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6月4日(木) 規制緩和と労働問題 [論攷]

〔以下の論攷は、『歴史地理教育』2009年6月号に掲載されたものです。〕

規制緩和と労働問題

 〇八年の暮れから今年にかけて、「派遣切り」「非正規切り」が大きな社会問題になりました。世界第二位の経済大国の首都に忽然と姿を現した「年越し派遣村」は、その直接的な結果だったのです。〇九年三月の年度末に向けて、厚生労働省の試算でも一二万五〇〇〇人、業界団体の予測では四〇万人もの人々が職を失うとの予想もありました。
 どうして、このような問題が生まれたのでしょうか。なぜ、これほどの短期間に、これほど多くの人が職を失うようになってしまったのでしょうか。

1 雇用情勢が悪化した二つの背景

 大量解雇を生み出した雇用情勢悪化の背景として、二つの事柄が考えられます。簡単にいえば、外因と内因です。
 一つは、昨年の米金投資会社・リーマンブラザーズの破綻に始まった金融・経済危機の影響です。それは日本だけでなく、世界各国に波及しましたが、とりわけ、北米市場などへの輸出に依存していた日本の経済は需要の激減と円高というダブルショックによって大きな打撃を受けました。
 〇八年一〇~一二月期の実質GDPは年率に換算してマイナス一二・七%になりました。危機の震源地であったアメリカでさえ三・八%であったのに比べれても、日本の落ち込みは際だっています。
 それは、日本国内の需要も大きく落ち込み、足腰を弱らせていたからでした。これが雇用情勢を悪化させたもう一つの背景です。日本経済は〇二年から〇七年一〇月まで戦後最長の好景気になりました。この間、大企業は五年連続で過去最高益を更新し続けましたが、中小企業や労働者は、その恩恵を受けることができず、逆に、利益や収入を減らしてきたのです。
 大企業は正規労働者を減らして、賃金が安く雇用調整をやりやすい非正規労働者を増やしてきました。その結果、派遣など非正規労働者が増大し、働いているのに貧しいワーキングプアが大量に生まれました。雇用労働者のうち、生活保護基準にも満たない年収二〇〇万円以下の低収入の労働者は一〇〇〇万人を越えています。
 収入が少なければ、使うことのできる可処分所得は少なく、個人消費が停滞するのは当然です。もし、日本経済が堅調な内需に支えられていれば、GDPが短期間にこれほど大きく落ち込むことはなかったでしょう。
 つまり、日本における深刻な経済危機の背景には貧困の拡大があり、また、その背景には非正規労働者の増大という現象がありました。とりわけ、大きな意味を持ったのが労働分野での規制緩和だったのです。

2 労働分野における規制緩和

 「政府の規制緩和の掛け声には、『規制緩和=善』というイメージばかりが先行しているように思えてならない。これは大変危険なことだ。ともすれば、規制緩和の大合唱の中で、雇用という切実な問題が見落とされがちになることを、私は本当に心配しているのだ」(橋本龍太郎『政権奪回論』二〇五ページ)
 これは、野党時代の橋本龍太郎さんが書かれた本の一節です。橋本さん自身は、その後「政権奪回」に成功し、首相として「六大改革」を打ち出します。結局、「規制緩和」を推進することになるわけですが、その後の推移は、橋本さんの「心配」どおりになったと言ってよいでしょう。
 ここで指摘されているように、長いあいだ「規制緩和=善」という思い込みがあったように見えます。もちろん、経済や社会の変化に応じて古くなる規制もありますから、緩和したり撤廃したりする必要も出てくるでしょう。問題は、必要にして適切な規制であるかどうかという点にあります。
 このような判断なしに、「規制緩和」「官から民へ」という大合唱の下で、労働の分野でも規制緩和が進められました。それは、主として労働時間政策と労働市場政策の二つの分野で目立ちました。
 前者の労働時間管理の弾力化は、裁量労働制の新設などという形で進められました。しかし、〇七年の「労働国会」で導入されようとしたホワイトカラー・エグゼンプションは、強い反対運動に直面して断念されます。これに対して、後者の労働市場の弾力化をめざした政策変更は、労働者派遣法の制定と拡大を通じて着々と進められてきたのです。

3 労働者派遣法の制定

 派遣労働とは、派遣元の事業所に雇用された労働者が派遣先の会社で働くことです。労働者は派遣先の事業所の指揮命令を受けますが、雇用契約は派遣元の企業と結ばれています。
 このような働き方は「手配師」「口入れ業」などによる労務供給という形で戦前からありました。しかし、多額のピンハネがなされたり人身売買まがいの取引を生んだため、職業安定法第四四条「労働者供給事業の禁止」などによって基本的に戦後は禁止されました。つまり、中間搾取を認める派遣労働はもともと認められていなかったのです。
 しかし、戦後になってからも派遣労働がなくなったわけではありません。様々な名目で事実上の派遣労働は残りました。八〇年代に入って以降、「使い勝手」の良い労働力を求める産業界の要望や、派遣労働を法的に位置づけて規制した方がいとの意見などもあり、一九八五年に「労働者派遣事業法」(派遣法)が成立し、翌八六年七月から施行されることになります。
 このときは対象業務を限定するポジティブリスト方で、ファイリングや通訳などの一三業務で派遣労働が認められたにすぎませんでした。施行後すぐに三業務追加されて一六業務となりましたが、専門性が高く、一時的に必要とされるものに限られていたわけです。
 その後、九五年五月には日経連「新時代の『日本的経営』」が発表されて労働市場の弾力化の方向が示されます。続いて一二月には、労働組合の連合(日本労働組合総連合会)も「規制緩和の推進に関する要請」を出すなど、規制緩和は「時代の空気」になっていきました。このような「空気」の中で、九六年には対象業務が、アナウンサー、研究開発、添乗などの二六業務に拡大されていきます。しかし、それでもまだ例外とされていたのです。

