も、それなりに楽しいものです。

 ところで、60年の安保条約改定時に、核兵器搭載艦船の寄港などを日本政府が認めた「核持ち込み密約」について、村田良平元外務事務次官が前任次官から文書で「引き継ぎ」を受けていたと証言しました。すでに、この秘密交渉プロセスは、アメリカの公文書や日米の交渉当事者による証言でも明らかにされてきていますが、事務次官経験者が初めて実名で「密約」の存在を認めた意味は極めて大きいというべきでしょう。
 村田さんは、証言した理由について「(外務省を)辞めてもう十数年たち、冷戦も終わって時代が全く違う。だから、もういいだろうと判断した」と語っています。これに対して、相変わらず、河村建夫官房長官は「核持ち込みの事前協議がない以上、核持ち込みはない」と否定しました。

 『毎日新聞』紙上で、これについて村田さんは、概略、次のように語っています。

-事務次官になる前から密約の存在は知っていましたか。
 密約があるらしいということはいろんな意味で耳に入っていましたけど。密約に関する日本側の紙を見たのは事務次官になった時が初めてです。

-その時に初めて確認をされたということですか。
 まあ、確認もへったくれもない、ああそうだろうと思っただけです。ライシャワー(元駐日米大使)だったかな。「ずいぶん前にそういう約束がある」と言ったことが、アメリカの外交文書として公開された。日本の新聞が少し騒ぎましたよ。「ライシャワーがこんなことを言ってる」と。そうしたら政府は必死になって「いや、そんな密約はない。ない」と言った。アメリカが外交文書を公開して「密約があった」と言ってるのにね、日本は「そういう密約はない」と言ってる。どっちかが言ってることがウソなんです。どちらがウソかといえば、日本がウソをついていることは明らかですよ。

-密約についての引き継ぎの紙はどういう紙か覚えていますか?
 外務省で普通に使う事務用の紙ですよ。

-紙一枚なんですか。
 外務省で使う紙に書いて、封筒に入っていて、前任者(柳谷謙介氏)から私は渡された。「この内容は大臣に説明してくれよ」と言われて、それは(第3次中曽根内閣の)倉成(正・外相)さんと(竹下内閣の)宇野(宗佑)外務大臣には話しました。

-米国の外交文書の公開があって、日本が否定しましたが、その反応についてはどうみていたんですか。
 なんでそんなウソを言い続けるのかなとぶぜんたる気持ちになりましたね。どうせ明るみに出る話ですから、いつかは。遅かれ早かれ。

 村田さんは、「どうせ明るみに出る話ですから、いつかは。遅かれ早かれ」と述べています。それなのに、政府は、いつまで嘘をつき続けるつもりなのでしょうか。
 今は、しらばっくれることができても、すぐにその嘘はばれてしまうにちがいありません。今度の総選挙で与党が敗れれば、この問題を含む外交上の密約の全ては明らかにされるにちがいないのですから……。
 いや、外交問題だけではありません。内政を含むあらゆる秘密が明らかにされる必要があります。

 それが、政権交代の大きな意味です。新政権が何よりも先ず着手すべきことは、国民が知るべき事実を全て明らかにすることです。
 各省庁の奥深くに隠されている秘密を全て明らかにする。そのための準備を今から始めておくべきでしょう。