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7月13日(月) 都議選では共産党も得票を増やしていた [選挙]

 都議選での民主党躍進の余波が政界を揺るがしています。今回の結果は、民主党の一人勝ちでした。

 全42選挙区のうちの39選挙区でトップ当選(推薦1を含む)、1人区で6勝1敗の成績、58人の候補者のうち落選者はたったの4人などの事実は、「民主党ブーム」とも言える風の存在を示しています。同じ日に投開票された奈良市長選挙でも民主党推薦の新人候補が当選しました。
 名古屋市長選、さいたま市長選、千葉市長選、静岡県知事選、そして今回の都議選に奈良市長選と民主党の連勝が続きました。強力な追い風が民主党に吹き、自民党にはそれ以上の逆風が吹いているということが分かります。
 他方、都議選での公明党の全員当選と共産党の不振は予想外でした。しかし、それによって、公明党は支持され、共産党は批判されたと考えるのは早計です。

 まず、事実を確認しておきましょう。前回の選挙と比較した各党の議席の増減と投票数の増減を下に掲げておきます。

民主党  +19議席  +122万7000票
自民党  -10   +11万8000
公明党   0   -4万3000
共産党  -5   +2万8000
その他  -4   -6万6000
 
 これを見ると、民主党の一人勝ちだったのは、議席の上での話だということが分かります。民主党だけが19議席増やしているからです。
 減らしたのは、自民党が10議席、共産党が5議席、その他が4議席(ネット1議席、諸派1議席、無所属2議席)でした。議席だけを見れば、負けたのは自民党と共産党だと言いたくなるのも無理はありません。
 しかし、それを都民の選択の結果かと言えば、そうではありません。今回の選挙で都民が投じた票の数は、別の事実を示しているからです。

 選挙は、議会での議席を決めるものですから、議席数の増減に注目するのは当然です。しかし、それを直ちに有権者の選択の結果であるというわけにはいきません。
 選挙制度や候補者の擁立の仕方などによって、当選数が変わることがあるからです。この乖離は小選挙区で極めて大きくなり、定数が奇数の複数選挙区でも似たような現象が起きます。
 したがって、有権者がどのような選択を行ったのかを見るためには、議席だけではなく、得票にも注目する必要があります。今回の選挙でも、得票数の増減を見れば、議席数の増減を見ただけでは分からない事実を読み取ることができます。

 得票数では、民主党が123万票も増やし、共産党も2万8000票、自民党は11万8000票を増やしています。他方、公明党は4万3000票減らしています。
 このことから分かるのは、第1に、今回の結果は、自民党が増やした票の10倍以上を民主党が獲得しており、したがって、自民党が敗北したという以上に民主党が勝利したというべきものであること、第2に、この民主党の増加分は、投票率を10ポイント以上押し上げた人々の票を吸収したもの(おそらくは、前回選挙に行かなかった無党派層)であるということです。
 民主党の勢いは、これまで選挙に行かなかったであろうような人々の支持を新たに獲得することによって生じているということが分かります。つまり、次の総選挙でも、投票率が上がれば民主党に有利になるということになります。

 そればかりではありません。共産党と公明党についても興味深い事実が分かります。この二つの政党は強固な支持基盤をもっている点では共通していますが、選挙の結果は対照的になりました。
 共産党は得票を増やしたのに議席を減らし、逆に、公明党は得票を減らしたのに現状を維持しました。つまり、逆風が吹いていたのは共産党ではなく公明党の方に対してだったのです。
 共産党は得票を減らしたわけではなかったけれども、当選を可能にするほどには増えなかったということになります。逆に、公明党は得票を減らしたけれども、落選するほどの減少にはならなかったということでしょうか。

 別の言い方をすれば、「棒杭現象」の影響が共産党には大きく、公明党に小さかったということでしょう。強固な支持基盤(棒杭)があっても、投票率がアップして当選可能ラインが上昇(水面が上がる)すれば、「水没」する可能性が高まるからです。
 その結果、共産党候補の何人かは「水没」してしまいました。公明党でも危ない候補は何人かいましたが、かろうじて「水没」を免れたというわけです。
 その背景には、共産党の方が革新無党派に依存する割合が高く、これらの人々の一部が民主党支持に回った可能性があること、公明党が当選可能性の高い選挙区に限って候補者を立て、選択と集中による選挙戦を展開したことなどの事情があったように思われます。選挙戦術によって左右された部分が大きかったと言えるかもしれません。

