SSブログ

8月31日(月) 祝!! 政権交代 [解散・総選挙]

 自公政権に対して、歴史的な審判が下りました。予想通りのこととはいえ、政権交代の実現を祝い、歓迎したいと思います。

 すでにご存知のように、選挙の結果は、これまでの与党が、自民119(300)、公明21(31)となり、野党などでは、民主308(115)、共産9(9)、社民7(7)、国民3(4)、日本1(0)、みんな5(4)、改革0(1)、諸派1(1)、無所属6(6)となりました。
 なお、投票率は69.28%です。前回の2005年(67.51%)を1.77ポイント上回り、現行の小選挙区比例代表並立制が導入された1996年以降の選挙では過去最高になっています。

 予測と結果を比較すると、最終盤になって自民党が多少巻き返したように見えます。NHKの出口調査では、民主党は320議席ほど、自民党は100議席前後とされていましたから。
 十数議席ほど、自民が多くなり、民主が少なくなっています。しかし、「民主圧勝」という事前予測のアナウンスメント効果による変動は、この程度にとどまりました。
 自民党を忌避し、民主党を勝たせようという有権者の意思は、それほど固かったということになります。これほどに国民から嫌われてしまったことに、自民党は深く反省する必要があるでしょう。

 その背景や要因は、一つや二つではないように思われます。長年の不満や不信が積み重なり、有権者の怒りが爆発したのではないでしょうか。
 この点では、惨敗の責任を麻生首相だけに負わせることはできません。麻生さんは、自公政権の「おくり人」として最適な方ではありましたが、国民の怒りは麻生さんにだけ向けられていたわけではないからです。
 政権党であり続けた自民党の「与党ボケ」、小泉構造改革による日本破壊とも言うべき失政、安倍・福田と2代にわたって続いた無責任な政権投げ出しなど、自民党の統治に対する不満と統治能力に対する不信が積み重なった結果としての明確な不信任でした。それなのに、麻生さんは「責任力」をアピールするという決定的な過ちを犯し、国民の神経を逆なでしてしまったように見えます。

 国民の不信任がいかに大きかったかは、自民党が結党以来初めて第1党の座を失ったことに示されています。選挙前の議席からすれば、半減どころか、3分の1強にまで減ってしまったというところに、自民党の敗北の深刻さがあります。
 しかし、それが民主党への信任を示しているかというと、必ずしもそうではありません。自民党と麻生さんの「オウンゴール」による得点が民主党に入ったという面も大きいように思われます。
 自公政権に対して「ノー」を言い、自民党を懲らしめるために民主党を使ったということかもしれません。熱狂的な支持ではなく、理性的な判断に基づく醒めた支持によって躍進したのだということを、民主党は自覚し、自戒する必要があるでしょう。

 今回の民主党躍進と自民党惨敗が、どれほど有権者の支持態度の変化に基づいたものであるかということも検証される必要があります。いずれもが、小選挙区制という制度のマジックによってもたらされた可能性もあるからです。
 小選挙区制は、実際に生じた支持態度の変化以上に、議席の変化をもたらすという特性を持っています。この特性によって、民主党の勝利が過剰となり、自民党の敗北が増幅されているかもしれません。
 民主党と自民党の議席の変化は極めて極端であり、前回の結果とほぼ反対になりました。小選挙区制によるこのような極端な変化によって日本の政治が歪められているのではないかという点でも、今後、十分な検証が必要になるでしょう。

 今回の変化は、基本的には日本の政治にとって前進的なものであり、自公政権の崩壊を喜びたいと思います。しかし、それでも、いくつか残念なことがありました。
 その一つは、共産党と社民党の議席が現状維持にとどまったことです。8月20日(木)付のブログで、「望ましいのは共産党や社民党の躍進をともなった政権交代」と書いた私としては、この両党が1議席でも2議席でも増やしてもらいたかったと思います。
 民主党は、常任委員会の全てで委員長ポストを独占しても委員の過半数を確保できる絶対安定多数の269議席を超えました。このような大きな力を持った民主党に対しては、今後、適切な牽制や批判が重要な意味を持つことになるでしょう。

 第2に、注目していた何人かの候補者が当選できなかったことです。東京の保坂さんや有田さん、島根の亀井さんなどが落選してしまいました。
 東京8区で自民党の石原伸晃候補と争った社民党の保坂展人候補には、是非、石原さんを蹴落として当選して欲しかったのですが、残念な結果になりました。また、東京11区で自民党の下村博文候補と対決した新党日本副代表の有田芳生候補にも是非当選していただきたかったのですが、わずかに及びませんでした。
 さらに、自民党の竹下登元首相の弟である竹下亘候補を相手にした国民新党の亀井久興幹事長も落選してしまいました。亀井さんとは日本テレビ「太田総理」の番組に出たときにご一緒し、その発言を評価していたのに残念です。

 第3に、自民党の中に、頭の固いベテラン議員や「靖国派」の議員が残ってしまったことです。元首相の森さんや福田さん、派閥領袖の町村さんや伊吹さん、それに安倍さんや福井の稲田朋美さんなどです。
 これは、おそらく自民党にとっても困ったことでしょう。党内不和の要因というだけでなく、新生自民党に生まれ変わるうえでの障害になる可能性があるからです。
 更地になっていれば新しい家を建てることは簡単ですが、大きな石がいくつか残ってしまいました。これでは、世代交代や「与党ボケ」の払拭と言っても、なかなか難しいのではないでしょうか。

