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6月22日(月) 政権交代の意義と必要性 [政権交代]

 麻生首相のお陰で、政権交代に向けての期待が高まっています。都議選の応援に行って、「必勝を期して」と言うべきところ、「惜敗を期して」と言ってしまったそうです。
 なんて、正直な人なんでしょう。思っていることが、そのまま口をついて出てしまうなんて。

 今日の新聞を見たら、発行中の週刊誌の宣伝が出ていました。『週刊現代』7月4日号の見出しは「民意恐るべし!自民はなんと174人が落選」「鳩山民主283議席 自民130議席」となっています。
 都議選についての予測記事もあります。『サンデー毎日』7月5日号には、「『都議選』世論調査 自民はショック死」という記事が出ているそうです。
 総選挙でも、その前哨戦として注目されている都議選でも、自民党の大敗北は避けられないということです。それはそうでしょう、最高指揮官である自民党総裁の麻生首相が、今から「惜敗を期して」いるのですから。

 ところで、ときどき講演などでこう聞かれることがあります。自民党と民主党は政策的には同じだから、政権交代にはあまり意味ないのでは? ヒョッとしたら、もっと悪くなるのでは? という質問です。
 これについて、どう答えたら良いのでしょうか。これからも、このような質問があると思いますので、私の考えを書いておきましょう。
 まず、たとえ政策的に同じであっても、政権交代には意味があり、その可能性がある以上、何としてもそれを実現する必要があるということです。

 その理由は第1に、政権交代は、政権が交代できるという民主的な政治制度のメリットを具体的に示すことになります。これは一般的な意義ですが、現状は変わらないと諦めている人々に、「いや、変わるし、変えることができるのだ」ということを示す最善の例になるでしょう。
 この点では、変わること自体に意味があるということです。このような変化によって政治のダイナミズムを示すことは、政治への関心を高めることにもつながるに違いありません。

 第2に、常に政権交代が起き、変わり続けていれば、変わること自体の意味はそれほど大きくありません。しかし、自民党政権は、短期間を除いて、ずっと政権与党であり続けてきましたから、ますます変わること自体の意味は大きいと思います。
 戦後の政治では47年と93年に政権が交代しましたが、政党の再編などではなく与野党が真正面から対峙した政権交代は、1924年の総選挙以来、実現していません。総選挙前に自民党が分裂しなければ、85年ぶりの歴史的な転換だということになります。

 第3に、野党よりも与党の方がましな政治をやっているというのであれば、変わること自体の意味はありません。このような場合、与党が支持されますから、政権交代は起きないでしょう。
 しかし、現与党の自公政権はこれだけの失政を繰り返してきたのですから、それに対する大きなペナルティーを与えなければなりません。これまでの失政に対する責任追及の手段として民主党など野党を利用し、自公両党を政権から引きずり下ろすことが必要だということです。

 第4に、このような形で与党の責任を問うことは、政治に対する緊張感を取り戻すきっかけになるでしょう。過ちを犯せば、政権を追われるのですから。
 政権交代は、現与党に対する責任追及であると同時に、次の与党に対する警告でもあります。もし、同じような過ちを犯せば、同様に政権を追われることになるのだぞ、というわけですから。

 ということで、政権交代後にどのような政権が成立するにせよ、何よりも交代すること自体に大きな意味があるというのが、私の立場です。まず、自民党をたたきつぶすことが必要です。
 自民党が大敗北して与党の座を追われるのは、15歳の時、政治に関心を持って以来の私の夢でした。40年以上の間、抱き続けてきたその夢が、今、実現できそうなのです。

 嬉しいじゃありませんか。楽しみじゃありませんか。
 この楽しみを、誰にも邪魔されたくありません。