 さて、この都議選の結果を受けて、麻生首相はどうするのかが注目されています。もう、解散・総選挙に打って出るしかないでしょう。
 解散に反対する閣僚が出たら、罷免して自分が解散詔書にサインすればよいのです。自民党が分裂しようと公明党が抵抗しようと、断固として自らの意志を貫けばよいだけです。
 起死回生の勝負では、明確な決意を示すことが必要です。今が、その絶好のチャンスではありませんか。反対と抵抗が強ければ強いほど、首相の決断が際だつというプラス効果もあるのですから……。

 なお、当初の文章での各党の得票数は確定したものではありませんでしたので、確定得票数にしたがって書き直してあります。

7月12日(日) 民主党への強い追い風が吹いた東京都議会議員選挙 [選挙]

 東京都議会議員選挙の開票が進んでいます。ほぼ、予想通りの結果だったと言って良いでしょう。

 昨日のブログで、私は「投票率が上がるでしょう。麻生首相にとっては、好ましからざる結果が出るにちがいありません」と書きました。
 まさに、結果はそうなりました。麻生さんは、もともと曲がっている口をさらにひん曲げて、頭を抱えているに違いありません。
 投票率が上がった分の票は、全て民主党に入ったかのような躍進ぶりです。7つの1人区のうち6選挙区で議席を獲得した事実が、民主党の躍進ぶりを象徴しています。

 民主党の一人勝ちと言って良いのではないでしょうか。自民党に代わって、都議会第一党になるのは確実です。
 今はまだ開票の途中ですが、おそらく、自公両党を併せても都議会の過半数を占めることはできないでしょう。石原都政の基盤は大きく揺らぐことになります。
 オリンピックの招致や築地市場の移転問題など、今後の都政への影響には大きいものがあります。次の都知事選にも大きく影響するにちがいありません。

 それよりも何よりも、麻生政権の前途と次の総選挙に大きく影響することになります。「政治を変えたい」「政権を変えたい」という都民の願いによって、このような民主党の躍進が実現したからです。
 小泉構造改革によって生活と労働が破壊されてしまったことに対する怒り、国民に選択を問うこともなく首相の顔を3度も取り替えてきたことに対する不満、「麻生降ろし」や東国原宮崎県知事の担ぎ出しなど総選挙に勝つためなら何でもありの姑息な悪あがきへの批判などが積み重なった結果としての自民党惨敗です。都議選の結果ではありますが、都政に対する審判である以上に、自民党政治そのものに対する審判であったと言うべきでしょう。
 この結果が、次の総選挙に引き継がれるであろうことは確実です。もはや、政権交代は避けられません。

 麻生さんと自民党は、蟻地獄に落ち込んだようなものです。抜け出そうとしてもがけばもがくほど、逆にどんどん深みに入り込んでいくことになります。
 もう、悪あがきは止めるべきです。とっとと国民の審判を仰いで、潔く政権の座を去るべきでしょう。

7月11日(土) 解散か辞任か、またも先送りなのか [解散・総選挙]

 注目の東京都議会議員選挙の投開票日が明日に迫ってきました。天気予報は曇りです。投票率が上がるでしょう。麻生首相にとっては、好ましからざる結果が出る可能性が高いと思われます。

 そのとき、麻生さんはどうするのでしょうか。解散に打って出るのでしょうか、首相を辞任するのでしょうか。それとも、またも決断を先送りするのでしょうか。
 サミット最終日の記者会見で、解散の時期について麻生首相は「諸条件を十分に勘案して近々判断したい」と発言しました。「近々」とはいつのことなのでしょうか。何を、どのように「判断」するのでしょうか。

 都議選の投開票日の翌日、13日(月)に解散に打って出る可能性がささやかれています。その場合の投票日は、8月8日(土)か9日(日)になります。
 しかし、解散するには閣僚全員の署名が必要です。拒否された場合、解任して首相が兼務し、代わりに署名するということになるでしょう。
 多数の反対があった場合、麻生さんは強行突破できるのでしょうか。ただでさえリーダーシップのない麻生さんです。この期に及んで、それだけの蛮勇を発揮できるかは疑問です。