 今年の夏は、政権交代という点では「勝利の夏」になりました。夏の甲子園での故郷新潟の日本文理高校の決勝進出、総選挙での自公両党の惨敗と政権交代が続いたからです。
 これで、5ゲーム差にまで迫った阪神がヤクルトを抜いてクライマックス・シリーズに進出して優勝すれば、もう言うことはないのですが……。ちょっと、欲張りすぎでしょうかね。

8月29日(土) 緑のニューディールと福祉のニューディール [論攷]

〔以下の論攷は、雑誌『ELDER』2009年7月号に掲載されたものです〕

 ピンチはチャンスといいます。今が、そのチャンスです。これまでの働き方を変え、新しい分野の雇用を開拓し、新規まき直しするための……。
 働き方を変えるということは、生活スタイルを変えるということでもあります。まず、残業をやめて定時に帰宅するという生活習慣を身につけるべきでしょう。
 家族揃った家庭生活を取り戻すことによって、人間らしい暮らしに向けてワーク・ライフ・バランスやファミリーフレンドリーな働き方を実現することができます。残業を減らして仕事を分かち合うことは、ワーク・シェアリングの具体化でもあります。
 でも、このようにして生み出される雇用の量には限界があります。従来の分野での雇用増を図るだけでなく、新しい分野での雇用を生み出さなければなりません。そのために必要なのは、「緑のニューディール」と「福祉のニューディール」の推進です。
 「緑のニューディール」とは、農業、林業、水産業や関連する食品分野での新たな雇用の創出です。また、環境や新エネルギー分野での新たな事業の開拓も、新規の雇用を生み出すでしょう。
 日本の豊かな自然と季節の移り変わりは、それ自体、観光資源としての価値を持っています。近隣のアジア諸国を市場とした観光産業の育成に、もっと力を入れるべきではないでしょうか。
 また、新たな分野ということでは、「福祉のニューディール」による雇用の創出も有望です。医療、介護、保育、教育などの分野への労働力の重点的な投入を図るべきです。地域の教育力を回復し、子育てをバックアップするという点でも、将来の日本社会を担いうる「人間力」の育成という点でも、地域の人々と提携した学校教育や学童保育の充実が図られなければなりません。
 日本の産業の将来を考えれば、ユニークさ、創造力、技能・技術力の回復も重要な課題です。既存の産業分野では、コスト削減を優先するあまり、非正規化の進展によって人材の育成が疎かにされてきました。労働力の正規化を図り、労働条件を改善し、働く意欲を高めることによって、かつての日本の産業力を取り戻すべきでしょう。
 他社や他国がまねのできない「ワン&オンリー」の製品を開発できるかどうかが、今後の日本産業の鍵を握ります。コスト削減のみにとらわれた「コスト・イデオロギー」から脱却し、「技術立国」の夢を、今一度、思い起こすべきではないでしょうか。

8月27日(木) 「身から出たさび」による「オウンゴール」を続ける自民党と麻生首相 [解散・総選挙]

 「民主320議席獲得も」「自民激減100前後」「総選挙中盤 本社情勢調査」
 今日の『朝日新聞』の一面に、このような見出しが躍っていました。記事は、次のように報じています。

 総選挙中盤の情勢について、朝日新聞社は22~25日に全300小選挙区の有権者を対象に電話調査を実施、全国の取材網の情報を加えて探った。それによると、(1)民主は非常に優勢で、衆院の再議決に必要な3分の2の320議席を得る可能性がある(2)自民は大敗が確実になり、100議席前後に落ち込む見通し(3)公明は小選挙区で苦戦、20台にとどまりそう(4)共産は比例区でほぼ前回並み、社民は小選挙区で善戦、などの情勢になっている。

 総選挙の中盤になっても、民主党の勢いは衰えていないようです。過半数維持どころか、一党で再議決に必要な議席を突破する可能性があるというのですから、すさまじい勢いです。
 ここに、小選挙区制という選挙制度の持つ問題点が象徴的に示されています。勝利や敗北をかさ上げして、過剰なものにしてしまうからです。
 自民党は、今回、自らが導入したこの制度の怖さを身をもって知ることになるでしょう。勝利するであろう民主党も、「明日は我が身」と思っているかもしれません。

 選挙最終盤になって、自民党と麻生首相は、自ら選挙の趨勢を強める「自滅作戦」を展開しているようです。自民党は民主党を中傷する「怪文書」を撒いて、有権者の反発を買っているからです。
 各地で撒かれているビラは、「知ってビックリ民主党、これが実態だ!!」「知ってビックリ民主党、これが本性だ!!」などのタイトルで、「民主党にだまされるな」「労働組合が日本を侵略」「民主党は日教組の手先だ」「民主党が政権をとったら日本が滅びる」などという文章が並んでいるそうです。
 麻生首相の方も、相変わらず「怪演説」を繰り返して、選挙民の顰蹙を買っています。首相は、23日に「そりゃ金がねえなら結婚しない方がいい。うかつにそんなことはしない方がいい」「稼ぎが全然なくて尊敬の対象になるかというと、なかなか難しいんじゃないか」と発言して批判されたのに続いて、25日には、「政治はバクチじゃねえ。(民主党に)ちょっとやらせてみるか、というのは違う話だ。まったく政治の優先順位が分かってねえ人が多すぎる」と有権者をバカにするような発言をしていました。