4 ネガティブリスト化によって一挙に拡大

 このような派遣法の論理を逆転させたのが、九九年の改正でした。これによって、派遣労働は一挙に拡大していくことになります。
 九九年一二月に改正派遣法が施行され、港湾運送・建設・警備の業務、その他政令で定める医療関係・物の製造・医師や弁護士、社会保険労務士など一部の専門的業務を除いて、対象業務が自由化されました。これが、ネガティブリスト方式によるポジからネガへの反転です。
 この改正には、自民党・公明党・民主党・自由党が賛成し、共産党だけが反対しました。社民党は政党としては賛成したものの、福島瑞穂・大脇雅子・照屋寛徳の三議員は反対しました。
 二〇〇三年には、製造業への派遣も解禁されています。今回、自動車や電機関連工場などでの「派遣切り」が大きな問題となりましたが、このときの緩和がなければこのような問題は生じなかったでしょう。
 規制が緩和されたのは、対象業務だけではありませんでした。専門性の高い二六業務については派遣可能期間の制限が撤廃されています。それ以外は最長期間が一年から三年に延長され、〇七年には、製造業の派遣期間の上限も同様に拡大されました。こうして、派遣期間を「短期・臨時」とする原則を徹底するとされたものの、実際には恒常的な性格が強まることになります。
 これらの規制緩和の結果、一九九六年には七二万人にすぎなかった派遣労働者は、二〇〇〇年には一三九万人とほぼ倍増しました。〇三年には二三六万人と三倍以上になっています。

5 派遣労働の再規制

 その後も、製造業への解禁を受けて急増は続きました。〇七年には三八一万人となり、〇四年との比較では、わずか三年で一五四万人も増えたのです。
 このような派遣労働者の急増によって、日雇い派遣がワーキングプアの温床となり、「派遣切り」による大量解雇が発生しました。その結果、派遣労働の再規制が政策課題として浮上してくることになります。
 舛添要一厚生労働大臣は製造業派遣を禁止する必要性に言及し、民主党の枝野幸男議員は「労働者派遣法の改悪に賛成したのは間違いだった」と認めるにいたりました。広島労働局の落合淳一局長は製造業への派遣を解禁した〇三年の改正について「私はもともと問題がある制度だと思っている」と述べ、「謝りたい」と発言して注目されました。
 派遣労働の規制には、働き口が無くなるという反対論があります。しかし、問題は、派遣の規制緩和によって労働の量は増えましたが質が低下し劣悪化したという点にあります。ワーキングプアを生み出すような労働は根絶されなければなりません。
 今国会に政府が出した改正案は、日雇い派遣(日々または三〇日以内の期限を定めて雇用)の原則禁止が盛り込まれましたが、登録型派遣はそのままで、事前面接や雇用申し入れ義務の規制緩和なども入っています。「薬」だけでなく「毒」も沢山入っているというわけです。
 このような「毒」は入れず、少なくとも、登録型派遣の原則禁止、マージン率の上限規制、製造業への派遣禁止などの「薬」をもっと多くしなければ、「病気」の治療には役立たないでしょう。

6 働き方の歪みを正すために

 労働基準法第一条は、「労働条件は、労働者が人たるに値する生活を営むための必要を充たすべきものでなければならない」と謳っています。このような労働条件は、日本社会が正常に維持・拡大するための必要条件ですが、現実にはそうなっていません。
 〇八年の出生数から死亡数を差し引いた人口の「自然増加数」はマイナス二万九八一一人で、二年連続の人口減となりました。初めて減少に転じた〇五年を含めて三度目です。
 一五~六五歳の生産年齢人口の減少はもっと早く、九七年をピークに、九八年からは減り続けています。九八年は自殺者が三万人を超えた年でもあり、その後、それは一一年連続で続いています。つまり、人口だけをとってみても、日本社会は瓦解と縮小への道に入り込んでいるということなのです。
 このような「滅びへの道」から抜けだし、持続可能な社会へと復帰するためには、規制緩和によって生じた働き方の歪みを是正しなければなりません。そのためには、雇用・賃金・労働時間という三つの面での問題解決が必要です。
 第一に、働く意思と能力があれば誰にでも働く機会が保障されなければなりません。労働力は「商品」だとしても、それは生きた人間に宿るものです。血の通った「生き物」ですから、雇用形態が多様化しても雇用そのものが切断されないようにする必要があります。
 第二に、普通に働けば普通の生活をおくれるだけの収入が保障されなければなりません。いくら働いても生活できない「ワーキングプア」は異常です。「働いても生活できない」日本と「働かなくても生活できる」EUと、どちらが生きやすい社会なのでしょうか。
 第三に、働く人の健康を破壊せず家庭生活を阻害しない適正な労働時間を実現しなければなりません。年休を一〇〇%取得し、夜は家族が揃うというのが当たり前の姿でしょう。仕事と生活との調和をめざすワーク・ライフ・バランスや、家庭生活を阻害しないファミリー・フレンドリーな働き方へと変えていくことが必要です。
 人が人として尊重され、人間らしい働き方を実現することなしに、人々が希望を持って働き生きることができる持続可能な社会に転換することは不可能です。そのためにも、まず、労働者を「物」扱いにする派遣という働き方を根本的に改める必要があるのではないでしょうか。