 それに、閣僚の反対を押し切って解散すれば、与党の分裂選挙となることは避けられません。それでなくても与党が不利だとされている選挙戦です。分裂して闘う覚悟ができるのでしょうか。
 注目されるのは、公明党から入閣している斉藤環境相です。公明党は、都議選が終わってから間もない8月前半の総選挙に反対しているからです。
 署名を拒否し、それでも解散した場合、総選挙での自公協力はご破算になります。8月下旬以降の投票ということで、麻生さんは妥協を迫られるかもしれません。

 このように、都議選直後の解散には様々な困難が横たわっています。「これは無理だ」と判断した場合、麻生さんが自ら進んで職を退く可能性があります。
 首相辞任は、自民党の一部にとっては歓迎すべきことでしょうが、国民の理解を得ることはできないでしょう。選挙での審判なしに4度も首相が交代する、それも選挙対策のための看板のすげ替えであることは見え見えですから、理解して欲しいという方が無理です。
 したがって、看板を変えたからといって支持率が回復する保障はありません。かえって批判を招く危険性もあります。

 しかし、自民党からすれば、何もやらずに負けるよりも、何かやって負ける方が良いという気持ちかも知れません。悪あがきでも、やってみなければ、その効果は分からないのですから……。
 とはいえ、国民の目から見れば、何とも情けない限りです。戦後の日本政治を担ってきた天下の政権党ではありませんか。このような悪あがきはみっともない。
 真正面から国民の審判を受け、堂々と下野するという政権党としての矜持を示すべきでしょう。選挙によって政権が交代するのは民主政治であれば普通のことであり、何も力ずくで阻止しなければならないような異常事態ではないのですから……。

 こうなってくると、麻生首相の心境は「行くもならず、退くもならず」ということかもしれません。進退窮まるとは、こういう状態のことを言います。
 結局、何も決断できず、またも先送りするということになってしまうかもしれません。アホー愚図太郎の本領発揮というところでしょうか。
 そうなれば、自民党内の「麻生降ろし」は加速します。内閣不信任決議案や問責決議案の提出など、野党からの攻勢も強まるでしょう。決断できない麻生さんにとっても、「近々判断」しなければならない正念場が訪れることになります。

 いずれにしましても、来週1週間は政局激動の日々となるにちがいありません。日本の戦後政治が、大きく音を立てて旋回する瞬間を迎えているようです。

7月10日(金) 今日の貧困と格差 [論攷]

〔以下の論攷は、労働科学研究所から発行されている『労働の科学』64巻7号(2009年7月号)の巻頭言「俯瞰(ふかん)」に掲載されたものです〕

今日の貧困と格差

 2008年の末、GDP世界第2位の経済大国の首都のど真ん中に、忽然と姿を現した「年越し派遣村」。食と住を求めて集まってきた「貧しき人々の群れ」は、現代の日本に存在しながら、それまでハッキリとは見えなかった一つの現実を私たちに突きつけました。それは、現代日本における「貧困」という現実です。貧困を可視化したという点で、この「村」の出現は大きな意味を持ったと言えるでしょう。
 長らく、貧困は過去のものと思われてきました。確かに、戦後の食糧難の時代には生存を脅かす「絶対的貧困」が存在しましたが、高度経済成長によって「物質的豊かさ」は達成されたかに見えました。その頃、問題とされたのは「心の豊かさ」であり、他と比較しての貧しさ、つまり「相対的貧困」でした。
 ところが、今また「おにぎり食べたい」という言葉を残して餓死者が出るような「絶対的貧困」の時代が訪れたのです。
 ただし、今日の貧困は、過去のそれとは異なる部分もあります。「絶対的」とは言っても、社会全体の富からすればそれは「相対的」なものだと申せましょう。日本の国富は十分にありながらも、分配の不均衡や再分配の不備によって、それが偏在しているからです。こうして巨大な格差が生まれました。その背景には、政治の貧困という現実があります。
 また、貧困の多様性も、今日の特徴であると言えるかもしれません。それは収入や富における貧しさだけではなく、職と住の不安定さや社会的安全網の不備などをも意味しているからです。未来に対する希望の喪失や、平然とクビを切って路頭に放り出すような経営者の心の貧しさなども、現代における貧困の構成部分であると言えるでしょう。唯一の救いは、年末年始を返上して「年越し派遣村」に集まったボランティアの心の豊かさでした。
 どのような社会にも格差はありますが、今日の格差は、このような貧困の増大によって拡大したところに特徴があります。富める者が富んだ以上に、貧しい者が貧しくなってしまったからです。これを解決するためには、貧しさをなくさなければなりません。格差を縮小するためには、貧困を根絶し、生活水準全体の底上げを図らなければならないのです。
 さし当たり、最低賃金の引き上げ、労働者派遣に対する再規制の強化、非正規労働者の均等処遇に向けての差別の禁止などが必要でしょう。このようにして、働いても生活できないワーーキング・プアを一掃しなければなりません。
 生活の安定と所得の増大によって堅実な内需を生み出し、収入減→内需の縮小→消費低迷→減産→収入減という「負のスパイラル」から抜け出すことが必要です。貧困の絶滅と格差の縮小こそ、そのための唯一の活路にほかならないのです。