 このような状況ですから、惨敗の予測も当然でしょう。それも「身から出たさび」と言うべきものですし、「オウンゴール」を繰り返しているのは、麻生首相だけではなく、自民党全体がそうなっているように見えます。
 自民党の失敗は、度重なる失政によって国民の反感を買ってしまったということにありました。そうであれば、自民党が困った状況になればなるほど、国民は溜飲を下げることになります。
 弱いものに味方する「判官贔屓」ではなく、強いものに同調する「バンドワゴン(勝ち馬に乗る)効果」が生じているのはそのためです。「自民苦戦」が伝えられれば、この傾向はさらに強まるにちがいありません。

 麻生首相は各地で応援演説に回っていますが、実際には票を蹴散らしているのではないでしょうか。自民党が配っているビラといい、麻生首相の演説といい、逆効果としか言いようがないものです。
 政権党が政権を失うときは、こういうものなのかもしれません。地殻変動による歴史的大惨敗の前夜にふさわしい体たらくだと言うべきでしょうか。

 なお、総選挙投票日前日の8月29日(土)、雑誌『POSSE』のセミナーで話をさせていただくことになっています。「総選挙直前に問う、雇用政策のゆくえ」というテーマで話をしますので、関心のある方は午後2時に渋谷区勤労福祉会館までお出で下さい。

8月25日(火) 政界の底流にあり続ける「革新」 [論攷]

〔以下の記事は、私のインタビューを鈴木英生記者がまとめたもので、『毎日新聞』8月19日付夕刊に掲載されました〕

政界の底流にあり続ける「革新」

 戦後の日本政治は、長い間、保守の自民党対革新の旧社会党、共産党という大枠があった。1990年代以降、冷戦終結や政界再編で、具体的な政治勢力としての革新は、すっかり小さくなった。だが、五十嵐所長は「革新的なものは今の政界の底流にもあり、その意義は小さくない」とする。
 共産党や社民党が今も存在するというだけではない。そもそも、戦後の革新が主に要求してきた、再分配による平等や「平和」の希求といった傾向は、自民党内でもずっと底流を流れてきたものだ。
 「軽武装、成長重視の保守本流は、経済成長と一定の再分配を促進したし、旧三木派に代表される護憲リベラルも党内に常にいました」。つまり、保守だが実態では革新と同調できる面のある勢力は、政治の多数派だった。平等や「平和」を、革新政党とは違った手法でそれなりに実現しようとしたのが自民党とも言える。
 結果、皮肉なことに「旧社会党は、保守に半ばお株を奪われ、冷戦後の変化に対応できなくなってつぶれました」。90年代半ば以降は、アメリカの圧力下で本格化した新自由主義的な構造改革に、革新系の一部もいったん同調してしまった。「これで、革新の姿が国民に見えにくくなったことは確かです」
 ところが、その後新自由主義路線は行き詰まりを見せ、外交や安全保障面でのタカ派的主張も失速した。大きく言えば、今の選挙情勢を規定するのは、「この間、力を持っていた右派に対して、再分配路線などで革新に近い旧保守本流が盛り返した構図です」。しかも、民主党内に旧社会党系の議員がいることもあり、「保守2大政党の戦いではあっても、以前の自民党内での派閥争いの拡大版ではない。かつての保革対立に近い雰囲気もあるのでは」とすら言う。
 もう一つの論点である「平和」はどうだろうか? 「革新の側もイデオロギー色が薄まり、保守派と議論がしやすくなった。他方、この間の政権は右側に流れすぎ、保守にもそれへの批判がある。総選挙後は、この間の右傾化傾向が中道寄りに是正されるのではないでしょうか」
 旧来の革新政党も、「選挙制度や消費税問題などで、2大政党へのオルタナティブを提起するといった役割があります」。多数派からこぼれる意見の受け皿として、革新政党が一定の存在感を持つ状況も、アメリカなどとは違う、今の日本政治の特徴になっている。【鈴木英生】

8月24日(月) 最後まであきらめない日本文理高校の粘り [日常]

 すごい試合でした。あと一歩のところで負けた日本文理のナインは笑顔で一杯でした。
 「ここまでやれた」ということに満足したのでしょう。見ていた人も全て、日本文理の健闘に拍手を送ったのではないでしょうか。

 9回表の日本文理の攻撃が始まったときには、もうダメだと思いました。相手の中京大中京は10点で、6点もの差がついていたんですから……。
 しかし、2死からの怒濤の攻撃で5点を上げ、1点差まで詰め寄ったのです。最後に、ライナー性の当たりが三塁手のグラブに入ってしまい、あっという間にゲームセット。
 誠に、残念でした。あともう少し、右か左にそれていたなら、少なくともサードランナーが生還して同点になったのに……。

 でも、日本文理の選手は良くやりました。最後まであきらめず、粘りに粘って、もう少しのところまで行ったのですから……。
 準優勝おめでとう。それに、最後まで目が離せない緊迫感あふれる良い試合でした。
 君たちは良くやった。優勝できなかったとはいえ、胸を張って故郷の新潟に帰って欲しいと思います。

 最後まであきらめない日本文理のナインの粘りが光った試合でした。選挙も同じです。
 最後まであきらめずに、粘ることが肝要でしょう。そうすれば勝機を見いだすことができるということを、日本文理の闘いは私たちに教えています。
 しかし、この人の場合は、「粘り」というよりは「悪あがき」なのではないでしょうか。どんなにあがいても、勝機を見いだすのは難しいように見えるのですが……。

 「そりゃ金がねえなら結婚しない方がいい。うかつにそんなことはしない方がいい。金がおれはない方じゃなかったけど、結婚遅かったから」
 麻生首相は昨日の夜、都内で開かれた学生主催の集会で、少子化問題に関連してこう述べました。学生から、若者に結婚資金がなく、結婚の遅れが少子化につながっているのではないか、と質問されたのに答えたものだそうです。
 自民党は出産や子育てに対する支援をマニフェストに掲げています。「国が支援するから、お金の心配をしないで結婚して子供を作りなさい」と、そう言うのが普通ではないでしょうか。

 このような人が、この国の最高指導者であって良いのでしょうか。「そりゃ金がねえなら結婚しない方がいい。うかつにそんなことはしない方がいい」などと言う首相には、一刻も早く退場願うべきでしょう。
 その機会は間近に迫って来ています。あと1週間、辛抱すればよいのですから……。

8月23日(日) 勝負の夏を勝利の夏に [日常]

 先ほど、新潟での法事を終えて、東京の自宅に帰ってきました。2泊3日の短期間でしたが、温泉にも入り、親戚の皆さんのお顔も拝見し、美味しい酒に料理を味わうことができました。昨日は、昼から夜更けまで飲み続けていたような気がします。

 昨日の酒宴の席で、たまたま今度の選挙の話になりました。驚いたのは、政治を変えなければならないと、私の方が諭されたことです。
 これまで農民は自民党の言うことを聞いてきた。でも、農業はダメになるばかりでちっとも良くならない。いまさらマニフェストだとか言って美味しそうなことを並べているけど、それをどうして今までやらなかったんだ、というわけです。
 まるで、私が自民党のマニフェストについて論評したようなことを、言われてしまいました。私は、ただただ相づちを打つばかりです。

 これでは、今度の選挙で自民党は勝てません。農業県の新潟でさえ、人々の心は離れてしまっています。
 総選挙に立候補している与党の候補者のうち、果たしてどれだけの人が、先ほどの問いにきちんと答えることができるでしょうか。「今、マニフェストに掲げている政策を、どうしてこれまでやらなかったのか」という問いに……。
 もし、私がこれに付け加えるとすれば、「これまでできなかったことが、どうしてこれからならできると言えるのか」という問いです。各地で自民党の候補者に政策を聞く機会があると思いますが、このような質問をしてみたらいかがでしょうか。

 もう一つ、酒宴で話題になったのは、言うまでもありません。夏の甲子園(全国高校野球選手権大会)での新潟代表である日本文理高校の活躍です。
 高校野球での新潟代表といえば、私たちの時代には「初戦突破」が悲願でした。とにかく一勝すること、惨めな形で敗退しないことが、さしあたりの目標だったのです。
 それがどうでしょう。あれよあれよという間の準々決勝進出です。しかも、すさまじい打力による堂々たる勝利の連続ではありませんか。

 そのうえ、東京に戻ってくる途中、嬉しいニュースを知りました。日本文理が準決勝で県立岐阜商業を破って決勝への進出を決めたという知らせです。
 新潟県勢が、夏の甲子園で決勝に進出するなんて、私が生きているうちにはあり得ないと考えていたような奇跡です。それが、まさに実現したのです。
 ここまでくればもう満足だ、と言いたいところですが、そうはまいりません。決勝に進出するからには、ぜひ、優勝旗を新潟に持ち帰ってもらいものです。

 今年の夏は、私にとってはまさに「勝負の夏」になりました。あり得ないと思われていた甲子園野球大会での新潟県勢の決勝進出と、与野党逆転の可能性をかけた総選挙です。
 このいずれも、ぜひ「勝利の夏」にしたいものです。日本文理が優勝し、政権交代が実現すれば、私にとっては最高の夏となり、生涯、忘れることのできない夏になることでしょう。

8月20日(木) 望ましいのは共産党や社民党の躍進をともなった政権交代 [解散・総選挙]

 「よほどのことがない限り、政権交代は実現する可能性がある。たまには野党になるのも悪くない」
 昨日、さいたま市で自民党候補を応援した小泉元首相は、こう語ったそうです。これで、応援演説になるのでしょうか。

 とはいえ、選挙は小泉さんが語るとおりの情勢になっているようです。今日の『朝日新聞』には、一面に大きく「民主300議席うかがう勢い 総選挙序盤情勢 自民苦戦、半減か」という見出しが出ていたからです。
 この記事には、次のように書かれていました。

 30日投開票の総選挙について、朝日新聞社は18、19の両日、全300小選挙区から統計的に選んだ150小選挙区の有権者を対象に電話調査を実施し、全国の取材網の情報も加えて選挙戦序盤の情勢を探った。その結果、(1)民主は単独で過半数(241)を大きく超え、300議席台をうかがう勢い(2)自民は選挙前議席(300)の半数に届かず、それよりさらに大きく後退する可能性(3)比例区では、公明、共産はほぼ前回並み、社民はやや苦戦――などの情勢がわかった。