7月8日(水) 「骨太の方針2009」についてのコメント [論攷]

〔以下のコメントは、共同通信によって配信され、『埼玉新聞』『東奥日報』『佐賀新聞』の6月25日付に掲載されたものです。〕

「小泉の影」におびえ 改革めぐり党内に亀裂

 総選挙に勝つためには変えなければならないが、「小泉の影」におびえて変えきれなかったというところだろう。「骨太の方針2009」をめぐる一連の経過と内容を見ての感想である。
 自民党内には、小泉構造改革をめぐって明確な亀裂が存在している。今回もまた、そこからの反転をめぐる攻防が展開され、中途半端な形で決着した。
 第一に、「『骨太の方針二〇〇六』等を踏まえ、歳出改革を継続しつつ」という文言をめぐって激しいやりとりがあった。「骨太06」で示された毎年「社会保障費2200億円削減」こそ、障害者自立支援法、医療費の自己負担引き上げ、介護報酬や診療報酬の引き下げ、生活保護母子加算の段階的廃止、雇用保険国庫負担の削減、後期高齢者医療制度などをもたらした諸悪の根源であり、その撤回が求められるのは当然である。
 結局、与謝野馨財務・金融・経済財政担当相が、社会保障費を「来年度は削減はしない」と明言することで決着した。とはいえ、文言そのものは残った。
 社会保障費抑制反対の急先鋒だった尾辻秀久参院議員会長は以前、規制改革会議と経済財政諮問会議の「両会議は廃止すべきだ」と要求したことがある。「小泉構造改革路線から転換するかしないかの対立だ」と加藤紘一元自民党幹事長が指摘するとおり、転換を求められているのは小泉構造改革路線自体なのである。
 第二に、「骨太の方針」を作成した経済財政諮問会議の位置付けの低下がある。4月に発足した安心社会実現会議の「下請け機関」になってしまったからである。
 今回の「骨太の方針」には、「雇用を軸とした安心社会」や「新たな『公』の創造」などの文言が採用されている。いずれも、5月15日の安心社会実現会議に提出された文書の用語そのままであった。
 第三に、「規制・制度改革」という用語の登場である。すでに昨年の「骨太の方針2008」でも、「構造改革」「民間開放」「労働市場改革」は本文の記述から消えていた。今年はさらに実質的には規制緩和を意味していた「規制改革」という言葉が消え、「規制・制度改革」に置き換わっている。これは、制度改革には必ずしも規制緩和は含まれないとするためであろう。
 この言葉は、5月19日の経済財政諮問会議で初めて登場した。このとき、民間議員の三村明夫新日鉄会長は「新しい制度改革や規制緩和が必要になってくる」と説明している。「新しい制度改革」は「規制緩和」とは別ものとされているのである。
 このように、小泉構造改革路線からの反転は明らかだが、しかし、明確に転換したわけではない。有名無実化され「骨抜き」となったものの、「『骨太の方針2006』等を踏まえ」という「小骨」が残った。
 小泉構造改革路線はもはや継続できないが、かといって明確に転換することもできない。日本郵政の西川善文社長の続投をめぐる混乱も、このような麻生内閣の中途半端で不徹底な転換のゆえであった。
 同じような事情は「骨太の方針2009」にも影を落としている。その意味では、何事も決断できない麻生首相らしいものになったと言えるかもしれない。