 調査時点で投票態度を明らかにしていない人が小選挙区で4割、比例区で3割弱いる。また、「選挙の情勢によっては投票先を変えることがある」という人も25%おり、終盤にかけて情勢が大きく変わる可能性もある。本社は選挙戦中盤に、全300小選挙区の情勢を探る調査を実施する。

 民主党は300議席を超え、自民党は150議席以下に落ち込む可能性があるというわけです。まだ投票態度を明らかにしていない人も3~4割いるそうですから、予断を許しません。
 しかし、投票態度を明らかにしていない人も、全てが自民党に入れるなどということは考えられません。どちらかといえば、民主党の方に投票する人の方が多いでしょう。
 ということは、現在の傾向がそのまま続くか、さらに民主党に有利になるか、いずれかだと思われます。「選挙の情勢によっては投票先を変えることがある」という人も4分の1いるということですが、このような起死回生の一発逆転を生み出す秘策などあるのでしょうか。

 やはり、政権交代の可能性はかなり大きいというべきでしょう。日本政治の大転換に向けて、大きなうねりが生じつつあります。
 この可能性を現実性に転化しなければなりません。野党各党は、最後まで気を抜かずに健闘してもらいたいものです。
 このままの情勢が維持され自公政権が倒れれば、1924年の総選挙以来、85年ぶりの本格的な政権交代ということになります。政権交代は、戦後の1947年と1993年にもありましたが、いずれも政界の再編や総選挙後の合従連衡によるものだったからです。

 それでは、このような本格的な政権交代の意義はどこにあるのでしょうか。

 それは第1に、政権交代のある民主主義を実現し、普通の先進国としての資格を手に入れることになります。日本は、民主主義という点では先進国とは言い難い、異常な状態を続けてきました。
 ほんの一時期を除いて半世紀以上も自民党が政権党であり続けてきた、これまでの日本が異常なのです。自公政権が倒れれば、政権交代は普通のことになり、日本も民主主義が作動する普通の先進国になることができます。
 この点では、日本は韓国によって追い越されてしまいました。先ほど亡くなられた金大中さんが大統領に当選することによって保守から革新へと政権が交代し、さらに、現在の李明博大統領の誕生によって革新から保守へと政権が交代しています。

 第2に、これまでの自民党政権、とりわけ過去10年の自公政権に対する明確な審判を下すことになります。現在の自民党が陥っている苦境の背景には、無能な麻生首相に対する不信任はもちろんありますが、それにとどまらない積年の不満が存在しています。
 半世紀以上にわたる自民党による政治支配の破綻、1980年代以来の新自由主義政策の失敗、小泉首相以来の構造改革への不満、安倍・福田と続いた無責任な政権投げ出しに対する批判など――これらが累積した結果としての自民党と麻生首相に対する忌避なのです。
 したがって、それは一時的で部分的なものではありません。以前にも書いたように、審判の対象とされているのは個々の政策の善し悪しではなく、自民党による統治そのものなのです。

 それに、過去10年の自公政権の実績という点だけをとってみても問題山積です。自公が連立を組んだ過去10年間で、国の借金(赤字国債)は300兆円も増え、今年6月現在で過去最大の860兆円になりました。
 また、自民党がマニフェストで、今後10年間で世帯の可処分所得を100万円増やすという政策を出したことにも笑ってしまいました。任期が4年間しかない衆院議員の選挙公約に10年後の目標を示すのも「何を考えているのか」と言いたくなりますが、この10年間で100万円という額が、過去10年間に世帯所得が減少した額とほぼ同じ(1世帯平均所得は98年に655万円だったのが07年には556万円)だというのも「お笑いぐさ」と言うしかありません。
 自民党は、過去10年間で減らした所得を、これからの10年間で元に戻すと言っているにすぎないのです。これを「お笑いぐさ」と言わずして、なんと言ったらよいのでしょうか。

 第3に、これからの日本をどうするのか、という将来への展望を開くことです。私の主張からすれば、それは「特上の国」に向けての第1歩にほかなりません。
 このような「あるべき国」の姿としての「特上の国」について、私は拙著『活憲-「特上の国」づくりをめざして』(山吹書店&績文堂、2005年)の中で、次のように述べたことがあります。

 「特上の国」? 耳慣れない言葉かもしれません。この本の造語です。二つの意味を込めて、この言葉を使っています。
 一つは、この日本に生きる私たちにとって「特上の国」となることです。ここで生まれて育ったことを幸せだと実感できるような国にしたいということです。働きすぎて死ぬこともなく、将来を悲観して自ら命を絶つこともないような国、長寿を喜び、若者が希望を持ち、子どもたちの歓声に満ちあふれるような国、豊かな自然、気候や風土を生かした美しい国にしたいものです。平和で民主的な国にすることは、その前提です。そのためには、今、何が問題なのかを、明らかにしなければなりません。診断が正確になされなければ、適切に治療することができないからです。そして、どのような方向に転換するべきかを、考えてみたいと思います。
 もう一つは、国際社会にとっても「特上の国」となることです。日本という国の存在が、周辺諸国はもとより、世界の人々にとって大きな利益と恩恵をもたらすような国にしたいということです。戦前のような国になって再び周辺諸国に迷惑をかけるのではないかと疑われることのない国、宗教や人種による分け隔てなく、必要なときにはいつでも援助の手をさしのべる友人のような国、貧困や病気、無知などの「構造的暴力」の根絶のために日頃から努力を惜しまない国、災害など緊急時にはいつでも真っ先に駆けつける「国際赤十字」のような国、核廃絶と軍縮・軍備管理のために世界の先頭に立つ平和な国、世界の人々によって親しみをもって語られるような頼もしい国にしたいものです。世界平和の構築と維持のために国際社会に貢献することは、日本の安全を保障することになるでしょう。そのために、日本はどのような役割を果たすべきなのか、果たすことができるのかを、考えてみたいと思います(11~12頁)。