7月7日(火) 『POSSE』第4号の特集「『格差論壇』の座標軸」に登場 [日常]

 今日、研究所に『POSSE』第4号が送られてきました。この号の特集1は「労働組合の新時代」で、特集2は「『格差論壇』の座標軸」となっています。

 この2番目の特集は、木下武男さんが考案された「『格差論壇』MAP」についてのものです。考案された木下さんに加えて、私と濱口桂一郎さんが登場しています。
 『POSSE』第4号の内容については、http://www.npoposse.jp/magazine/no4.htmlをご覧下さい。私が登場しているのは、次のところです。

【特集2】「格差論壇」の座標軸

○特別企画 「格差論壇」MAPのゆくえ
 ◆「「格差論壇」MAPとは何なのか」
  木下武男(昭和女子大学教授)
 ◆「私は「格差論壇」MAPをどう見たか①」
  五十嵐仁(法政大学大原社会問題研究所教授)
 ◆「私は「格差論壇」MAPをどう見たか②」
  濱口桂一郎(独立行政法人労働政策研究・研修機構統括研究員)
◆座談会「「ニート論壇」って言うな! ~「セカイ系」化する論壇か、論客の「精神の貧困」か~」
杉田俊介(有限責任事業組合フリーターズフリー)×増山麗奈(超左翼マガジン『ロスジェネ』編集委員)×後藤和智(『おまえが若者を語るな!』著者)
◆「「やりがい」は間違っちゃいない! ―若者の力を生かすセーフティネット論―」
阿部真大(甲南大学講師)

 なお、165頁には、「NPO法人POSSEからのお知らせ」が掲載されています。そこには、私が登場する次の二つの企画が告知されています。

①『POSSE』読者セミナー「衆議院選挙の今、労働政策を問う」(仮)
 日時:2009年8月29日(土)14時~

②NPO法人POSSEシンポジウム「若者の労働とセーフティネットを考える」(仮)
 日時:2009年10月18日(日)14時~

 場所などの詳細については、決まり次第POSSEホームページhttp://www.npoposse.jp/に掲載されるとのことです。今からでも、予定しておいていただければ幸いです。

7月6日(月) 注目の静岡県知事選で自公推薦候補が惨敗 [選挙]

 注目された静岡県知事選挙が昨日投票されました。即日開票の結果、民主・社民・国民新党によって推薦された川勝平太候補が当選しました。
 この静岡県知事選の確定得票数は、次のようになっています。

当 72万8706票 川勝 平太=無新[民][社][国]
  71万3654票 坂本由紀子=無新[自][公]
  33万2952票 海野  徹=無新
  6万5669票 平野 定義=共新

 これを見ると、次点に終わった坂本由紀子候補と当選した川勝候補との差は1万5000票ほどです。「接戦」とか「辛勝」と言いたくなるような数字ですが、実は、そうではありません。
 第3位の海野徹候補は無所属ですが、民主党の元参院議員です。ですから、海野さんの得票と川勝さんの得票を合わせれば、106万1658票になります。
 つまり、自公系の71万票に対して、民主系は106万票も獲得していたということになります。自民党と公明党は35万票もの大差をつけられて民主党などに敗北したというのが真相です。

 野党との比較ということになれば、この差はさらに広がります。民主系の106万票に共産党推薦の平野定義候補の票が加わるからです。
 その結果、自民系71万票に対して、野党系は113万票にもなります。自民系は野党系の63%しか得票していませんでした。
 これを「接戦」とか「辛勝」などと言うことはできません。自公推薦候補の惨敗だと言うべきでしょう。