 このような国が、私の言う「特上の国」です。それは、自公政権の下では“夢”にすぎませんでした。
 しかし、政権が交代すれば、もう夢ではなくなるかもしれません。実現に向けての可能性が生まれるかもしれないのです。
 ただし、そのためには条件があります。民主党1人勝ちによる政権交代ではいけないということです。

 選挙では比例代表制を活用して、多様な意見の反映を図らなければなりません。民主党以外の共産党や社民党が発言力を高める必要性は、比例区定数80議席削減、将来的な消費税導入や改憲の可能性など、民主党のマニフェストの問題点によって示されています。
 自公政治に対する大いなる不満は、これらの政党を政権から追い出すことによって解消することができます。同時に、民主党政権に対する不安は、共産党や社民党など他の野党による批判と牽制によって解決することができるでしょう。
 これらの政党の増大をともなった政権交代こそ、望ましいものであると思います。共産党や社民党も躍進し、民主党に対して充分な牽制力を発揮できるような形での政権交代が実現するよう願っています。

 なお、昨日付の『毎日新聞』夕刊の文化欄に、私のインタビュー記事「政界の底流にあり続ける『革新』」が掲載されています。ご笑覧いただければ幸いです。
 また、来週金曜日発売の『週刊金曜日』にも、私の論攷が掲載される予定です。こちらの方も、ご一読下さい。

 明日、21日から3日間、法事で新潟に帰省します。父親の23回忌、母親の13回忌になるからです。
 この間、ブログはお休みします。ご了承下さい。

8月19日(水) 利用されて捨てられた人もいれば「藁」をつかんでしまった人もいる [解散・総選挙]

 総選挙が始まりました。立候補にまつわる候補者の悲喜劇も目につきます。とりわけそれは、前回の郵政選挙で「刺客」として脚光を浴びた人々に多いような気がします。

 悲喜劇の最たるものは、立候補を断念した小泉チルドレンのあの方でしょうか。前回の衆院選で東京ブロック1位だったこの方は、小泉元首相から直接出馬を要請され、「小泉枠候補」として初当選を果たしました。このとき、2回は優遇するという約束があったそうです。
 しかし、今度の選挙では上位での登録をはずされることが決定的になりました。そのために、不出馬という苦渋の選択をしたというわけです。
 不出馬を電話で伝えられた小泉元首相は「執行部は私の言うことも聞いてくれない。人生いろいろ総裁もいろいろだから仕方ない」と話していたといいます。小泉さんに上手く利用され、「必要なくなったから」ということで、捨てられてしまったのでしょう。

 これは、都議選で自民党が大敗したことの余波だと思われます。東京での小選挙区候補の苦戦が明らかになったため、この候補を特別扱いする余裕がなくなってしまったというわけです。
 でも、1人くらい何とかならなかったのでしょうか。こんなことをすれば、いかに自民党が冷酷な嘘つき政党かということが分かってしまうではありませんか。
 そもそも、平和学を専攻して軍備管理と軍縮を主張してきた学者であったにもかかわらず、自民党から立候補したこと自体、大きな間違いだったのではないでしょうか。国連の平和構築活動に関わり、学者としての立派な業績もあるのに、小泉さんの口車に乗せられて晩節を汚すような形になってしまったのは惜しまれます。

 もう1人、落選の危機にあわてふためいて、思わず流れてきた「藁」をつかんでしまった方もいるようです。注目の東京10区から立候補した自民党のあの方です。
 よりにもよって、幸福実現党の候補者との共闘を宣言しました。この方の方から選挙協力を打診し、相手の候補は「志は一緒」と回答し、あっさり不出馬を決めたといいます。
 公示前日、この2人は北朝鮮による拉致工作の拠点とされる池袋のクラブ「ニューコリアン」跡地前でそろって演説しました。このとき、幸福実現党から立候補する予定だった方が「北朝鮮にレンジャー部隊を送り込み、金正日を拘束して東京で裁判にかける」と演説し、「(幸福実現党の比例東京ブロックで出馬する)ドクター中松さんの『ミサイルUターン技術(撃ち込まれたミサイルをUターンさせ自爆させる発明)』にも理解を示されております」と述べました。

 自民党の候補者は、この演説を聞くと、そそくさと車に乗り込んで会場を後にしたそうです。「こんな人と一緒にされてはかなわない」と思ったからでしょう。
 でも、そんな人に「一緒にやろう」と共闘を持ちかけたのは、ご自分ではありませんか。拉致問題では共闘できても、廃止を主張している消費税問題では、どうするのでしょうか。
 幸福実現党の母体である幸福の科学は創価学会と対立しています。幸福実現党と共闘するということは、公明党との共闘がご破算になっても良いということなのでしょうか。

 総選挙での惨敗が予想されている自民党を救うために、幸福実現党はいったんは総選挙から撤退するかのようなそぶりを示しました。しかし、12選挙区で擁立を見送っただけで、288の小選挙区と11の比例ブロックに計337人を擁立しています。
 東京10区のような形での、ハッキリとした「自幸」共闘の例は多くありません。変な演説をされれば、かえって足を引っ張られるからです。
 幸福実現党という政党は、立候補しても自民党の足を引っ張る、共闘してもやはり足を引っ張るというやっかいな政党なのです。東京10区の自民党候補がつかんでしまった「藁」も、水をタップリと吸って鉛よりも重くなったものかもしれませんよ。

 この2つの例に示されているような悲喜劇は、恐らく、まだ序の口にすぎないでしょう。総選挙の本番は始まったばかりですし、政治的な激動は、私たちが想像もできないような壮大なドラマを生み出すにちがいないでしょうから……。

 という風に、奥歯に物が挟まったような記述になってしまったのは、ネットでの選挙記述がどこまで可能なのかが良く分からないからです。候補者でなくても、変なとばっちりが来ては困りますから……。
 このような不自由な状態は、早くなくしてもらいたいと思います。ネット上での選挙運動の解禁をはじめ、「べからず選挙」を定めた公職選挙法の全面的な改正は政権交代後に新政権がなすべき最優先課題の一つでしょう。

7月18日(火) 「自民党と公明党にこれ以上政治を任せておいて良いのか」が最大の争点 [解散・総選挙]

 ようやく、総選挙が公示されました。待たされたものです。

 NHKの昼のニュースを見ていたら、麻生首相の第一声が流されていました。八王子の駅前で、「民主党は成長戦略なしに、高速道路はタダにします、児童手当はタダにしますと……」と演説しています。
 7時のNHKニュースでは、「児童手当はタダにします」という部分はカットされていました。NHKも気がついたんでしょう、「この部分は間違いだ」ということに……。
 まあ、間違いは誰にでもあります。私も昨日のブログで、「文春新書」と書くべきところを「文春文庫」と書き間違えました(ご指摘、ありがとうございました。訂正しておきました)。ただし、多くの場合は笑ってすますことができても、麻生さんの場合はどうでしょうか。

 さて、福田前首相さんが、総選挙での自民党勝利を願って身を引いてからほぼ1年。麻生さんが「解散します」と宣言してからでも約1ヵ月以上も待たされました。
 国会が解散されてからでも、戦後最長の40日になります。というより、憲法の規定からいって、これ以上、長くすることができない最長の期間をおいての総選挙公示です。
 それもこれも、内閣支持率の低さを懸念してのことでした。同時に、民主党の勢いを恐れたための逡巡でした。

 その結果、国民は待ちくたびれてしまいました。それだけに、やっと総選挙になったとホッとする気持ちも強いのでしょう。
 ここまで待ちぼうけを食わせ、同時に「前景気」を煽ってきたのですから、選挙への関心が高まるのは当然でしょう。NHKの調査では、必ず行くという人が71%、行くつもりだという人が20%、合計で9割を超えました。
 東京新聞の調査(8月13~16日)では、「関心がある」56.4%、「ある程度関心がある」31.7%で、合計88.1になっています。朝日新聞の調査(8月15~16日)でも、関心が「大いにある」49%、「ある程度ある」38%で、合わせて87%です。

 つまり、8割から9割の人が、今度の選挙に関心を持っていたり、投票に行くと答えていることになります。かつてない関心の高まりであり、投票意欲の強さです。
 それは、今度の選挙が、これまでの選挙と大きく異なっているからです。今度の選挙での真の争点は、マニフェストで示されている個々の政策の是非というようなレベルを超え、自公政権の正統性そのものなのです。つまり、「自民党と公明党にこれ以上政治を任せておいて良いのか」が正面から問われているのであり、国民が「ノー」と答えれば政権のあり方を変えることができます。
 新聞の見出しに、「政権選択」や「政権交代」という文字が躍っているのは、そのためなのです。与党からすれば、決して目にしたくない見出しでしょう。

 今度の選挙の意義は、新たな政権を選択して政権を交代させるという点にあります。そして、有権者の関心の高さと世論調査の動向からすれば、ほぼ確実にそうなるにちがいありません。
 東京新聞と朝日新聞の調査では、「あなたは小選挙区でどの政党の候補者に投票する予定ですか」という問いへの回答は、次のようになっています。 前の数字が東京新聞、後の数字が朝日新聞の数字です。

        東京    朝日
自民党    18.7     21
民主党    35.8     40
公明党     3.1    2
共産党     2.4    3
社民党     1.3     1

 同様に、「あなたは比例代表でどの政党に投票する予定ですか」という問いへの回答は、次のようになっています。

自民党    16.2     21
民主党    34.6     40
公明党     5.2     4
共産党     3.3     5
社民党     1.8     2
 