 しかも、場所は静岡県です。政治的には保守的な地域で、自民党の力も強かった場所です。
 県民性や政治・社会意識などは平均的で、全国の動向を知るには良いところだそうです。企業が新製品などを発売するときには、消費者の反応を見るため、まず、静岡から売り出すと言われているほどです。
 その静岡で、これほどの大差がついたということは、自民党にとって深刻でしょう。政党支持なし層の多い首都圏ではなく、保守の力が強かった静岡でも、これだけの大差で自民党が不信任されたのですから……。

 そうなると、都議選の結果は推して知るべしです。静岡県知事選以上の不信任が、自民党に対して示されるにちがいありません。
 自民党は坂の上から転がり始めた大きな石のようなものです。転落は避けられず、下手に止めようとしても押しつぶされるだけでしょう。

7月4日(土) 笹森清元連合会長との10年ぶりの邂逅 [労働]

 今日は、元連合会長だった笹森清さんの「連合運動の20年」と題した講演を聴きに行ってきました。久しぶりに笹森さんの話を伺いました、と言いたいところですが、実は、つい最近も笹森さんのお話をお聞きしています。

 2週間前の6月12日(金)、生活経済政策研究所の「『労働と福祉国家の可能性:労働運動再生の 国際比較』出版記念シンポジウム」に参加したからです。このシンポジウムでは、湯浅誠反貧困ネットワーク事務局長が「派遣村から見た日本社会」、竹信三恵子朝日新聞編集委員が「いまなぜ労働運動か-生活と職場のはざまで」、笹森清労働者福祉中央協議会会長が「連合運動の20年」、篠田徹早稲田大学社会科学総合学術院教授が「問われる労働運動の構想力-物語の作り替え」と題して講演し、京都大学の新川敏光さんが司会をされました。
 会場で、旧知の新川さんや青年ユニオンの河添さんにお会いしてご挨拶しました。しかし、あいにく笹森さんとは言葉を交わす機会がありませんでした。

 ということで、今日、社会運動ユニオニズム研究会が始まる前に、ご挨拶にうかがいました。笹森さんと直接言葉を交わすのは、実に10年ぶりのことになります。
 1999年の11月2日、大原社会問題研究所創立80周年・法政大学合併50周年記念シンポジウム「労働の規制緩和と労働組合」が開催されました。このとき、報告者と司会者として同席して以来のことです。
 あれから10年の月日が経っています。当時、連合の事務局長だった笹森さんは、その後、連合会長となり、今では連合も退職され、労働者福祉中央協議会(中央労福協)の会長さんです。

 このときのシンポジウムには、笹森清連合事務局長をはじめ、坂内三夫全労連事務局長、木陸孝日経連経済調査部長、高梨昌日本労働研究機構(JIL)会長の各氏がパネリストとして出席されました。今から見ても、なかなかの豪華メンバーです。
 司会は、この私です。坂内さんや木陸さん、高梨先生とは、その後も何回かお会いする機会がありました。しかし、笹森さんとは、お会いするチャンスが一回もありませんでした。
 なお、このときのシンポジウムの内容は、その後、研究所の『大原社会問題研究所雑誌』に掲載されています。お読みになりたい方は、http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/oz/497/index.htmlをご覧下さい。

 このシンポジウムは、今から振り返ってみても大きな意義のあるものだったと思います。 第1に、すでに99年の段階で、「労働の規制緩和」をシンポジウムのテーマに掲げていたことです。これは、かなり早い例に属するのではないでしょうか。
 『大原社会問題研究所雑誌』の「特集にあたって」では、次のように書かれています。ここでは「昨今の規制緩和のとうとうたる流れ」と書かれていますが、その「流れ」はこの後、さらに強まっていくことになります。

 この企画は、昨今の規制緩和のとうとうたる流れを見るにつけ、とくに労働の規制緩和について、それがすぐれて働く人の利害関係に関わり、物の規制緩和などとは質的に異なる特別な意味をもつのではないかといった関心から、浮かび上がったテーマであった。同時に、社会・労働問題に関する研究機関であり、専門図書館・資料館である大原社会問題研究所にとって、いまこの問題を取り上げるのは時宜に適したことではないかとの認識から、このシンポジウムの企画が決まった。

 第2に、労働者派遣法の産みの親だった高梨さんを招いていたことです。すでにこの時点で、労働の規制緩和における労働者派遣法制定の意味と高梨先生の役割を、それなりに意識していたということになりましょうか。