 両方の調査から分かることは、小選挙区でも比例代表区でも、民主党は自民党の約2倍の支持を集めているということです。この数字からすれば、自民党が第1党の座を民主党に奪われることは確実です。
 とりわけ、小選挙区での数字は深刻でしょう。小選挙区では、相手候補を1ポイントでも上回れば当選するのですから。
 それが、東京新聞の調査では17.1ポイント、朝日新聞の調査では19ポイントも上回っています。もちろん、これは平均値であって、選挙区ごとの固有の事情や選挙情勢がありますから全てそうなるとは限りません。

 もう一つ、注目されるのは、朝日新聞調査での公明党と共産党の数字です。小選挙区では2%対3%、比例代表区では4%対5%と、公明党よりも共産党の方が各1ポイント多くなっています。
 これは政党支持率でも同様です。「いま、どの政党を支持していますか」という問いへの回答では、公明党が2%、共産党が4%と、ダブルスコアになりました。
 しかも、このような「逆転」は、過去4回の調査のうち、今回になってから生じています。最近になってから、政党への支持態度や投票予定における変化が生じたということなのでしょうか。東京新聞の調査ではそうなっていませんから、朝日新聞調査だけの変化なのでしょうか。

 いずれにしましても、これまでにない大きな支持変化が生じていることは確かなようです。戦後政治における巨大な地殻変動の予感を秘めて、総選挙は今日スタートしたばかりです。

8月17日(月) 麻生首相が通っていたのは「オーダーメード」の「麻生塾小学校」だった [首相]

 この人の頭の中は、一体どうなっているのでしょうか。これだけKY(漢字読めない)と言われているのに、相も変わらず、読み間違い、言い間違いが続いています。

 8月9日の長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典のあいさつで、麻生首相は「一命をとりとめた方も、いやすことのできない傷跡を残すこととなられました」と述べたとき、「傷跡(きずあと)」と読むべきところを「しょうせき」と読みました。またもや、「消すことのできない傷跡(きずあと)」を残したというわけです。
 8月15日には、全国戦没者追悼式の式辞で「国際平和を誠実に希求する国家として、世界から一層高い信頼を得られるよう、全力を尽くしてまいります」と読んだとき、「希求(ききゅう)」とすべきところを「ききょう」と読み間違えました。まことに、奇矯(ききょう)な振る舞いと言うべきでしょうか。
 さらに8月16日、山梨県昭和町での演説会で山梨1区から立候補を予定している「赤池誠章(あかいけまさあき)」さんの名前を「あかいけりょうせい」と言い間違えました。わざわざ応援に来たにもかかわらず、その応援すべき相手の名前を間違えてしまった麻生さんの演説を、当の赤池さんはどのような気持ちで聞いていたでしょうか。

 「読み間違えたり言い間違えたりなどというのは、取るに足らない小さな問題だ。指導者としてきちんと政治運営を行っていれば問題はない」と仰る方がおられるかもしれません。それは、政治指導者としての信頼があればの話です。
 残念ながら、麻生さんは、国民だけでなく自民党内での信頼さえ得られていません。解散前の「麻生降ろし」は、その象徴です。
 そのような方が、この程度のおつむだというのですから、皆が心配するのも当然でしょう。「これで大丈夫なのか。漢字もきちんと読めず、言い間違いをするような人に、トップリーダーがつとまるのか」と……。

 まともに漢字も読めない麻生首相は、どのような教育を受けてきたのかと思っていましたら、驚きました。最近読んだ上杉隆さんの『世襲議員のからくり』(文春新書)という本に、次のように書いてあったからです。

 麻生は完全な東京育ちではない。よって小学校3年まで地元の福岡・飯塚の小学校に通っていたから、地方を知っているという反論もできる。だが、その実態は東京育ち以上の“特別扱い”だった。
 麻生の地元事務所の元秘書で、「麻生」社史資料室顧問の深町純亮は、1947(昭和22)年、太郎が小学校に上がるのに合わせて「麻生塾小学校」が作られたと語る。
 戦前に「麻生商店」の中枢をになう社員を育成するために作られた、学費ゼロの「麻生塾」という学校があった。それを発展させたものという触れ込みで作られたのが「麻生塾小学校」だ。実際は、麻生が就学年齢に達するのに合わせて作られた「学校」で生徒は太郎を含めて4人。全員が「麻生」の幹部社員の子どもだった、と深町は証言する。
 都心の名門校に通うどころか、自分のために学校まで作ってもらったのだ。
 これは、麻生の人生において象徴的な出来事だ。常に周囲が麻生に合わせてくれる「オーダーメード」の人生は、この後もずっと続いていく(39頁)。

 どうです。驚いたでしょう。麻生さんは、自分のために、たった4人しか生徒のいない小学校を作ってもらったというのですから……。
 麻生さんの「上から目線」と学力不足の原因は、このようなところに求められそうです。「オーダーメード」で作られた学校に、同級生は「幹部社員のこども」だったというわけですから……。
 これでは、厳しく教えられることもなく、心から許し合い鍛え合えるような友達もできないでしょう。このような教育環境では、人格形成に問題が生じ、十分な学力が見につかないのも当然ではないでしょうか。

 都議選の応援演説では、「惜敗を期して」と口走った麻生さんです。明日は総選挙の公示日ですが、麻生さんは第一声で何と仰るのでしょうか。
 やはり、「負けっぷりを良くしよう」とでも言うのでしょうか。このような形で注目を集めるのは麻生さんにしかできない「芸当」ではありますが、回りの人は気が気じゃないでしょうね。