 第3に、笹森、坂内、木陸という労使の実質的な責任者が顔を揃えていたことです。とりわけ、連合と全労連の事務局長がシンポジウムの報告者として同席したため、大きな注目を集めました。
 しかも、このシンポジウムで笹森さんは、「同時多発的にやるというような行動までは否定しませんよ」と発言されました。これはその後、連合内で問題になって笹森さんは苦労されたようですが、その後、連合と全労連との関係を一歩前進させる契機となった大きな意味のあるやりとりだったように思われます。
 ということで、その時のやりとりを、以下に紹介しておきましょう。

(笹森)……その中で全労連さんと共同歩調の問題は、私の立場からいうと無理です。共闘はできません。それは今までのこの10年間、それからこの10年の前までのいろいろな、組織を連合としてつくり上げていく過程の中で、何があったかということで、問題はいまだクリアできていないんです。現場の段階では、特に地方自治体の職員を含めて、激烈な組織的な競合をやっている中で、表だけで形だけの共闘を取っていいのかどうかというのは、組織事情が許さないという意見があります。だから少なくとも共闘はできないけれど、この2年間の実績の中では同時多発的にやるというような行動までは否定しませんよということを申し上げてきているのだということです。

(坂内)……これから必要なのは、何が違うかを追い求めるのではなしに、何なら一緒なのか、何なら共通するのかということを大いに追い求めていくことではないでしょうか。連合と全労連が正式な関係で共同する形が今の現状の中でただちに実現するとは、私自身も思っていません。笹森さんがよく言われる同時多発的共闘でいいじゃないかと。私はそれで結構だと思います。

(五十嵐)……最後に司会者としてひとこと述べさせていただきます。今日の報告及び発言の中にもありましたけれども、労働者の雇用と生活を守るという点、人間尊重の社会を実現し、安心して働ける社会をつくるという点については、ここに参加されているすべての人の間で少なくとも一致できる点ではないかと思われます。
 また、このテーマは大原社会問題研究所が創立以来80周年にわたって追い求めてきた課題でもあります。安心して働き、生活できるような世の中をつくるために何が必要かを明らかにし、その実現に向けて力を尽くすということです。そのために、同時多発的行動を可能な限り、特に今の大リストラの中では雇用を守るという点で、追求していくことが重要になっているといえるでしょう。
 この点において、本日のシンポジウムが何らかの形で役に立てば、あるいは貢献できれば幸いです。

 以上のような形でのやりとりがありました。この後、「同時多発的行動」という言葉は運動内部で広まり、大きな意味を持つようになります。

 今日の講演の前に、私がこのシンポジウム時のお礼を兼ねてご挨拶したとき、笹森さんはこう仰いました。
 「そうそう、バンちゃんとご一緒しましたね。」
 「笹森さんには、ご迷惑をおかけすることになったようで、申し訳ありませんでした。」
 「色々と言う人がいましたが、私はそういうことをあまり気にしない方ですから。でも、あれが一つのきっかけだったかもしれませんね。」

 昨年末の「年越し派遣村」では、連合、全労連、全労協が一緒に取り組んでいます。個別課題での連合と全労連の連携や同席は、もう珍しいものではなくなりました。
 この日の報告でも、右・左というイデオロギーの分類は終わったこと、垣根を取り払って共同することが重要であることが強調されました。その通りだと思います。
 この10年間で、連合と全労連との関係も変化してきています。そのきっかけになったのが10年前の研究所主催のシンポジウムであったとすれば、これほど嬉しいことはありません。

 貧困ネットワークの呼びかけ人でもあるということで、笹森さんの胸には「お化けバッヂ」が着いていました。これこそ、労働運動と社会運動の合流を「可視化」するものであると言えるでしょう。
 新しい波は、着実に動き始めています。この10年間、時間は無駄に流れていなかったのだ、ということを確認できたような気がしたものです。

7月3日(金) どっちみち負けるのだから夏休みをフイにするような愚は避けるべきだ [解散・総選挙]

 8月8日(土)投票説が浮上してきました。エッ、8月8日。
 この日は、私大教連の教研集会で講演することになっています。何と、北海道の酪農学園大学に行くその日に、総選挙の投票日がぶつけられるかもしれないなんて……。

 8月9日(日)は長崎原爆の日ですから国を挙げて原爆犠牲者を慰霊するべきであり、総選挙の投票日とするのを避けようというのが大義名分です。でも本音は、少しでも与党に有利になるような形で選挙をやりたいということでしょう。
 日曜日でなければ、投票率が下がる可能性があります。少しでも投票率が下がれば、自民党や公明党に有利になるかもしれません。
 これもまた、麻生さんのジタバタの一例ですが、無駄なことです。どうやってみても、与党の敗北は避けられないのですから……。

 政権交代は確実に起きるでしょう。それは、この先、いつ解散しても同じです。自民党敗北の程度が、多少変化するだけです。
 だとしたら、できるだけ国民に迷惑がかからないような時期を選択するべきです。そのためには、できるだけ早く解散し、投票日をお盆前に設定しなければなりません。
 公明党が求めている8月30日(日)や9月6日(日)の日程は避けるべきです。8月下旬以降になれば、中旬の夏休みが吹っ飛んでしまう選挙関係者が多くなるからです。

 選挙活動や投票の準備に追いまくられ、夏休みどころじゃなくなるというのでは可哀想じゃありませんか。レジャーに費やす時間が少なくなれば、景気にも悪影響を及ぼすでしょう。
 景気対策を第一とするのであれば、直ちに解散するべきです。そうすれば、夏休みをたっぷり取って、選挙の疲れを温泉などでいやすこともできます。
 自公政権に代わって新政権が発足すれば、未来に希望が生まれます。将来のために蓄えた貯金の一部を取り崩してレジャーに当てようという人も現れるでしょう。

 もうすぐ夏休みです。夏休みには色々な予定を立てるのが一般的です。
 中には、総選挙の日程が決まらず、計画を立てられなくて困っている人もいるはずです。このような人のためにも、麻生首相はできるだけ早く、解散・総選挙のスケジュールを明らかにするべきでしょう。


7月2日(木) 野党は麻生内閣不信任案を出して解散に追い込むべきだ [解散・総選挙]

 「大山鳴動してネズミ(失礼!)2匹」というわけでしょうか。閣僚の補充人事のことです。
 本当は、自民党役員の交代を狙っていたはずです。総選挙に向けての臨戦態勢を組もうと思っていたのですから……。

 しかし、周囲から反対され、身動きが取れなくなってしまいました。何もしなければ、さらなる求心力の低下は免れません。
 仕方なく、2人の閣僚を補充してお茶を濁したというわけです。その結果、お茶が濁っただけで、臨戦態勢の確立とはほど遠いものになりました。
 「発信力がない」「論戦に不安だ」という細田幹事長はそのままです。総選挙に向けてアピールできるようなサプライズもなければ、噂されていた東国原宮崎県知事の取り込みにも失敗しました。

 東国原知事もハッキリしません。総選挙に出るのか出ないのか、その去就は今ひとつ不透明です。
 大体、自民党から出馬しようというところが、もういけません。沈みかかった船に乗り込んで、何ができるというのでしょうか。
 知事は「僕が行く党は負けない、負けさせない」と、自信たっぷりに語っているようですが、それは無理というものです。「小泉チルドレン」のように、利用されて捨てられるのが関の山でしょう。

 こうなってくると、麻生さんが頼れるのは民主党の「敵失」だけです。その期待に応えるかのように、鳩山由起夫代表の政治資金問題が表面化してきました。
 だんだんと問題点が明らかになって、ボロボロの様相が強まっています。これ以上傷が深まれば、沈みかけた麻生丸に浮き袋を投げることになりかねません。
 とはいえ、二階さんや与謝野さんなど、自民党の方も「政治とカネ」の問題を抱えています。スネに傷を持つ身で、どこまで民主党を追及できるのでしょうか。

 麻生さん、もうジタバタするのはおやめなさい。すぐに解散するしか、選択肢は残されていないのです。
 もし、麻生首相が自ら解散しないのであれば、野党が力ずくで引きずり下ろすしかありません。すぐに内閣不信任案を提出して、解散へと追い込むべきでしょう。